Last Up Date 2001.02.01          

日記を物語る 2001年01月INDEXホームに戻る


01月30日(火曜日)  

二月上旬に集中して行う、放送大学東京第二学習センターの「平安朝文学の世界」のためのテキストを作りに行きました。ちょっとした手違いで秋の講義が飛んだため(責任者が平謝りの m<<>>>m )、しばらくぶりに教務部をたずねると定期テスト中ということもあってか、職員の方が全員女性に代わっていました。秋の定期異動かな。『源氏物語』本文は角川の教科書の抜粋、他にも参考資料は『源氏物語』のページ 文藻録 などに掲載したものを中心に29ページ。しばらく人前で話すこともないから、完璧な講義を一回でもできるように挑戦して見たいと思います。(もちろん、今まで手を抜いていたというわけではなく、あれを言い忘れた。ここを強調すればよかった、などという後悔がないようにしたいという意味です。念のため)

01月31日(水曜日)  

本日締め切りの青短のレポート、さらに掲載の許可を頂戴できました。「柏木」巻の注釈書の差異まで丁寧に調べてくれたものです。岡部隆志さんらと始めたリンクフリーの会の岡部さんの発表題目が決まりました。


01月01日(火曜日)  

あけましておめでとうございます。今年一年が充実した日々になりますようにお祈り申し上げます。 m(+~+)m 。

古琴の六絃目が緩んでしまい悪戦苦闘。なにせ、パーツをすぐに取り替えることの出来ないものだけに慎重に絞り込みます。おかげで調絃は上手になりました。正月スタートの「和漢比較文学会ホームページ」をリンクに加えました。

01月02日(火曜日)  

東京箱根間往復関東大学駅伝競走をテレビ観戦。風邪の発熱をおして強行出場の東海大学は途中棄権というアクシデント。指導者の判断ミスだとも言えますが、これを目指してきた選手の心情、支えてきた裏方さんなどの周囲の期待などを考えると、監督、コーチの苦衷もわかるような気がします。来年の予選会に期待しましょう。私的には(「わたしてきには」と読む。流行言葉で勝負だぁ!?)初出場の國學院と新監督を迎えた母校を応援しました。

01月03日(水曜日)  

今日も駅伝観戦。最終10区で脱水症状を起こした山梨学院の選手に、側道で同窓の控え選手達が声をかけながら併走する姿に感動しました。それでもシード権は獲得し、監督のコメントは「放蕩息子が貯金を使い果たした。来年はこの貯金をもっと大きなものにしたい」。コメントもこれを読む側への配慮が欲しいものです。さて、母校は区間新ふたつで復路は二位。勢いに乗ると爆発的な破壊力がありますが、崩れると際限がないというのはスクールカラーかもしれませんね。その他詳細はこちらの箱根駅伝データベースでどうぞ。

01月04日(木曜日)  

朝雪が舞い、夕方は四時過ぎに冷え込み始める。そんななか、NHK長野ローカルで、昭和46(1971)03月28日放送の「新日本紀行−飯山秋山郷」を見ることができました。雪に閉ざされ、冬場はほとんどの人が失業保険で暮らし、熊狩りを日課とする生活。職安で得た失業保険(多い人で三万円くらい)の大半を費やしてお嬢さんのランドセルとかわいい服を買ってあげた鬚面の浅黒いお父さんに父も目を潤ませていました。なぜなら、分校の先生と雪遊びにはしゃぐ、りんご頬っぺの明るい子供たちは僕たち兄弟 (1966頃)と同世代だからでしょう。今は一年中仕事のある豊かな環境が整備されているはずですが。父によると、いまだに戸隠経由の観光客が収入の多くを占めているという。まだまだこういうところもあるのですね。

01月05日(金曜日)  

信濃毎日新聞・田中知事24時の01月04日付に、僕の母方の親戚の切り絵作家が後援会長を務めた縁で、個展のレセプションで挨拶していたことを知る。千曲川に架かる橋には、ことごとく彼女の切り絵を彫刻化した作品が見られます。柳沢京子の世界 千曲川有情 を御覧下さい。この田中知事、2002年に開学予定の新設の私立大学への県の建設補助金は、「全国の地方の大学がバタバタ潰れている中、きちんとした計画の示せない大学の経営計画では見直さざるを得ない」という考え方のようです。これは前知事の鶴の一声で推進されていた、最後のハコもの行政企画のひとつなのでした。

