日常茶飯

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#42 
目次

去る者は

 先日、結城昌治の『志ん生一代』についてふれた。 十年ほど前に亡くなった作家である。 去る者は日々に疎(うと)しで、作家が亡くなると著作も一緒に消えて仕舞うらしい。 本屋に行くとこの人の小説は、講談社文芸文庫にひとつあるのみだった。
 子どものころ本屋で、『ゴメスの名はゴメス』だとか『軍旗はためく下に』などを見た覚えがある。 印象深いタイトルの作家だと思ったが、読んではいない。

 先月、学陽書房の文庫に復刊したのが『志ん生一代』の二分冊で、初刊本は三十年ほど前に出ている。 その後、朝日文庫や中公文庫に入ったらしい。
 読み出すと、なんだこれは小説かと怪しんだが、読んでいるうちにおもしろくて読み終えた。 古今亭志ん生の評伝を期待して読み始めたのだけど、 じつは小説のかたちを借りた、すぐれた評伝である。 その事情は、結城昌治みずから跋文(ばつぶん)でこう記している。

 <五代目志ん生は四十歳過ぎるまで無名だったため、考証の手がかりがほとんどつかめず、 同時代の人たちもあらかたは没し、自伝もまた生まれた日付から両親の名前まで誤ったまま覚えていたくらいで 拠所(よりどころ)にならなかったのである。>

 復刊されたのは何よりである。 が、背景には志ん生人気があるんじゃないか。 今年で三十三回忌をむかえた志ん生だけれど、いまでも次から次とCDやDVDが発売されている。 最も売れている落語家のCDが志ん生だと云う。
'05年12月15日

嘘(うそ)

 夏目漱石のひとつ話にこんなのがある。面会を求めて訪ねて来た記者に、取り次いだ女中に漱石は、留守だと云わせる。 ところが、しつこく面会を求めて、なかなか帰ろうとしない。 すると漱石が自分で玄関に出て、記者に向かって「留守だと云ったら留守だよ」と云って断った。

 さて、内田百閒に「正直の徳に就(つ)いて」と云う一文がある(ちくま文庫、『百鬼園先生言行録』所収)。
 ある日、百閒先生のうちに甘木君が浮かぬ顔をして来て、会社の専務から自分の欠勤について、 皮肉みたいな小言を云われたと云う話をした。
 甘木君は、つごうで奥さんを田舎(いなか)に里帰りさせていて、その留守中に、向こうのお祖母(ばあ)さんが病気だと云う知らせを受けたから、 会社を休んで見舞いに出かけた。 そうして三日も四日も帰ってこなかったのである。

「僕は会社を休んでも見舞いに行かなければすまないと思いました」
「そう云うことは君の気持ちの上の道徳であって、会社の立場から云えば、 甘木君がその徳を実践する事を承認するわけに行かないと思う」

「僕はしかしそうする事を道徳的だと考えた場合、どうすればいいのですか」
「君自身が病気だと云う事にして届けておけばいいのです」
「嘘を云うのですか」
「一方の、義理を果たすと云う徳を充たす為には、君の立場では正直の徳を捨てなければならない」

「僕は嘘をつくのはいやです」
「そう欲張って、二つの美徳を共にまっとうする事を考えてはいけない。 僕が官立学校の教官だった時の事を話しましょうか。 僕たちが学校を欠勤するのは、その本人の病気以外は認められなかった。 家族に病人があるとか、そんな事はちっとも理由にならない。
 それではどうするかと云えば、いつでも自分が病気になるのです。 自分一人が虚言者になって、その不徳に甘んずれば、規律を乱さず、人情にも背かず、 また実際はその嘘に騙(だま)される者もいないでしょう」
「それではだれに嘘をつくのですか」
「騙されるのは規則です」
「しかし相手は規則でも、こちらは自分が嘘つきになるのですから、矢っ張り僕はいやです」

「漱石先生は嘘が大嫌いでした」と、百閒先生。
「そうでしょう」甘木君が我が意を得た顔をした。
「漱石先生が、御自分で玄関に出て、己(おれ)は留守だよと云う嘘をついた話がありますが、 この嘘はだれを騙した事になりますか」
 <甘木君は目玉の黒玉を、きゅっきゅっと左右に動かすばかりして、暫(しばら)く返事をしなかった。>
'05年12月12日

