日常茶飯

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#71 
目次

相棒

 このところ水曜はドラマ「相棒」をみる日で、滅多にみないドラマのひとつである。 舞台は警視庁だが刑事ドラマと云うよりもこれは犯罪ドラマで、 犯人はいつも奇妙な事情と特異な動機で犯行に及ぶ。 警部の水谷豊は頭脳明晰のエリートであるが、多趣味のオタクで、 そのユニークな性格が災いし閑職の<特命係>にいるが、 本人は気にしていない。 コンビの寺脇康文は巡査部長、つまりヒラである。 このふたりを軸に、捜査一課の<トリオ・ザ・捜一>他がからんで、 組織は屈折している。

 これは現在を反映しているのだろう。 むかしの刑事ドラマは拳銃を撃っていれば、それで間に合っていた。 茶の間でみるドラマなら、絵空事に限るのである。 ところが犯罪は増えるし、警察の方でも色々と不祥事を起こす現実に合わなくなったのだろう。 拳銃を撃たないドラマは、フジテレビの「踊る大捜査線」あたりからか。 このドラマでは警察の組織が大混乱していて、キャリア組がノンキャリア組を苛(いじ)める。

 はなしを「相棒」にもどして、 むかしの刑事ドラマは身近に犯罪はなかったから、 拳銃で撃ち合って遊んでいても茶の間に危害が及ばない。それでよかった。 ところが何でもありの犯罪の時代になった。 「相棒」は身近な茶の間に及びそうにない、奇妙で他人事と思える事件を思いつくドラマじゃないか、 と思いながら茶の間でみている。
'07年02月28日

幕引

 これはきのう書く筈(はず)だったんだけど、新聞にこんな記事が載っていた。 国立演芸場で「芝浜」を演じたあとで、三遊亭圓樂(円楽)は「駄目ですね、こんな調子で…」、 と引退を表明した。 一昨年に脳梗塞をわずらい本格復帰を目指していたが、自ら落語家人生に幕を引いた。

 名人と云われた桂文樂(八代目)の引き際は有名である。 昭和四十六年八月三十一日、国立劇場の落語研究会の高座で、得意の演目で、 前日も東横劇場で口演したばかりの「大仏餅」を演じている途中、 とつぜん絶句してしまった。 しゃべり慣れた演目の登場人物、神谷幸右衛門の名を度忘れしたのである。

「申し訳ありません。もう一度、勉強しなおしてまいります」
 客席にふかく頭をさげ、舞台の袖に姿を消した。 いらい、その年の十二月十二日に肝硬変のため世を去るまで、ひと言も落語を口にしなかった。

 矢野誠一さんによると、晩年になって文樂は<絶句>という、このおそろしい日にそなえて、毎日、 詫び口上まで<稽古>していたと云う。 『落語家の居場所』(文春文庫)のなかで、こう書いている。 <精巧で、寸分の狂いのない、機械にまでたとえられた、すぐれた藝の持主の最後の高座が、絶句して、 完結しないままになってしまった事実に、藝というもののおそろしさと、技術のむなしさをみないわけにいかない。 …(中略)… (絶句してから世を去るまで)この百三日間は、落語家桂文樂でない人間並河益義七十九年の生涯に、 初めてめぐってきた至福の日日であったような気がしてならない>

 おととい、盛大な拍手を受けた圓樂さんの「芝浜」は、半年以上前から稽古を重ねて臨んだと云う。 会見で圓樂さんは、「ろれつが回らない。はなしのニュアンスがうまくでない。 こんなはなしを、お客さまの前でやるのは情けない」、と云ったという。

 こどもの時分、番組「笑点」でみる圓樂さんは、 相変わらずの馬面のおじさんで、「星の王子様」と自称するのが妙に可笑(おか)しかった。 落語家が自らの判断で引き際を決める。 それが出来ると云うことは、噺家冥利に尽きると考えるのである。
'07年02月27日

世相たいがい

 星新一に、『夜明けあと』(新潮文庫)がある。 勿論、これは藤村のパロディなんかじゃない。 明治時代の新聞記事を一行記事、あるいは二行記事に並べて纏(まと)めた編年史(クロニクル)である。 『新聞集成・明治編年史』(財政経済学会)その他が元ネタとなっている。 目につく儘(まま)いくつか拾ってみると、こんなぐあい。

