泥棒と泥坊 内田百閒は泥棒とは書かず泥坊と書いた。 広辞苑をみると両方ともある。 漱石は『吾輩は猫である』で、泥棒の方を使っている。 はじめて『猫』を読んだ学生の時分は随分と勝手に当て字を使うなあと思ったものだ。 秋刀魚(さんま)を三馬と書いて。 後年これらは当て字ではなく、大槻文彦の『言海』に載っていたと云うのを知った。 <どろぼう>の漢字はどうなのか、手許に『言海』(現在ちくま文庫に入っているが分厚いよ)がないので仕方がない。 漱石崇拝の何でも漱石を真似せずに居られない百閒先生は、なぜ泥坊を使うのだろう。 ふと、思ったのである。 気分としては泥坊の方が字面は落ち着くようにみえる。 <どろぼう>が必ず棒を振り回す訳ではないし、人を表す<坊>の方が似合いそうだ。 『吾輩は猫である』のなかに、<篦棒(べらぼう)め>と云う台詞(せりふ)が出て来る。 落語ではよく江戸っ子が、「なにをぬかしゃアがんでェ、べらぼうめェ!」と啖呵(たんか)を切る。 この、べらぼうめェ!とはどんな棒か。 「てめえなんざァ穀潰(ごくつぶ)しだ」、なんて、竹の篦(へら)になぞらえて、本当は篦棒(へらぼう)だったそうだ。 でも、<へらぼう>じゃどうも、あんまり威勢がよくない。 そこでわざわざ<べらぼう>と訛(なま)った。 こんなことを、古今亭志ん朝が『大工調べ』のマクラで振っている。 べらんめえ調の江戸っ子ことばの代表みたいな<べらぼう>だが、これには異説がある。 広辞苑によると、<べらぼう>は便乱坊あるいは可坊と書き、 井原西鶴の『日本永代蔵』のなかに<形のをかしげなるを便乱坊(可坊)と名付け>と云う記述がある。 これは寛文(1661~1673)年間に見せ物小屋にかけられた芝居のことで、 便乱坊とは<全身まっくろで頭がとがり目は赤く丸く、あごは猿のような>姿の人物だと云う。 西鶴は大阪の人だから、つまり<べらぼう>の発祥は大阪だと云うことになる。 この芝居は江戸に伝わり、関西では忘れられ、江戸では<べらぼう>のことばが定着した。 余談ながら(これは司馬遼太郎の真似)、大阪はもとは大坂と書いた。 明治になって現在の「阪」を使うようになったのは、 もとの「坂」の字が<土に反(かえ)る>、つまり死を意味する。 ことさら太閤さんの一族、豊臣家は滅亡したので縁起が悪い。 それで大阪になった。 織田信長だって、家は滅びていない。 織田家は江戸大名になりいまでも存続している。 その末裔は、氷の上で踊っているじゃないか。 いつのまにか脱線して仕舞った。 まあ、泥棒でも泥坊でもどっちだっていい。 ちかごろ出没する金属ドロボー。 新聞をみれば、あれは中国に運んでいるのは間違いないらしい。 目印をつければ北京五輪で発見できるか知らン。 あの金属泥棒は、どうも棒の方が似合っている。 |
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呑兵衛 読書をするなら出来れば作者は何十年も前に、この世を去った古い人の方がいい。 つまり生きている人よりも、死んでる人の方がいいという気分がある。 同じ時代の空気を吸っている人よりも、知らない時代の空気を味わう方が甲斐あるものと思うのである。 古人を読むとはその人と対話することであって、五百年、千年前の作者と知り合いになれるのが読書であると云うはなしもある。 すると、生きている作家その人自身は、その作品のオマケに過ぎないと云うことになりそうだけど。 それじゃ、作者諸賢に失礼であろうと、その先を云うのをやめた。 さいきん発見したひとりは吉田健一で、30年前歿(ぼつ)なら資格はじゅうぶんある。 文芸評論家で英文学翻訳者。 どんな顔つきかぐらいは知っていたが、どんな文章を書いた人なのか、ひょんなことから興味を持ったのである。 で、本のひとつでも読んでみたいと思うが、これが少し難しい。 去る者は日々に疎(うと)しで、作家が亡くなれば本も消えて仕舞うものである。 近所には幾つか本屋がある。 どれも小さい本屋なので期待できないが、試しに夕飯の後に廻ってみたが、矢張り無かった。 せんじつ繁華街に出かける折があって、大型書店を覗いてみると、2冊あった。 ちくま文庫の『新編 酒に呑まれた頭』と、光文社文庫の『酒肴酒』。 どうやら呑兵衛(のんべえ)、飲み助の人らしい。 知り合ったばかりの人だけど少しだけ御紹介する。 