日常茶飯

[注意] Netscape 4.x では日付が表示されません。このページ半月経つと移動します。
#74 
目次

デジカメ

 デジタルカメラは5年前から使っている。 ぱちぱち撮るけど陸(ろく)なものは撮らない。 どんどん貯まるにまかせて、メモリ・カードに溢れそうになるとハードーディスクに移して保管しているうちに、 随分貯まったものだ。 もともとメモ代わりに記録するためで、時刻表を撮ったりと。 そんなつもりだったので、 ポケットに入る小型のデジカメである。

 それでも、たまには写真らしいものも撮る。 先日は記念写真を何枚か撮り、ポートレイトも幾つか。 こんな時は、被写体の人々に写真を贈る。 うちのプリンタは信用できないから、写真屋でプリントして貰うことにしている。 駅の近くの写真屋で、いつもMOにコピーして出していた。 ところが、その写真屋さん。何のことわりもなく去年潰れて仕舞った。 困ったな。 ちょっと離れたところに一軒ある。 初めてだけど入った。

 嘘か誠か100年プリントを自慢する店である。 で、MOだと預かって3日かかる、と偉そうに云うから出直してメモリ・カードを持っていくと、 洗濯機みたいな機械にカードを差し込んだ。 みるみるうちにディスプレイに画像が現れた。 カードを返して店の主人が日付を入れますか、と云うので考えずに、はい、と返事したのはまずかった。 一時間後、取りに行くと主人はいかにも残念そうに云う。 写真の右下の日付が重なって印字されている。 カメラのほうでは日付をつける。 その上に、デジカメのファイルのタイムスタンプから黒字で日付を付けている。 ソニーのデジカメは日付を付けるんですよネ。 と誤魔化(ごまか)すから、黙って、もう頼まないだけである。 始めに説明しろ。

 折角(せっかく)の写真だけど、返事のメールは頗(すこぶ)る喜んでいる。 奇麗に撮れていると云うので、心外ではないけれど、どこを見ているのだろう。 と安心した。
'07年04月15日

林檎酢

 常々、どうも紅茶は変わった飲み物だと云う気がしている。 緑茶は淹れた儘(まま)を飲むのは普通だとして、 コーヒーは砂糖だとかミルクを入れるのは好みの問題で、私はいつもブラックである。 だけど、紅茶はその儘だと物足りない。 甘くしたり、ミルクを入れたり、或いはレモンを絞ったりと、何かを加えるのが紅茶には合っている。

 水出し紅茶と云うのがあって、水1リットルにティーバックを放り込んで、冷蔵庫で2時間冷やせば、 アイスティーの出来上がり。 試して飲むと、矢っ張りなんだか物足りない味がした。 その水出し紅茶のパッケージに、バーモントティーと云う飲み方レシピが載っている。 濃いめに抽出した紅茶にはちみつを溶かす。 それにりんご酢を加えると云うもの。 面白そうなので試してみよう。 りんご酢は知らないけれど、スーパーに行けばあるだろう。 で、酢の棚を探すと、これがあるんですね。 しかもはちみつ入り。

 だったら、紅茶に入れるとバーモントティーだ。 もともと、りんご酢を売り物にした健康を謳った(当てになるか知らない)飲料らしい。 その儘でも、まあ飲める。 これに紅茶を混ぜるとどんな味になるかと、色々と試していたら、 本末転倒な気分になった。
'07年04月14日

朧月夜

 菜(な)の花畠(はなばたけ)に 入日(いりひ)薄れ、
    見わたす山の端(は) 霞(かすみ)ふかし。
 春風そよ吹く 空を見れば、
    夕月かかりて 匂い淡し。

 里わの火影(ほかげ)も 森の色も、
    田中の小路(こみち)を たどる人も、
 蛙(かわず)の鳴くねも 鐘の音も、
    さながら霞(かす)める 朧月夜(おぼろづきよ)。


