日常茶飯

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目次

一月は往ぬ

 ぼやぼやしてたら、もうすぐ二月になる。 一月は往(い)ぬ、二月は逃げる、三月は去る。と、云うらしい。 正月はついのんびりして、日が経つのを余り気にしない。 で、一月は往ぬ。 戌(いぬ)年だからなおさら往ぬ。 二月になると、なんだかんだと忙しい。 ふつうの月よりも短いし、逃げるように日々は過ぎ去っていく。 三月は別れの月。去っていく人たちがいる。 そこで三月は去る。
'06年01月30日

風呂

 風呂は毎晩はいるけれど風呂好きではない。 温泉に行きたいと考えない。 長湯はしないが、烏(からす)の行水でもない。 からだを洗い、湯槽につかり、温まったらあがる。 はいるのが目的ではない筈で、入浴は手段に過ぎない。

 対照的なのは半身浴で、近ごろ流行っているらしい。 よく知らないけれど、胸のあたり迄(まで)つかり、お湯の温度は体温より少し高い程度だそうだ。 血液が体内を一巡するのに1分だとか2分だとかかかる。 20分、30分とはいっていると、血液が何回も巡るのでからだの芯から温まると云うことらしい。
 風呂用の防水テレビだとか、ラジオなんてのも売られている。 先日、本屋に行ってみると、風呂の中で読める本と云うのが置いてあった。 だけど、テレビや読書は風呂の中でなくても出来るものだから、半身浴は余り興味はない。

 と、ここまで書いて、風呂の中での滑稽譚(こっけいたん)と云うのを思い出した。 山田風太郎のエッセイ集、『死言状』(小学館文庫、角川文庫)にある、「ばかばかしいお笑いを一席」。 忍術小説のアイデアを練っていたときのこと。

 <いつであったか、人間が一塊となると、どれくらい体積があるものかと知る必要が生じて、 夜中にふいに風呂場に入って、残り湯に頭も何も沈没させてみた。 ふえた分だけの湯をくみ出して、一升瓶につめかえて計算しようというアルキメデスそこのけの実験である。 いや、狐が化かすまえに藻を頭にかぶるものかもしれん。
 高校にいっている親戚の娘が遊びにきていて、深夜風呂場でひとりさわいでいる音をきいて、 「何してるの」ときいた。 「僕の体積を量ってるんだ」と憮然(ぶぜん)として答えたら、おなかをかかえて笑い出し、 しまいには苦しがってヒーヒーという声をたてはじめた。 忍術小説をかくのもラクじゃない。>

 この『死言状(しごんじょう)』には、「死は推理小説のラストのように、本人にとって最も意外なかたちでやってくる」、 と云うような独特な死生観をあらわす警句(アフォリズム)を綴っているが、 こんな飄々(ひょうひょう)としたはなしが随所にある。 で、何のはなしをしようとしてたンだっけ。 忘れて仕舞ったよ。
'06年01月29日

牛肉の問題

 先日、成田空港でアメリカ産牛肉に背骨のついた肉が見つかって、政府は再び輸入を停止した。 テレビのニュースで見た、その背骨つき牛肉は少し気味悪かったが、 考えてみるとアメリカではあんな牛肉が市場に出回っているわけで、 よほど健康なのかどうだか事情は知らないけれど不思議に思った。

 日本では牛の全頭管理システムがあり、原産地から流通にいたるまで追跡確認する制度が出来ている。 狂牛病の全頭検査も行われている。 ところが、アメリカでは全頭検査をしないし、そう云うことは非科学的だとアメリカ政府高官が発言したことがあった。 非科学と云うのはよくわからない。 非現実なら牛の数が多すぎるのだろうと、同情も出来るのだが。 アメリカで狂牛病の牛が見つかっていないのならいいけれど、 公表された数は少ないがあるのだ。 同じ競馬場で食事した人で27人がヤコブ病で死亡したと云う報道もあった。

 日本に牛がどれだけ居るのか知らないけれど人の数より少ないだろう。 何年か前、役所から住民基本台帳ネットワークが出来たと云うので、11ケタの番号が送られて来た。 いまだに番号の使い途(みち)が分からないのだけれど、人は11ケタで牛は10ケタだそうだ。 一方のアメリカでは、戸籍制度と云うものがない。 選挙の度に予め、選挙人登録をやって選挙が出来る。 牛の全頭検査をしないのは、こう云う国柄の違いかなと思ってみたがよくわからないでいた。 今週のニューズウィーク日本版に、これに関する記事が載っている。

