日常茶飯

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目次

砂書帖 ・ 歳末無題

 ▼ 十日ほど前にシクラメンの鉢植えを買ってきた。 鉢は分厚い葉が一面に生い茂り、その上に花が赤々と咲き乱れている。 鉢の下の方の側面に穴があって、そこから水を入れるようになっている。 たっぷりと水をやると、翌日は殆ど吸い上げている。 飲みっぷりのよさががおもしろい。 きょうも水をやった。

 ▼ ノートパソコンを使っていて、事情で中断し、別の場所に移ってから続きをやることにした。 保存してシャットダウンするのは面倒なので、休止状態にして移動した。 ACアダプターのプラグを差し込んで、キーボードのどれかを押すと、中断したときの状態に復帰する。 が、何となくおかしい。 スタンバイしているときの赤いランプの点滅がない。 よく見ると電源が完全に落ちている。
 電源を入れると Windows が起動しはじめた。 わぁ、 さっき書いたのはおじゃんになって仕舞った。 暫(しばら)く経って起動すると、バッテリーの状態を示すアイコンに×印がついている。 こんなことはじめてだ。 嫌な予感がする。
 シャットダウンしてノートパソコンを裏返してみると、バッテリーのロックが外れていた。 持ち運ぶときにうっかりやったのだろう。 ロックして再び起動させると、正常に戻っている。 原因が分かったからいいけれど、年末にトラブルを起こすのは困るよね。 でも、途中やりかけたことを、最初からやる羽目になった。

 ▼ 寒波が来たころと違って、このところ天気は悪くないし、それほど寒くもない。 元旦の天気はどうなるのだろう。
 今年やり終えるべきものは、殆どきょうで片付いた。 来年に持ち越すものもある。 と、ここまで書いて、なあんだ、片付かなかったものを持ち越すことにしただけじゃないか、と思ってみたが、 何れにしても区切りをつけるのは悪くはない。 あしたはゆっくりと過ごせる。 そうそう、蕎麦を買いに行かなくっちゃ。
'05年12月30日

スパム対策

 プロバイダーの「スパムブロック サービス」を利用しているが、スパム(迷惑メール)は殆(ほとん)ど来なくなった。 これはプロバイダーの手柄ではない筈で、私が設定しているスパムと判定するフィルターの条件がよいからだろう。
 ひとたびスパムが来れば、メールのソースをながめて、それを識別するキーワードを探す。 たいがいはヘッダーや本文の中に見つかる。 それをフィルターの条件に設定すると、プロバイダーが受信を拒否するので、 二度と来ない。

 メールソフトはMozilla Thunderbird と秀丸メールを使っている。 これらのソフトにもスパム対策の機能があって、スパムを受け取れば見ずに削除することも出来る。 しかしパソコンに届く手前の方で拒否したい。 だからプロバイダーのメールサーバーで行う「スパムブロック」のようなサービスは意義がある。
 尤(もっと)も、秀丸メールはスパムと判定したキーワードを表示してくれるから、ときどき参考にすることもあるので、 あっても余り邪魔にはならないと思う。

 先日やって来たスパムは、プロバイダーのフィルターをすり抜けるばかりでなく、メールソフトも騙された。 こう云う手強い相手だと、少しはやる気になって来る。 秀丸メールは一ヶ月単位で受信メールのログを作成してくれる。 ひと月分のメールの記録を見ていると、他のメールにはない特徴があるものである。 それはヘッダーの中にあった。 しかも以前に対策済みの別のスパムと共通するものだったから、一網打尽にしたようなので、 殆ど私は腹を立てなかった。
'05年12月28日

年賀

 去年から年賀状はワープロソフトで書いている。いや打っている。 はがき用のテンプレートがあって、優れた機能はないけれど、住所録だって呼び出せる。 便利ではないが簡単なことは間に合うから、使うに堪(た)えるのである。

 毛筆のフォントを選び、もっともらしい文面をこさえて、戌(いぬ)のイラストを選べば一丁上がり。 なんにも趣向は凝らさない。 去年作った住所録を見ながら、何某(なにがし)さんは確か転勤した、誰某(だれそれ)さんは引っ越したんだっけ、 と思い出しながら、貰ったはがきを引っ張り出して新しい住所を入力する。 プリンターを繋いで、印刷する段になってカラーインクが切れている。