 「朧月夜」に限らず、唱歌のなかでは高野辰之(たつゆき)の歌詞は美しい。

 <春の小川は さらさら流る>の「春の小川」や、 <兎追いしかの山、小鮒(こぶな)釣りしかの川>の「故郷(ふるさと)」に、 <秋の夕日に照る山紅葉(もみじ)>の「紅葉」と。

 広辞苑には高野辰之は、 <国文学者。斑山と号。長野県生れ。長野師範卒。 東京音楽学校・大正大学教授。 著「日本歌謡史」 「日本演劇史」、編「日本歌謡集成」など。(1876~1947)> とあるだけで、なんだか素っ気ないなあ。
'07年04月12日

地獄八景

 せんじつ桂米朝さんのことを書いたついでに、その噺についてもふれてみたい。 米朝落語の十八番の一、『地獄八景(ばっけい)亡者戯(もうじゃのたわむれ)』。 米朝さんが滅びた古い噺を復活、再構成したもののひとつ。 これは怪談噺なんかじゃなく、亡者が三途(さんず)の川を渡って、 閻魔大王の裁きを受けるまでの冥土の旅と云う単純な筋立てに、 全編ギャグ(くすぐり)づくしで、時間にして70分ぐらいする大ネタである。 始終、賑やかなお囃子鳴り物がはいる。如何にも上方らしい噺。

 「これが地獄のメイン・ストリートでな、これ冥土筋(めいどすじ)ちゅいまんねん」
 「はァはァ…。ほな突き当たりが南海電車でっか」
 「…それは御堂筋。こっちは冥土やさかい、冥土筋」

 文芸講演会では、そうそうたる顔ぶれが並んでいる。 有島武郎、芥川龍之介、川端康成、太宰治、三島由紀夫と。 で、テーマは『自殺について』。
 「ああ、こらいっぺん聞いてみたいな、こういうのは」
 「自殺した人の気持ちはわからんよってになぁ」

 芝居、映画、寄席は、故人が総出で出演している。 忠臣蔵の通しは、初代から十一代までの団十郎がみな出てやりよった。 そのかわりややこしい。 由良之助(ゆらのすけ)が団十郎で師直(もろなお)が団十郎で勘平が団十郎で、みな団十郎。

 寄席のほうは、大圓朝(三遊亭圓朝)が十日間『牡丹灯籠』を続き噺でやりよった。 初代春団治、二代目春団治の親子会というのもある。

 「あ、なるほど、やってます、やってます、えェ。 はァはァ、笑福亭松鶴、立花家花橘、米団治、桂米朝……。 米朝と云う名前で死んだ噺家は、ないと思いますが、 あらまだ生きてんのと違いますか」
 「よう見てみなはれ、肩のところへ近日来演とかいてありまんがな」

 なんて自らギャグに臥(ふ)すのは平成二年の収録(東芝EMI、『特選!! 米朝落語全集 第十五集』)だからだろう。 マクラで<この年になると、もうしんどなってきましてね、だんだんこれ奥ほどしんどなる噺で、多分きょうで、 ひょっとしたら、仕舞いまでいけんか、…ここで倒れるかと云うような>、と語っている。 でも、<近日来演>と云いながら十年以上も経つのは、なによりなことである。
'07年04月09日

塵の行き先

 ゴミの分別が段々と喧(やかま)しくなってきて、 いまでは普通ゴミ袋のなかに資源ゴミが入っているのが分れば回収してくれない。 以前はペットボトルのラベルは直接印刷していたように思うけれど、 いつの間にかプラスチックに印刷したラベルを巻き付けるようになった。 ラベルはペットボトルから簡単に引っぱがすことが出来る。 剥がしたのっぺら坊のペットボトルを資源ゴミに出すのが正しいやり方である、 と役所の広報誌は云うから従うに若(し)くはない。

