日常茶飯

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#23 
目次

DVDだらけ

 何年か前から映画のビデオテープがワゴンに山積みされて安売りされるようになった。 電気店ではVHSのビデオデッキを見なくなった。 あっても価格は一万円もしないそうだ。 替わってDVDレコーダが並んでいる。 ビデオテープからDVDの移行期の繋ぎだろう、 テープとDVDのダブルデッキが数万円の価格で、 その上の価格帯では更にハードディスク(HD)を搭載したものが現れた。 順次アクセスのテープに比べてDVDはランダムアクセスできるから、 再生も編集も便利である。 録画した途中を削ったり、順序を並べ替えることは簡単に出来る。
 DVDはハリウッドの映画会社にとってはドル箱だそうだ。 一度作って二度美味しいと云う。 映画監督にとっても都合がいいらしい。 映画の上映時間は会社側が決定権を持つ。 それは、監督の欲する時間より短い。 DVDが現れて、監督はディレクターズカットの版権を手にしたそうで、 劇場公開版と一緒に2枚組のDVDタイトルを販売することで溜飲を下げているそうだ。 日本の映画やテレビも新作だけでなく、 古い邦画や番組のDVDタイトルを次々と発売している。 ビデオテープに比べればコストは安い。 利益の程は知らないが、続々と出ている。
 さて、そろそろテープはお払い箱になりそうなので、 小津安二郎の『東京物語』なんかを買っておこうと思って、昨日は久々にCDショップに足を運んだ。 松竹ホームビデオは三千円台だから、DVDよりも安いだろう。 ところが、行ってガックリ。 あった筈の松竹ホームビデオのテープはすっかり消え失せてた。 2年前には確かにあったのを覚えているが、去年はどうだか知らない。 店には音楽DVDがワゴンに山積みされていた。 輸入盤サイモン&ガーファンクルのセントラルパーク・コンサートが千五百円程度。 これって、CDよりも安くない。
'05年02月28日

H2A打ち上げ成功

 H2Aロケット7号機の打ち上げは成功してよかった。 何だかマスコミは余り嬉しそうではないので代わりに慶する。 打ち上げの40分後には予定通り衛星を楕円軌道に投入した様で、 漸く日本に自前の気象衛星が戻って来た。
 気象庁はこれまで寿命を超えた「ひまわり5号」を運用し、2年前からは米国の ポンコツ衛星「ゴーズ9号」による観測でさぞや苦労しただろう。 確かに天気予報はよく外れたし、台風の位置も正確に知ることが出来なかった。 気象庁はホームページで喜びを素直に表明している。
 最近のロケット打ち上げでは 1994年、1998年、1999年、2002年に2003年11月と続けて失敗した。 その間に成功したのは2001年と2003年3月の2回だけである。 そして今回の成功である。 なのにマスコミは冷淡で、当然だと言いたげである。 7号機は120億円と割高で、衛星と合わせた製造費は283億円と云っているのは、 失敗したときの文句でも考えていたのだろう。 何を云いだすか分かったものではない。
 米国やロシアのロケット打ち上げの成功率は9割を超える。 しかしこれらの国とは分母が違う。 日本がこれまで打ち上げたロケットの数は14回。 それに対して米国は328回、ロシアは306回である。 中国だって82回もロケットを打ち上げている。 通常ロケットは失敗を含む十数回の打ち上げを経て、 失敗に学びながら完成品に近づくと云う。 どこの国も辿った道をいま進んでいるのであって、 そうやって自前の技術を完成させるものだろう。 はじめから成果だけを要求し結果だけでものを云われても困るし、無責任で図々しくはないか。
'05年02月27日

