日常茶飯

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#69 
目次

高い

 <大正七年二月に私達は結婚し、四月には、田端から鎌倉大町に移転して、 私達だけの新しい生活をはじめました。
 主人は、大正五年十一月末から横須賀の、海軍機関学校の嘱託教官になって、 英語を教えておりました。
 後で聞きましたが、英語の講義はなかなか評判が良かったそうです。
 伯母は当時六十一歳で、ときどき田端から鎌倉へ遊びに来ておりました。
大正八年で主人は海軍機関学校をやめました。 そして鎌倉にいては、文壇で活躍してゆくのには遠すぎるといって、鎌倉を引揚げました。 二人限りの生活でしたし、私はもっと鎌倉にいたかったのですけれど…>
 芥川文 中野妙子記、『追想 芥川龍之介』(中公文庫)の冒頭の一節。 文(ふみ)夫人による淡々としていて、<陰影豊かな、抑制のきいた美しい語り口>の追想録は随分むかしに読んだ。

 うちの書棚には、いつ買ったのか或いは貰ったものか、由来の不明なものが幾つかある。 これもそのひとつで、奥付を見ると昭和五十六年七月十日発行とあって、これが第一刷である。 紙は変色していて、カバーには定価280円と印字されている。

 さて、その中公文庫。 1月の新刊のひとつが『追想 芥川龍之介』で、つまり復刻されたわけである。 ところが値段は莫迦に高い。 定価1300円だって。 驚いて仕舞う。 装幀も、旧版と同じく、文夫人筆の句。

夏山や
山も楚らなる夕明り
            龍之介句
            文うつし
'07年01月31日

タッチパネル

 銀行のATMの前でおろおろする人を見かけることがある。 特に冬場が多い。 タッチパネルを指で押すと、何だか見慣れない画面が現れる。 少し怪しんで次の選択ボタンの絵を押すと益々わからない。 只入金するだけなのに、と取り消しを押して一から始めるが、 また同じ画面が現れる。 暫くして分かった。 指が押す前に、コートの袖口の端が別のメニューを押していたのである。

 本屋には本を検索するタッチパネルが置いてある。 随分前に一度使ってみたが、余り使いやすいものではなかった。 入力がカタカナだったか平仮名で、どうも遣りづらかったから、近寄らないようにしていた。 まあ普段は、目的の本が何処にあるか位の察しはついているものである。

 ところが先日、門外漢の本を探していて丸で見当が付かない。 そこで検索機を頼ることにしたのだけど、これが新しくなっている。 入力は平仮名だけど、漢字に変換できるようになっている。 キーワードを入力すると、関連する本のリストがずらずらと現れた。 その中から選んで指で押さえると、本の表紙の写真と共に、 抄録が付いている。 本が置かれている戸棚の地図まであって、「印刷」をタッチすると、レシートのような紙に印字されて出て来た。 なかなか便利だね。
'07年01月26日

逢わばや見ばや

 きのうから読み始めた、出久根達郎さんの『二十歳(はたち)のあとさき』(講談社文庫)は自伝小説三部作のうち、 第二部である。 去年の暮れごろだったか、完結編が刊行されたのを知った。 第一部である、『逢わばや見ばや』(講談社文庫)は、 中学卒業後の昭和三十四年、茨城県から集団就職で上京し、月島の古本屋の小僧になった「たっちゃん」の物語である。 そして、いま読み出した『二十歳のあとさき』はタイトルで察しがつくように昭和三十九年で、東京オリンピックの年である。 このときを堺にして、東京はがらりと変わったとは話に聞く。 <オリンピックのために、東京が改造されたのだ。 江戸のなごりをとどめた佃島(つくだじま)で、江戸以来、行われていた佃の渡しが廃止され、橋が架かった。 家々の玄関から木製のゴミ箱が姿を消し、ポリエチレンのバケツが置かれるようになった>、 そんな時代である。

 タイトルの『逢わばや見ばや』は第三部の内容である。 出久根さんが十五歳から二十代後半までの月島時代に出会った人たちの、その後の人生を語っていく。 再会して、聞き出した物語である。 とは、第一部の文庫版あとがきで予告してある。