 「今そこにあるヒト感染の脅威」と云う記事で、向こうでは牛肉の安全性に関する報道は殆どないらしい。 記事によると理由のひとつは、テレビの人気トークショー番組のホストが、ゲストに出演した元カウボーイの話を聞いて、 「二度とハンバーガーは食べない」と宣言した。 その一言が災いして、この女性ホスト裁判沙汰(ざた)になった。 何だかよくわからないが、食品に対する「名誉毀損」と云う法律があるらしく、訴えられた。 以来、米メディアは狂牛病に関する報道をしなくなった。 言論機関が自ら言論を禁じるのは向こうでも同じらしい。

 尤もこの記事の主題は、アメリカ産牛肉の最大の消費企業である マクドナルドが昨年の12月に米政府に送った安全対策への強化を求めた書簡である。 米政府の既定には、使用を禁止する飼料に例外があり、それが汚染された牛のタンパク質を別の牛に食べさせると云う、 法の抜け穴があるらしい。 マクドナルドは、感染のリスクを可能な限りゼロにしたいが、 米政府が使用禁止の飼料の一部を除外しているので、目標達成は困難もしくは不可能と訴えたと云う。 ひょっとしてこの記事は、向こうでは掲載されてないのかも知れない。
'06年01月27日

ニュース誌

 ニューズウィーク日本版の今週号(2006-2.1)は、創刊20周年の特別企画を組んでいる。 この週刊誌を創刊するときに、親会社である米ワシントン ポストの社主だったキャサリン・グラハムは条件をつけた。 英文和訳の様な翻訳文にしないこと。 確かに熟(こな)れた日本語の文章で、読ませる記事だった。

 日本の週刊誌では記事と全く関係のない顔写真なんかが表紙になるが、 ニューズウィーク誌の場合、中心となる記事に関係する写真、ときには絵が表紙を飾る。 その記事をカバーストーリーと云う。 これは米TIME誌でも同じ。

 そう云えば今週のTIMEの表紙はホリエモンだと聞いたけれど、何かの勘違いか知らん。 で、ちょっと検索すると。あった、アジア版だ。 地球儀のボールをグローブで掴んで持つ姿に「GAME OVER ?」とある。 「Living on the Edge」と云うカバーストーリー。 オッと、このまま書くと脱線しそうなので話を戻します。

 以前はニューズウィーク日本版を購読していたが、この何年かは殆ど読んでいない。 カバーストーリーを見て駅の売店で買うことはある。 よく読んでいたのは90年代半ばだったか、 ビル・パウエルが東京支局長をしていた頃だったと思う。 読まなくなったのは、暇がないと云うこともある。 ひとが入れ替わり、編集が変わったと云うこともあったかも知れない。 版元はTBSブリタニカだったのが、いまでは鉄道の関連会社になっている。 副編集長のひとりの巻頭コラムがある。 いつもスーツ姿で腕を組んで突(つ)っ起(た)った写真が載っている。 生意気そうな顔をしている。 そのコラムは、如何にもアメリカ人らしい価値観で日本について偉そうな事を云う。 押しつけがましいったらありゃしない。

 案外と読まなくなったのは、この副編集長が気に食わなかったからかも知れない。 いま、手元にニューズウィーク日本版の今週号がある。 で、あの憎ったらしい(と思った)副編集長のコラムを読んでみた。 テーマは、ライブドアの家宅捜査のときのテレビ報道に就(つ)いて。 群がるカメラマンの姿に、 「あの映像が、事件を理解するのに本当に役立つのだろうか」、と感想を述べる。 さらに検察が段ボール箱を抱えて立ち去る光景に、 「情報のやりとりはすべてメールで行っていたという。 あの段ボール箱には何が入っていたのだろう」。

 コラムはこう結ぶ。
 <メディアや権力が過度に集中する東京では、あらゆる事件がかなり増幅して報じられる傾向がある。 すべてのニュースがどれも緊急事態のように伝えられるとしたら、 人々はそれが本当の危機なのか、他人事のスキャンダルにすぎないのかをどうやって判断すればいいのだろうか?>
 あれまあ、意外とまともなことを云っているよ。このひと。 見直しちゃったね。