スパイウエア

 このまえ、NHK「クローズアップ現在」は、スパイウエアを取り上げていた。 先月はじめて摘発された、スパイウエアをパソコンに忍ばせ本人の知らぬまに個人情報を入手して、 口座から預金を騙し取る事件があったからだろう。
 番組は、アメリカのスパイウエアを使った犯罪事情をやっていた。 連邦議会では、スパイウエアをパソコンに忍ばせる行為そのものを取り締まる法案をつくる作業をしていると云う話だった。 まだ日本ではそんな法律の動きはない。

 最近、パソコンにスパイウエアが2つ見つかった。 1つは2週間前だったか、ウイルスバスターのスパイウエア検索を実行してのこと。 詳細を見ると、こんな説明があった。
 「これは悪意のCookieファイルです。 CookieとはWebブラウザとWebサイト間で情報をやりとりするためのファイルです。 限定的ですが複数のWebサイトでユーザの情報収集に利用される可能性があります」。
 ここまではいい。なんだクッキーか。 作成元はRealPlayerのサイトだそうだ。 それなら検索する前に、確かにそのサイトにアクセスしたから、そのときスパイウエアが侵入したと分かる。 ところが説明はこう続く。
 「Cookieファイルですので危険な活動が行なわれることはありません。ご安心ください。 この検出はスパイウェア検出機能による検出です。不正プログラムの検出ではありません。 検出されても大きな危険はありません」。
 如何にも、駆除処理をして欲しくなさそうだ。 文脈が混乱しているのである。 「悪意のある」と云って、「ご安心ください」、「危険はありません」と続くのは、 スパイウエアとウイルスとの違いを示さず、それを混同して書くからだろう。

 2つ目は、今朝である。 フリーソフト Spybot Search & Destroy のアップデータが更新されたので、 検索すると見つかった。 システムディレクトリにあるDLLファイルで、 プロパティを見るとマイクロソフトのものである。 ファイルの日付が2000年とあるから、はじめから在ったのかもしれない。 でも、ときどきこのフリーソフトは誤ることがあるそうだから、ファイルを別の所にバックアップした。
 私は疑い深くはないから、スパイウエアと云われると素直に削除している。
'05年12月10日

砂書帖 ・ 脆弱性

 ▼ マイクロソフトが来週14日、水曜日に公開する予定の月例セキュリティ修正プログラム(パッチ)は2件だそうだ。 これらの最大深刻度は、4段階中で最も高い「緊急」だと云う。 セキュリティ以外の優先度の高い更新プログラムもリリースするそうだ。

 ▼ ブラウザFirefox 1.5 にブラウザをハングアップさせる脆弱性が見つかったと云う。 なんだそりゃ、とITmedia やインプレス社の INTERNET Watch の記事をみると、 ページ履歴を管理するファイル「history.dat」の扱いに問題があって、 JavaScriptなどを用いることでバッファオーバーフローを引き起こさせると云うもの。 一度起きると、Firefoxを起動することが出来なくなるそうだ。 まあ、ファイルに問題があるのだから削除すれば解決する(だろう)。 確実な対処方法は、Firefoxの表示履歴のオプションを「0日」に指定し、 履歴を記録しないように設定することだと云う。
 データファイルが原因で、本体プログラムの動作がおかしくなるのは、 ソフトウェアの設計自体がまずいんじゃないかと思うのだけど。 それで、ことし4月にウイルスバスター2005のパターンファイルが原因で大規模なパソコン障害があったのを思い出した。 あれは、パターンファイルは単なるデータではなく、プログラムの一部だとあとで云ってたけれども、 何だかよく分からなかった。

 ▼ ついでに云うと、ウイルスバスター2006のアップデータは良くなった。 以前のバージョンでは、アップデートする度にパターンファイルを丸ごと入れ替えるから、 毎回20メガバイト位のファイルをダウンロードしていた。 それが、ファイルの差分をダウンロードするようになった。 たいがいは数100キロバイト以下である。 ブロードバンド環境では一瞬だし、これならナローバンドでも使える。
'05年12月09日