 ちょうどきのうの新聞に、この『完結編』の書評が出ていた。 評者は文芸評論家の関口苑生氏。 <読んでいてほっとする文章がある。 出久根達郎さんの文章もそんなひとつで、どこがどうというわけでもないのに、 なんとなく心穏やかな気分にさせてくれるのだ。 その理由を考えて、おそらくは彼が遣(つか)う〝言葉〟の力に魅せられているのだと思う> たしかに、出久根さんの文章は落ち着きのある文章である。

 書名の『逢わばや見ばや』は、「梁塵秘抄」からとったと云う。 解説から引く。
 <梁(はり)の上の塵(ちり)が舞うほどよい声で歌うのを「梁塵(りょうじん)を動かす」という。 そんな声で歌われた今様(いまよう)を集めたのが平安末期の「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)」。 いま残っているのは二巻。 梁の上のほこりが舞うほどならさぞかしつばも飛ぶだろう。 オペラ歌手はお互いのつばを物ともせず歌う。 イタリアではつばのとばしっこ大会があると聞いた。
『逢わばや見ばや』は梁塵秘抄のなかの次の一節。
 恋しとよ君恋しとよゆかしとよ 逢わばや見ばや見ばや見えばや>
'07年01月22日

大寒

 きょうは二十四節気の一、大寒。 <だいかん>とは知らないで、<たいかん>と入力して「大患」と変換されてェ。 これじゃ意味が違うじゃないかア。 キーをいくら叩いても、「大寒」は出てこない。 寒くて風邪を患うと云うのも馬鹿馬鹿しいから、外から帰るてェと手を洗う。それとうがい。 ネ、普通はこれで風邪は予防できるんですが。

 人間と云うものは体が元手でございまして。えェ、患うと云うことがいちばん詰まりませんですな。 金をかけて、治ってもともとと云うやつですから。 ま、あのォ、病(やまい)の数ってのァ、四百四病(ししゃくしびょう)とされておりましてね、 昔っから。 今はもっとあるんでしょうけれども、ねえ。 そン中でそのォ、色気のある病と云うのがあります。 「目病み女に風邪ひき男」。 ご婦人が目を患ってんのと、男が風邪をひていると云うのは、どことなく色気があるとされておりましてね。 昔は目を患うってえと、みんな、赤い紅絹(もみ)の布(きれ)で、撫でてたんだそうですな。 色の白いところに赤い布がくるから、なんとも言えなく色気がある。

 野郎の方はってエと、風邪ひき男と云いまして風邪をひいているのがたいへんに、色気がある。 …でも、人にもよるんでしょうけどね。 まァ、早い話が、熱がありますってえとね、目が潤んできますから、なんとなくこう色気があるんです。 ねえ。 床に起き直って、ぼんやりしてる。友達やなんか訪ねて来て、

「おうッ、どうだい?」
「熱があってェ、いけねえや」

 芝居の世話狂言の二枚目ンなったような了簡(りょうけん)になってね。 これ、ほかの病じゃアやっぱりィ、よくないですよ。

「どうだい?」
「あーア、痔が出ちゃったァ」

 と、まァ、ズルして途中から古今亭志ん朝の咄(はなし)のマクラの一節を引用した。 1982年1月18日、三百人劇場での『崇徳院』の口演である。 志ん朝さん、最後の録音となった2001年4月14日の高座の『お若伊之介』でも、これと同じ様なマクラを振ってるンだよね。
'07年01月20日

20代目

 ワープロソフトの一太郎のバージョンアップを案内するダイレクト・メールが届いた。 ジャストシステムは毎年バージョンアップするので、それに一々応えるわけにはいかないが、 案内のパンフレットを眺めるぐらいの暇はある。 「一太郎 2007」に搭載される日本語変換ソフト「ATOK 2007」は20代目になると云う。

 ATOKはパソコンを使い始めたときから使っていて、これなしでは日本語入力は出来ない。 ウィンドウズの付録のマイクロソフトIMEは使いづらいし、使わないから、使えない。 その違いは、ごく単純な操作にあるのだけれどIMEは使いづらいのだ。

 むかしと違ってソフトウエアは安くなった。 バージョンアップしても何千円だから、毎年する人はいるだろうから、それに応えて張り切るのか知ら。 しかしある程度規模のあるソフトと云うのは初期設定をやり直すのは億劫である。 そんなこともあって毎回バージョンアップするのは遠慮しているのだが、 ひょっとすると以前の設定を引き継ぐ機能があるのかも知れないから、これに付いては請け負えない。