ダイヤルアップ接続

 今週は月曜からADSLのモデムが使えず、ダイヤルアップで接続していた。 ナローバンド環境に戻っても、閲覧するのはブログなどのテキストベースのサイトばかりだから 余り困らない。 と思っていたら、ウィルス対策ソフトのファイルのアップデートが大変なのに閉口した。 いつもの習慣で最初に実行すると、なんだこりゃ。 20分近く掛かってしまう。 今までは進行状況を青い目盛りで示すプログレス・バーはあっという間に進んでいたのに、 ダイヤルアップだと何とも遅くてじれったい。 それで今週はほとんどネットに接続しないでいたが、 今日漸く環境が復旧した。
 毎日訪れるサイトはほぼ固定されている。 数日分たまったページを閲覧し、一度に大量の文章を読んだら、 けっこう疲れるな。 さらに、日頃ご無沙汰しているページなどを見てみたら、 永らくお休みだったサイトなどが更新されている。 先日現役を引退した、女流棋士の高橋和(やまと)さんのブログが復活している。
 ネットをやるようになって、かれこれ10年以上。 一番変わったのは、文章を読む速度が速くなった。 いや、それもあるだろうけれど、 斜め読みして読む必要のあるものとそうでないのを瞬時に選別する癖が付いた。 兎に角、ぱっと見て判断するようになった。 同時に、あれっ、あの話はどこで読んだっけ。 と、云うようなことも多くなった。 ソースを失念する。 新聞で知ったのか、それともネットで得た知識だったのか曖昧になることがある。 これって良いのか悪いのか。
'05年02月26日

うつつにぞ見る

 内田百閒の『うつつにぞ見る』(ちくま文庫)は人物論の集成で、 吉田茂、徳川夢声、菊池寛などと、 今では歴史上の人物が登場する。 歌舞伎の先代吉右衛門の思い出、知る人ぞ知る風船画伯こと谷中安規(やすのり)、 横須賀の海軍機関学校の同僚教官だった豊島与志雄や 三代目小(こ)さんの人物肖像には味わい深いものがある。
 小(こ)さんは夏目漱石が贔屓にした落語家で、 『三四郎』の中に、 「小さんは天才である。あんな芸術家はめったに出るものじゃない。 いつでも聞けると思うから安っぽい感じがして、はなはだ気の毒だ。 じつは彼と時を同じゅうして生きている我々はたいへんなしあわせである 。今から少しまえに生まれても小さんは聞けない。少しおくれても同様だ」と、 与次郎が小さん論をやっている。
 意外な歴史上の人物も登場する。 「四谷左門町」には漱石門下の高弟、鈴木三重吉の酒癖の悪さ、毒舌振りを描いている。 ある晩、百閒は酔った三重吉に毒舌を浴びせられる。 「三重吉さんは私より大分歳の違う先輩ではあり、ふだんから尊敬しているので、 何か云われても口答えをしたり、言い返したりはしなかったが、 しかし余りしつこいので段段に腹が立って来た」。 堪えかねて、黙って立ち上がりそのまま外へ出てしまい、 下駄を履くのも忘れて家に帰った。 帰ってもまだ胸中の不快がおさまらなかった。 人を悪く云う事にかけては三重吉は何の遠慮もない。 しかし文章の事になると親切で、むしろ礼儀正しかった。 「親切であったが憎らしいおやじで、憎らしかったが親切であった」。
 後年、百閒が陸軍教授であった当時、教育総監の秋山好古(よしふる)大将が陸軍士官学校に 特命検閲使としてやって来て訓示した。 その終わりに、皆の者は引き取っていい。 「校長二人ハ残レ」と云った。 あの『坂の上の雲』の主人公、秋山兄弟の兄の方である。 ここには、司馬遼太郎とはまた違った人物描写がある。 「秋山大将は頬(ほお)の皺(しわ)のひだが深く、 意地の悪い顔をしている所が三重吉さんそっくりであった。 初めに見た時、よく似ているなあと思ったが、 校長二人ハ残レと云った威張り方も、 三重吉さんにお酒が廻った時の調子に似ていた」と、百閒は書いている。
'05年02月23日