 明治二十年(1887) <「ソバはモリかカケか」と聞かれた書生風の客が「どっちでもいい」と。 両方を出すと、どっちも食べ、一銭おいて帰りかける。 主人が「もう一銭」というと、客「入り口に《もりかけ一銭》とあるよ」(読売)>

 明治二十五年 衆議院が、侮辱する記事を掲載したと、東京日日新聞の告訴を決議する。 これについて、 <議員たち、大臣や役所の悪口は言いたいほうだい。自分が言われると告訴とは、なんだ(東日)>

 明治二十六年 <警察の密偵は、泥坊、スリ、バクチなどの犯人は捕まえるが、政治犯は苦手。 学識不足の上に、交際費も不足(中央)>

 明治二十七年 <岩谷というタバコ業者、東京の乞食のなかの健康な男女を、製造職員に採用(読売)>

 がんらい人の世と云うのは何十年、あるいは百年経っても余り変わらないンじゃないかと云う気分がある。 まあ、技術は進歩するだろうが。 それで、こう云う古い話には興味がある。
 ついでに「進歩」について、ドイツ文学者の高橋義孝はむかしこんなふうに書いている。 <私は進歩というものを信じない。 それは一つの妄想であり錯覚である。 大正時代に較べて、昭和の今日はいろいろの点で「進歩」しているであろう。 同じ昭和の、少し以前の年代に較べても、今日只今の昭和時代はよほど「進歩」している。 …(中略)… ところが大正時代だって、明治時代に較べてみるならば、いろいろと進歩していたであろう。 その明治時代も、徳川時代に較べたならば、万事が非常な進歩を遂げていたであろう。 しかし、その徳川時代だって、たとえば足利時代に---というふうに考えてみれば、逆にまたこの 現在の昭和時代だって、次にくる時代に比較すれば、まだいくたの野蛮未発達のものを引きずっているに違いない ということを思ってみれば、「進歩」というものは価値の増大を意味してはいないということがわかる。 従って事物の進歩ということは云えず、云えるのはただ「永遠の現在」の変化ということだけなのである>

 さいきん中公文庫に、出久根達郎さんの『読売新聞で読む明治』が入った。 副題は「昔をたずねて今を知る」とあるから、似たような気分だろう。 これは明治七年創刊の読売新聞、37年分の記事のCD-ROM(税別88万円だって)をタネにしている。 ひとつだけ取り上げると、出久根さんが<投書の口調はどれもお決まり>だと書いていて、 明治九年の紙面に社告のような記事が載る。 <私が推測したことと全く同じ疑問を、当時の読者も抱いたらしい。新聞社の釈明である> と、あって記事は、<投書家先生が学者ゆえ、漢語や洋語を交(ま)ぜてむずかしく書いて送られるから、…(中略)… やさしく文をするから、必竟(ひっきょう)口調が同じにゆくので> と、新聞社で投書の文章をこしらえたのでは決してないと云うもの。 いまのテレビが起こすヤラセ問題とよく似ている。 活字と映像は実は変わっていない。
'07年02月25日

踏み切りで

 テレビのマスコミがときどき、<開かずの踏切>を話題にすることがある。 混雑時に踏切の遮断機が下りた儘(まま)。 いつまでも待たされる。 それで下りたばかりの棒をくぐり抜けたり、押し上げたり。 電車がくる前に走って渡り抜ける、と云うもの。

 もともと踏切を渡ると云う生活をしていない。 だから開かずの踏切を使う難渋はわからないのである。 テレビでみると大変だな、と云うのと、棒を押し上げて危ないじゃないか、とか思ったりはしたんですがネ。 尤も鉄道の下をくぐると云うことはある。 何だか薄汚くて、ジメジメしているようで気が進まないが、足止めを食うことはない。

 それが先日、ひょんなことで踏切を渡ることになった。 それは開かなかったんじゃないのだが。 歩道の踏切で、もうすぐ踏切だと云うときに警報機が鳴る。 で、歩く速度をゆるめて近づいた。 すると電車が通過したあと、まだ鳴っている。 止むと思えども、待っているうちに次の電車が通過した。 そのうちに人がぞろぞろと並んでいる。 漸く警報が一旦消えて、さあ渡ろうと思ったら、棒は下りた儘。 継いで警報が鳴り出した。

