Firefox 1.5が公開 ブラウザMozilla Firefox 1.5 日本語版がリーリスされた。 Firefox 1.0 から一年ぶりの大型バージョンアップである。 試してみると幾つか新しい機能を備えている。 ページの履歴にキャッシュやクッキーなどのプライバシー情報の一括消去が出来るようになった。 またタブをドラッグ&ドロップで並べ替えることも出来る。 前のバージョンではリンクによっては、別のブラウザで開いてたのが、タブで開くように設定出来るようになった。 オプションの設定項目も増えた(ような気がする)。 拡張機能も幾つか入れてみた。 Configuration Mania と云うのはFirefoxの隠し設定を簡単に利用できる。 これを提供しているサイトは英国なのだけど、アクセスすると日本語で表示されるし、 その拡張機能も日本語で表示されるから分かりやすい。 おはなし変わって、去年から年賀状はワープロ・ソフトで書いている。 ジャストシステム社のサイトでは来年の干支(えと)のイラストなどをダウンロード出来る。 一太郎Web会員専用なのだけど、IDとパスワードを入力するとスクリプト・エラーが出る。 ところが、Internet Explorer(IE)でやってみると、ちゃんと認証してダウンロード出来るのである。 ジャストシステム社のサイトがFirefoxに対応していないのか、Firefoxの方が対応していないのか、 そんなことはどうでもいいが、こう云うのは困る。 以前はうまく行ってたと思うのだけどなぁ。 Mozilla Japan http://www.mozilla-japan.org/ 拡張機能 Configuration Mania http://members.lycos.co.uk/toolbarpalette/ |
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メインテナンス パソコンを4年も5年も使い続けていると、いつの間にかディスクの使用領域が増えている。 新しいソフトを入れると云うことはしないけれど、 バージョンアップしたり、したくなくてもセキュリティ・ホールの修正版を入れ直したりするうちに増えたのだろう。 そうなると別の何処かを減らしてバランスを取りたくなる。 何年も使っていないソフトがある。 はじめからバンドルされた付属ソフトに、デジカメのファイルを編集するのが2つある。 付属ソフトのたいがいは、使いそうにないから外したが、何かのついでに使うかもしれないと思い、入れた儘にしていた。 いっこうに使ったためしがないので、外すと、数百メガバイトの空き領域が増えた。 たった数百メガだけど、減れば矢っ張り整理された気分になる。 パソコンのディスクの整理は、比較的マメにやっている方である。 週末にはたいがい、ディスク クリーンアップとディスク デフラグを実行している。 たまにディスク クリーンアップでファイルが一度きに圧縮されて、これも数十メガから百メガ程度だけどデスク領域が増えれば、 何となくすっきりした気分になる。 ブラウザのキャッシュや一時ファイルもフォルダを調べてみると、随分と不要なファイルが見つかる。 近ごろではインストーラの不要なコピーを残すソフトがあるから、 それも纏(まと)めて削除した後はディスク領域が少し増えている。 その上でデフラグをかけるとディスクが整理された気がする。 尤も何にも嬉しくはないけれどパソコンの調子が悪いと云うことはない。 出来ればバックアップもマメに取るべきだとは思うけど、そこまでは気がまわらないだけである。 |
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ふたりの太郎 9月に、たまたま知って見たNHK番組「知るを楽しむ 私の人物伝」はおもしろかったのだけど、 中途半端な時間帯にやるもんだから、次の週からは忘れて見なかった。 25分間と半端だから、後で気づいたときには終わってた。 本屋に行くと、この番組の次の放送予定のテキストがあった。 12月分と来年1月分で、2ヶ月分が一冊になっている。 12月が江戸川乱歩で、1月が山田風太郎と、なかなかいい組み合わせだ。 何しろ山田風太郎は江戸川乱歩を私淑していたんだもの。 目次を見るとスペシャル番組をやるらしい。 来年の1月1日午後7時~11時、NHK教育テレビで、 池波正太郎、向田邦子、市川雷蔵、古今亭志ん生、を再構成して放送すると云う。 覚えているかなぁ。 はなしを戻して、「私の人物伝」で「山田風太郎」の語り手はフランス文学者の鹿島茂さんで、 第一回のところをちょっと読んでみるとおもしろい。 司馬遼太郎の小説との比較をしている。 云われてみればそうで、このふたりの小説は好対照である。 司馬遼太郎は歴史的事実に時代考証をしっかりと固めて、その上に残る空白を「ありそうな」かたちで埋める。 