日常茶飯

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志ん朝の『佃祭』

 夏の噺に『佃祭』がある。 佃島は江戸開府のころに摂津の漁師が入植したのが由来で、 漁民たちが信仰する住吉神社をこの地に勧請したと云う。 さて、佃島の祭礼の夏祭りをたのしんだ、神田お玉ヶ池の小間物屋の次郎兵衛。 暮れ六つの鐘が鳴ると、最終船(しまいぶね)が出る。 最終船に乗ろうとした次郎兵衛の袖を強く引いて呼び止める女がある。 押し問答するうちに、最終船は出て仕舞い、乗り遅れた次郎兵衛。 話を訊けば、三年前、 奉公先の店のお金三両をなくし本所一ッ目の橋から身投げをしようとしているところを次郎兵衛に助けられたのだと云う。

 あれからすぐ、佃島に嫁いだが、どこかで命の恩人に出会ったら、亭主ともどもお礼を言いたいと常々話していた。 女の亭主は船頭だから後で送るから、どうか家に寄って欲しいと頼むのである。 家に呼ばれた次郎兵衛、出された酒を呑みながら、三年前の話を聞いていると、何やら表が騒がしい。 先ほど次郎兵衛が乗り遅れた最終船が沈没して、ひとりも助からなかったと云う。 陰徳を施せば報われる。

 『佃祭』には、次郎兵衛の女房お駒が登場する。 焼き餅焼きの女房で、その嫉妬深さを嫌ってか、女房を出さないで演る噺家もいるらしい。 そうすると噺はすっきりとしそうだが、何だか法談ぽくなって、かえって噺にふくらみがなくなるのではないか。

 そのてん古今亭志ん朝の『佃祭』(ソニーレコード、『落語名人会19、志ん朝11』)は抜きん出ている。 まず、小間物屋の旦那、次郎兵衛の人柄が実にうまく描かれている。 佃祭に出かける次郎兵衛は、白薩摩絣(しろざつま)の着物に茶献上の帯を締め白なめしの鼻緒の雪駄を履いて、 と粋な着こなしで。 温厚で如才なく、人当たりもよく、近所の長屋の衆にも好かれている。 おかみさんが嫉妬深くてもおかしくない。 出かけようとする次郎兵衛に、「お祭りが白粉(おしろい)つけてまってんでしょう」と嫌味を云うが。 次郎兵衛、「本当に困ったもんだねお前(まい)にもォ。 だから世間で評判ですよォ。 次郎兵衛さんところのおかみさんはねえ、長屋中の嫉妬(やきもち)をひとりで背負(しょ)っちゃってるから、 さぞ重たかろうってェ」

 やがて佃島の渡し船の水難事故の噂が江戸市中にも伝わる。 死んだものと思われた、次郎兵衛の家では長屋の衆が集まり弔いの準備。 間違えた水死仏を持ってきてはいけないから、体に何か目印はないかと聞かれたおかみさん。 「あのォ…、どうしてもわかりませんようでしたら、左の二の腕を、ご覧になればわかると思います」、と。 そこには<駒いのち>と刺青(いれずみ)があると云うくだりが可笑しい。 それから、次郎兵衛が無事に生還し一騒動があるが、面倒だからこれでお仕舞い。
'07年07月28日

戀日記

 中公文庫の新刊に、内田百閒の『恋日記』が入っている。 後に妻となる親友の妹、清子への恋慕を吐露した恋日記。 明治十八年、十六歳で書き始め帝大入学、結婚へ至る明治四十四年までの日記で、余りこんなの読みたくないなァ。

 この文庫の底本となったのは、十年ほどまえ福武書店からでた『増補版 戀文・戀日記』で、 それを分冊したと云うから、次は『恋文』をだすのが中公文庫の魂胆らしい。 かの有名な読みたくない恋文、<愛する愛するきよさん 栄造>である。