 待たされたのは5分ほど。 それは実に長く感じる時間である。 都々逸(どどいつ)に、<三千世界の鴉(からす)を殺し、主(ぬし)と朝寝がしてみたい>と云うのがある。 わんわん鳴いている警報機は、鴉より五月蠅(うるさ)いものだと気がついた。
'07年02月22日

昔もつ鍋屋があった

 きょうは空は晴れわたり午(ひる)どきに外を歩いていても日差しが心地よかった。 二十四節気の一、雨水(うすい)はきのうである。 雪が雨にかわる時候と云うことだろうが、矢っ張り暖冬なんですね。

 さて、小林信彦さんに『現代<死語>ノート II』(岩波新書)がある。 死語になった流行語を年ごとに蒐集したモノで、1977年から99年をおさめたもの。 2000年1月の第1刷発行だから、1999年の<死語>と云うのは悪ノリの気味もするが、 <そのコトバを社会に送り出す時点で、《使いすて》の発想になっているのだ>、と云う言い分はわかる。 で、これを後(うしろ)の方から読んでみた。 つまり、近い過去から古い方へとみていくと何かおもしろいかなぁ。 と。 でも、ちっともおもしろくない。 流行語を切り口にするのが合わなかったのだろう。 確かに、ああ、そんなのが流行っていたな、と云うのはある。 が、懐かしいだとか、そんな感慨はない。 もともと、流行に疎いと云えばそれまでだけれど、流行の尻馬に乗る気がないので仕方ない。

 どんな流行語がのっているか。 1999年(平成十一年)はこんなので。 <プッチホン>、<不審船>、<だんご3兄弟>、<リベンジ>、<ノムさん人形>、 <サッチー騒動>、<ヤマンバ・ギャル>、<セレブ>、<カリスマ美容師>、<すっとこどっこい>。 このなかの<不審船(ふしんせん)>は、北朝鮮の舟(船)である。 マスコミは知っててこんな風に云っていたのだな、と思いだした。それから、<セレブ>。 こうある。 <ウディ・アレン監督の映画「セレブリティ」から出たもの。 名士、名声の意。かつての《ハイソ》に似ている> そう、レオナルド・ディカプリオがでてた映画。

 世間では死語なのだろうし、もとより私の辞書に<セレブ>はない。 だが、テレビのマスコミは<セレブ>を盛んに使っている。 意味も違っていて、どうやら金持ちのことを<セレブ>と云っているらしい。 軽佻浮薄。一度でも英和辞書をみやがれィ。

 そんなふうに、時代をさかのぼってみていると、<もつ鍋>が出て来た。 1992年(平成四年)のことで、こうある。

 <この年の冬、もっとも流行したもの。
 そんなものは今でもある、と言われるかも知れない。そこがちがうのである。 《現象としてのもつ鍋》なのだ。
 不況 -> 安ものがいい -> すき焼きはおろか焼き肉も高い -> もつ鍋が安い --- というわけで、私鉄駅前のカレー屋、 焼肉屋がすべて、もつ鍋屋になってしまった。 もつ鍋と書かれた幟(のぼり)がひらひらしていた。
 牛もつを、キャベツ、ニラ、豆腐などと煮込むもつ鍋は、昔からあった。 貧乏学生、失業者、肉体労働者の食べるものと思っていたら、流行とは奇妙で、OLたちの愛好するところとなった。
 流行の悲しさで、何百とあったもつ鍋屋は、二、三年で、カレー、 焼き肉の店に戻り、あるいはイタリア料理屋に化けた>

 もつ鍋ブームは覚えている。 変なネ。流行語とはこんなものだろうと云う本である。
'07年02月20日

啖呵の切りよう

 「んなァ、大家さん。あっしが、だから、悪いって、そう云ってるじゃアねえかア。 ねえ。謝ってるんだィ。いや、…、あの野郎の前(めえ)でね、その…、小言ァかまいませんよ、小言ァかまわねェけれども、 そのねェ、道具箱返してもらえねえとなるってェと、今度はあっしがあの野郎に小言いえなくなちゃうン。 えェ。小言が効かねンですよ」
 「効かねえ小言だったら云わねえほうがいいやなあ」
 「それじゃ、あっしの顔が立たねェじゃありませんか」
 「立たねえ顔だったらね、え? 袋かぶして横にしときなよ」
 「大家さん、それじゃあんまり因業(いんごう)だな」
 「因業だよ。あたしゃ因業を自慢にしてるんだ。ええ? 八町四方隠れのねえ因業大家だよ。それがどうかしたのかい」