常套句の「余談ながら」と云いながら、作品の中に自ら登場し、いつの間にやら読者を司馬史観に引き込んで仕舞う。 一方、山田風太郎は歴史事実と時代考証をやった上で、埋まらない空白を「あり得たかも」知れない、最も刺激的で 突飛な話を展開する。 明治時代、警視庁の創設者に川路利良(かわじ・としよし)と云う人がいる。 この薩摩人の逸話に、「大便放擲(ほうてき)事件」がある。 川路利良がマルセーユからパリに向かう途中の列車で激しい便意を催し、ついに我慢できず、 新聞紙をひろげてやった。 それを窓から捨てたが、日本の新聞だったのでばれて仕舞い、向こうの新聞に出た。 日本のフーシェと云われた男も、ウンコには勝てなかった。 この有名(?)なエピソードは、司馬遼太郎『翔ぶが如く』の冒頭にある。 また、山田風太郎の「巴里に雪のふるごとく」(『明治波濤(はとう)歌』所収)にもある。 よりによって、こんなところを比較するのは鹿島さんらしい。 まあ西洋文学では人は排泄しないことになっているらしいが、日本文学では当たり前。 で、鹿島さんは司馬遼太郎の小さな間違いを見つける。 それで、山田風太郎の「大ウソ」と司馬遼太郎の「小ウソ」とまとめる。 けっこうおもしろかった。 |
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落語と口語文 幕末から明治にかけての落語家に、三遊亭圓朝(円朝)がいる。 1839年(天保10)の生まれで、通説では1891年(明治24)に引退した。 人情噺の名作『文七元結(もっとい)』、大ネタの『塩原多助一代記』、怪談の『江島屋騒動』に『牡丹燈籠』、 幕末の三題噺の会に即興で創作したと云う『鰍沢(かじかざわ)』と、多くの噺を創作し、 それらはいまも演じられている。 その圓朝作品がインターネットの電子図書館、「青空文庫」にあるのを知った。 試しに『文七元結』などを読んでみると、これがいまでも通用する。 尤も、死語になった言葉遣いも見受けられるが、兎に角わかるのである。 勝海舟の『氷川清話』は勝が喋ったことを筆録したもので痛快でおもしろいのだが、 あれと同じで幕末の話し言葉はわかるのである。 圓朝の時代に録音装置はないから、口演の記録は高座を聴きながらの速記となる。 実は、速記法が生まれたことに圓朝は関わりがあり、そして落語の速記が、 いま私たちが読み書きしている文章、つまり口語文を生む契機となった。 以下は、矢野誠一さんの「活字の落語」(文春文庫、『落語家の居場所』所収)にもとづく。 1872年(明治5)の学制頒布により、日本の近代的な教育制度が確立する。 これにより字の読める階層が激増した。 明治と云う文明開化の時代に、文学者にとって、新しい時代に相応(ふさわ)しい文体の創造が望まれた。 一方で帝国議会の開設をひかえ、速記術の必要性があり、 なかに若林柑(かん)蔵、酒井昇造と云った優れた技術を有する速記者が生まれた。 その若林柑蔵のところに、その時分人気をさらっていた落語家三遊亭圓朝の高座を、そっくりそのまま速記して、 印刷刊行するはなしが持ち込まれた。1884年(明治17)のことである。 若林柑蔵は池の端吹抜亭で15日間にわたり、圓朝得意の怪談噺『牡丹燈籠』を速記し、 13編13冊の和装本にして刊行した。 これが落語や講談の速記本の嚆矢(こうし)となった。 この『牡丹燈籠(ぼたんどうろう)』は、圓朝の高座でかたられる、平易な、日常の話し言葉で記述されている点で、 まったく新しい階層の読者に受け入れられた。 多くの人びとにとって、『牡丹燈籠』は格好の娯楽本となったのである。 続いて幾つもの落語速記本が刊行されたが、いずれもよく売れ、なかでも『塩原多助一代記』などは12万部に達したと云う。 こうなると、「やまと新聞」をはじめとする当時の新聞も、きそって落語の速記を連載しはじめた。 そればかりではない。 江戸の戯文調をこえた、明治と云う新しい時代に相応しい文体を生み出したいと願っていた、文学者のあいだにも、 圓朝の速記本は大きな影響を与えた。 『小説神髄』を執筆中だった坪内逍遙は、『牡丹燈籠』の再版に序を贈り、絶賛している。 さらに、二葉亭四迷や山田美妙が多大の刺激と示唆を受けたことを告白している。 こうして三遊亭圓朝の高座は、あの「言文一致体文学」誕生の切っ掛けになったのである。 (注)文中の表記で若林柑蔵の「柑」は当て字です。 木へんの部首は正しくは王へんです。 |