冬の夜に風が吹く

 十二月に入って急に寒くなった。 きょうは二十四節気の大雪(たいせつ)だそうで、いよいよ冬らしくなった。

 むかし古今亭志ん生は一年に一度だけ、落語のあとで「大津絵」を唄ったと云う。 半鐘(はんしょう)を聞いて飛び出す鳶(とび)とその女房の心情をうたったもので、 ポニーキャニオンからでているCDに録音があって、わずか6分程度のその唄(うた)は、 決してうまいとは云えないように思えるのだけれど。

冬の夜に風が吹く
知らせの半鐘がジャンと鳴りゃ
これさ女房わらじ出せ
刺し子襦袢(じばん)に火事頭巾(ずきん)
四十八組おいおいに
お掛かり衆の下知(げち)をうけ
出て行きゃ女房そのあとで
うがい手水(ちょうず)にその身をきよめ
今宵(こよい)うちのひとに怪我(けが)のないよう
南無妙法蓮華経 清正公(せいしょうこう)菩薩
ありゃりゃんりゅうとの掛け声で勇みゆく
ほんにおまえはままならぬ
もしもこの子が男の子なら
おまえの商売させやせぬぞえ
罪じゃもの

 この志ん生が唄う「大津絵」を聞いて、小泉信三(もと慶應義塾塾長)が泣いたと云う有名な話があるそうだ。 それも毎年、志ん生が「冬の夜に」と唄い出すと、決まってハンカチを取りだして待っている。 そうして「うがい手水にその身をきよめ」から「うちのひとに怪我のないよう」のところで、わあわあと泣くのだと。
 なぜ志ん生の、「大津絵」を聴いて泣いたのか、なぜハンカチを用意してまで聞こうとしたのか。 結城昌治は『志ん生一代』のなかで、こう解釈している。

 <志ん生自身、一所けんめい唄っているういちに、声がかすれ、喉がつまりそうになることがあった。 鳶の女房の悲しみが込みあげてくるのである。 その悲しみに、親不孝のまま死なせた母に対する思いが重なってくるのだ。
 おそらく小泉信三もさまざまな思いが胸中を去来し、思いあまって涙が溢れ、 溢れる涙が誰かへの供養なのかもしれない。 幼いころ父に死別したので、遺された母の姿が痛切な思い出になっていたかもしれないし、 海軍士官だった一人息子をうしない…>、云々と。
'05年12月07日

江戸の火消し

 むかし江戸の町には、町火消(まちひけし)と云う人たちがいた。 いまの消防士にあたるが、それを本職としているのではない。 もともとの本職は、鳶職(とびしょく)と云う土木建築を請け負う仕事師で、 建築の足場を組んだり、木材の扱いを仕事とする職人である。

 鳶口(とびぐち)と云う、細長い棒の先に鋼鉄の鉤(かぎ)をつけた道具を使うことから鳶職と呼んだ。 町火消の仕事は、いまふうに云えばボランティア活動で、 町からは月手当、法被(はっぴ)、頭巾(ずきん)、ももひきの支給などがあったが、 それは手当と云える程のものではなかった。 にもかかわらず火のなかに飛び込んで消火にあたると云う命がけの仕事をするのは、 「江戸の華(はな)」と呼ばれた彼らが、自らに誇りをもっていたからだと思われる。

 鳶たちは火事を知らせる半鐘(はんしょう)のジャンジャン鳴る音を聞けば、 たとえ仕事中であっても、火事場に駆けつける。 動力ポンプを使って、放水で消火する以前の時代である。 水を頭からかぶり屋根に上がって火の粉を払うが、いよいよ難しくなると、火元の風下にある、まだ燃えていない家を壊す。 つまり、破壊消防で、類焼(るいしょう)を防ぐために家屋を壊すのである。

 町火消は、享保三年(1718)町奉行大岡忠相(ただすけ)によって組織された。 い・ろ・は・四十八組はよく知られている。 ほかに、大名火消と定火消があったが、これらはすべて別系統のものである。
 と、ここまで書いて気がついた。 江戸の火消しの話が長くなって仕舞い、本題に及びそうにない。 タイトルを変えて終わりにして、この続きはまたにする。
'05年12月06日

