ゴミの日はマイクロソフトと 第2水曜日はマイクロソフトが月例パッチ(セキュリティ更新プログラム)を公開する日で、うちでは資源ゴミの日である。 朝に資源ゴミを出して、夜に修正パッチをあてると、リサイクルされる。 と、まあ、この程度のものとみている。 で、パッチをあてるためマイクロソフト アップデートを実行する。 マイクロソフトのブラウザIEが起動するのだが、新しいパッチの有無を探して6分かかる。 今回は7件あって、ビジュアル C++ 2005 エクスプレス エディション(無償版)のサービスパック1が含まれている。 ダウンロードがはじまるが、これはすぐ済んだ。 それからインストール。 これが長い。 最後の再起動を入れると小一時間かかった。 尤も、サービスパック1に30分かかっている。 先日NHKニュースで、マイクロソフトのオフィスにセキュリティ・ホールがあって、 文書ファイルを開くだけで被害に遭うと云うのがあった。 ニュース・ソースはラックというセキュリティ会社で、初めて聞く名である。 ウイルス対策ソフトを入れていても無駄な抵抗である、とか何とか云っていた。 が、テレビで呼びかけても、メディアの性質上その対策を伝えることは出来ないし、 NHKもその気でないから冗談かと思っていた。 ところが、きのうの日経BP社のIT Pro のWeb記事に、そのラックがリポートを公表したと云うのがあった。 なあんだ、と云うほどのもので、マイクロソフトの製品に公表されていない脆弱性(セキュリティ・ホール)はいくらでもある。 記事の中で、<不審なファイルを開く必要がある場合には、マイクロソフト製品以外のソフトを使う> と云うのはおかしかった。 そしてゴミの日の翌日のきょう。 マイクロソフトは新たな脆弱性がワードにみつかったと発表したと云う(IT Pro)。 これじゃァ笑えない。 ユーザーにとって憂鬱なことは2つある。 毎月のパッチとウィンドウズそのもののバージョンアップ。 パッチをあててもソフト自体はちっとも新しくはならないし面倒だし。 ビスタにバージョンアップするには、機器からソフトまで買い換える可能性もある。 むかしは気楽だったんだけどね。 フリーソフトが百花繚乱のころがあったのは今は昔。 ネットワーク社会とは嫌なものである。 |
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キーワード 週末になるとどういう訳かスパム(迷惑メール)がやって来る。 とは云っても2、3通だけ。 それもすべて英文のメールで、日本語は皆無になったから、 プロバイダのブロックサービスは功を奏しているのだろう。 つまり、 日に30から50通は来ているのだが、プロバイダのところで捕まって、 私の目に触れないように済んでいると云うのが実情である。 メールが来ると、プロバイダが用意したキーワードを検索してスパムかどうかを選り分ける。 そのキーワードも段々と増えていくから、微妙な言葉もスパムと扱われることがある。 たまにスパムの容疑で捕まったメールを覗いてみると、パソコンメーカーからのもので、 <無料>と云う言葉がいけなかったのである。 こんなふうにプロバイダが決める条件は厳しい。 それで日本語のスパムは来なくなったと云うことも出来る。 尤も、プロバイダの手柄だけではない、すり抜けてきたスパムについては、 わざわざキーワードを判断して追加したし、フリーメールはもとよりスパム扱いである。 それで、残ったのが英文のメールで、これが馬鹿馬鹿しい。 キーワードを探す気にはならないのだが、見つけて巧くいくこともある。 そのひとつは<price>で、ソフトの物売りがよく来るんだが、 詐欺サイトか或いは押し売りなのか知らないが、間に合ってます。 |
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名跡 新聞の隅っこに、東京・上野の寄席、鈴本演芸場が今年会場百五十年を迎えた、 と云う記事を見つけた。 初代鈴木龍助が講釈場「本牧亭」を開いたのが安政四年(1857年)。 場所は現在地の裏あたりだったと云う。 明治九年(1876年)に、鈴木の「鈴」と本牧亭の「本」をとって「鈴本亭」と改名。 関東大震災で焼失、現在地に移転した。 1971年にビルの中の寄席として全面的に改築したと云う。 <1月31日に記念パーティが開かれ、六代目席亭の鈴木寧氏は 「昨今の落語ブームで若い客も増えている。 この波に乗り、より大きな波を起こしたい。 名跡の復活もその一つ。 志ん朝さんから預かった『古今亭志ん生』の六代目をぜひとも誕生させたい」 とあいさつした> 五代目古今亭志ん生は、その名前を志ん朝に継がせたいと思っていた。 ところが、志ん朝にはそのつもりはなかったと云う。 姉の美濃部美津子さんは著書『三人噺 志ん生・馬生・志ん朝』(文春文庫)で、 <志ん朝自身は「お父さんの名があんまり大きすぎて、自分にはまだまだ継げない」って言ってましたね。 