 残ったプラスチックのラベルはどうするか。 これは自治体によって違うのである。 プラスチックはもとは石油だからよく燃える。 燃えるゴミと一緒に燃やすと燃えすぎて、 古い炉ではその熱で焼却炉を壊して仕舞う。 そう云う焼却炉の自治体では、プラスチックは燃えるゴミと分別するそうだ。

 一方、高温に耐える新しい焼却炉では、プラスチックは燃えるゴミとなる。 普通ゴミと一緒に燃やすと余計に燃えるから、そのエネルギーを使って発電したり温水プールを開いたり、 と色々エネルギーの再利用をやっていると云う。
 むかし認めていま禁止されている黒のゴミ袋。 あれ自体がプラスチックである。 透明な袋になったのは、何も中身を確かめる為だけじゃなかったのである。

 漱石の『三四郎』をはじめて読んだのは十代のころで、 その後また読んでみてわかったのは、この小説の書き出しは実に見事だと云うこと。 一年まえぐらい丸谷才一『闊歩する漱石』(講談社文庫)のなかで、 丸谷さんは<書き出しについては何かの折に賛辞を呈したいと思つてゐた>、 と書き出す『三四郎』についての章を読んだときは、矢張りそうかと思った。 <日本の近代小説のごく初期に、当時の西欧の最も新しい筆法と競ふ趣でいきなりこれだけの高さに達するなんて、 何か奇蹟めいた感じさへする>、と続くのだが、 ここは文学論ではなくて十代のころに読んだ記憶である。 九州から東京に出て来る三四郎は汽車のなかで弁当を遣っている。 京都から乗ってきたひとりの女性を気にしながら。 で、空になった弁当の折を窓から投げた。 丁度、女性は窓から首を出して外を眺めていて、 ハッと思って弁当の折が顔に当たったんじゃないか、と気にするのだが。 私は窓から放り投げた弁当箱が気になった。
'07年04月06日

待たされて

 普段は毎月第2水曜日にしかセキュリティ更新プログラム(パッチ)を公開しない筈のマイクロソフトが、 どう云う訳か一週間はやく公開した。 よっぽど緊急を要するものなのか。 で、ゆうべおそくパッチをあてた。 パソコンを乗っ取られる脆弱性だと云う。 ところが、ITmedia のWeb記事を見るとパッチの開発に3か月かかったと云うので、 それならはやく公開したのではなく、随分と待たされたことになる。

 きょうは、ウイルス対策ソフトのパターンファイルの更新をすると、 いつまで経ってもハードーディスクのランプが点灯したり点滅したり、がりがり音がする。 作業中らしいから遠慮して待っているのだけれど、いつまでもがりがりとやっている。 結局、20分ぐらいだったか、何ンにもしないで待っていた。 尤も、何もしなかったのではない。 仕事を続けようとソフトをいじっても動かないので、無駄な抵抗と諦めたのである。 それで、ランプが消えると普段通りのパソコンに戻った。 成る程と思いだした事がある。

 前にも同じ様なことがあった。 いつまで経ってもがりがりやっているから、何ンにも出来ないので途中でシャットダウンすると、 色んなソフトが異常終了する。 何ンだろうと怪しんだ。 つまり、ランプが消えるまで待てばよかったのだ。 分かったからいいけれど、<この作業は時間がかかります>ぐらいは知らせてもいいのじゃないか。 只、いつでもというのでない。 どう云うときに、こうなるのかは知らないし、知りたいとも思わない。
'07年04月05日

桂米朝

 ちかごろは新刊の文庫を読んでいない。 夕飯の後、近所の本屋を覗いたら、日経の文庫に『桂米朝 私の履歴書』がでている。 只ひとり現役<人間国宝>の米朝師匠。 6年前の日経新聞の連載に加筆したもので、その前口上で曰く。
 <一冊にするには量が不足なので、四〇〇字詰で百数十枚書き足してくれと言われて往生しました。
 事実、頭もボケかかっており、今の私には原稿を書くのは難行苦行です。
 いろいろ脱線しながら、まとまらないままに何とか一冊にしました>