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整頓 うっかり油断していたら、部屋の中で本が氾濫しそうになっている。 それで本を整理した。 単行本は始末がいい。 本棚から溢れた分は箱に仕舞えばそれで済む。 厄介なのは文庫本で形が半端だから収まりが悪い。 溜まるに溜まって、こちらの方が堪らなくなる。 そこで去年から、文庫本の収納袋を百円ショップで買ってきて収めている。 一枚に平均25冊ほど入る。 本屋が付けてくれたブックカバーを引っぺがして袋に詰める。 ぎゅうぎゅうと一杯になるまで詰め込んで、ファスナーを閉めれば出来上がり。 文庫の塊となる。 本の背中のところが丁度ビニールになっていて見分けがつくからいい。 詰め込んで、後は積み重ねて片付けは終わり。 |
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更新 落語の『火焔太鼓』は、商売が下手(へた)な道具屋の甚兵衛さんのはなしで、 客とこんなやり取りを交わす。 「道具屋さん、この箪笥(たんす)はいい箪笥だな」 「そりゃもういい箪笥でございますよ、うちに六年もあるんですから」 「ちょっと引き出しあけて見せてくんねえ」 「それがすぐあかないんですよ。すぐあくくらいなら、とうに売れてます」 「あかねえのかい」 「いえ、あかねえことはありませんが、この間あけようとして、腕くじいた人があります」 ウイルス対策ソフトを使い始めたのは随分前で、その時分はウイルスと云うのも余り知られていなかった。 いまと違い既存のファイルに感染するからウイルスと云うのがいいえて妙(みょう)だと思った。 シマンテック社のノートン・アンチウイルスで、当時は定番のソフトだった。 買って初めて知ったのが、一年ごとにライセンスを購入しないといけないと云うこと。 いまでは当たり前のように聞こえるけど、その時分は意外であり、 それならパッケージにその旨を明示すべきじゃないかと思った。 最初の一年、二年は更新の手続きをしたが、やがて更新の時期を忘れてその儘(まま)になった。 何しろ、更新の時期になってもメールで知らせると云うようなサービス精神がない。 それでライセンスは切れて仕舞ったが、シマンテック社の少しは良いところが無料のアップデートが受けられることで、 何年かはウイルス・パターンファイルの更新が出来た。 五年近く前にノートパソコンが壊れて買い換えたときに、トレンドマイクロ社のウイルスバスターに乗り換えた。 そのころ既にウイルス対策ソフトの双璧は黄色と赤と云われるようになっていた。 決め手はウイルスバスターの赤いパッケージには一年ごとにライセンスを購入する旨を明示していたこと。 それと本社を東京に移したことである。 これなら更新の案内メールぐらいよこすだろう。 爾来、滞りなく更新している。 いまのシマンテックのサービスがどうなっているのか知らないけれど、これは悪口ではない。 ただ商売が下手だったなと思う。 と、ウイルスバスターの来年度の更新をWeb上で済ませてふと思い出した。 |
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冬将軍 きのうあたりから急に寒くなってきた。 冬将軍が居座っているらしい。 きのうの夕方は炭酸水のまとめ買いに近くのスーパに出かけると辺りはとっぷりと暮れていた。 夏の時候おなじ時間はまだ明るい夕日が射していたのにねぇ。 花屋をのぞくとシクラメンの鉢植えがずらずらと並べてあって紅色の花びらが綺麗に見えた。 夜は寝る前にハイボールを飲みながら芥川龍之介を読んだ。 漱石の死後、漱石の書斎を訪れた芥川が回想を綴った小品「漱石山房の冬」。 その中に、こんな件(くだり)がある。 <十月の或(ある)夜である。わたしはひとりこの書斎に、 先生と膝をつき合せてゐた。 話題はわたしの身の上だつた。 文を売つて口を餬(こ)するのも好(よ)い。 しかし買ふ方は商売である。 それを一々註文通り、引き受けてゐてはたまるものではない。 貧の為ならば兎(と)も角、慎(つつし)むべきものは濫作(らんさく)である。 先生はそんな話をした後、 「君はまだ年が若いから、さう云ふ危険などは考へてゐまい。 それを僕が君の代りに考へて見るとすればだね」と云つた。 わたしは今でもその時の先生の微笑を覚えてゐる> こんにち文豪と呼ばれる漱石だけど、これは漱石本人にとっては意外なことかも知れない。 何しろ生涯で書いた小説は、僅か十幾つである。 10篇ほどの小説しか残していないのに、誰も漱石を超えることが出来ないでいる。 尤も、森田草平に宛てた書簡にこう云うのがある。 明治三十八年のこと。 <余(よ)は我文(わがぶん)を以(もつ)て百代の後に伝えんと欲する野心家なり。 …(中略)… 只(ただ)一年二年若(も)しくは十年二十年の評判や狂名や悪評は毫(ごう)も厭(いと)わざるなり。 …(中略)… 余は隣り近所の賞讃を求めず、天下の信仰を求む。 天下の信仰を求めず、後世の崇拝を期す。 此(この)希望あるとき、余は始めて余の偉大さを感ず> |
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