 只、『戀文・戀日記』には、次女である伊藤美野さんの「父・内田百閒」が収録されている。 これは教職員の会員制文芸誌のインタビューに応じた記事を、質問者の発言を削って転載する、 と云う妙な形式をしている。 百閒について身内の人がこれほど詳しく語ったものはない。 その、「父・内田百閒」も文庫に収録されている。

 <本当は内田の娘としては、私も黙ったままでいた方がよかったかもしれません。 でももう父も亡くなって久しくなりますし、私共の代も、そろそろ消えますので、 記録として残る父の文学者としての生涯に、間違ったことがそのまま伝わっては困ると思いまして、 この機会にお話しさせて頂きました。 お陰様で、私の知っていることはここに全部申上げてしまいますので、あとはもう、読者の方や研究して下さる方に おまかせしたいと思います。 そして私もまた、わが家の伝統的沈黙にもどりたいと思っております>

 百閒の作品を読んでいると、妙に気にかかるときがあった。 このひとの家庭は実は不幸なんじゃないかと感じたのである。 晩年の百閒先生に師事した、ドイツ文学者の高橋義孝は、<百閒文学は、つまるところ悲哀の文学だった>と書いている。
'07年07月24日

期日前投票

 以前は不在者投票と云っていたが、いまは期日前投票と云うらしい。 役所に用事があったついでに、覗いてみると投票所に人がけっこう大勢いる。 テレビのニュースによると前回の参院選の時よりも50%増えたと云う。 不在者投票と云ったころは、投票するにも色々と規則が煩かったようである。 期日前投票になって遣りやすくなったのは確かで、 肝心の理由(専門用語では事由と云うらしい)を述べるのは簡単だそうである。 その日は仕事があるとか、旅行に行くから等とあらかじめ印字されていて、丸を付けるだけとの由。 それなら、都合の良い日に行くだろう。

 きのうの新聞の一面見出しは<与党、過半数厳しく>、 <民主、第一党の勢い>、<共社伸びず>である。 大好きな世論調査をして、数字をこしらえて、円グラフや棒グラフで占っている。 喜々としている。 もっと他にすることがあるだろう。 たしかに、顔に絆創膏(ばんそうこう)の男は目障りである。 ただし、これも世論調査大好きのNHKは投票の判断理由をあらかじめ幾つか用意していて、 <政治と金>の問題と云うのがある。 これは、<政治家と金>の問題だろう。 政治とは政策の問題であり、醜聞とは次元の違うはなしである。

 米紙ニューヨーク・タイムズは大統領選のとき、幹部は各党の候補者を昼食会に招いて、色々とはなしを聞くのである。 その上で、大統領として相応しい人物を紙上で推薦するのが習わしだと云う。 と書いて、急いで注釈するがこのアメリカの新聞は世間一般では一流紙(クオリティ・ペーパー)との評判があるが、 こと日本に関する記事は偏向した記事を載せる新聞である。

 投票日になると、出口に怪しげな者がいるものである。 新聞テレビの出口調査で、選挙の結果をいち早く伝えたいと頑張るのは無駄な努力である。 5%の誤差だと云っても、翌日になればわかるのである。 煩わしいから、皆さん期日前投票で気が向いた日に投票するようすれば、もっとまともになるだろうか。
'07年07月23日

除湿

 梅雨前線はまだ居座っているようだ。 例年だともう梅雨明けで、きょねんは一週間ほど遅かった。 来週明けてもおかしくはないし構わない。

 おもてを歩くとむしむしとして汗ばむ。 しかし、うちの中は湿度を下げているのでまぁ過ごしやすい。 エアコンのドライ運転は強力に除湿するが、室温も下げて仕舞うから寧ろ寒くなる。 設定温度を上げると除湿の機能も落ちるから除湿器を廻している。 これだと、エアコンもいらないのだ。 きょねんから使っているが、これお薦めですよ。

