日常茶飯

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如月は去る

 きのうまで西高東低の典型的な冬型の気圧配置だったが、きょうは一転して南高北低。 そのせいで暖かかった。 とは云ってもこの冬は寒かった方だろう。 きょねんの夏は暑かった。 残暑は10月のはじめまで続いたと思うが、それが年末に急に寒波が来ての寒さである。 如月は過ぎてあすは弥生。 歳月は勝手に来て勝手に去る。

 あるテレビ番組で、2月の如月は寒くなる月なので、着るのを更に着るから着更着(きさらぎ)なのだ。 と、説明していたが、広辞苑によるとそうじゃない(この辞書はけっこう怪しいので信用しているのではないが)。 それで、広辞苑によれば、<「生更ぎ」の意。草木の更生することをいう。 着物をさらに重ね着するとするのは誤り>だそうだ。 そんな雅でないことを書くのは忍びないのだが。
'08年02月29日

暮らしの眼鏡

 雑誌「暮らしの手帖」は手にしたことはないが、こどもの時分から知っていた。 いまでもある雑誌だが全盛期は何十年の昔で、その個性的な雑誌の名声は小学生にも聞こえていたのかも知れない。 「暮らしの手帖」が有名だったのは消費者の為の<商品テスト>にある。 テストして遠慮会釈なく評論した(らしい)。 それが出来るのは、広告を載せない唯一の雑誌だったからとは夙(つと)に知られている。 広告を取れば広告主が悪いことをしても、悪いとは云えないものである。

 新聞は、広告収入と購読料収入とが半々なのが理想だと云う。 理想と云うからには現実は半々ではないのだろう。だったら広告収入の方が多いのだろう。 確かに、一面からお終いのページまで広告は載っている。 その間にも一面広告はいっぱいある。 民放のテレビ、と云っても地上波はすべて広告で賄っているからタダである。 スポンサーが犯罪を働いたので大騒ぎしたことがある。 次のスポンサーを探して目出度く見つかれば、安心して 大々的に叩くものである(テレビ朝日が過去にやった)。 それなら有料のテレビがいいかと云えば、そうでもないらしい。 有料の番組が優れていると云う話は聞かないし、娯楽のための有料だろう。 話が脱線したのでもとにもどす。

 「暮らしの手帖」が個性的だったのは、この雑誌を創刊した編集長である花森安治の個性である。 花森安治(やすじ)の名は、ずっと後年に知った。 <暮らしの手帖は開巻第一ページから巻末まで花森ひとりの手になる。 自分で原稿を書きカットを添え自分でレイアウトして自分で校正して、他人がはいるのを許さない。 社員は次第にふえただろうが、社員は手足で花森を出ることがない。 花森はあれだけの雑誌をすみからすみまで自分で作らなければ気がすまない> (山本夏彦、『私の岩波物語』)。 花森安治は、いまからちょうど30年前に亡くなった。 「暮らしの手帖」の全盛期はこのときに終わったことになる。

 中公文庫の新刊として花森安治のエッセイ集、『暮らしの眼鏡』がでている。 単行本は1953年に刊行されたもの(随分とむかしですネ)。 暇をみつけてゆっくりと読んでいるのだけれど、この独特の文体には戸惑ってしまう。 少し引用します。

 <なにしろ、右を向いても、左を向いても、味気ないこと、腹の立つことばかりの世の中だが、 その中でも、なにが味気ない、腹が立つといって、事もあろうに、自分で、自分の家を建てねばならぬハメに立ち至ることほど、 味気なく腹の立つものもないだろう。
 鴨長明君などという、中学時代のイヤなナジミをいまさら引き合いに出さずとも、なんで家など建てたいものか>

 このように<世の中にもの申す>と云う口吻である。 文庫の解説で、松浦弥太郎氏(「暮らしの手帖」編集長)は 「暮らしの手帖」の花森の文章は<一文字一文字を印でも押すように吟味した言葉>で書かれたもので、 <この本で書かれている文体は、いたって別人のようだ>と書いている。

 余談ながら、花森安治はどんな顔をしているのだろうと思っていた。 去年の暮れか明けた正月だったか、本屋で雑誌「諸君」に<文藝春秋写真館>と云うのがあって、お目に掛かった。 全盛期の写真は肩まで髪がかかる長髪で、 どことなく武満徹に似ている。 スカートをはいていたと云う<伝説>を何かで読んだことがある。 ところが、中公文庫の著者紹介の写真は晩年のものだろう。 白髪交じりの頭で太い縁の眼鏡をかけて笑っている。
'08年02月26日

