日常茶飯

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#44 
目次

補遺

 ふたつ前の旧稿でウヰスキーにつて書いてる途中、呑む方がおもしろいので、その儘お仕舞いにした。 文章は生き物みたいなとこがあって、どう転がるかわからない。 いまとなっては判然しないけれど、改めて綴ってみようと思う。

 最近、新聞や雑誌でウヰスキーの話題をちょくちょく目にする。 どの銘柄が旨いとか云う話はどうでもいいことで、常用するお酒が旨いに決まっている。 そう云うことは別にして、ウヰスキーの香りにはリラックスさせる効果がある、だとか ウヰスキーにポリフェノールが多く含まれることが判ってきたと云う。 こんな話なら迷惑ではないから、つい読んで仕舞う。 尤も、医学のことは神秘の不思議に属するし、 世間では健康の為なら死んでもいいと云う人が増えているそうだから、 マスコミは当てにならない。 割り引いて読まないといけない。

 ウヰスキーは体内に蓄積されにくい酒で、二日酔いになりにくい。 これは焼酎と同じでウヰスキーが蒸留酒だからで、糖質を殆ど含まずカロリーが低い。 また、血中アルコール濃度が上昇しにくいから、酔い覚めがいい。 焼酎と違って、ウヰスキーは樽(たる)の中で熟成する。 蒸留したてのウヰスキー(原酒)は無色透明である。 それを樽で仕込むことにより琥珀(こはく)色に熟成する。
 樽の材料は樹齢何百年と云うオーク(樫)の大木が使われる。 これがいいらしい。 オークの樽材から、色んな成分が溶けて、森林浴と同じ香りを生み出すらしい(ホントか知ら)。 樽で熟成することで、ポリフェノールを多く含むと云うことらしい。 赤ワインに含まれるポリフェノールはよく云われるが、ウヰスキーにも含まれていると云うとことが判ってきたと云う。 眉に唾して呑んじゃおうか。
'06年01月15日

雨傘

 傘が壊れたので新調したと云うためしはない。 たいがいは何処かに置き忘れるか、盗まれるかで、無くして仕舞うのである。
 このまえ失ったのはいつだったか忘れたが、すぐに気づいたのはいいけれど、いくら記憶を辿ってみても、 丸で思い出せなかった。 情けないものである。

 フランス文学者の辰野隆(たつの ゆたか)に、「畸人の印象」と云う一文があって、 内田百閒が辰野夫人に傘についてアドバイスしたと云う逸話を書いている。 百閒先生が、「お宅の御主人は時々傘を忘れておいでになりませんかね」と訊ねた。 不意の質問に、夫人は少々面食らったが、 「時々どころか、いつでも置き忘れてまいりますよ」と答えた。 すると百閒先生、泰然として、
 「そうでしょう。 私などもいつも忘れて家内から叱られています。 傘と云うものは、一本一本買うのがそもそもいけないので、 傘の一本買いは米の一升買いのようで、みっともないですよ。 歴としたブルジョアは必ずダースで買うものです。 今後はそうなすったら如何です」
 夫人は呆気にとられて、やがて、「ほんに、左様でございますね」とか何とか云ってはバツを合わせたと云う。

 まあ、1ダース買うわけにはいかないが、傘を忘れない為の一計を案じた。 一昨年の夏のころ。 ちょっとばかり値の張る傘を求めたのである。 細身の傘で、骨組みは軽合金で出来ている。 これが実に軽い。 箸(はし)よりも軽いと云えば嘘になるが、ほんとである。 あんまりいい傘なので、へんなところには持って行きたくない。 家に置いてれば、まず無くす心配もない。
 まもなく雨が降りそうな時や、いずれ雨が上がりそうな時は使わない。 ボロ傘で間に合わせる。 それで、行きも帰りも雨だと云うときだけ使うことにしている。 で、今朝からの雨は終日続く見通しだ。 喜んで自慢の傘を手に家を出た。
'06年01月14日

モルト ウヰスキー

 モルト ウイスキーの12年ものを飲みながら書いている。 普段はブレンド ウイスキーなので、たまに飲むと森林浴する気分になる。 12年だから、そんなに高級と云うわけではないけれど、 これで熟成した味を愉しむことは出来る。

 スコッチ ウイスキーは氷を入れるのは野蛮な行為で、 しかも水を半々に割ることを、たっぷり水を入れると云うらしい。 まあ、これはスコットランドの気障なはなしで、そんなに、きつい酒は飲めたものではない(と思うのだけれど)。