 この土日はほとんどうちにいた。 外に出ても暑いばかりで、うちにいれば除湿していればエアコンも余り必要ない。 きのうは朝から小林信彦、『テレビの黄金時代』(文春文庫)を読んでいて、 夕飯前に読み終えた。 ちょっと驚くのは<黄金時代>とはテレビが普及したころから数えて10年ほどと云うこと。 だから実感が伴わない。 小林さんは「文庫版のためのあとがき」で、 <真面目に読んでくれた方がいて、それでは昔のテレビをDVDで観てみようかと思っても、 (この本でいえば)ドリフターズの人気番組からしか入手できない>、 と書くような事情である。 テレビは随分前からみるものではないと思っているから、そんなものだろう。

 きょうは萩野貞樹、『舊漢字─書いて、覺えて、樂しめて』(文春新書)をながめていた。 <舊漢字>とはシステムによって文字化けする可能性があります。 <舊漢字>とは<旧漢字>である。 所謂(いわゆる)<正字>を並べた本で、<えんぴつ版「私の國語教室」> と帯にあるから、さては福田恆存だな。 ところが、軽いノリで書いている前書きはいったい何だろう。 跋文には、<ますます整然として美しく、かつ合理的なものと感じてゐます>とあって、 これでは説明が足りないだろうが。

 <舊漢字>をえんぴつで書いて覚えると云うのは分かるけれど、 正字が略字(当用漢字)になって困る理由をはっきりと主張してないのが弱い。 まあ、任天堂の脳トレーニング・ソフトと云うのは、テレビのコマーシャルでみる限り、 あれじゃ、お前さんますます莫迦になるしかないンじゃないかと思うから、 それよりましかと考え直した。
'07年07月22日

江田島へ

 このところ電車のなかで読んでいるのは、阿川弘之さんの『人やさき 犬やさき』(文春文庫)である。 文藝春秋の巻頭随筆「葭(よし)の髄(ずい)から」の第二集。 この手の雑誌は読まないのだけど(何しろ字がいっぱいでいやだから)、 この月刊誌の巻頭随筆は阿川さんの前は司馬遼太郎の「この国のかたち」だった。 だから「蓋棺録」に載るまで書くことになるのだろう。 で、文庫はあと少しで読み終える。

 そのなかに井上成美(せいび)についての件(くだり)がある。 <最後の海軍大将>と云われた人で、 少し長いが引用する。 <対米戦争なぞ絶対やつてはならぬ、やれば必ず日本が負ける、数年を経ずして帝国陸海軍は全滅、 日本全土をアメリカに占領されるやうな事態が起こると、 部内で常々公言してゐた井上提督は、開戦間際中央から遠ざけられて、戦争中の一時期、 江田島の兵学校長をつとめる。
 当時十七、八の兵学校生徒たちは、心身健康頭脳明晰、粒揃ひの俊秀ではあるけれど、何しろ 小中学校以来の軍国少年で、一日も早く江田島を卒業し、 最前線へ出してもらつてお国のため勇敢に戦ひたい、命を投げ出すのなんか当然の覚悟と、 みんな目が吊り上がつてゐた。井上校長はそれが気に入らなかつた。
 「あれではまるで前科三犯の面構へぢやないか。真面目な生活とは、笑ひも遊びも忘れたといふことではない。 規律とセレモニーが多過ぎる。もつとのびのびと彼らを遊ばせてやれ。一日一回でいいから、 彼らに腹の底から笑へる機会を与へてやれ。 夢も詩もあった昔の江田島生活に戻すのだ」
 教官連中にさう要望し、忠君愛国一途の若者どもを、少しちがふかたちに育て直さうと、心を砕き始めた>

