日常茶飯

[注意] Netscape 4.x では日付が表示されません。このページ半月経つと移動します。
#60 
目次

気になること

 幾つかのソフトがバージョンアップしたのでアップデートした。 まず、秀丸エディタがバージョン6になったので、上書きインストールして、これでお仕舞い。 新しい機能についてはそのうちに気づくだろう。 尤も機能をフルに使っているわけではないけれど。

 Mozillaが更新された。 ブラウザ「Firefox 1.5.0.7」とメールソフト「Thunderbird 1.5.0.7」で、 共に危険度の高い脆弱性の修正を含むリリースだそうだ。 これらは、「ヘルプ」から「ソフトウエアの更新を確認」をやると直ぐにアップデートできる。

 さて、「ウイルスバスター2007」がリリースされた。 ダウンロードして実行すると、いまのバージョン(2006)をアンインストールしてくれてから、インストールするのだけど、 けっこう時間がかかる。 今度のセールス・ポイントはライセンスひとつで、3台までのパソコンで使えること。 ひょっとしたら、目玉はこれだけじゃないかな。 と云うのも、重いのである。 画像処理は以前より派手になって、ぐるぐる回るアニメーションが目障りである。 それで動作は鈍いし、検索は前より時間がかかる。 大丈夫かなと思う。

 スパイウエアの検索をしたら、珍しく幾つも見つける。 「削除するのは自己責任で」と云うから、纏(まと)めて削除した。 只、気になったのは検索中に、「ファイルが壊れてます」と云うダイアログが現れた。 ハードーディスクにエラーがあるのじゃないかと云うことだけど、途中で止めるわけにも行かない (これを何とかしてほしい)。 で、終わった後にディスクのチェックを実行すると、確かに何個かのファイルが壊れている。 どうでもいい知らないデータファイルだったけれど。 それで気になることを思い出した。

 先日、マイクロソフトは8月の月例パッチ(つまりセキュリティ修正プログラム)に不具合 があることを公表した。 Windows 2000 SP4を対象にした修正パッチを適用後は、ファイル破損の可能性があるというものである。 それが支離滅裂な説明で、対処の仕方は意味不明なのでほっていた。 が、それとディスクエラーが関係しているのかよくわからない。 マイクロソフトは、そのパッチの修正を直ぐにするつもりがないと云うのだから怖い。 何様のつもりだろう。

 そろそろ製造物責任(PL)法をソフトウエアにも適用した方がいいんじゃないか。 その前に、独占禁止法で取り締まるのが先進国の普通なのに何故しないのか。
'06年09月15日

更新できない

 第2水曜日のきょうは、マイクロソフトのセキュリティ更新プログラム(修正パッチ)が公開されるから、 マイクロソフト・アップデートを実行した。 Internet Explorer(IE)が起動して、頻繁にダイアログが現れて許可を求める。 「ActiveXコントロールやプラグインなどのソフトウェアを実行できるようにしますか?」、 「スクリプトは通常安全です。スクリプトの実行できるようにしますか?」 (これなんか、おかしな日本語だね)。

 普段はIEは使わないので、スクリプトなどは切っているのである。 そして月に一度だけだけど、アップデートのために、ダイアログが現れる度に、はい、はい、とクリックしている。 十何回かそれをやって、ようやく、 「このコンピュータに該当する最新の更新プログラムを確認しています…」 と云うページが現れて、緑色のインジケータが動く。

 いつもだったら何分かすると、更新プログラムのリストが現れるのだが、20分待ってもない。 やな予感。 そのうち、ダイアログがまた現れて、はい、とクリックすると、 「Web サイトに問題が発生したため、このページを表示できません。問題を解決するには、次の手順に従ってください」 と云う。 こんなの初めて。 向こうが悪いに決まっているが、もう一度やっても同じことだった。 2度も試して駄目なのは諦(あきら)めるしかない。

 で、いわれのある悪口を書こうと思って、これを書いている時に、 マイクロソフト・アップデートを実行していたら更新できた。 云われなくてよかったね、マイクロソフト。
'06年09月13日

