秋の気配はいいけれど ことしの夏はけっこう天気を気にする日があった。 珍しく台風は一度も上陸していない。 只、台風15号は九州と沖縄の間を通過するようだが確かなことではない。 13号は台湾のほうへ北西に進んでいたのが、東に向きを変えて鹿児島の南端から列島の太平洋側を通過した。 上陸しなかったものの、報道されなかった被害もあっただろう。 14号は台湾へ北西に進んだまま、と云う具合に予測は当たっていた。 そして今度の15号は13号に似た進路をとるらしいが、まあ信用に値するのだ。 当てにならないのは普段の天気。 晴れると云ってたら雨、或いはその逆と云うのはしょっちゅうである。 ところが、ことしは事情が違った。 真夏のころは突然の豪雨と云うのがあった。 そのあとは、何(いず)れ雨になるの分かるけど、どの程度の雨だろうと思う日があった。 それで、そのときは雨雲レーダの様子を観察するようにしたのだが。 レーダの雨雲が次から次へと流れてくる。 それは太平洋から流れてきたり、大陸から流れてきたりしたけれど、 雨雲の行列が流れてくるのはことしの特徴で、中には各地で甚大な被害をもたらした。 尋常ならざる雨は、台風にまけない被害をもたらすことは知ってはいるが、 ことしの雨災害は酷かった。 天変地異には謙虚であるべし。 さて、急に秋めいてきて戸惑うほどだ。 2、3日前に衣替えしたのだが、けさは寒かった。 まだ9月なのに、この寒さは何だろうとぼやいてみても仕方がないが。 寒くなると決まって肩が凝る。 案の定、夕方きゅうに左肩が固まった。 どうにかして欲しい。 |
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佃祭 きょう秋分の日は午前中を、普段みないテレビをみて過ごした。 NHK朝の連続ドラマなんて何年もみていないけど、まだやってるんだと云う気分でみたら、 佃祭(住吉神社大祭)を描いている。 実際は8月に行われるもので(多分ことしの映像だろう)ちょっとずれているが、 ドラマの内容は知らないし、まあどうでもいいこと。 隅田川河口にある佃島(つくだじま)は遠くからみると、高層マンションが林立する都市空間に違いないのだが、 神輿を担ぐ映像はふと江戸の情緒が蘇るような気がした。 佃島のルーツは摂津(大阪)にある。 江戸開府のときに家康に呼ばれて、摂津から移住した漁師たちによって拓かれたのだった。 もう少し補足するに、小林信彦さんの『私説東京繁昌記』からの引用(但し<見てきたような嘘>かもしれない由)。 <天正の昔、家康が住吉神社に参拝の途中、淀川の支流で出水があり、難渋した。 西成郡佃村・大和田村の漁師が船を出して家康を渡御させた。 その功によって、彼らは御膳魚を献納したり、大阪の陣のとき、密使を運んだりしたともいう。 のちに、佃村の漁師三十四人が江戸に召し出され、家康のために網をひいてみせ、海川漁師の免許を得た。 寛永年間に、彼らは鉄砲洲の東の干潟に百間四方の土地を拝領し、埋め立てて島を造った。 佃村から一字をとって佃島とし、摂津の住吉神社の分社を作った> いまは佃大橋、相生橋、中央大橋などでつながっているが、もとは渡し船があった。 その<佃の渡し>を題材にした落語に『佃祭』がある。 この渡し船がなくなったのは、東京オリンピックの直前、1964年8月の佃大橋の完成からだそうだ。 落語の『佃祭』を書いたついでに蛇足する。 これは、<佃の渡し>の船が転覆する大惨事を描いた噺で、 3年前(住吉神社大祭は3年ごとにおこなれる)に人の命を助けた小間物屋の次郎兵衛さんが、 その人に呼び止められて難を逃れると云う人情噺のようなもので、よくできた噺である。 で、そのような転覆事故があったかと云うと、京須偕充さんによると、 <おそらく1807年(文化四)の隅田川・永代橋落橋事故のパロディだといわれている>、のだそうだ。 佃煮も、この佃から来ている。 |
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