 落語作家の小佐田定雄氏がつくった年譜が載っていて、これがおかしい。 ちょっと、いくつか拾ってみると。

 昭和二十二年(1947)
 会社勤めをしながら、四代目桂米団治(よねだんじ)に入門。 師匠が「いずれ米朝という名前をやる」と云ったのを「米朝という名前をもらった」と勘違いして、 正岡容(いるる)に報告。 正岡から米団治に礼状が届いてしまったため、米団治も「三代目桂米朝」を許す。

 昭和三十三年(1958)
 結婚。師、正岡容、歿。 長男誕生(現在の二代目小米朝)。 この年、米紫、初代小米朝(現月亭可朝)、相前後して入門。 どちらが一番弟子かでもめるが、後に朝丸(現ざこば)が間に入り「米紫にいちゃんのほうが年上やさかい、 米紫にいちゃんを一番にしとこ」と説得したので可朝も納得。 飲み会で手打ちの乾杯までしたが、その店を出るなり、可朝が「ほんまはわしが一番やで」。

 平成十八年
 八月八日未明、自宅の寝床で転倒、入院。 入院中は禁酒、禁煙の生活を余儀なくされ、そのおかげで無茶苦茶健康になって九月十二日に退院。

 米朝さんは今年で齢八十二。 いまも高座をつとめている。 文庫版へのあとがきで、こう書いている。 <私、この二~三年でいよいよボケてしまいまして、 自分の書いたことや喋ったことに対して自信が持てんようになってしもたんです。 はて、どっちやったんかいな…、そんなことあったかいなぁ…てな調子で、どんどん記憶が飛んで行くのです。
 尤(もっと)も、遠い昔の記憶はあまり飛びません。 最近の出来事ほど、瞬時に飛び去ります。 昨日はどこで喋ったんやったかなとか、ゆうべは風呂に入ったんやったかいなとか…。 えらいもんですな、ここまで来たら、笑えます>

 注釈するけど、米朝さんは理論家のひとである。 もともとその研究者として正岡容に入門したひとで、 <いよいよボケてしまいまして>と云うのは笑いを狙ったものじゃない。 呆けたのは本当のことだろうし健康な老人である。 上方落語は、東京落語とずいぶん仕方が違う。 米朝師匠の噺をCDで聴くと、仕方は違うが同じ落語であるのが分かる。 むかし滅びかかった上方落語を立て直した<文化功労者>である。
'07年04月04日

望月のころ

 きょうは十五夜のもちづき。 でも、西行法師のような心境にはならないね。

  願わくは花の下にて春死なむ
    その如月の望月のころ

 下はせんじつ撮った、近所のしだれ桜。爛漫と云った咲きようだった。で、心境は…。

  願わくは花の下にて酒のまん
    その春咲きの望月のころ

 別に<願わくは>と云うほどじゃないけれど、この部分をどう置き換えようかとこころみて、出来なかった。 まあ、西行さんを諧謔するのも失礼だからと諦めた。 御免。

しだれ桜
'07年04月03日

間(ま)

 内田百閒の弟子で元国鉄職員の中村武志は、百閒の日常言と云うものを蒐集した、そのなかにこんなのがある。 <句寒さん(中村武志のこと)、ちょっとお酒をつぐのは待って下さい、 今章魚(たこ)が歯にひっかかって困っているんですよ。 あなたがお酒をつぎたい時につぐのではなく、相手にサービスなさるおつもりなら、 こちらの飲みたいと思うころを見はからって、間(ま)を取っておつぎ下さい。 国鉄のサービスが悪いのは、あなたのような職員がいて、お客のことを考えないからでしょう。
 落語の面白さは、話の筋というより、間の持たせ方にあるといっていいでしょう。 いうまでもないが、文章では余韻です。
 句寒さん、蓮根(れんこん)のうまいところは、どこかご存じですか。 穴があるからうまいのです。 蓮根が大根のように、穴なしだったら、とても食べられるものではありません>