電波時計

 電子音はにがてである。 電話の呼び出し音がそうで、こちらの都合とは無関係に鳴るのでびっくりする。 だからうちでは電話の近くに居ないようにしている。 目覚まし時計はとくに五月蠅(うるさ)い。 時計の方ではそれで役目を果たしているのだけれど、 ぴぃ、ぴぃ、ぴぃ、ぴぃっ、ぴぃっ、と云う音がいつまでも耳こびり付いて仕舞う。

 で、目覚ましをかけた朝は案外、鳴る前に目が覚めたりして、これじゃ何のための目覚まし時計かと云うこともある。 今年になって私は随分早起きになったので、目覚まし時計は要らなくなったから目出度い。 普通の朝起きが早起きになるには、仔細あってのことだが、くだくだしいから書かない。 尤も最近では、よく寝ているのに寝足りないのか知らないけれど、普通の朝起きになっているが、 目覚ましの必要はない。

 さて、その目覚まし時計である。 電波時計なので時刻は正確である。 定期的に日本標準時を受信して時刻を合わせている。 標準電波は福島県田村郡、おおたかどや山標準電波送信所と、 佐賀県と福岡県堺のはがね山標準電波送信所の二箇所から送信されている。 時計は南向き窓の部屋の窓辺にある棚の上に置いている。 普段は用のない時計だから、窓の方に向いた方が受信しやすいだろうと置いていた。 時刻を受信するのは毎時一分になって行う。 時刻はいつも正確だから余り気にしなかったけれど、 よくみると、ときどき受信に失敗している。 まあ日に一度でも受信すれば時刻は間違いないのである。 考えてみると、電波を受信するのは時計の正面の方であり、それを窓の方向に置いていたのだけれど、 それはおかしい。

 考えてみるまでもなく、南窓の方に時計を向けても方角が違っているじゃないか。 第一、窓に向けたんじゃぁ、見ることが出来ないが、その時計で時刻を知る訳じゃないのは迂闊(うかつ)だった。 それで棚の正面、つまり東西方向に置き直してみると、何だ毎時ちゃんと受信する。 とは云っても、何ンにも嬉しくはないのである。
'06年09月09日

置行堀

 今年は梅雨が長引いて、それが明けるともう残暑で、ちっとも夏らしい夏じゃアなかった。 何だか損したような気がして、恨(うら)めしいから幽霊のことでも書こうか。

 「お化け」と「幽霊」とでは何処(どこ)が違うのか。 これはきちんとした区別があるそうで、幽霊は想(おも)う相手がいて、その人を目指して出る。 『四谷怪談』のお岩(いわ)さんがそう。 民家伊右衛門を何処までも追いかける。 これに対して、お化けは土地や物に憑(つ)くもので、誰が通っても出る。 『皿屋敷』のお菊さんはこれにあたる。 また、お化けには、なりが変化するものとしないものがある。 狐、狸、雪女、ろくろ首は他のものに変わるのに対して、河童、天狗、ぬらりひょん、砂かけばばあなどは、 常に同じ格好で出てくる。 これらをお化けと区別して「妖怪」と呼ぶ。 以上は、先年亡くなった杉浦日向子さんの『お江戸でござる』(新潮文庫)による。

 江戸時代に「本所(ほんじょ)七不思議」と云うのがあって、その筆頭が「置行堀(おいてけぼり)」。 宮部みゆきさんの『平成お徒歩日記』(新潮文庫)は、江戸の名所(?)を怪しげな道連れと散歩して廻ると云う、 馬鹿馬鹿しいような珍道中記で、5年前に面白がって読んだのだけど、 「置行堀」を探す件にこうある。 <本所のとある堀で釣りをすると、それはそれはたくさん魚が釣れるのですが、釣果(ちょうか)を得てさあ帰ろうとすると、 堀の底の方から「置いていけ…置いていけ…」と呼びかける声が聞こえてくる。 ぎょっとして足がすくんでしまい、逃げようとしても滑ったり転んだり。 ほうほうのていでやっと逃げだし、ふと気がつくと魚籠(びく)の中身は空っぽ>。