 落語『大工調べ』での、若き棟梁(とうりょう)、政五郎と家主、源六の遣り取り。 大家の源六は滞納した店賃(たなちん)の抵当(かた)に与太郎の道具箱を取り上げる。 大工(でえく)の道具箱が無ければ仕事は出来ず、滞(た)めた店賃だって払えない。 そこで棟梁の政五郎が交渉することになるが、ことばの綾(あや)で家主の源六はヘソを曲げて仕舞う。 そのうえ雪隠(せっちん)大工だのと侮辱の限りを尽くすから、こじれて奉行所のお調べとなる。 この噺(はなし)でおもしろいのは、前半、与太郎が源六に毒づくところで、その前に、政五郎が啖呵(たんか)を切る。

 「オウ、呆助(ほうすけ)藤十郎チンケイトウ芋(いも)ッ堀(ぽ)り株(かぶ)ッ齧(かじ)りめ。 てめェっちに頭ァ下げるようなお兄(あに)ィさんとお兄ィさんの出来が少しばかり違うんでェ。 えェ?」

 と、冴え渡る小気味よさの啖呵。 その口調を真似て毒づく与太郎なのだが、間抜けなことを云う。 それが可笑しさを増幅する。 仕舞いには、「そいで、で、一生懸命お金貯めちゃって、今じゃこんな立派な大家さんンなちゃって、どうもおめでとう!」

 これは落語の基本構成のひとつで、 同じ台詞(せりふ)や言い回しを繰り返すのだが、状況が微妙に変わるところに同じ言葉が出る。 それが絶妙に可笑(おか)しいのである。 『大工調べ』は、この啖呵場で終わって、後半の「お調べ」をやらないと云う演じ方もあるが、分からなくもない。 でもサゲは「細工は流々、仕上げをご覧じろ」で、 無いと矢張り寂しいものである。
'07年02月18日

冬の散歩道

 きょうは小雨で空気も肌寒かった。 これと打って変わる陽気だったのは先週末の連休で、気儘(きまま)な散歩に出かけた。 普段は歩いたこともない沿線にそって、各駅電車の駅3つほどの行程であった。 電車から何気なくながめるまちも、歩いてみれば違った発見もあるだろうか知ら、 と探検でもするような小気味よさに誘われたのである。 とは云っても、どこまで行っても家やマンションが立ち並んでいるだけ。 建設中のマンションも幾つかある。 そのひとつは日照の問題だろう、 マンションの北側にあたる戸建ての家々には、「マンション建設反対」と書かれたのぼりが立っている。

 マンションはベランダ側をみれば空き部屋は一瞥して分かる。 空き部屋なら賃貸マンションに決まっていて、こんなのが驚くほど目に付いた。 たいがいは、あっちこっちに穴が明いているのだけれど、なかに新築らしいワンルーム・マンションがあって、これには瞠目した。 だって、全20戸ほどで、住んでいるのが2人だもの。 後で不動産のサイトを調べると、半年前に出来た物件である。 投資マンションの失敗例だろう。

 英国にジェントルマンと云うことばがある。 紳士と訳している。 徳岡孝夫さんによると英国紳士とは、<何もしないでも食っていける人、何もしないで食っている人>、だと云う (双葉文庫、『横浜・山手の出来事』)。 何のことはない地主、家主のことである。 かつて英国が植民地を求めたのはそのためである。 株よりも確かである。

 で、もう少し委細(いさい)を尽くそうと思ったのだが以下、端寄(はしよ)る。 これじゃァ冬の散歩道どころではない展開になったのだけれど。 なぜ空き部屋マンションが目に付くのか。 総務省による平成15年度の住宅・土地統計調査によると、 全国の総世帯数4722万世帯に対して総住宅数は5387万戸。 余っているのである。この差は東京都の世帯数以上である。 そんな投資マンションを勧誘する業者を靴セールスと云うのだそうだが、 だからそれに手を出すようでは長者にはなれない。
'07年02月17日

寝酒

 先月に売り出されたシングルモルト余市だけど、 スーパーでは棚の奥に目一杯詰め込んでいて、 まさか山積みとも表現できない。 売れていると云うのか残っているのか知らないが、まあ、どうでもいい。 暫く写真がなかったので、こんなのでも如何。

余市
'07年02月16日

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