吉田健一は散文を大別して、評論と伝記は本当のことを書くもので、 嘘を並べるのが小説だと云ったあと、こんな文章を書く人である。 <本当のことを書くのが評論だといったが、これは実際には、必ずしもそうではないのである。 評論家は知識人であり、文化人だということになっていて、知識人や文化人の言動には色々な面倒な制約が加えられている。 例えば、知識人である以上は、支持する政党は社会党左派、再軍備には反対しなければならず、 アメリカを嫌い、ソ連に何となく憧れを持ち、と今頭に浮かんだのを並べただけでもこの通り四つの、 決して超えてはならない枠が出来ている。 それだけものを考えなくともすむ特典はあるが、ものを考えるのが商売の知識人にとっては、 不自由なことだってあるだろう>時代が分かる。 ぬけぬけと書いたのは立派。 また、呑兵衛なのは合ったばかりでも分かる。 二日酔いの状態で、「二日酔い」と云う随筆を書いている。 これが妙におかしい。 「酒談義」は、<今度はなるべく真面目に、酒を飲む上で覚えたことや経験したことを頭に浮かぶままに書いていってみようかと思う>、 と云った調子ではじまる随筆。 まず、洋酒から始めると、カクテルを取り上げる。 <カクテルの飲み方についての心得は至って簡単であって、それはカクテルなどというものは飲まない方がいいということに尽きる>、と。 なぜと云うに、 <これは洋酒の安ものを色々と混ぜて作ったもので、洋酒の安もの、というのは要するに、洋酒にも色々あり、 その安ものの混ぜ方にも色々あるから、したがってまた、 その結果であるカクテルにも色々ある。 しかしここでは、そんなものは飲まない方がいいという建前で書いているのであるから、その種類について説明することもない> 、とはよく分からない。 <いい酒を混ぜて飲むというのはもったいない話であるが、カクテルにいい酒を使ってはかえってまずくなるのであって、 それだけなおさら、もったいないのである> これはわかるが、要はカクテルで悪酔いしたということなのか知ら。 チラッと読んでみると、葡萄酒と日本酒はいい酒だと褒めている。 麦酒(ビール)とウヰスキーは格が落ちるように云っているのは心外だけど、 もう少し付き合ってみたい人である。 |
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非通知 うちでは電話が鳴ると、電話機のディスプレイに相手の電話番号が表示される。 ご存じかも知れないNTTのナンバーディスプレイのサービスで、去年から使っている。 これの便利なところは、先ず誰からの電話かを受ける前に知ることが出来るのは当たり前だけど、 相手の番号が記録に残る。 留守中の電話は、いつ誰からのものかを知ることが出来る。 まあ、知らない番号も含まれるが、これは放っておけばいい。 そうなると、留守番電話に設定する必要がないのに気づいた。 あれは便利なようで、中途半端である。 たいがいは留守番電話で用件が成立することはない。 改めて此方(こちら)から電話したり、向こうがもう一度というのが普通で、 結局は二度手間の場合が多いような気がする。 その点、留守中の相手の番号が分かると云う情報は要領を得ている。 相手により、此方から電話をすればそれで済む。 また向こうにしてみれば、留守だとは思っていないで電話をするのに留守番電話が受けるものだから、 居ないのにメッセージを喋るのも心外かも知れない。 それがない上に、留守番が受けないから料金もかからないので、此方としては感謝してもらいたい気もする。 ただし、このサービスの変なところは、自分の番号を隠すことが出来ることで、 その場合ディスプレイには<非通知>と表示される。 すべからく番号を表示するのが礼儀だと思うが、それをしないのは、NTTの根性が卑しいのである。 その証拠に<非通知>で鳴る電話はたいがい通信会社である。 ちかごろは、インターネットを光にしませんかと云うのが多い。 その度に、その気はないよと返事するのは面倒なので、 電話機の機能を使って<非通知>の場合は鳴らないようにしようかと検討中。 |