 内田百閒(ひゃっけん)先生の日常言。 「ウイスキーを気(き)のまま飲むのは外道(げどう)ですよ。 およしなさい。 ハイボールかホットウイスキーで飲むべきです。 酒は酔うために飲むものではなく、 うまいから飲む、飲むと酔う、酔うから残念ながら飲めなくなるものです。
 落語の面白さは、話の筋というより、間(ま)の持たせ方にあるといっていいでしょう。 いうまでもないが、文章では余韻です。
 蓮根のうまいところは、どこかご存じですか。 穴があるからうまいのです。 蓮根が大根のように、 穴なしだったら、とても食べられるものではありません」 (中村武志、「掘立て小屋の百閒先生」)

 と、ここまで書いてそれから続きを書こうとしたけれど、どうでもよくなった。
'06年01月13日

砂書帖 ・ アップデート

 ▼ 昨夜はマイクロソフト・アップデートを実行し月例アップデートのパッチを当てた。 Windowsに影響のあるパッチが一件で、深刻度は「緊急」だそうだ。  その後で IT Pro などの記事を見ると、アップル社のQuickTimeのセキュリティ修正版が出ている。 めったに使うものではないけれど、アップデートすると、iTunes と云うソフトまでインストールされた。 使うつもりはないから、コントロール パネルを開いてiTunes を削除した。 これでQuickTimeだけをバージョンアップしたことになるが、 なぜかディスク容量が100メガバイト増えている。

 ▼ きょうはメールソフトのThunderbird 1.5日本語版がリリースされた。 ソフトによっては上書きインストールしてもいいのがある。 こちらは、Mozilla のサイトを見ても上書きしてもいいとも、悪いとも書いていない。 だから、行儀よく、いまの古い版をアンインストールしてから、新版をインストールした。
 Thunderbird 1.5ではアップデート機能が改善されているらしい。 差分アップデートが可能になったと云う。 それなら、一々ダウンロードして、古い版をアンインストールしてから、新版をインストールする面倒がない。 まずまず可なり。

 ▼ プロバイダのスパムブロック サービスで受信拒否されたメールを見に行くと、 きょうはたくさん来ている。 中に一通、スパム(迷惑メール)ではないのがあった。 無料メールのアドレスからである。 これは誰もがするように、無料メールのアドレスはスパム扱いにしている。 しかも匿名なので、返事は出来ない。
'06年01月12日

邂逅(かいこう)

 安藤鶴夫と云う名前は何かで見た覚えがあるが、誰だかは知らなかった。
 先日、河出文庫の新刊に『寄席はるあき』と云うのが出た。 落語が黄金時代の昭和三十年代を描いた、写真といっしょの寄席のエッセイで、 初版は東京美術から昭和四十三年(1968)に出ている。 その復刻である。
 写真は金子桂三と云うひとによるもので、その時分の寄席の様子に、 志ん生、文楽、圓生、正蔵と、昭和の大看板たちがずらりといる。 若いころの志ん朝、談志、円楽、圓蔵がいる。 で、エッセイの著者が安藤鶴夫。 下町言葉の語り口が、江戸前の落語によく合っている。 落語『崇徳院(すとくいん)』は恋煩いした若旦那のはなしだが、その梗概をこんなふうに書き出す。
 < 恋わずらい、なんてえなァ、いま、日本中をさがし歩いッたって、 まずまァ、そういう病気は、けろけろと跡を絶ったようだが、日本が、戦争に負けない前の、つい、 このあいだまでは、あった>

 文庫のカバーの折り返しにある著者紹介にはこうある。 <1908年、東京浅草橋生まれ。作家、演劇評論家。 ”あんつるさん”の愛称で親しまれる>
 高田文夫さんによる文庫の解題から引くと、
 <やっぱり”アンツル先生”なのである。 安藤鶴夫氏と書くとまったくの別人。 やたらに何でも感動するところから”カンドウスルオ”とまで呼ばれた。 …中略…
 桂三木助やら桂文楽やら、古今亭志ん生やら、ひたすらアンツル先生から愛された噺家さん達は幸せだっただろうが、 それ以外の…アンツル好みではなかった他の名人上手達は、それはそれは面白くなかったろうと容易に推測できる。 現に、未だにアンツルの悪口を言う人を私はたくさん知っている。 好き嫌いがハッキリしすぎた人なのだ。
 丸坊主でベレー帽、テレビに出てきてもズバズバとハッキリと物を言う江戸っ子。 昭和四十年前後、日本…特に東京の演芸・芸能の世界ではその発言力は最も力を持っていた。 みんながアンツルの顔色をうかがっていたと言っても過言ではない>
と、云うようなひとだったらしい。 『寄席はるあき』を著した翌年の昭和四十四年、安藤鶴夫は亡くなっている。 六十一歳。