あるコマーシャル

 きょねんの秋頃だったかよく覚えていないのだけれど、 缶コーヒーのテレビ・コマーシャルにこんなのが流れた。 駅のホームに上がった桑田佳祐の目の前に、黒澤明が映画を撮影していて驚いたなぁ、と云うもの。 その次は、桑田佳祐がリングでジャイアント馬場とプロレスごっこをすると云うもので、 これは、いまも流れていると思う。

 いずれこんなコマーシャルが現れるだろうとは思っていたから、矢張り出たかと云うほどの感想である。 故人のむかしの映像を使って、現在の人が共演するような編集は可能である。 幽明境を異にせずと云うのだろうか。 まあ、そんな時代になった。

 最近ではネスカフェ・ゴールドのコマーシャルである。 遠藤周作の。 古い映像だなぁと思うのはそれだけ若かった。 このコマーシャルは以前はもっと格調あったと思うが。 うしろに張り付くように動いているのは唐沢寿明で、これがみていて気味悪い。
'08年02月20日

封筒の糊(のり)

 市販の封筒には封をする口のビラ(これ何と呼ぶのか知らない)の裏に口糊が着いている。 水をつけると糊になっていて、ビラを折って封をするのですが。 どう云うわけか、あれじゃ物足りないらしいのか、郵送中に口が開くんじゃないかと心配してか、 ビラの裏側全体にびったりと糊付けする人がいる。 受けとる方にとっては困ったものだ。

 ビラ(繰り返すが、正式な名称があるのでしょうが)を剥がすときに苦労するのである。 もともとビラの裏の口糊は、よくみれば細い帯状に糊が着いている。 だから簡単に剥がせるのです。 鋏で切れば済むことだが無いと困る。 もし、口糊だけでは頼りないなら、せめてビラ全体を糊付けするのではなく、端っこの部分だけにして戴きたい。

 きょうも、郵便局のエクスパック(厚紙の封筒小包みたいなもの)が届いた。 封を切ろうとしたが、親の敵を討つように糊付けされていた。 まあ、そんなぼやきである。
'08年02月18日

マイクロ波の家電

 八代目坂東三津五郎の『食い放題』を読んでいると、電子レンジについての記述にでくわした。 この随筆が書かれたのは1974年で、 翌年の正月には、歌舞伎の人間国宝は京都南座に出演中に急死しているのである。

 ふと思ったのは、電子レンジが世に現れたのはいつだろうかと云うこと。 電子レンジは英語でmicrowaveと云うが、 通信ではお馴染みのマイクロ波に温度を上げる作用があると云う発見は半世紀以上も前のことである。 携帯電話が現れたときに健康被害が云われたのはマイクロ波を使うことと関係しているのだろうが、 いまだに結論は出ていない。 疫学は単純ではないし、結論というのはないのかも知れない。 それにこの手のもの。 電磁波はマスコミが喜んで飛びつく<ホラーもの>で、IH調理器具が出たときも似たように騒いだ。 困ったものだ。

 電子レンジのことを書いていて思いだした。 むかし読んだ本で、マーク・ピーターセン著『日本人の英語』(岩波新書)である。 電子レンジに濡れた猫を入れたと云う話で、考えなくてもコワイ話である。

 曰く、シカゴに住んでいる女性の飼い猫が雨に濡れて帰ってきた。 乾かしてやろうと、猫を電子レンジに入れてスイッチを入れた。 当然猫は死ぬ。 当人は慌ててレンジのドアで顔を打ちあごの骨を折る。 で、彼女はメーカに訴訟を起こし損害賠償で大金を手にしたとか。 いかにもアメリカ的な話。訴訟大好きな社会だと記憶していたが、いま改めて読んでみると、これがよくわからない。 単なる英文の例題で事実関係が怪しいのである。 この話。その後何度か本で読んだことがあって、それがどうも詳細はわからない。

 さて、電子レンジについて八代目坂東三津五郎が、<私の家にはまだ電子レンジはおいてない>、 と書いたのは’74年のことで、その時分、電子レンジは世に知られているが、家庭には普及していないと思われる。 国産の電子レンジの最初はシャープで、 確かにサイトをみると1961年に<わが国で初めて電子レンジを開発>とある。 でも、普及するには冷蔵庫なんかとは違い時間が掛かったらしいが。
'08年02月17日

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