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のようなもの 肩こりが何日か続く。 これと云って思い当たることもないのに。 それが翌日になってみるとケロリと治っている。 すうっと軽くなるのだから不思議。 あの痛みは何だったンだろう。 そんなことがたまにある。 これに似たようなものだろうか。 週末になってパソコンの調子がおかしい。 使っているぶんには何も問題ないようなのだけど、シャットダウンすると変なのだ。 ウィンドウズが、何とかと云うソフトが応答しなくなったと、宣(のたま)うから困る。 そのソフトを終了させる儀式が始まり、終わるまで待って漸く電源が落ちた。 シャットダウンの度に同じことが起きるのは変だ。 システム上のソフトが応答しないのは、やがて目立ったトラブルを引き起こすンじゃないか。 困るンだよなア。 でも、こうなる切っ掛けについては思い当たる節があった。 金曜の夜にウイルス対策ソフトのパターンファイルを更新したときからである。 更新するあいだは黙って何もせず待っているのだけれど、 このときは普段と違ってやけに時間がかかる。 いつまでもハードーディスクのランプが点灯してカリカリ云っているので、 痺(しび)れを切らして、ブラウザの<もじら>を動かそうとしたら反応しない。 変だなあと思いシャットダウンすると、あれよあれよと色んなソフトが応答しません、 と宣い出した。 それからだから、ウイルス対策ソフトが怪しいに決まっているが証拠がない。 4、5年前にブラウザとウイルス対策ソフトが<喧嘩>してウィンドウズが不安定になったことがあった。 その時分のブラウザは<もじら>の先代ネットスケープだったが、 これとウイルス対策ソフトが問題を起こしたというのを突き止めるまでは大変だった。 で、問い合わせると、新しいバージョンの対策ソフトの方は問題なくお使い頂けます、 と云う間接的な返事だったから、<喧嘩>を認めたんだなと合点した。 さて、はなしを戻して、先ほど更新のパターンファイルをチェックすると、更新がありますと宣うから更新する。 試しに、シャットダウンすると今度は問題ない。 矢っ張りと思いたいが証拠はないし、 終わりよければすべてよし(シェークスピアの喜劇のタイトル)、と云うことで落着とする。 でもネ、5年前のときは本当に大変だったンだから。 |
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おおじしん けさ9時42分におきた、 石川県能登半島沖の大地震(M6.9)を知ったのは、 たまたまついていたテレビのNHKだった。 あとで本州のほぼ全域がゆれたと知った。 私のところは震度2と云うことだったが、まったく感じなかった。 その儘、NHKをみていると何だか混乱している。 映像と音声がばらばらなのだ。 技術的なトラブルではない。 被害の様子を色々と映している。 部屋の中の散乱、燈籠が倒れていたり、倒壊した家屋の様子とか。 ところがアナウンサーは電話に夢中で、市役所の人たちと話し込んでいる。 木造二階建ての家屋の一階部分が完全に崩れていて、 その上に二階部分が乗っかったのが気になるのだけど、 何の説明もないからわからない。 災害時は時間が経たないと被害の状況はわからないものである。 発生直後に何を知らせるべきか。 これは被災地とそうでない地域とでは違うし、 予め考えておくべきじゃないかなァ。 民放はこんな時は決まって、我が身に降りかからない限り知らんぷりである。 これも一理ある。 災害の時だけのNHKに落ちぶれたわけじゃあるまいし。 最近、NHKは<コマーシャル>を流すようになった。 コマーシャルとは民放のもので、スポンサー企業を宣伝することで視聴は無料である。 お金は企業が出すからコマーシャルなのに、 この<コマーシャル>はNHKの宣伝に終始するのは変だな。 受信料を払う、払わない視聴者を納得させようとするのはわかるけれど。 数字を掲げて「何の数でしょう」と云う<コマーシャル>である。 でも、NHKが信頼を得るためには、<考えている>NHKを売り込むしかない。 なぜと云うに民放は、よくみれば固定されたコメント屋を並べて、パクパク喋っているだけである。 <コマーシャル>が悪いと云わない。 NHKのニュースは実に分かりづらい。 建て前しか云えない性分なのだろう。 教育テレビの手話ニュースはもっとストレートな物言いなのに。 それなら視聴者が少ない深夜にニュース解説の<コマーシャル>をやるがいい。 一部の民放は、深夜にこっそり本当のことをドキュメントしている。 受信料を払うから云うのである。 じつは三田村鳶魚のことを書こうとしたのだけど果たせなかった。 いずれ書く。 |