Firefox 1.5を使って

 先日バージョンアップしたブラウザFirefox 1.5 は幾つか良くなっている。 「プライバシー情報の消去」機能が良い。 履歴やクッキーにキャッシュなどのデータをすぐに消去できる。 オプションの設定で、これらをブラウザの終了と同時に消去することも出来る。 これが一番いい。 キャッシュなんてディスクに貯まる一方で、ブロードバンド環境が普及したいまでは、必要な機能とは云えない。

 前にも書いたけれど、タブの並びをドラッグ&ドロップで並べ替えることが出来るのも、場合によっては使えるのだ。 試しているうちに見つけたのだけれどリンクをタブのところにドラッグ&ドロップすることも出来るんだな。 何のため?

 拡張機能は、個別に必要な機能を追加することが出来て、なかには便利な機能もある。 只、バージョンアップする度に互換性がなかったりするので、 一々使えるか使えないかを気にすると云うのでは、いい仕組みとは云えない。

 使って困るのはFirefoxに対応していないWebサイトがあることで、そう云うサイトはIEしか考えていない。 このことは前に書いたので省略する。 米マイクロソフトは独禁法違反の裁判の結果、既定のブラウザを指定することが出来るようにした。 なのにそれを無視するソフトがある。 ウイルスバスターもそうで、ソフトの画面をクリックすると、既定のブラウザを無視して、IEが起動する。
'05年12月05日

タイムスリップ

 昨晩はドラマ「終わりに見た街」をみた。 終戦60年特別企画のTVドラマで、戦争中の時代にタイムスリップすると云うはなし。 そんなSF仕立ての筋立てもよいだろう。
 朝起きると、二組の家族が61年前の昭和19年9月にタイムスリップした。 未来から来たことに気づかれてはいけないから当時の人びとになりきって暮らすことになる。 どうせ来年の8月には戦争は終わるのだと言い聞かせて。

 ところが隠れるように生活するうちに、こう考えるようになる。 3月の東京大空襲で東京の下町が全滅することを知っている。 8月には原子爆弾が落とされることも分かっている。 まもなくやってくる3月10日には、何処が空襲を受けるかを知っている。 大勢の人が死ぬ。 なんとかこの事を知らせることが出来ないものか。 思い切って行動に出るが、思うように事は運ばない。 ここまではいい。
 空襲警報が鳴る。 大丈夫、ここには爆弾は落ちてこないよ。 ところが歴史と違って被爆する。 気がついて辺りを見渡せば、そこは未来の時代で、原子爆弾が落とされた東京だった。 こんなのないよなあ。 猿の惑星じゃあるまいし。

 何年か前に、戦争の時代を少年の目で描いたベストセラー小説が現れた。 読んではいないのだけど、『少年H』である。 その何年か後に、山中恒・山中典子『間違いだらけの少年H』(勁草書房)が出た。 もとの方を読まないから、こちらも読んでない。 高島俊男さんが『間違い』の書評を書いていて(文春文庫、『お言葉ですが…4』所収)、 孫引きで恐縮だけど、ちょっと書いてみる。

 この少年Hは、実は平成から昭和10年代にタイムスリップしているのである。 勿論、そんなSF仕立てではないのだが内容がそうなっている(らしい)。 こんな記述があるそうだ。
 <勝っとる勝っとるいうて、大本営発表を信じてたらアカンのやなあ>
 <(ノモンハンで)日本軍はソ連軍に負けそうになっていたからだ。>
 <なんと『不可侵条約』を結んだとき、 もうドイツとソ連の間でポーランドを分けようという秘密の約束を取り交わしていたらしい。>
 ノモンハンの大敗をはじめ、これらのことを国民が知ったのは戦後である。 つまり、少年Hは戦後になって明かされた知識や、時代感覚で、物を云っている。 丸で、平成から戦争中の昭和にタイムスリップしているのである。

 こんな間違いを犯したのは、 少年Hのタネ本が全19冊からなる『昭和 二万日の全記録』(講談社)と云う大年表だったから。 年表だから、いつ、何が起こったかを詳細に書いてある。 しかし当然ながら「そのことを国民が知ったのはいつか」は書いてない。 作者の失策は、それに気づかなかったことにある。
'05年12月04日