ニューズウィーク日本版
http://newsweekjapan.hankyu-com.co.jp/

TIME誌アジア版
http://www.time.com/time/asia/
'06年01月26日

寒中無題

 逮捕されたホリエモンに、世間の感想は批判と同情に別れるそうだ。 そう云うことはどうでもよいとして、東京地検は前々から目を光らせていた節がある。

 新聞によると、松尾邦弘検事総長は平成16年夏の就任直後に、 企業による情報を偽る犯罪に厳しい態度で臨む考えを示したと云う。 「原則禁止から原則自由にカジを切った日本の経済社会を見据えた発言は、 証券市場のウソつきオオカミは退治するという決意表明だったのか」(日経、23日の朝刊)。

 逮捕容疑に関わるのは一昨年の10月、11月の行為である。 むかしは押収した中から紙切れに書かれたメモを分析しただろうが、 いまでは電子メールの記録を押収出来るかに掛かっている。 スピードが物を云うンじゃないかな。

 余り関係ないけれど、思い出したことがある。 10年前の1996年の秋だったか冬だったか、厚生省(当時)の官僚トップが、 特別養護老人ホームを舞台に汚職をはたらいたのがばれた。 岡光何某(なにがし)と云うケチでチビの事務次官が、料亭の接待を受け、ゴルフ場会員権を貰い、 自動車に現金と1億円近い利益供与を受けた。 あのときも、マスコミは上を下への大騒ぎだった。

 その騒ぎの中で件(くだん)の事務次官、まだ逮捕される前に辞職した。 普通は悪いことをして辞めるのはよいことなのだが、 6千万円の退職金が支給されると云うから、また大騒ぎ。 で、あのときも公的介護保険制度の導入などあって、 厚生省の予算が増えた。 それが利権になると、手ぐすね引いて待っていたそうだ。 皆さん忘れただろうが私も忘れていた。 十年一昔。十年一日。
'06年01月24日

アップデート

 いきなりパソコンの画面の右下に吹き出しが現れて、「アップデートが出来ます」とか何とか云ってきた。 何だろうと見ると、タスクバーの時刻の隣にアイコンが現れている。 マウスでクリックすると、マクロメディア Flash Playerのアップデートの案内である。 まてよ、Flash Playerの最新のバージョンは8である。

 以前セキュリティ・ホールが見つかったと云うからアップデートするとうまく行かなかった。 Internet Explorerにはインストールされたのに、Firefoxでは出来なかった。 それで、米国のサイトからバージョン7の修正版を拾って来て入れたのだった。 ものは試しで、インストールをクリックすると何だか知らないけれど作業は終わったようだ。 で、マクロメディアのサイトに行ってバージョンを確認すると8になっている。 よかったね。 尤も嬉しいことは何にもないけれど。

 普段は、ソフトが勝手にアップデートすることを禁じている。 マイクロソフトのアップデート、ウィルス対策ソフトやその他のプレイヤーも、 設定のオプションで更新の確認をオフにしている。 勝手なことをされるのは嫌だから、手動でやっているのだが、 Flash Playerがアップデートを知らせたのは何故だろう。

 ブラウザのプラグインだから、ソフトを起動して何かを設定するようなものじゃない。 マクロメディア Flash Playerのサイトを見ると、「設定」と云うリンクがあった。 そうか、ブラウザを使って設定が出来るのだ。 設定マネージャーと云うのがあって、ブラウザにパネルが表示されるのである。 プライバシー設定だとかセキュリティ設定などがあって、 自動通知の設定もある。 パネルを開くと、30日ごとにアップデートの有無をチェックするように設定されていた。 オフにすることも出来る。 また手動でうまく行かなくなっても面倒だから、その儘にした。
'06年01月22日

第7番

 ことしになってレコード店を覗いてみると、カルロス クライバーの新譜が出ていた。 ちょっと驚いた。 1982年5月3日、カール ベームの追悼演奏会で、クライバーが棒を振ったと云うベートーベンの交響曲第7番。 そのライブの正規盤である。 あの伝説の名演が、スーパーオーディオCDとしてリリースされた。

 少し試聴してみると、実に新鮮な思いがした。 ベートーベンの7番は、葬送行進曲を思わせる悲愴感を漂わす第2楽章から、 軽快な第3楽章を経て、熱狂的なフィナーレへと続くところがおもしろい。 それをクライバー盤では、疾走するように演奏する。 終演して、熱烈な拍手に混じって、クライバーへの祝福だろう、楽団員が靴で床をどんどんと蹴っていた。 いやあ、盛り上がっている。

 ベートーベンのシンフォニーは、もう何年も聴いていないけれど、 むかしはスウィトナーを好んでよく聴いた。 それで、先ほどから、うちにあるオトマール スウィトナー指揮の『第7番』を探しているのだけどみつからない。 ベートーベンの他のCDはあるのだけど、7番だけがみあたらない。 シュターツカペレ ベルリンの演奏なんだけど。 変だなぁ。 仕方がないから、話をクライバーに戻そう。