 思えば、カラー印刷をしたのは去年の暮れの年賀状のとき以来である。 デジカメの写真は、写真屋でプリントするから滅多に使うことがない。 だからカラーインクが切れたのではなく、干からびているのかも知れない。 そんなことはどっちでもいいけれど、兎に角、作業を中断しインクの換えを買いに行った。

 ところがカラーインクのカートリッジは何処にも売っていないのだ。 プリンターは年代がついていて、もう11年使っている。 知らないうちに販売しなくなったらしい。 仕方ないから、淡い色合いの水彩画イラストを、水墨画風の戌の絵に取り替えて、 黒インクのカートリッジをつかって白黒で印刷した。
 ものによっては使ううちに段々と価値の出て来るのがある。 しかし電子機器は買ったときが華(はな)で、後ははどんどんと価値を失って行くから詰まらない。 来年は新しいプリンターで年賀状を印刷することにして我慢しようと思う。
'05年12月26日

寒冬

 気象庁は、11月末に「暖冬」としていたこの冬の予報を「寒冬(かんとう)」に修正した。 20年ぶりの寒さだと云う。 例年にない寒さなのは、北極圏にたまった寒気が繰り返し南に放出する「北極振動」と呼ばれる大気の運動が、 予想より遥かに長い間継続し、寒気を上空に送り続けているからだそうだ。

 一方、日本列島の南では西部太平洋の熱帯域の対流活動が予想以上に活発で、 中国大陸南部に気圧の高い地域が現れている。 その影響で、偏西風が例年よりも日本の南に大きく蛇行し、日本付近は気圧が低くなり、 北からの寒気を引き込みやすい状態になっているのだと云う。 明日も寒いそうだ。

 雪の日の思い出にこんなのがある。
 その日の朝は雪が積もっていた。 駅まで歩くのに時間がかかって、電車に乗り遅れると思ったら、電車の方も遅れて来たので間に合った。 よかったよ。
 3つ目の駅で乗り換えるのだが、普段は降りるホームの反対側に連絡する電車が待っている。 ところが、ホームには待っている筈(はず)の普通電車はいなかった。 雪で遅れているのだろう。

 ホームはいつもより人で溢れていて、吹雪が舞っていた。 暫くすると、電車が到着すると云うアナウンスが流れた。 何と普通電車の筈がダイヤが乱れたせいで急行がやって来た。 結局は雪の為、予定よりも早く着いて仕舞った。
'05年12月23日

読むのがこわい

 利用する駅の通路伝いの建物の中に小さな本屋がある。 いつも電車に乗る前に時間があれば入って本をながめている。 2年ほど前、いつも決まった本を立ち読みしていた。 ほんの5分程度なのだけど、同じ本を手に取って少しずつ読んでいたのが、 嵐山光三郎さんの『文人悪食(あくじき)』(新潮文庫)。
 文人の食欲にみる近代文学史と云ったもので、 漱石、鴎外、露伴、一葉にはじまり、池波正太郎、 三島由紀夫にいたるまで、 37人の文士の食癖を描いた600ページ近い分厚い本である。 よくそこまで調べたなあと感心するし、実に小気味のよい文章で綴られている。 読んでいると、意外な小さな発見もある。 三島由紀夫は写真でしか知らないが、背の低い人だったらしいのだ。
 「三島氏が、合気道初段、剣道五段の武闘派であることは知っていたが、三島由紀夫は私よりずっと小柄で、 身長一五八センチぐらいの小男だった」。

 そう云うことが一年近く続いた。 随分読んだと云う気がするし、この本を手にする人は他にはいないので、 自分の本だと云う思いがある。 読んでいるのを、お店の人が気づいている風にはないのだけど、何だか悪い様な気もする。 それで、いまから一年前に買ったのだ。 それなら、もっとはやく買えばいいものを、と思いそうであるけれど、それまでは、余り気が進まなかったのである。