 ついでながら、『平成お徒歩日記』の“お徒歩”は「おかち」と読む。 <『お徒歩日記』シリーズが小説新潮誌上で掲載が始まったころ、ミヤベの担当編集者のなかに数名、 これを「おとほにっき」と読むヒトびとがおりまして、ミヤベほほうと思いました。 多数の文筆業者の支持を受けるワープロソフト「一太郎」でも、普通に「かち」と打ち込んで変換したら、 「徒歩」の二文字は出て来ません>、と。 単行本が出たのは8年前で文庫に入ったのは5年前。 その間、一太郎と云うよりも日本語変換ソフトATOKであるが、バージョンは大きく変わった。 が、いま書いていて「かち」は矢張り「徒歩」の二文字は出て来ませんな。 誰も読んでいないんだなジャストシステム社。
'06年09月06日

ソーダ水やーい

 一番近いスーパーは歩いて5分である。 日用品や食品の大概はそろうから不自由はしない。 私も重宝していて、週末になると炭酸水を買いに行く。 カナダドライの「クラブ ソーダ」で、纏(まと)めて買っている。 ところが、最近になって置いてないので困っている。 何故(なぜ)だろうと怪しんで、売り場を歩いて廻って察しがついた。

 炭酸水はウヰスキーを割るためであって、そのまま飲むものではない。 また飲もうとも思わない。 ところが、幾つかの飲料水メーカーがこれを飲ませようと思いついた。 或いは、一社が思いついたのを他社が真似たのかも知れないけれど、どうでもいい。

 レモンの香料などで味付けして飲ませようと考えた。 また、炭酸水はソーダ(無機塩類と二酸化炭素)だから、それより健康そうな酸素を入れようと思いついたのかどうだか知らないけれど、 水道水の30倍の酸素を押し込んだ製品もある。 つまり、これらの新製品が押し寄せて、由緒ある炭酸水を棚から追い出したのである。 しかし、それらは微発砲だから、ハイボールには向かないのである。 ウヰスキーを炭酸水で割るときの泡が命なのであって、これでは気が抜けたようで不味(まず)いのだ。

 この怪しげな香料付き微発砲水のウリは砂糖を使わないことにある。 飲料水業界と砂糖業界は、昔から仲が悪い。 いつも砂糖の取引価格で喧嘩ばかりしている仲間であり、 昨今の消費者の砂糖離れを恐れるグルである。 十何年前には、結束して砂糖学会(このネーミングはうろ覚え)を結成した。 砂糖は「身体によい」、「頭によい」ことを証明する研究成果に賞金を出すと云う、はじめに結論ありきの研究会を発足した。 ヘンな人たちである。 その片割れがこんな商品を出すのも思いつきだろうから、やがては棚から消えるだろう。 その間、由緒ある炭酸水はどこに売っているのだろう。 と、お店を探さないといけない。 おーい、ソーダ水やーい。
'06年09月04日

肖像

 きのう発売の「諸君!」10月号の巻頭にある「文藝春秋写真館」には、評論家の福田恆存(つねあり)の写真が載っている。 大正元年8月25日生まれ平成6年11月20日歿、享年82。
 写真は昭和28年、真冬の佐渡島への公演旅行の際に撮影したものだと。 井上靖と並んで写っている、その福田恆存の顔を写真で見るのは初めてである。

 5年前に古今亭志ん朝が亡くなり、 そして去年、やや遅めの追悼文とでも云うべきものを中野翠(みどり)さんが書いている。
 <茫然自失。身近な縁者でも何でもない。 はるかに遠くにいる有名人の死に、あれほど大きな衝撃を受けたのは私は初めてのことだった。 それは一個人を超えて、もっと大きく、深く、「ある教養の死」のように感じられたのだ>

 ここで「教養」と云う意味を、中野さんは福田恆存の文章を引いて示す。
 <一時代、一民族の生き方が一つの型に結集する処に一つの文化が生まれる。 その同じものが個人に現れる時、人はそれを教養と称する>
 福田恆存と云う人の文章を読みたいと思った。 探してみると、現在でも容易に入手できるのは、文春文庫の『私の國語敎室』がある。 中学一年のときに読んだ『老人と海』の翻訳者でもある。 なあんだ、それならまんざら知らない訳ではない。

 で、福田恆存の顔は二枚目である。 小林秀雄は、<いい人相>、<良心を持った鳥のような感じ>と云ったそうだが、 矢っ張り人は顔である。 美醜を云うのではない。 文章と顔に辻褄が合うと云うことであり、顔は多くを語るものだと思った。
'06年09月02日

Copyright(c) 2004-2006 Yamada,K All Rights Reserved