 で、飛び飛びにバージョンアップしているが操作に違和感はない。 とは云うものの新機能がどうだと云うことは知らないし、使うこともないのである。 以前通り使えればいいから、本当はバージョンアップも必要はないのかも知れない。 この点、マイクロソフトの製品は困る。 新機能をデフォルトに設定するンだもの。 ユーザーをいつも混乱させる。 もっと遠慮してくればいいと思うが、使いづらけりゃ使ってやらないのである。

 ただし、そのダイレクト・メールには奇妙なCD-ROMが付いていたのには怪しんだ。 元KGBの暗号解析エキスパートが開発したセキュリティ対策ソフトのお試し版と云うもの。 これを、ジャストシステムはアルバイトでサポートすると云うなら止(よ)した方がいい。 プーチン大統領の、もと子分のソフトなんて誰が信用するのかねぇ。
'07年01月19日

更新

 Javaの実行環境に危険度の高い脆弱性が見つかった、 と云う記事がインプレスの「INTERNET Watch」に出ている。 <攻撃者が悪意のあるアプレットをWebページに仕掛けることで、ページの閲覧者が攻撃を受ける危険がある> ので、最新版の実行環境(JRE)にアップデートを薦めている。 ジャバなんかで慌てることはないけれど、しばらく更新していない。 最新版は5.0 Update 10 だから3つ前の版を入れている。 じゃぁ、更新しようとサン マイクロシステムズのサイトを見てちょっと困った。

 Javaのリンクをクリックすると実行環境(JRE)をダウンロードする画面は出て来るのだけれど、 色々と探すが開発キット(JDK)は見つからない。 JDKはJREを含んでいる。 以前はどうしてたの、と怪しんでも覚えていない。 仕方がないので諦めた。

 ふと思いついたのは、同じインプレスの「窓の杜」。 リンクを辿って何とかダウンロードして更新したが、このごろ滅多に見ないせいか、サンのサイトは分かりづらくなった。
'07年01月18日

ウィンテル

 今月30日にパソコンメーカはマイクロソフトの新OS、「ウィンドウズ・ビスタ」を搭載した製品を発売する。 このこと自体は当面の関心事ではないのだけれど、きょうの日経新聞の記事が目に入った。 「パソコン不振 試練の船出」と云う記事で、高機能化する携帯電話と薄型テレビに押されて、 パソコン販売は低迷。 ビスタ搭載製品は過去のOSとは異なる厳しい環境のもとで登場することになった、と云うもの。

 パソコンが売れないのは、「薄型テレビ・携帯電話機との競合」「買い換えを促す機能の不在」 「価格の高止まり感」の3つの構造要因だと云う。 パソコンの店頭価格はこの一年で一割下がったが、二割以上の下落が進む薄型テレビには敵(かな)わない。 携帯電話の進化に比べれば、パソコンの用途は十年前とちっとも変わらない、と云った内容である。 まあ、ビデオ編集は出来るだろうが、ふたつ前のOS、ウィンドウズ2000でも出来るし三日で飽きた。 そんなのは映画監督にまかせればいい。 ジョージ・ルーカスは『スターウォーズ』の編集をパソコンで行った。 それを真似たのは『スウィングガールズ』の矢口史靖監督で、でも編集はマックでやったと云う。

 いま思うとウィンドウズ95が現れたときの熱狂は異常だった。 マイクロソフトとインテルの連合を「ウィンテル」と呼び、この組み合わせが業界を寡占するようになった。 それはいまでも続いているのだが、それが<価格の高止まり感>になっているのである。 <窓が95>で売り出した時分にニューズウィーク誌は、いま思えば苦笑しそうな記事を書いている。 曰く。やがてウィンドウズはテレビを飲み込むだろう。 スイッチを入れるとウィンドウズのロゴが出てテレビの番組がはじまるだろう、と。 尤も、当時の家電メーカーはその気で、マイクロソフトと技術提携に動いた。 それから十年以上、いまでは薄型テレビの組み込みOSの殆どはオープンソースのリナックスなのである。
'07年01月16日

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