戦前育ちの女性たち

 関川夏央さんのエッセイ集『昭和時代回想』を読んだときに、 長谷川町子の『サザエさん』一家は実はみんな女なのである、と書いてあって唸ったのを覚えている。 以下、「戦前育ちの女性たち」からダイジェストする。
 長谷川町子は、育ちのいい、明るい人だった。 バランスのとれた常識人だった。 同時に、短気というかあわてものであり、出たとこ勝負で、 なるようになるさと考える楽天性も持ち合わせていた。 こういった性格は、長谷川家の人びとが共有したものだといえた。
 町子の父は薩摩人で、三菱炭坑の技師から独立してワイヤーロープの仕事をしていた。 ハンサムでかんしゃく持ちで貧乏ゆすりのクセがあり、非常な子煩悩な人だったが、 因果にも娘たちは、ハンサムは似ず短気の方を受け継いだ。 その父は町子が十三歳の時に亡くなっている。 母はしばらく泣き暮らしたあげくガバと跳ね起きて荷造りをはじめた。 そして、三人の娘を連れ、 なんと駅頭百三十余名の親類知人の賛美歌の合唱に送られて福岡から上京した。
 長谷川町子は生涯独身でとおした。 姉も妹も新聞記者と結婚した。 しかし姉の場合は出征前のただ一週間の花嫁で、夫はインパールからついに帰れなかった。 妹の相手も三十五歳の若さで病死した。 残された妹と、町子の姪にあたるふたりの娘も共に住んで、 女だけの家族六人の暮らしがつづいた。
 関川さんは、イソノ家フグタ家を合わせた『サザエさん』の一族七人は、 長谷川家の母と三人の娘たち、姪も含めた六人の反映であり分身だと見る。 これはよく分かる。 さらに、『サザエさん』に戦後民主主義の家庭像を見ないと云う。 「むしろ戦前の理想的な中流家庭を、(中略) 社交的行動的な家長たる母親にひきいられた家族の、 モラルと明るさを見るのである」。
 そしてその家庭像は、どこか向田邦子のそれと共通していると。 それは、 「戦後教育でひたすら暗黒とのみ教えられた戦前という時代の、 思いのほかの色彩の豊かさであり、母親が子供たちの筆箱の鉛筆を削る音だけがかすかに聞こえるような、 夜の静けさである。 それから戦前の中流家庭にあった、しつけと秩序とが描く鮮やかな輪郭である。
 かんしゃく持ちの、しかし娘に愛された父と、信仰篤(あつ)く果断な母、彼らを家長とする家庭、 いずれも日本社会が失って久しく、二度とは得られないものなのである。
 戦前のモラルで家庭と社会をかきつづけることがもはやできないと感じたとき、 長谷川町子は引退した」。
 長谷川町子は92年に亡くなった。 その訃はひと月ほど遅れて公表されたのを今も記憶している。
'05年02月20日

広報

 いつだったか忘れたがASAHIネットでもブログ(blog)サービスを始めると聞いて、 暫く様子を見ていたら、いっこうに始まらない。 なあんだ冗談かと思っていると、どうやら本気らしい。 沙汰やみになったのではなく、開発が遅れに遅れているそうだ。 ASAHIネットの会長へちま主人のコラムによると、 ブログを待ち望んでいた会員たちは痺(しび)れを切らして他のネットに流れたと云う。 ホリエモンに完敗したのだそうだ。
 株式会社には広告部と広報部の2つがある。 どこが違うかと云うと、広告部はお金を出して宣伝するが 広報部はお金を出さないで宣伝をするところだそうだ。 するとホリエモンは広報の名手である。 去年いきなり勝手に現れてニュースになり、 ネットはやらないがテレビは見ているお婆さん達にまで知られるようになった。
 そして今度は、フジテレビを相手にニッポン放送株をめぐって敵対的M&A(合併・買収)である。 政財界のお爺さん達は気色ばんでいるけれど一応適法である。 フジサンケイグループの株式のねじれ、日本の株式市場の弱いところを衝いて来たのであって、 勉強不足である。 あはは。 ホリエモンとは馬の名前なんだってね。 それが転じて馬主の渾名になったのか。 ドラえもんの仲間かと思っていたが、 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で知った。


ウィキペディア(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/
'05年02月19日

スパイウェア

 ウィルス対策ソフトがこれまでに2、3度スパイウェアを見つけて駆除した。 はじめは面白がっていたが、そのうち勝手が悪いと思うようになった。 スパイウェアを検索する画面には、こう書いてある。 見つかったスパイウェアはコンピュータに害のないファイルである場合がほとんどです。 そりゃそうだろう。 スパイウェアは情報を盗むのが目的だから、コンピュータには害を与えるものでなく、 持ち主を困らせるのである。 また、こうも書いている。一度駆除したスパイウェアを元に戻すことは出来ません。 ご自身の判断で行ってください、と。
 私はスパイウェアと判定されたものは、構わず駆除している。 中には、それによって動かなくなるソフトもある。 そう云うのを2、3知っている。 悪気があるのではなくマーケッティングが目的らしく、 それでスパイウェアにはグレーゾーンがあると云うが、 勝手に何かを送信されるのは迷惑する。 だから、その為にソフトが動かなければ、ソフト自体を外せばよいと思っている。 でもシステム自体がおかしくなるようでは困ると思う。
 原則見つかれば駆除する。 元に戻せなくて結構だけど、その過程が何だかブラックボックスなので少々気に入らない。 見つかったスパイウェアが、どういう名前のファイルで何処で見つかったのかを何も知ることが出来ない。 何処のフォルダ(ディレクトリ)であるかが分かれば、大概は状況をつかめる。 システム・フォルダで見つかるのと、ブラウザのキャッシュとでは全く違うのである。
'05年02月18日