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春の弥生は ようやく春めいてきた。 往来を歩いていると、どことなく明るい。 それに服が軽くなった。 よくみると腫れぼったく着ぶくれして歩く人をみかけない。 「山笑う」と云う季語がある。 春の芽吹きはじめた山の華やかさや明るさを形容するもので、 子規の句に、「故郷(ふるさと)やどちらを見ても山笑ふ」がある。 こう云う季節感はまだわかる。 あやしいのは食べ物で、蜆(しじみ)はもともと春三月のものだそうだが、いまでは年中ある。 蜆のおつけは大好きで、あれは味噌汁だけを吸って身は食べないのが美味い。 子規の句をもうひとつ。 「すり鉢に薄紫の蜆かな」 春はあけぼの、と云うのは本当だと思う。 朝一番に目を覚まし、しかも唯ひとりだけ起きている。 これがいい。 家族の誰かも起きているとなると、趣もさめて仕舞う。 湯を沸かし、お茶でも珈琲でもいいが、一杯飲むまでのひとときはじつに清々しい。 それから春の愉しみの至極は、朝寝坊。 平日に寝坊すれば、その尻ぬぐいは大変である。 それを棚に上げて冷静に考えると、これほど気分爽快なものはない。 |
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ピュアモルト うちの近くのスーパーは9時にあく。 スーパーにしては早起きである。 それに感心するのは、ウヰスキー「竹鶴12年」はよそよりも5百円安い。 なぜ安いかは詮索したことがない。 きょうは朝から日も照って少し暖かな春分の日。 で、朝から竹鶴を買いに出かけたのである。 ニッカの創業者、竹鶴政孝の名を冠したピュアモルトである。 ピュアモルトって何って? シングルモルトよりも偉いのか? これはちょっと厄介なはなしであるし、とは云っても何でもないことでもある。 まずは、シングルモルトから。 これは明快。 ひとつの蒸留所で造られたモルトウヰスキーのみを瓶詰めしたもの。 補足すれば、モルト(大麦麦芽)のみを原料に、単式蒸留器で2、3回蒸留したウヰスキーで、 蒸留所ごとに個性の際立つ風味を持つ。 日本(世界五大ウヰスキーのひとつである)では、サントリーの山崎と白州(はくしゅう)の蒸留所、 ニッカの余市(よいち)と宮城峡の蒸留所があって、それぞれの名前でシングルモルトを販売している。 それからキリンは、冨士御殿場(ごてんば)蒸留所があるがあまり詳しくない。 19世紀半ばに連続式蒸留機が現れて、グレーン(トウモロコシや小麦などを原料とする)ウヰスキーが登場した。 モルトよりグレーンは安いから両者を交ぜたブレンドウヰスキーが一般的となった。 「ジョニー・ウォーカー」、「シーバス・リーガル」、「バランタイン」…と、挙げたらきりがないが、すべてブレンドウヰスキーで、 そのむかしは、モルトしかなかった。 それがいま、モルトがブームだそうだそうで(怪しいことですが)。 さて、ピュアモルトである。 これはグレーン・ウヰスキーを一切混ぜないモルトだけのウヰスキーで、 複数の蒸留所のものを混ぜ合わせたと云うこと。 つまり、「竹鶴」は余市と宮城狭を交ぜたものである(この場合ブレンドとは云わないのが面妖な業界)。 ところがサントリーはシングルモルトの「山崎」と「白州」を長らくピュアモルトと表記していたのを、3年前に改めた。 サントリーのサイトをみると(うんちくコーナーがある)、いまでもそう思っているらしい。 或いは強情なのか知らないが微笑ましくなった。 |
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代用 パスタの専門店に入るとランチメニューがある。 初めての店だが珍しいことではない。本日のパスタはこれこれでサラダと飲み物が付いて、 それにパンを追加することも出来る。 テーブルの上のバスケットには銀器が入っていて、 パスタを食べるためのスプーンとフォークはあるが、 サラダのための小さいフォークはない。 大は小を兼ねるから代用しているのだろう。 まあ、かまわない。 前菜のサラダが出て、大きなフォークで食べているときは気にも留めなかったが、 空になった皿の上にフォークを置いて何となく間が悪い気がする。 フォークはテーブルの上に置くわけにも行かないので、皿に置いているのだが、そうなると 終わった皿をさげてもらうことも出来ない。 