Javaの修正版

 日経BP社のIT Pro の記事「あなたのJavaは大丈夫?」によると Java に危険なセキュリティ・ホールが見つかったと云う。 悪意のあるサイトにアクセスするだけで、パソコン中のファイルを読み書きされたり、 アプリケーションを実行させられたりするそうだ。 悪意のあるサイトと云うのを教えてほしいねぇ。
 最新版にアップデートすればよいのだけれど、 以前 Java 2 SE 5.0をインストールするとエラーが出たので、 前のバージョン1.4.2_06 に戻したのだった。

 関連記事のリンクを辿ると11月30日の記事に、Sunが公表している内容がまとめてある。 Sunのサイトから入っても、こう云うことは分かりづらいので困るんだ。 で、前のバージョンの修正版 1.4.2_10 にアップデートすればよいのだと分かった。 そのリンクもある。
 SunのサイトからJavaソフトウエア開発キットJava 2 SDKをダウンロードした。 ソフト開発をしないなら実行環境Java 2 Runtime Environment(JRE)をダウンロードすればよい。
 いまのJava 2 SDK とJREをアンインストールした後、 修正版インストーラを起動して、修正版のJava 2 SDK とJREをインストールした。 それから、システムの環境変数でパスをJava 2 SDK の新しいディレクトリに変更してお仕舞い。
 只それだけのはなしだけど、システムの環境をいじるのは久しぶりだなぁ。


日経BP社 IT Pro
http://itpro.nikkeibp.co.jp/
'05年12月03日

手紙

 先月のはじめだったか新聞の記事に、高峰秀子さんが自身の肖像画を寄贈したと云うのがあった。 洋画家の梅原龍三郎たちが描いた「高峰秀子像」の十何点を世田谷美術館に寄贈したと云うものだった。 自宅に飾ってきた作品の散逸を防ぐのが目的だと云う。
 五歳のときに子役として映画界にデビューして五十五歳で女優を引退。 名エッセイストとしても知られる。 いまは筆も拭(ぬぐ)って現在八十一歳だそうだ。 以下、高峰さんのエッセイ集『おいしい人間』(文春文庫)にあるはなし。

 高峰さんは少女時代からの、内田百閒(ひゃっけん)の熱心な読者だった。 「子供のまま年を取ってしまったような、ナイーヴ、ガンコ、ワガママ、イタズラな文章がなんともいえず好きだった」
 百閒が座談会で、こんなことを言っている。 満鉄東京支社の上の料理屋で西洋料理を食った。 西洋料理は好きだから、ご機嫌で出て来たら、すうっと女が前を通り抜けて行った。 それは高峰何子とかと云う女優で、人の前をごめんなさいとも云わない。 その不行儀に、余ほど、突き飛ばしてやろうと思ったけれど、こちらがご機嫌がよかったから我慢した、云々(うんぬん)。
 読んで、「一瞬マッサオになった」けれど、この座談会が雑誌に掲載されたのは、 まだ十四歳の少女のときで女優とはいえないし、 満鉄の支社に用事があって行くはずもない。 行った覚えもない。 「高峰ちがいかしら?」と、思ったけれど、そんなことはどうでもいいとして、 あこがれの百閒先生に会ってみたい。

 ある日、意を決して、金釘(かなくぎ)流で手紙を書いた。
 「私は高峰秀子という女優です。 内田先生のファンなのです。 一度でいいからお目にかかりたいのです。 お願いします」

 返事が来た。封筒の裏には小さな律儀な字で「内田榮造」とあった。
 「…あなたとは、以前に一度、どこかの雑誌社から対談をたのまれたことがありました。 その対談は、なにかの理由でお流れになりました。 そういうこともあったので、 私もあなたにお目にかかりたいと思います。 しかし、私の机の上にはまだ未整理の手紙が山積みになっており、また、 果たしていない約束もあります。 これらを整理している内に間もなく春になり、春の次ぎには夏が来て、夏の次ぎには秋が来て、 あなたと何月何日にお目にかかる、 ということをいまから決めることは出来ません。 どうしましょうか。 内田榮造」

 高峰さんは思わず吹き出し、百閒先生との会見をきっぱりと諦めた。
'05年12月01日

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