 クライバーについては、おととし追悼盤が出たときに書いたが、また書いてみよう。 彼の指揮は映像でみたことがある。 優雅で知的。粋な感じでいて貫禄がある。 かっこいい。 クライバーの指揮をみたら、カラヤンのポスターなんて美容師が棒を振ってるようにみえる。 歌劇場の音楽監督を務めるとか、オーケストラの常任指揮者を引き受けたことはなかったらしい。 その上、しょっちゅうキャンセルする。 それがひとたび棒を振るとなると、チケットが買えないくらい、世界中に熱烈なファンがいた。 楽員たちにも人気のある指揮者だったのでキャンセルしても文句が出なかったと云うから不思議。 演奏の数が少ない上に、録音にも熱心じゃなかった。 だからクライバーのCDやDVDは少ない。

 なぜクライバーは滅多に棒を振らなかったのか、 丸谷才一さんが「マエストロ!」(文春文庫、『青い雨傘』所収)で、個条書きにして述べている。 その見出しだけ引用する。 書いているうちに何だか面倒くさくなったから逃げちゃえ。 それにしても、スウィトナーの『第7番』は何処に行っちゃったのだろうねえ。

1.怠け者である。
2.努力家であり完璧主義者である。
3.飛行機嫌ひである。
4.子供つぽい性格だ。
'06年01月20日

砂書帖 ・ 大寒

 ▼ 寒の冷えが戻って来た。 昼間はちょっとばかり雪がちらついていた。 あすの20日は二十四節気の大寒(だいかん)。 予報によると雪が降るらしい。
 先週の週末、今年の卓上カレンダーを買いに行くと、すべて半額になっていた。 戌(いぬ)年の冗談のつもりか、猫の写真のカレンダーがたくさんあった。 尤も、売れ残りの半額だから、買い手のない迷い猫だったのかも知れない。

 ▼ 今年の初売りは、衣料品がよく売れたそうだ。 普段なら赤札の付くいまごろまで待つのだけれど、その我慢が出来なくて、 百貨店なんかは大繁盛したと云う記事が新聞に載っていた。 景気がよくなって懐が暖かくなったのか、寒くて財布のひもが緩んだのか、どうだかは知らない。 悪いはなしではない。

 ▼ リーバイスのジーンズを新調しようと店に入った。 いつも決まった型番号のをはいているから、その番号を云うと、お店の人が奥に入って、やがて求めたものを持って来た。 後は、裾直しの丈を云えば、これで済む。 身長が伸びたり縮んだりする年頃でもないので、試着の必要がない。 簡単に済むからよい。
'06年01月19日

取扱説明書

 電機製品にしろ、パソコンのソフトにしてもマニュアルがついている。 が、読んだためしがない。 読んだことはないけれど、読むものじゃないことは知っている。 読んでも分からないように出来ている。 で、どうするかと云うと勘を頼りに色々いじってみる。 基本操作ならこれで間に合う。 間に合わなければ使ってやらない。 たまに複雑なことをやろうとすると、 読まないマニュアルを引っ張り出して探すが、すぐには見つからない。 誰もがマニュアルが分からずに困ったり、退屈しているのに、このメーカーはどう云う了見かと怪しむことがある。

 日本語で書かれているのに分からないのは、巧拙の問題ではない筈で意味をはっきりと指示しないからである。 こう云うのは、マニュアルに限らず至る所で目にする。 先日、横断歩道で信号を待っていると、これが音声で知らせる信号なのだが、青になったとは云わない。 青になると、「信号をよく見て渡りましょう」。 これじゃ、まず盲人に失礼だし、誰にアナウンスしているのだろう。

 旅行用ヘアドライヤーと云うのが家にある。 別にある普通のドライヤーよりも小さく、時々は家でも使うことがある。 5年近く使っているが、このドライヤー、どうも温風の勢いが弱い。 携帯用だから威力がないのだろうと思っていた。 それが先日ひょいと持ち手の裏側を見ると、電圧の切り替えスイッチがある。 旅行用だから、アメリカでは120Vで、イギリスやドイツの200V以上に対応していて切り替えるようになっている。 大は小を兼ねるから、購入時には200 - 240Vになっていたのだ。 つまり、100Vの半分の電圧で使っていたことになる。 電圧を100 - 120Vに切り替えた。 すると温風が凄い勢いで吹き出た。
'06年01月17日

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