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古典演習 履修要項・レポート作成マニュアル

―女房・乳母について―                     山口かおり

・はじめに

『源氏物語』にはたくさんの人物が登場しますが、そのなかでも女房や乳母などの従者達はその個人の描写の少なさとは裏腹に物語の鍵を握るキーパーソンである事が多かったようです。

と、いうわけで、ここでは『源氏物語』が物語として成立していく上で、陰から物語を支える役割を担った存在であった「端役の人々」について調べてみました。そのなかでも、物語を動かした、影響力を持った人たちについてみてみることにします。
(注:ここであつかうのは、おもに、主人が女君(=姫)である女房や乳母、それに準ずる人々にします。)

・姫君に仕える人達

まず、ここであげる女房、乳母、乳母子について簡単にどのようなものであるかということについて触れておきます。

 最初に「女房」という人たちについてです。この言葉は広義ですが、ここでは『内裏・院宮および大臣家など、貴人に仕える女性のうちの上級者』であるとします。

 「乳母」は身分のある人の子女に乳を授け、養育する役目の侍女のことを指します。(しかし『源氏物語』内ではこのように生まれたばかりの貴人の子女に乳を授けるだけの役割のみを負った乳母は物語が進行している時間内には登場していません。)子供が成長しても乳母の地位は変わる事がなく、乳母とその養君は親密な関係を保ち、乳母の夫や乳母子もまた忠実な関係にありました。乳母は『源氏物語』内には登場する人数も多く、登場する貴人のほとんどに少なくとも一人以上の乳母が配されており、またその人たちが物語におよぼす影響はとても大きいものであり、その乳母たちに一生を左右される場合も往々にしてありました。

 「乳母子」乳母子とは読んで字のごとく、乳母の子供のことを指します。乳母が使えている養君と年齢が近い場合が多いが、必ずしも一緒に乳を飲んだ間柄ではない場合もあるようで、大分年齢が離れている、という例もしばしばありました。乳母とともに乳母が仕える養君に仕え、そしてまた乳母子が養君と親密な関係にあったことは、『源氏物語』にも多く描写があります。乳母子として『源氏物語』に多く登場したのは、六条院の正妻女三宮の乳母子である小侍従や、その女三宮と密通してしまった柏木の乳母子である弁の君などがあげられます。

・『源氏物語』で物語を動かした人々

 さて、では実際『源氏物語』本文中で、このような人々はどのような活躍をしているのでしょうか。『源氏物語』は登場人物のほとんどがやんごとなき身分の人々なので、そのほとんどに例外なく女房や乳母が仕えており、物語が無事進めばたどるであろう当初の予定から大きく外れるような大きな事件が起きる時、そこには何かしらの形でこの端役の人々が関わっています。『源氏物語』の中でも特に大きな事件として有名な藤壺の宮と源氏の君の密通、その因果応報として起きたともいわれる女三宮と柏木の密通、それぞれどちらにも藤壺の宮には王命婦、女三宮には小侍従といった人たちがかかわっています。

『源氏物語』のなかで起きた事件とそれに関わってきた端役の人たち

●藤壺の宮と源氏の密通事件・・・王命婦

 →王命婦は藤壺の宮付きの侍女である。源氏を藤壺のもとへと導き二人を結びつけた人物である。『源氏物語』内では、この二人の密通のことを知っているのは、のちに冷泉帝に真実のことを奏上する夜居の僧を除けば、(夜居の僧は実際に事件を知っていたわけではないのでここでは除外する。)藤壺の近くに使えていた彼女のみなのである。こうした主の信頼を得ている女房達は主人に不測の事態が起きた時に迅速に処理し、公になることを避けねばならないようなことが起きてしまった場合、その秘密を保持し、広がるようなことが起きないようにしなければならない。そういう点でその女房たちの新の力量が問われるのであり、その対応によって主人である姫君たちの一生を変えてしまうことにもなりうる。

●玉鬘の結婚問題・・・弁のおもと

 →弁のおもとは玉鬘付きの女房で、玉鬘の婿探しの折に髭黒に頼まれ玉鬘の寝所に彼を手引きしてしまう。源氏は玉鬘を冷泉帝のもとに尚侍として出仕させるつもりでいたのだが、このことによって玉鬘は髭黒邸に引き取られ当初の計画は源氏や玉鬘本人の思惑からも大きくずれる。このことは女房の判断が、時としてその家の主や、当人である姫君たちよりも強い影響力を持っていることの証明にもなる。

●女三宮密通事件・・・小侍従、弁の君

 →小侍従は女三宮の乳母子、弁の君は『源氏物語』正編には登場しないが、柏木の乳母子である。柏木は(おそらく弁の君を通じて)小侍従から女三宮の情報を手に入れていた。乳母達のネットワークは強固であることの現れであろう。そして、話は、小侍従の手引きによって柏木は女三宮の寝所に忍び込み、密通が成立してしまい、女三宮は不義の子である薫を身ごもってしまうという最悪の方向に流れていく。ここで乳母子である彼女たち(特に小侍従)はこの事件が公になるようなことは避けなければならなかった。しかし、当事者である女三宮は大人の分別を持たない「いはけなき」姫であったし、小侍従もそのいはけない姫に密通が露見してしまうおそれのある文を簡単に預けてしまうなど配慮が足りなかったために、源氏にことの次第が露見してしまう。対応が違うだけで、藤壺の時とは全く違った結果を生むことになる。

さいごに

以上のように、名前の表記もあまり満足にされない彼女たちは、その扱いとは裏腹にこの物語を支える上で、どこを取っても重要な役割を担っていることが分かりました。

参考文献

『平安朝の乳母達−『源氏物語』の階梯−』 吉海直人著 世界思想社

『新・源氏物語必携』 秋山 虔編

『新編日本古典文学全集『源氏物語』』小学館

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