 永井荷風についての章は、「最後に吐いた飯つぶ」と云うもの。 これを読むのがこわかったのである。 荷風(かふう)は、いつものように夕方、市川の大衆食堂で好物のカツ丼を食べ、帰ってその晩死んでいる。 翌朝、雇われていた家事手伝いの老婦が掃除にやってきて発見した。 着の身着のままうつぶせでこと切れた。 その臨終写真が新聞に載ったと云う。 嵐山さんの「最後に」は、如何にもこわいことが書かれているようだから、いまだに読んでいない。

 『文人悪食』の続編である『文人暴食』(新潮文庫)が、きょう本屋に出ていた。 二葉亭四迷…「快男児、酒を飲めず」、斎藤緑雨…「筆は一本、箸は二本」、 鈴木三重吉…「酒を飲んで荒れる『赤い鳥』」、佐藤春夫…「さんま苦いか塩っぱいか」、 向田邦子…「ライスカレー裏おもて」など、とあって、こちらの方は物騒なことはなさそうなので、 帰りに買って来た。 きょうが発売日だと。
'05年12月22日

セキュリティ

 ウイルスバスターのトレンドマイクロ社のホームページには サポート情報のところに、最新パターンファイルの番号と、最新検索エンジンのバージョンが載っている。 パターンファイルの情報は、日々更新されているが、検索エンジンは2月28日に更新された儘(まま)である。

 先日たまたま、「最新版ダウンロード」のページを見ると、検索エンジンは先月末にバージョンが 8.0 に更新されていた。 どうやら、ウイルスバスター2006で、「アップデート開始」を実行しても検索エンジンは更新してくれないらしい。 よく覚えていないけど、以前は更新されていたように思うから、けげんである。

 最新の検索エンジンをダウンロードして実行すると、プログラムを更新する間、 ウイルスバスター2006を停止させるのである。 つまり、一時的にセキュリティ対策の機能が停止するので、 検索エンジンの更新はネットへの接続を切った状態で行うべきなのだろう。 だから検索エンジンは「アップデート」では更新されず、手動で更新するようになっているのだろう、 と勝手に解釈した。

 きょう、ウイルスバスター2006がバージョンアップした。 サービスパックを適用すればいいらしい。 これも、本体プログラムを更新するので、その間はセキュリティ対策の機能が停止するだろう。 安全を考えて、ネットワーク・ケーブルを抜いて作業すべきである。 ところが、その適用法の解説を読むと、そう云うことは何も書いていない。 「一時的なものであり、問題はありません」、なんて書いている。 と云うわけで、先ほどの勝手な解釈は撤回せざるを得ない。
'05年12月20日

行蔵は我にあり

 明治24年(1891)、福沢諭吉は「痩(やせ)我慢の説」と云う一文を草する。 勝海舟への批判書である。 旧幕臣が、敵の作った新政府で名利を得るとはどう云う了見か、 自分はこれを独り怪しむ、と難じた。 批判は同じく旧幕臣の榎本武揚にも筆を進めた。 諭吉は公表する前に、勝と榎本に草稿を送り、意見があればお聞かせ願いたい、と申し入れた。 これに榎本は逃げを打つ。

 勝はこう返事した。 「行蔵(こうぞう)は我に存す、毀誉(きよ)は他人の主張、我に与(あず)からず我に関せずと存候(ぞんじそうろう)」
 「行蔵」は世に出て事を行うこと、隠遁して世に出ないこと。 出処進退の意。 行蔵は我にあり。しかし、悪口も称賛も第三者の見方、自分には関係ない。

 勝の言葉をタイトルにしたのが、出久根達郎さんの『行蔵は我にあり』(文春新書)で、 このタイトルの如く自信満々で20世紀を生きた日本人の人物伝である。 見開き2ページに、一人の伝記と名言を綴っている。 右下に小さく顔写真がある。 四迷、天心、独歩、夢二、栃錦、三平、と総勢102名が登場する。

 おもしろいのは、幕末、明治、大正の生まれがほとんどを占めている。 昭和生まれは、小説家の開高健、ノンフィクション作家の児玉隆也、 女優の太地喜和子。 そして戦後生まれは、17歳で夭逝した詩画人の山田かまち、只ひとり。 尤も、生きている人を省いて仕舞うと、このようになるのかも知れない。
'05年12月19日

