日常茶飯

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#109 
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秋の気配はいいけれど

 ことしの夏はけっこう天気を気にする日があった。 珍しく台風は一度も上陸していない。 只、台風15号は九州と沖縄の間を通過するようだが確かなことではない。 13号は台湾のほうへ北西に進んでいたのが、東に向きを変えて鹿児島の南端から列島の太平洋側を通過した。 上陸しなかったものの、報道されなかった被害もあっただろう。 14号は台湾へ北西に進んだまま、と云う具合に予測は当たっていた。 そして今度の15号は13号に似た進路をとるらしいが、まあ信用に値するのだ。

 当てにならないのは普段の天気。 晴れると云ってたら雨、或いはその逆と云うのはしょっちゅうである。 ところが、ことしは事情が違った。 真夏のころは突然の豪雨と云うのがあった。 そのあとは、何(いず)れ雨になるの分かるけど、どの程度の雨だろうと思う日があった。 それで、そのときは雨雲レーダの様子を観察するようにしたのだが。

 レーダの雨雲が次から次へと流れてくる。 それは太平洋から流れてきたり、大陸から流れてきたりしたけれど、 雨雲の行列が流れてくるのはことしの特徴で、中には各地で甚大な被害をもたらした。 尋常ならざる雨は、台風にまけない被害をもたらすことは知ってはいるが、 ことしの雨災害は酷かった。 天変地異には謙虚であるべし。

 さて、急に秋めいてきて戸惑うほどだ。 2、3日前に衣替えしたのだが、けさは寒かった。 まだ9月なのに、この寒さは何だろうとぼやいてみても仕方がないが。 寒くなると決まって肩が凝る。 案の定、夕方きゅうに左肩が固まった。 どうにかして欲しい。
'08年09月28日

佃祭

 きょう秋分の日は午前中を、普段みないテレビをみて過ごした。 NHK朝の連続ドラマなんて何年もみていないけど、まだやってるんだと云う気分でみたら、 佃祭(住吉神社大祭)を描いている。 実際は8月に行われるもので(多分ことしの映像だろう)ちょっとずれているが、 ドラマの内容は知らないし、まあどうでもいいこと。 隅田川河口にある佃島(つくだじま)は遠くからみると、高層マンションが林立する都市空間に違いないのだが、 神輿を担ぐ映像はふと江戸の情緒が蘇るような気がした。

 佃島のルーツは摂津(大阪)にある。 江戸開府のときに家康に呼ばれて、摂津から移住した漁師たちによって拓かれたのだった。 もう少し補足するに、小林信彦さんの『私説東京繁昌記』からの引用(但し<見てきたような嘘>かもしれない由)。

 <天正の昔、家康が住吉神社に参拝の途中、淀川の支流で出水があり、難渋した。 西成郡佃村・大和田村の漁師が船を出して家康を渡御させた。 その功によって、彼らは御膳魚を献納したり、大阪の陣のとき、密使を運んだりしたともいう。 のちに、佃村の漁師三十四人が江戸に召し出され、家康のために網をひいてみせ、海川漁師の免許を得た。 寛永年間に、彼らは鉄砲洲の東の干潟に百間四方の土地を拝領し、埋め立てて島を造った。 佃村から一字をとって佃島とし、摂津の住吉神社の分社を作った>

 いまは佃大橋、相生橋、中央大橋などでつながっているが、もとは渡し船があった。 その<佃の渡し>を題材にした落語に『佃祭』がある。 この渡し船がなくなったのは、東京オリンピックの直前、1964年8月の佃大橋の完成からだそうだ。

 落語の『佃祭』を書いたついでに蛇足する。 これは、<佃の渡し>の船が転覆する大惨事を描いた噺で、 3年前(住吉神社大祭は3年ごとにおこなれる)に人の命を助けた小間物屋の次郎兵衛さんが、 その人に呼び止められて難を逃れると云う人情噺のようなもので、よくできた噺である。 で、そのような転覆事故があったかと云うと、京須偕充さんによると、 <おそらく1807年(文化四)の隅田川・永代橋落橋事故のパロディだといわれている>、のだそうだ。 佃煮も、この佃から来ている。
'08年09月23日

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