 間は落語に限らず芸能界(この言葉は単なるテレビタレントの意味ではない)一般に重要で、 間にはふたつある。 定間(じょうま)と半間(はんま)。 定間は正規の間。 半間は変則的な間で、中途半端なもので、間がぬけたような、云ってみれば間ぬけを意味する。 松竹新喜劇の藤山寛美は、この半間がじつにうまかったと云う。 この間とは聞き手受け手の方の問題で、おかしいと思うのは間の巧妙である。

 映画も同じ。 小津安二郎の映画は意図的に空白を演出した。 <登場人物が何かを見つめている場合、その視線の先にあるものを映すのが普通だが、 小津はそれさえも隠してしまう>(浜野保樹『小津安二郎』、岩波新書)。 つまり、観客がその空白を埋めるのである。

 もっと分かりやすく書いたのは司馬遼太郎で、 小説を書けなくなって久しい頃(これは説明がいるのだがその暇がない)、『「明治」という国家』(NHKブックス)の冒頭でこう書いている。 <割符をご存じでしょう。 古代、遠くへ使者を出したりするとき、木や金属を割ってその片方を、使者のしるしとして持たせる。 受けとる方は、もう片方をもっていて、合わせてみて使者が本物であることを知る。 …(中略)…私は、いろんな事例を割符として話します。 あわせるのは、聞き手としてのみなさんです。…(中略)… 小説も、割符の連続なんです。作者は割符の半分、つまり五〇%しか書けないものなんです。 あとの五〇%をよき読者、よき聞き手が〝こうだろう〟ということであわせて下さるわけで、 それによって一つのものになるのです>
'07年04月02日

クロネコ

 親戚に慶事があって、その贈り物の小包をきのう夕方、ゆうパックで送ったら、 きょうの夕方に電話があった。 届いたよありがとう。 小さな小包は郵便局から送る。 翌日に配達されるからで、これはJR貨物で夜間に運ぶので翌朝には送り先の郵便本局に着くのである。 そのうえ、鉄道が環境によいに決まっている。 これに図に乗ったのかどうだか知らないが、郵政公社は翌日配達と云うポスターで元モーニング娘のあややで宣伝したら、 役所から咎(とが)めを喰らった。 北海道の一部地域から送ると翌日に着かないじゃないかと。 それで、翌日配達を引っ込めた。 民営化されると役所は冷たくなるらしい。 そのかわり郵便局は明るくなったし親切になった。

 郵便小包に限らず宅配便が繁盛するのは、クロネコヤマトのお陰である。 クロネコが宅急便を始めたのは昭和五十一年(1976)。 それまで郵便小包の独占で、この市場は人口増程度の成長しかないものと思われていた。 当時の郵便小包は配達日が不明で、1週間から10日と曖昧であった。 そこに、「翌日配達」とクロネコが登場した。 尤もその時分は東京近郊に限られていたらしい。 登場にも苦労した。

 詳しいことはクロネコの元主人、故・小倉昌男氏の本に詳しいそうだが(たしか日経文庫にある)、 その孫引きである。 クロネコの宅急便が現れる歴史の大半は郵政省(いま総務省)と運輸省(いま国土交通省)との戦いである。 郵政省は郵便法で取り締まろうとした。 争っているうちに、クロネコはめきめきと業績を上げた。 それで色めいた郵政省は、急いでゆうパックを始めたが遅かった。 東京中心のクロネコは全国を目指すが、運輸省が邪魔する。 道路運送法に違反すると意地悪された。

 ところが軽自動車なら県知事の許可があれば免許は不要だと云うから、 許可を得てあんな車で配達するようになった。 以上は山本夏彦の「クロネコVS.役人」(文春文庫『最後の波の音』所収)をダイジェストしたが、 なにしろこの人、大急ぎで書くものだから、つられてダイジェストし忘れた事があるかも知れない。 でもこんなもの。
'07年04月01日

Copyright(c) 2004-2007 Yamada,K All Rights Reserved