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結婚について

永井  梨加 

光源氏は困難な恋や、支障の多い恋、危険を伴う様な恋をする傾向があるようだ。それはどうやら源氏はこのような恋に情熱をそそられる面倒な嗜好をもっていったからのようだ。源氏の困った恋愛の性質を具体的にあげてみると例えば、父の最愛の妃であり自分にとって継母にあたる藤壺への恋や、頑固に自分を拒み通そうとする空蝉を諦めない恋や、六条院御息所が気位高く近寄りがたい時必死になって情熱をかきたててついに手に入れ、御息所の方が愛したかと思うと冷めてしまうなどといったものがあげられる。これらの源氏の困った恋愛性質の要因の一つとして源氏が正妻である葵上を好きになれなかったことがあげられる。

源氏が元服と同時に天下り的に父帝と左大臣の間で取り決められ、源氏自身の意向など全く無視してすすめられ一二歳の源氏は何の努力もしないでよかったというのが源氏と葵上との結婚のいきさつである。葵上は本来なら生まれて時から当然宮中に上がりやがては中宮、皇后へと進む運命を背負っていたはずであった。当時の風習として、左大臣の様な最高級の貴族の家では女の子が生まれると、娘になるのを待ちかねて入内させ、その子の産んだ皇子を即位させ自分が外戚として権力を得る事が最も確実な地位の足固めであった。左大臣は東宮の母弘徴殿女御が右大臣家の出でありながら、生母の地位の低い事を案じた桐壺帝のはからいから、臣下に下され、源氏姓をたまわった光源氏に葵上をめあわせたのである。

「源氏物語」の主人公となる最上流貴族達の新婚生活は妻方が提供した邸宅に夫が通い住むといったかたちでスタートする。夫の生活は当然妻の実家が世話をしていた。例えば、源氏は母から譲られた二条院に住みながら葵上の住む左大臣家(二条宮)に通い、そこで新婚生活を送っている。また、葵上の兄頭中将は右大臣家の君に通う身であるが、三条宮の自分の部屋に戻りがちであった。ただし天皇または皇太子との結婚の場合だけは女側が実家を離れ宮中に入内し帝にお仕えするという「宮仕え」という形式をとっていた。皇紀たちは昼は帝のご訪問を待ち、夜は帝のお召しにお応えして帝のもと参上するのである。

このように「源氏物語」の時代と現代とを比較してみると、結婚形式や結婚生活はかなり異なった形式をとっていたことが理解できる。夫の生活を当然のように妻の実家が世話をするということは、妻側の立場から考えてみると経済的にも大きな負担になっていたことだろう。つまり結婚する人の身分によると思うが、娘の正式な結婚イコールそれに見合うだけの財力、権力ということだったのだろう。しかも夫は通い住むといったかたちをとっているため、好きな男を待つ女の立場からすればなんとももどかしいものである。結婚だけをかんがえてみても当時は男性中心の世の中であったことがうかがえる。

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