サザエさんと株価と昭和の家族

 アニメの『サザエさん』は子供の時分よく見ていた。 はじめはカツオとワカメは私より年上だった。 やがてワカメを追い抜いて、更にカツオより年上になった。 カツオとワカメが年下になると、段々と年が離れていくにしたがってアニメの方はご無沙汰になった。
 タイトルは三題噺なので、早く2つ目を片付けて先へ進みたい。 大和総研のホームページにあるリサーチという欄のレポートを見ていたら、 「サザエさんの視聴率と株式市場の不思議な連動性」 と云うのがあった。 サザエさんの視聴率が高い時は株価が下落し、逆に視聴率が低い時は株価は上昇する傾向があると云う。
 日曜日に外出せず、サザエさんを見ながら夕食をとる世帯の増加は景気の悪さを示唆し、 視聴率の低下は好景気の表れだと見ているのだろう。 NY 株の上昇が翌日の東京市場 TOPIX と連動する傾向があるそうだが、サザエさんの視聴率 はこれを上回る強い連動性があると。
 サザエさんと云えばもうだいぶ前になるが、関川夏央さんが昭和時代を回想したエッセイに、 長谷川町子の『サザエさん』や『いじわるばあさん』には、 向田邦子の作品と共通したものがあると書いた本を思い出した。
 向田邦子は戦前の昭和の家族と生活をみごとに描き出した作家である。 それは、『父の詫び状』などにある保険会社員向田敏雄の一家の姿である。 没後20年以上経つのに、読者は増える一方である。 そう思われる。 これは本屋に行くとわかる。 文庫の書棚は生前より益々増えて華やかである。 増えたのはドラマの脚本を小説化しているからで、 正月にテレビでやってた「冬の運動会」もそのひとつで、 このまえ本屋で一寸(ちょっと)驚いた。
 向田邦子を読むと、なにやら懐かしさを感じる。 それは本当は知らない戦前の昭和の家庭であるが、 凛とした誇りとつつましさがある。 書いているうちに、サザエさんを置き去りにしてしまった。 長谷川町子と向田邦子の共通だけど、その本は家にあるはずだが今は見つからないので、 また改めて書こうと思う。

大和総研
http://www.dir.co.jp/index.html
'05年02月17日

砂書帖 ・ スパム

 ▼ 最近はウィルスメールよりもスパム(迷惑メール)に気を遣う。 メールソフトで、フィルタを掛けてスパムを見ずに即ゴミ箱に捨てる設定にしているが、 はじめから受け取らないようにしたい。 メール・サーバーで受信拒否の設定を時々いじって験している。 以前からのスパムは、ブロック出来るようになった。
 ウィルスメールの場合は受け取るメールにサイズ制限すると大概察しがつくし、 後はウィルス対策ソフト任せである。 それに対してスパムは、ブロックする条件の工夫の仕方で成果が決まる。 けっこう遊べるのだ。 ただしASAHIネットは、スパムブロック設定のマニュアルがない。 前にも書いた気がするけれど、IT企業は言葉(意志)の伝達が下手なので仕方がない。 と、思っていたら、ホリエモン言うことが上手い。言い分は分かる。 フジテレビの会長とは好対照。

 ▼ 先日の新聞の記事では、米シマンテックの調査を引いて、 米国では企業が受け取る迷惑メールは全体の6-7割に当たるそうで、 それを受信するための無駄な浪費は全世界で年間200億ドルだと云う。 困ったもんだよね。

 ▼ 以前からのスパムは取り敢えずブロック出来るようになった。 変わって新手がやって来るようになった。 Hot Mail などのフリーメールからが多い。 これが手強くて、ブロックする条件はなかなか難しい。 ASAHIネットの「ふらりアサカフェ」(誰でも閲覧できる)では、 差出人のドメインが「@yahoo.co.jp」だったらプロックすると云う話で盛り上がっていた。 はじめ乱暴だなぁと思ったが、この方が早い。 それで、「@hotmail.com」など無料メールは受信拒否にした。
'05年02月16日

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