それに志ん朝っていうのは二ッ目名前なんですが、自分の力で大きくしたいって思いも強かった。 で、実際にあそこまで大きな名前にしましたからね。 後年は愛着があって捨てるのももったいないというのもあったんじゃないでしょうかね>、と述べている。 古今亭志ん朝の高座の録音を手掛けたソニーの京須偕充さんは『志ん朝の高座』(筑摩書房)の中でこう書いている。 <志ん朝はあるパーティのスピーチで、 「志ん生の代々については本に何ページも書かれていますが、志ん朝については一ページにもなりません。 後世、志ん朝のページがもっとふえるようになりたいと思います。 志ん生の名前は、値よく売りたいと思っていますので、どなたか買ってください」 と冗談を言ったことがある。こんなときの古今亭志ん朝は本当に明るく、そしてすべてにスマートだった> 六代目古今亭志ん生の襲名は、当分はないようにみえる。 なにしろ大名跡である。 でも、10年、20年先に志ん生が復活することがあれば、おもしろいことだろう。 |
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恥語 日経の記事に、関西テレビ放送の番組「発掘!あるある大辞典Ⅱ」が実験データを捏造(ねつぞう)した件で、 民放連は関西テレビの会員活動を停止する処分する方針を固めた、と云うのがあって、 こんな記述がある。 <処分実施の時期については「月内」「三月以降」と民放連会員会社間で温度差がある> この奇妙な言い回し<温度差がある>、を新聞で見るのは初めてである。 先日は、NHKのアナウンサーが読み上げるニュースでも<温度差があります>と云っていたから、 いよいよこのおかしい言葉遣いが伝染しはじめたのかと思った。 これを言い出したのは、たぶん、「ニュース23」の白髪キャスターである。 作家の小林信彦さんは、このキャスターを<温泉キャスター>と呼んでいる(これについては後述します)。 もう何年も前から、このニュース・ショー番組は見ないが、10年ほどむかしはけっこう見ていた。 その時分やたらと<温度差がある>と云うものだから耳障りで、 それから段々とこのキャスター、どうも支離滅裂な事を云うなあと思うようになり、 健康のため見るのを止めたのである(精神の衛生は大事なことですよ)。 小林信彦さんのエッセイに、「みっともない語辞典」(文春文庫、『人生は五十一から』所収)と云うのがあって、 その中のひとつに<温度差>をあげているので、全文引用する。 <温度差----この言葉は例の温泉キャスター(阪神大震災の被災地のケムリを見て 「温泉のようです」と言った男)が使ったので、初めて知った。 なにしろ「TBSは死にました」と明言して、その死体の上で平然と仕事をしているハイエナのようなキャスターである。 うさんくさい人物はうさんくさい言葉を吐く。 使用例----「ひとくちに核といっても、日本とインド・パキスタンでは温度差があります」 どうやら《受け止め方の差》といった意味らしい。 《感覚、熱意の差》とでもいうのか。 それなら、はっきり、そう言えばいい。 意味がありそうで何の意味もないえせインテリ語> と、バッサリ切り捨てる。 小林さんは何度かにわたって、「現代<恥語>ノート」と云うのを書いている(同上所収)。 これも恥ずかしい言葉、<恥語(ちご)>を列挙したもの。 ひとつ引用します。 <境遇----おなじみTBS「ニュース23」、《温泉キャスター》の言葉である。 七月二十日夜、総選挙を前にした小泉純一郎氏に、 「小泉さんにはたびたび出て頂いているのですが、こういう境遇できて頂くのは前回の総選挙以来ですね」 大笑いである。 小泉氏は家なき子か。セントヘレナのナポレオンか。 《こういう立場で》と言うところだろうが。 白髪のわりに《温泉キャスター》氏は日本語を知らない。 こういう感覚(センス)で、むかし、《新人類》といった造語に浮かれていたのだな。 小選挙区制反対論者を苛(いじ)めていたころの面影すでになし。 それにしても、コウモリのように立場を変えるキャスターだ> はなしを<温度差>に戻す。 温泉キャスターの悪口が主題ではないからね(それに私が云ってるンじゃない)。 ひょっとすると、辞書にあるのじゃないかと思って、「広辞苑 第五版」を見てみると、ない。 なにしろ、受けを狙って新語・造語を喜んで入れる辞書だもの、と思っただけである。 それから、「新明解国語辞典」。 これは旧版の第五版だけれど、こちらも、ない。 さいごは、金田一春彦の「現代新国語辞典」(学研)。 おおっ、“あるある”(辞典だ)。 <②ある物事に対する熱意の違い> 奇妙な言葉を伝染させるのは若者とは決まっていない。 <文化人>と称してエラソーにしている連中が日本語をおかしくしている場合がある。 こちらの方が余程たちが悪いに決まっている。 |