 『寄席はるあき』の中に「西川たつ」と云う一文がある。 昭和三十四年、人形町末広の高座で死んだと云う浮世節(うきよぶし)の女芸人のことで、 次のようなくだりがある。
 <常磐津(ときわず)の式多津(しきたつ)という名で、…中略… ある時期、寄席の、たいへんなスターであったことを、聞いてはいたが、 そのひとが、明治そのもののような、残りの色香を身につけて、 わたしの目の前にあらわれた時には、びっくりした>

 これを読んだとき、内田百閒を思い出した。 百閒の随筆「小さんと式多津」(ちくま文庫、『うつつにぞ見る』所収)はこう始まる。
 <六月初めの新聞の訃報欄に西川たつの名前が載った。
  私の知らない名前だと思ったが、その知らないと云うのが何だか少し曖昧の様で、 丸っ切り聞いた事がないと云うのではない様な気もする。…中略…
 演芸評論家の安藤鶴夫さんの「最後の女芸人の死」と題する追悼の一文を、 東京新聞で読んだ途端に、急にはっきりして、思い掛けない感懐に襲われた。 六十五で死んだ西川たつなる婆さんは、四五十年昔の、 私共も若かったし、高座の彼女もいつ見ても綺麗であった常磐津の式多津なのであった>
'06年01月09日

松の内

 今朝はゆっくりして起きてから七草粥を食べた。 芹(セリ)、薺(ナズナ)、御形(ゴギョウ)、繁縷(ハコベ)、仏座(ホトケノザ)、菘(スズナ)、蘿蔔(スズシロ)。 子どもの時分は、スズナは蕪(カブ)のことで、スズシロは大根のことだとは知らず、 七草とカブや大根が入ったお粥(かゆ)のことだと思っていた。

 ことしは元日が日曜日なので一月だけはカレンダーが頭の中に入っているようで、日付と曜日がよく繋がる。 カレンダーは壁に掛けるのはあるが、卓上のはまだない。 毎年、一月になって買っている。 際物(きわもの)らしく、年が明けると半額になる。 午後になって、百貨店に買い物のついでに売り場に行くと値は下がっていなかった。 まだ松がとれていないからか一寸はやかった。

 帰りに、名前は忘れたがアイスクリームやジュースなどを出す店に入って、フローズン・ジュースと云うのを飲んだ、或いは食べた。 柑橘類のジュースがシャーベットになったようなもので、ストローで飲むと、しゃきしゃきとしている。 飲むんだか食べるんだか、どっちか判然しなかったが美味(おい)しかった。

 元旦から、あっというまに一週間が経ったような気がする。 気のせいかも知れないけれど、まあいいや。 どうせ、もう三百何十日も寝るとお正月になるし。
'06年01月07日

砂書帖 ・ 脆弱性

 ▼ マイクロソフトは、 来週水曜日に公開予定の脆弱性(セキュリティ・ホール)の修正パッチ3つのうち1つを、きょう公開した。
 何だか知らないけれど、年末に脆弱性が見つかって、 それを突いた画像ファイルが増殖中だそうで、 そう云うWebページをブラウザで開くと、PCを乗っ取られるのだそうだ。
 第三者機関が非公式のパッチを公開したり、 その後マイクロソフトから公式のパッチが流出したりして、ドタバタしたらしいが、 それで慌てて公開したのかは知らない。 兎に角、乗っ取られると何されるかわかったもんじゃないよね。

 ▼ 去年の暮れに、スパム(迷惑メール)を受信拒否するプロバイダーのフィルターの条件を、 新たに幾つか設定した。 功を奏して、スパムは来ない。 本当は来るのだが、プロバイダーのところで捕まっているのである。 拘留期限は一週間で、その後は廃棄される。 拘留中のスパムは見ることが出来て見れば、まんまと捕まっている。 年賀状メールを装っていやがる。 馬鹿だねぇ、ほんと。
'06年01月06日

お茶の味

 暑い夏のころは冷やした麦茶をがぶがぶ飲んでいたが、寒くなってくると緑茶がうまい。 玉露は美味しいけれど、低い温度で淹れるし、余りたくさん飲むものではないそうだから、 普段は熱い緑茶を大きな湯飲みで飲むことになる。