寒波

 きのうの夜からきょうにかけて寒気が覆って仕舞い寒くなった。 日中は日が射していたけれど、きのうと違い一段と寒かった。 この冬は平年よりも寒い日が続くそうだ。 去年はそんなに寒くはなかった。 また、おととしは寒かった。
 寒いと何か暖かくなる食べ物を連想する。 鍋焼きうどん、いやそれより味噌煮込みうどん。 八丁味噌の味がいい。 落とした卵が半熟になったところでかき混ぜて喰う。 うまそうだなあ。

 朝が寒くなるようになって、起きたときにコーヒーを一杯飲むようになった。 香りと味で目が覚めるようでいい。 一杯だけと云うのが良いようなのである。 それより飲むと感覚が麻痺するのか知らないが、香りがしない。 あとは緑茶で済ましている。 昼間にコーヒーを飲むこともあるが、これは別のことである。

 夜はたいがい、寝る前にウヰスキーを取りだして、ハイボールで飲む。 冬は部屋を暖かくしてのハイボールだが、もっと寒くなったらホット・ウヰスキーにしようか知ら。 そのうち眠くなり、その儘ぐっすりと寝る。 これで寝覚めは良い。

 その寝酒とこの欄を書くときが重なることがある。 ときどき、廻っているうちに書いてアップしている。 翌日になって、覚えがないのに何か書いている。 一旦公開したからには、削除したり、書き換えると云う料簡はないから、その儘にしている。 酔って書いたものが不都合でも、私が我慢すれば済むことで誰も気にしないだろう。 この経験を戒めに、一度書いたものは見ないことにしている。
'05年12月18日

金勘定

 勘定合って銭足らず、と云って勘定に間違いはないが、現金が不足する。 つまり理論と実際が一致しないことを云う。 勘定を払ったり、また払い戻したり、或いはお金を借りたり返したりと、 向こうとこちらでやり取りする。 手順が変な具合になると、金勘定は甚(はなは)だ混乱を来(きた)すものらしい。

 内田百閒(ひゃっけん)が、大学でドイツ語の教授をしていた時分の挿話。
 同僚の間で会費五十銭の会が出来た。 会費を集める段になるが、百閒先生には持ち合わせがなかった。 「その集まった会費の中から三円貸して下さい」、と云って百閒先生は銀貨を六枚取り、 「これが私の会費です」と云いながら、いま取った六枚のうちから一枚を出した。
「で、予定の会費より三円足りないんだよね」と一人の会計係。
「いや、ちがう、三円五十銭足りないんだよ」と別の会計。
「馬鹿だなあ、足りないのは百閒が持っていった二円五十銭だよ」と別の男が云った。 本当はいくら足りないのでしょう。

 お次は、内田百閒の「特別阿呆列車」(新潮文庫『第一阿呆列車』所収)から。 なんにも用事もないのに借金までして一等車に乗って、阿呆列車の旅に出た百閒先生と、共連れのヒマラヤ山系さんとの会話。

 <山系が隣からこんな事を云い出した。
「三人で宿屋へ泊まりましてね」
「いつの話」
「解り易(やす)い様に簡単な数字で云いますけれどね、 払いが三十円だったのです。 それでみんなが十円ずつ出して、つけに添えて帳場へ持って行かせたら」
 蕁麻疹(じんましん)を掻(か)きながら聞いていた。
「帳場でサアヴィスだと云うので五円まけてくれたのです。 それを女中が三人の所へ持ってくる途中で、その中を二円胡麻化(ごまか)しましてね。 三円だけ返して来ました」
「それで」
「だからその三円を三人で分けたから、一人一円ずつ払い戻しがあったのです。 十円出した所へ一円戻って来たから、一人分の負担は九円です」
「それがどうした」
「九円ずつ三人出したから三九(さんく)、二十七円に女中が二円棒先を切ったので〆(しめ)て二十九円、 一円たりないじゃありませんか」
 蕁麻疹を押さえた儘(まま)、考えてみたがよく解らない。 それよりも、こっちの現実の会計に脚(あし)が出ている。 >

 さて、ヒマラヤ山系さんの勘定は、何処(どこ)かまちがっているでしょうか。
'05年12月16日

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