 井上校長の打ち出した新しい教育要綱はこうである。 軍事学中心の教育は世間に出て直ぐ役立つと云う意味で丁稚(でっち)教育である。 <丁稚教育を受けた者は目先の実務は上手にやれるかもしれないが、情勢に大きな変化が起こつた場合、 自ら事に処することが出来ない> 真に日本の運命を背負って立つ人材の、大木に成長すべきポテンシャルを持たしめるのは、 国語、歴史、物理学等々、<普遍学>の方をもっと充実させねばならぬ、と。

 敗戦時、井上成美は56歳であった。横須加の山上のあばら家に隠棲し、近所の子どもたちに英語を教えてくらした。 生活は清貧と云うより極貧であったと云う。 山田風太郎の『人間臨終図鑑』によると、 <江田島の教え子たちは、井上を世に出そうとし、また経済援助を申し出たが、 海軍軍人として亡国の運命を救えなかったという痛恨でみずからを罰した彼は、一切受けつけなかった>

 86歳の高齢で亡くなった井上の最後の言葉は、「海へ…江田島へ」である。
'07年07月18日

爆撃調査団

 昭和20年5月25日の夜から翌未明の空爆により、内田百閒は焼け出されて掘っ立て小屋の生活がはじまる。 8月には広島長崎の原爆投下で、日本は無条件降伏し、 連合国軍(GHQ)の占領下となった。 その秋雨のころ、「お聞きしたいことがあるから」と、百閒はGHQ司令部に呼び出される。 そのはなしを、「爆撃調査団」で綴っている。 流暢な日本語を話す日系の米兵はいろんなことを尋ねた。

「爆撃にあったのですか」
「そう」
「なぜ疎開しなかったのです」
「逃げだすのがいやだったから」

 爆弾と焼夷弾とではどちらがこわいかと尋ねるのに対して、 百閒先生、<爆弾と焼夷弾の恐怖とくらべて、どっちがこわいかと云えば雷様の方がこわい、と話した>

 5月の爆撃の前には3月10日のがあって、これが世に言う東京大空襲で下町を全滅させた。 東京大空襲の前には、ドレスデンの爆撃があった。 ドイツで最も美しい都市のひとつは一夜で灰になったのである。 1945年2月13日夜から翌朝にかけて行われたこの爆撃は、連合国側によって1963年まで歴史から隠されていた。 この春亡くなったカート・ヴォネガットの小説、『スローターハウス5』(ハヤカワ文庫)はドレスデン爆撃を描いたもので、 訳者の伊藤典夫氏はあとがきでこう書いている。

 <最初に襲ったのは、イギリス空軍所属のランカスター重爆撃機およそ八百機。 それらは二波に分かれて、数千トンの高性能爆弾と六十五万の焼夷弾を投下し、 それがつくりだす炎は三百キロの遠方からも見えたという。 続いてアメリカ軍のB17《空の要塞》四百五十機があらたな爆撃を行い、 とどめをさすように翌朝には、P51ムスタング戦闘機が、廃墟と化した都市をさまよう人びとを掃射した。 …(中略)… 皮肉なことにこの爆撃でも軍人の死者はほとんどなかった。 当時ドレスデンの人口は、東欧からの難民で平時の二倍にふくれあがっていた。 死者は三万五千から二十万余までさまざまにいわれているが、ドレスデン警察の提出した控え目な推計十三万五千が、 現在では公式の数字とされている>

 ところで、焼夷弾とはどう云うものか。 小林信彦さんが、「3・10を忘れない」(文春文庫『花と爆弾』所収)のなかで書いている。 <体験者の談話では、空から黒い油のようなものが降ってきて、「あっ?」と思う間もなく、 地上をどっと火が這ってきたという。 焼夷弾を使ったのは《日本の非戦闘員(兵士ではない一般市民)》を殺すのに、 爆弾なんかいらない、という発想からである> 焼夷弾の威力は実証済みで、 ユタ州の砂漠に日本の二階建て長屋12棟を建てて実験した。 木と紙の家は瞬時に燃えた。 小林さんが云うように、まさに<鬼畜米英>的な所行であった。
'07年07月17日

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