 去年の暮れから浄水器を使っている。 ポット型のドイツ製である。 浄水器と云うからなにか器械のようにきこえるかも知れないけれど、 本体は唯の水差しみたいな容器で、それが二重層になっている。 上から水を注ぐと下の層の容器に水が溜まる。 間にはカートリッジ式のフィルターがあって、上の層に注いだ水は必ずそこを通過して、 濾過されて下の層に落ちるようになっている。

 1リットルの水が濾過されるのに3、4分かかる。 余り速いとちゃんと濾過されているのかどうだか怪しくなる。 もっと時間がかかるようでは気が遠くなる。 だから、この程度の時間なら気にもならない。
 どうやら、本体の容器はおまけみたいなもので、 本命は濾過するカートリッジなのだろう。 メーカーの方は、このカートリッジの交換で利益を上げるのだろう。 以前は幾つかの家電メーカーが電気仕掛けで水をガラガラかき回す浄水器を販売していた。 それが、どう云う訳かは知らないけれど、いまは消えて仕舞っている。 考えてみれば、このようなポット型の方が電気も要らないので合理的と云える。 夏の暑いときには、冷蔵庫の中に入れておくことも出来るし。

 で、肝心なのは味である。 浄水器の水を飲んでみたがよくわからなかった。 まあそう云うものだろうと思った。 ところが、緑茶を淹れてみると、どうだろう、一飲瞭然。 お茶の渋みがとれて、甘みが口の中に拡がる。 期待が外れてうまい。 こんなに違いが出るのは珍しい。
 コーヒーを試してみたが、こっちの方はよくわからなかった。 紅茶はまだ試していないけれど、どっちでもいい。 緑茶が美味しくなっただけで、まずまず可。
'06年01月05日

御慶

 大晦日から正月の三が日までパソコンの電源を切っていた。 その間はネットも使わない。 一年前から年末年始に、こんな行事を勝手にやっているが、かえってゆっくり出来る。 パソコンとネットのない生活は有り得るのが何よりだ。

 初詣の帰りに蕎麦屋に入った。 午(ひる)前だからか空いていた。 店を出ると、何処かで大きな太鼓(たいこ)の音が鳴っている。 音につられて歩いて行くと、獅子舞がいた。 珍しいので暫(しばら)く見物していて、そろそろ帰ろうか、と云うことになって家路についた。 天気はいいが、風は冷たかった。

 落語の『御慶(ぎょけい)』には、富籤(とみくじ)に狂いぱなしの八五郎が出てくる。 いまで云う宝くじのことで、年の瀬も越せそうにない貧乏暮らしなのに女房の半纏(はんてん)を 質入れして、湯島天神に富籤を買いに行く始末。
 鶴が梯子(はしご)の上に止まっている夢を見た。 鶴は千年、梯子は「八四五」だから、「鶴の千八百四十五番」の富を買えば大当たりするに違いない。 ところが一足違いでその札は売れていた。 すっかり悄気(しょげ)て帰る八五郎を、易者(えきしゃ)が呼び止める。
 易者が云うには、 「千八百四十五番と云うのは、どうも具合が悪い。 それは素人考えだ。 梯子は下りるよりも上るときに使うもの。八百四十五ではなく、五百四十八と下から上へ読むのがよい」。 八五郎、成るほどと思って「鶴の千五百四十八番」の札を買ったが、これが大当たり。 八五郎は千両を当てた。

 ソニーから出ているCD「落語名人会」と云うシリーズの中に、古今亭志ん朝の『御慶』がある。 これが明朗な噺(はなし)で、正月にじつに相応(ふさわ)しい。 随所に志ん朝らしいギャグがある。 夢に見た縁起の番号札を買い損ったくだりで、 「おれと同じ夢見たのかなあ。 それともおれの見た夢、立ち聞きしやがったかなあ?」
 急に景気のよくなった八五郎。 大家に溜(た)まった家賃をきれいに払い、 その足でもって正月の年始回りに着ていく裃(かみしも)と脇差しを買い求める。 大家には、年始の挨拶で最も短い口上に、「御慶」と「永日(えいじつ)」を教わっている。
 さて、元日の朝、「御慶、御慶」と叫んで歩く八五郎だが、
「なんだ?」
「ぎょけーーーえッ!」
「なにを云ってんだかわかんねえなあ。 鶏が絞め殺されるような声出した。 なにを云ってんだ?」
「ぎょけえったんだよう(どこ行ったんだよう)」
「あア、恵方詣(えほうまい)りの帰りだい」
'06年01月04日

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