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地上デジタル放送 2011年に地上波テレビはアナログ放送を終了し、デジタル放送に代わる。 それが周知されていないと云うので総務省は慌てて尻を叩いた。 それで、ひところNHKも民放も盛んに、「地デジ」と連呼した。 言葉は何でも詰(つ)めて省略するのが格好いいと思うのはテレビの悪い癖(くせ)で、自覚なく喜んで連呼した。 「血で痔」と聞こえる響きが功を奏したのかどうだか知らないが、いまでは誰もが知っている。 デジタル放送では、テレビにICカードを差し込まないと受信することが出来ない。 カードは放送事業者とテレビメーカーでつくる会社(B-CAS社)によるもので、視聴者はユーザー登録を求められる。 そのカードの識別番号から、何処の誰が受信しているかを放送事業者は知ることが出来る仕組みと云うわけだ。 以上は新聞記事で知ったのだけど、莫迦(ばか)げた仕組みだなと云うのが感想で。 もともと海賊版DVDの販売を防ぐのが目的である。 そのため電波に暗号化された信号を入れて、録画の複製を一回に制限していると云うのだが、それがよく分からない。 個人情報まで入手する必要はあるのかと思うのだ。 NHKは、これを使って受信料を払っていない視聴者のテレビにスクランブルをかけて見られなくすることも出来るだろう。 受信料なら払っているから何も困らないが、個人情報を渡すのは気に食わないし、余計なお世話である。 先日の日経新聞の記事(2月3日)によると、違法複製防止の仕組みを変えると云う。 専用ソフトをテレビに組み込むから、ユーザー登録は不要になる、と。 テレビメーカーは来秋にも新方式の製品を発売する予定だとか。 それでいい。 でも、記事を読むとNHKはスクランブル化をするつもりはないらしい。 広告収入で無料放送する民放にはその必要はない。 どうやら、政府が掻(か)き回しているのじゃないかな。 |
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立春は晴れ 夜明け前に目が覚めた。 普段なら又寝をするのだけれど、起きてからコーヒーを飲み、その儘(まま)あけるのを待った。 きょうは立春。 暦の上ではこの日から春になると云うわけで前日は節分。 節分とは季節の分け目と云う意味で、むかしは春夏秋冬と四つの節分があったそうで、 それが立春の前日だけ行事として残ったのは旧正月のしきたりが関係したらしい。 玄関先に柊の葉だとか、イワシの頭をさす風習は、そもそもは旧正月に行われたとか。 立春は二十四節気の一つ。 一年を十五日づつ区切ったのが二十四節気で、 そして一つの節気を更に五日づつに分けたのが七十二候。 むかしの人は、森羅万象に生活の知恵を働かせて暦をこしらえた。 で、気候と云う言葉。 これは二十四節気の気の字と、七十二候の候の字とから来たものだと云うが、どうだか請け負えない。 立春と云ってもまだ冬である。 例年はこの頃がけっこう寒くて、雪なんか降ったり積もったりする。 きょうの天気は良かったが、それでも空気は肌寒い。 まだ冬である。 テレビを見ていると、やれ暖冬だ、地球温暖化のせいだと云っていた。 その判断はむずかしいのに、いろんな映像でその気にさせようとする。 流氷が溶ける。 雪のないスキー場。 それから、クリスマスと正月に半袖姿のニューヨーカーを映していた。 だったら、中国の映像を出すがいい。 北京や上海、香港だけが中国ではないのだから。 |
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聞酒 帰りの電車の駅で本屋に入ると、古今亭志ん生が表紙の雑誌が目に付いた。 『サライ』と云う雑誌で、落語を特集している。 CDが付録になっていて演目は、三遊亭金馬の『やかん』、 柳家小さんの『長屋の花見』、 笑福亭松鶴の『ひとり酒盛り』。 それから落語とどう関係するのか、「般若心経」の読経が収録されている。 で、何気なく裏表紙を見るとニッカウヰスキーの広告で、 「シングルモルト余市」誕生とある。 余市(よいち)なら10年もの、12年ものなどがあるが、貯蔵年数は書いていない。 500mlとは小ぶりである。 アルコール分43%とは微妙に違う。 余市10年は45%である。 でも、希望小売価格(消費税別)1600円。 これは安い。 新発売なンだ。 夕飯のあとに、近くのスーパーに行くと、確かにあった。 1480円也。 余市は、北海道余市蒸留所で造られるシングル・モルトで、 フルーティーな香り、まろやかで厚みのある口当たりの、世界を代表するジャパニーズ・ウヰスキーのひとつ。 正月に余市10年の封を切ったのがまだ残っている。 新発売の「シングルモルト余市」は熟成の浅い若造であろう。 聞(き)き酒でもと、10年ものと比べてみた。 舐めると香りも味も少し違う。 割って呑んで比べてみると微妙に違うが、そのうちによく分からなくなった。 余市であることには間違いないので、これは悪くないと思った。 |
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