矢張り、サラダ用のフォークがあれば、使ったフォークと一緒に皿をさげれば済むから、 すっきりする。 いつだったか、こんなことがあった。 これも初めて入った蕎麦(そば)屋である。 天ざるを註文すると出て来たのは、 蕎麦の盛り皿に天麩羅の皿、それとツユの容器と大きめの口の蕎麦猪口(ちょこ)。 あれっ、天ツユがない。 忘れたのではない。 海老天を蕎麦ツユで食べるのが、お店の方針なのだそうだ。 そんな方針をされても困る。 ざる蕎麦は、蕎麦猪口は空のままで出て来る(のが普通である)。 それに薬味を入れて、蕎麦ツユを少し注いで食べるもので、 これは最後に残ったツユに蕎麦湯を注いで飲むため。 ところが、蕎麦猪口とツユ注ぎを省略する店がある。 全国展開するチェーン店で、思い当たる人もいるかも知れないが、 別の屋号でうどん屋もやっていて店の前で粉挽きの実演をすると云う店で、 ここまで云ってご存じなら話は早い。 この店で天ざるを註文すると、樽を小さくしたような容器に蕎麦ツユをなみなみと注いで持ってくる。 その上、蕎麦湯を出す(別にだすほどでもないのに)。 それで、どうやって飲めばいいのか思案する。 思いついたのは湯飲みを使うこと。 これに樽の中のツユを少し注いで蕎麦湯を注げばいい。 飲みかけのお茶を飲みたくもないのに飲み干したら、 すかさず現れた胡乱(うろん)な店員が茶を注ぐからどうでもよくなった。 |
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彦六 この前の日曜日、散歩のコースの途中に図書館を入れて、そこで暫く油をうることにした。 CDの棚を眺めていると、妙に目立つものが一枚ある。 林家木久蔵の「キクラクゴ」。 黄色の派手なジャケットで、まあ、この人のカラーだからな。 と、借りて聴いた、『彦六伝』がじつにおかしかった。 木久蔵さんの師匠、林家彦六(八代目林家正蔵)を描いた創作落語なのだけど、 得意の声帯模写もなかなかおもしろい。 林家正蔵(八代目)はその晩年、林家三平が亡くなった一九八〇年の翌年の正月に、 正蔵の名跡を三平の遺族・海老名家に返上し、 彦六と云う隠居名を名乗る。 それから一年後、現役のまま八十六年の生涯を閉じた。 その名跡を、こぶ平さんが九代目の襲名をしたのは記憶に新しいですね。 一年あまり彦六を名乗ったころの口演が、「正蔵改め 林家彦六」と云う題でCDがいくつかある。 そのひとつ大圓朝(三遊亭圓朝)作の怪談噺『真景累ヶ淵(しんけいかさねがふち)』、 と云ってもこれは大作なのでその中の「豊志賀の死」の抜き語りは、噺の運びが手際よい。 修業時代の古今亭志ん朝は、前座から二ッ目になるあいだ正蔵に稽古をつけてもらったと云う。 大友浩『花は志ん朝』(河出文庫)によると、 <正蔵は三遊亭圓朝からつながる正本芝居噺を、三遊亭一朝から継承している。 広範な知識の持主でもあり、理論家でもある正蔵は、まさに師範代としてはぴったり>、 だったと。 また、正蔵は<律儀・頑固を絵に描いたような落語家で、 寄席へ通うために買った定期券を別の用途では使わなかったというぐらい、一徹な人柄だった。 噺も生真面目そのもので、面白味には欠けた代わりに正確で端正な高座ぶりだった>、 と云うのはおおかたの見方だったのだろう。 さて、<寄席へ通うために買った定期券を別の用途では使わなかった>と云う逸話。 ここからは、矢野誠一『酒場の藝人たち』(文春文庫)による。 寄席へ通う定期券を、仕事以外に使わない。 つまり、私用ではわざわざ切符を買っていたと云うことで、 定期券とは仕事をする人のために割引になっているので、遊びに行くために使うものじゃない。 と云うのが正蔵の言い分。 たしかに固い人だね。 それにせっかちで、新幹線に乗るときは、一時間も早くホームに立って待っている。 弟子が「そんなに早く出かけても無駄ですよ」とたしなめたときの返事は、 「いやァ、ひょっとして早く出るかもしれねェ。 遅れることがあるんだから、 間違って早く出たっていいじゃねえか」、と。 この妙で意外な発想は<面白味には欠けた>ものではない。 木久蔵さんの噺も、少しデフォルメもあるかも知れないが、正蔵改め林家彦六を 伝えたいのだろう。 |
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