帰宅すると、畑有三先生から書簡を頂戴していました。例の日本文学協会大会で、先生自用の「共同著述の執筆者および編者の、モラルと責任について」(「専修国文」62.1998.01.25)を頂戴したお礼に加えて、日本文学協会委員会欠席に際して付した「委員選考」に関する三点の提案に対しての御返事でした。加えて、同論文の中の、「『私信』の引用は如何なものか」という僕の疑問符と、日本近代文学会の現・代表理事でもある先生に、「指導的立場で(学会を)御指導頂きたい」というお願いに対するものです。先生、先の運営委員会決定(畑提案の修正動議全文削除)を、「非道である」と綴られ、「自立している一人の人間」の「『私信』であろうと公開は是」であると考えておられるようです。自分に都合の良い人ばかりで組織を構成しようとするのは人間の習性ですが、、、。彼にはまったく何の益もない、孤独な戦い。日本文学協会の官僚的前例踏襲主義を批判する姿勢にはすくなからず共鳴しているところもあると記しておきましょう。末尾に「逃げも隠れもいたしません」と書かれた畑先生、近日、田近新委員長に面会するそうです。

01月06日(土曜日)  

新年度第一回の古典に親しむ会。先月出たばかりの浮舟論を概説して、「朝顔」の巻をちょっと読む。後の時間は恒例の新年会お茶会。約束の琴は絃の関係で不満足な出来だったので、来年での精進を約束する。みなさん喜んで写真を撮ったりしていました。たしなみの深い会員の皆さんが多いので、お抹茶が出される。茶碗を運び込むのにも御苦労があるのだろうと思われます。僕には弘前藩お抱えのお茶の先生伝来の碗を回してくださいました。いつもありがとうございます。

例の、イン博の京都府バージョン、インターネット博覧会 京都府 源氏物語パビリオンをリンクしました。 ショートストーリーは吉海直人氏の執筆にかかります。ただし、エクスプローラのサイズに異変が起こる場合があります。あしからず。苦情はイン博へ。

01月07日(日曜日)  

しんしんと冷え込み始めた夕方、スポーツクラブへ水泳に行きました。帰り際には雪がちらつき始め、車は減速。夜は、琴の稽古。ふだんは絃を押さえるだけの左手を、薬指で絃を押さえつつ、親指で弾くという特殊な奏法を繰り返し練習しました。外は白い雪の夜。。。。

01月08日(月曜日)  

東京国際フォーラム。今日の夜は二十年前の少年 に戻りました。かぐや姫ベストドリーミンコンサートのファィナルステージでした。サブタイトルは「20世紀最後のアンコール」。僕の世代は、ラジオの深夜放送が、都会への扉を開いてくれる唯一のメディアでした。石原千秋さんの『教養としての大学受験国語』(ちくま新書.2000)にも、アリスのチンペイ(谷村新司)の番組を聴きながら受験勉強をしていたことが記されています(211〜2頁)。しかも、チンペイが関西の桃山学院大学(通称、ピン大)出身で、東京の大学に疎く、二松学舎大学を知らず、「にまつがくしゃだいがく?ふざけて書いたんでしょうねぇ」と喋り、曲の後、平謝りだったくだりを読んだ時、のけぞって笑ってしまったことを思い出します(それと、前にも書きましたが、同書60頁に出てくる、日本美術史の上原和先生は僕の父ではありません。よく間違えられるのでもういちど念のため)。こうせつさんがアカペラで「オールナイトニッポン」のオープニングを唄ってくれたときには、すっかり僕は中学生。僕の隣に座った、たいへん美しいお姉さま二人組(直隣のひとはほんとうに伊藤蘭ちゃんみたいな雰囲気(年格好も)だったので、「キャンデーズ2001」と勝手に命名しとこう)は、なぜか僕を完全に年下の男の子扱いで、「ちょっとバック見ていてくれる?」とか「この曲の時いくつだったの?」とか。中学の部活の先輩のことを思い出させてくれました。でもこのふたり、アンコールでは完全にミーハーに徹していました。僕の前列は日本クラウンの役員席と思しく、事前に配られた曲順表(こんなのふつう持っていませんよね〜〜)を、老眼鏡を持ち上げながら確認していたのを僕はしっかりチェックしました。二度目のアンコールを前に帰ってしまったので、席を飛び越えて(ゴメンちゃい)、特等席で月に帰ろうとするかぐや姫を見送る事が出来ました。雪の関係で帰りを急いだのですが、「マキシーのために」「神田川」「妹」の作詞家、喜多條 忠さんを目撃する事が出来ました。毎週、青山学院への道すがら、「青山にでっかいビルを建てて、おかしな連中集めて〜」のフレーズが脳裏を過ぎります。また、あの「神田川」については、学生時代、西早稲田界隈に詳しくなった思い出や、最近の面白いネタもありますが、長くなったのでまた後日。

01月09日(火曜日) 53000カウント 

渋谷で『うつほ物語』の会の一年間の打ち上げと新年会をしました。その昔、今はすっかり大家になられた、針本正行さん、渋谷榮一さん、林晃平さん、吉海直人さんら、当時の國學院の臼田甚五郎門下の院生のみなさんが、室伏信助先生に『伊勢物語拾穂抄』の勉強会の指導者として白羽の矢を立てたのがきっかけで、20年近く続いていることになります。読了後、テキストも『うつほ物語』に変わり、僕などが参加してからでも11年目になります。やはり國學院が箱根駅伝初出場の余韻が残っていました。この暮れの予選会突破に期待しましょう。

01月10日(水曜日)  

本日冬休み最終日。原稿整理など。車検が近づいた愛車は90000万キロを越え、昨年夏から故障続きでそろそろ限界。所沢にあるなじみの自動車工場の社長に、オークションの依頼をしに行きました。

01月11日(木曜日)  

快晴。東京成徳大学。「国語科教育法」は、「東京成徳の一千日」千字スピーチ。なかなか率直でいいですね。このクラスの諸君は、「成人式」でおかしなパーフーマンスをする若者達と同世代とはとても思えません。日本古典文学講読(中古)は『源氏物語』の浮舟論として「手習」「夢浮橋」を読み終える。琴を持参したので「ふるさと」「鳳求凰」「関山月」の三曲を弾いて見ました。筝の琴をやっているという、昨年の「教育法」を履修してくれた四年生が珍しそうに絃を弾いていました。やはり奏法はまったく違うでしょう?。

01月12日(金曜日)  

05日以来、学内セクト「革労協(革命労働者協議会)」排除のための、警官隊導入により厳戒体制下の明治大学へ。校門には装甲車と警官、入校には通行証が必要でした。中でも私服警官の方もいたようです。講義はもちろん予定通り。「論文演習」では、ことばは単純化されるものだという話を、「国語」では、秘蔵の三島由紀夫、原作、監督、脚本、主演の『憂国』を見てから『文化防衛論』をまとめました。ちと刺激が強すぎたかもしれません。帰りのエレベーターの中で「理解できない」「(「憂国」は)なんで奥さんまでいっしょに死ぬの?私だったら止めるよね〜」と言った感想が聴かれました。移動して青山学院。「文学史」は『源氏物語』の最終回。ここでもやはり浮舟の話。「演習」はまとめのレポート。なぜか来週にまで繰越す人が出ました。もう、本当に来週が最後ですよ。

01月13日(土曜日)  

二日働いただけで疲労が蓄積、通い始めて10年目のジムで水泳。そして、琴の稽古。

01月14日(日曜日)  

ひたすら琴の稽古。「ゆし按ず」る奏法も、「五、六の溌」も「輪の手」も、すべて『源氏物語』「若菜」下巻に出てきます。

01月15日(月曜日)  

清泉女子大学最終日。「日本古典演習」は後期の発表者が担当した現代語訳の要約、質問事項への解答、まとめを行うと言うもの。自分自身とても楽しい授業でした。履修したみなさんに感謝します。またいずれお会いしましょう。単位のことで、学務課や主任の先生と相談したりしたあと、小春日和の中庭を歩く。この美しい眺めもしばらく見納めです。ごきげんよう。

帰宅すると電話多数。現在刊行中のある注釈書の担当者に異動が生じたための後任の相談など。これは難しい側面があり、即答しかねる問題でした。狭い世界ですから、こんなことも時にはありますよね。

01月16日(火曜日)  

『うつほ物語』のページ 『松浦宮物語』のページの論文リストを更新しました。遺漏を御存知でしたら御一報下さい。

01月17日(水曜日)  

2000年度ラストスパートの中休み。ひっそりと何もせずに過ごす。活字中毒の僕にはたまにはよい休養でしょう。ただし、明日の試験問題は作りました。

01月18日(木曜日) 54000カウント   

快晴。東京成徳大学最終日。「国語科教育法」は、今日も「東京成徳の一千日」千字スピーチ。三人はバスケットボール部の創設メンバーで九部リーグから全勝しつづけ、五部リーグまで昇格したとのこと。立派です。この講義の充実感にふれる報告もあり、うれしくもあり、楽しくもある時間となりました。日本古典文学講読(中古)は試験。『源氏物語』についての愛はきちんと書けましたか?。

01月19日(金曜日)  

明治大学 最終日。「論文演習」は、レポートをメール送信できなかった二名のレポートを受け取り、彼らに標準的明大生の ?! 学生生活のあれこれを聞く。「国語」は試験。僕のページもかなりの人がチェックして臨んだようですね。廊下で試験内容を確認しているのを聴いていると情報交換もバッチリ。やっぱり、違いますなあ。。。快晴の空のもと、井の頭通りから表参道を抜けて、青山学院。「文学史」は後期物語と女性作家たちの話。そしていよいよクライマックス・「古典演習」はまとめのレポート二週目。柏木、女三の宮ときて、夢の浮橋巻の、浮舟が心の平安を獲得するくだりで幕。「人生の折々でも文学を忘れずに」という主旨のメッセージを伝えたつもりです。履修者の皆さんから、「先生、私たちこれが人生最後の授業ですから、いっしょに写真に映って下さい」とのことで、記念写真にも収まり 、何枚か撮ってあげました。夕方、卒業生が遊びに来てくれ、青学会館で話を聞く。日々充実しているようで、僕まで満足感に浸りながら帰宅しました。

01月20日(土曜日)  

ひさしぶりの白百合で『浜松中納言物語』の会。「桃花源記」『漢武帝内伝』の引用があるところ。やはりじっくり本文を読み込み、施注するのはたいへん基礎的なことではありながら重要なことであると実感しました。また昨年の九月に琴の話をした、日中比較文学研究会の、「懐風藻研究 07号」が完成したようです。御高架をお願いします。外はまたしても白い雪の夜。。。明日の琴の稽古はお休みの連絡が入りました。

01月21日(日曜日)  

昨日の雪は雨に変わり、積雪は僅か。琴の稽古。二週続けて右手人差し指の爪が割れてしまいました。結構頑張っているのかもしれません。昨年の今ごろ、先生が雪で転び、レッスンに苦労されていた事を思い出しました。大事をとって、レッスンは来週に。

01月22日(月曜日)  

ついに25日に車検を迎えるサニーとお別れすることになりました。今度はコルサ(オークションに出され、購入した実物)に乗り換える事にしました。愛車サニーは走行距離九万二千キロを越え、ここ五、六年の僕の喜びも悲しみも?!ともにしてきたくるまですから、名残惜しい気がします。母校で「懐風藻研究」を発送していたおふたりをこの車で送りました。

01月23日(火曜日)  

『元輔集』の注釈作業。文献操作の手続きはこの時間に優る修練の場は他にないでしょう。

01月24日(水曜日)  

採点をたくさんかかえているため、机には答案・レポートが山積みにもかかわらず、なにもせず、あれこれと本に目移り。まだ、採点提出までには余裕がありますので。

01月25日(木曜日)

もっとも底冷えを感じた一日でした。97年の07月から慣れ親しんだ愛車は、本日車検切れでいよいよお別れ。でもそぼ降る雨と手続きが完了するまでの代車が慣れない新車だったので、緊張して自動車工場を後にしたため、最後の勇姿を(最後はキズだらでしたが)目視もせずに帰って来てしまったのが心残りです。

01月26日(金曜日)  

明治大学に立ち寄り成績提出。12:40から青山学院女子短期大学で「文学史」の定期試験。終えると、あちこちで別れを惜しむ光景が見られました。「先生も研究頑張ってください」と声をかけてくれた人も。みなさん、お元気で。でもまた再履修でこの春からもお付き合いなんてことはないようにね。

01月27日(土曜日)  

大雪で交通機関大混乱の中、日大文理学部で 物語研究会。開催日程の情報が錯綜し、天候悪化の条件下、24.5名の出席者があったことに驚きました。物語は研究者を惹きつける力を持っているということに。発表を聞いていると、僕自身、自明のこととして使用している学術用語の流通圏が、実はこの狭いサークル内でしか通用しないことばで語ったり、書いたりして来たのではないか?と思い至りました。今後、ことばひとつひとつを再検討する必要性を感じました。

01月28日(日曜日) 55000カウント  

大雪のため、早朝から日程調整やらなにやらの電話多数。阿佐ヶ谷にある余明先生のスタジオへ車を出すのは危険なので午後に延期していただく。なにしろ、今は車を買い替えのための諸手続きなどがあって、代車(しかも新車のピカピカの)を借りているので、キズだけは絶対に避けなければならないから。ところで、余明先生は琵琶演奏による「宮沢賢治の世界」なるCDを発売され、それを記念して、文京区シビックセンターで、02月12日・月曜日にCD発売記念のコンサートを開かれます。興味のある方は、ご一報下さい。琴は、またまた左手の指のさらなる複合的な手法を学ぶ。頭でわかっていても手が付いて行かないのが辛いところです。

01月29日(月曜日)  

整備点検と諸手続きを終えたコルサ(写真は22日参照)を取りに行きました。かつての愛車サニーにも別れを告げることができました。

青短の最後の授業でとった写真(18日参照)を頂戴し、レポートとともにあわせて掲載も承諾してもらったので、これもアップしておきました。一年のあゆみを振り返って見て下さい。


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