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古典演習 履修要項・レポート作成マニュアル

【アーサー・ウェイリーの英訳について】 石野美幸

★成立★   参考:武田孝 「アーサー・ウェイリーの源氏物語訳」

大正14(1925)年 第1巻がロンドンで刊行 タイトルは「The Tale of Genji」

昭和8(1933)年  第6巻で完成

ちなみに、与謝野晶子の『新訳源氏物語』全3巻は、1912年発行。

※第1巻 The Tale of Genji 第2巻 The Sacred Tree 第3巻 A Wreath of Cloud 第4巻 Blue Trousers 第5巻 The Lady of the boat 第6巻 The Bridge of Dreams

★評価★   参考:高杉一郎 「『源氏物語』の英訳」 吉田拡 「ウェイリーの英訳『源氏物語』について」 松永巌 「ウェィリーの文章について」武田孝 「アーサー・ウェイリーの源氏物語訳」

 第1巻刊行時は、英国でも売れ行きが悪かったが、英国文壇ブルームズベリー・グループの人達の共感を得たことや、ロンドン・タイムズ紙の文芸批評欄の賛辞などで、評価は高まり、原作の『源氏物語』や作者の紫式部を世界の人々に理解させた。

 欧米人は評価に好意的なものが少なくないが、英国のアイヴァン・モリス氏や、米国のドナルド・キーン氏などの発言に、鋭い指摘がある。また、新しい英訳に挑戦した米国のE.G.サイデンステッカー氏は、ウェイリー訳に対して、かなり厳しい批評を加えている。

 日本でも、第1巻が出た時、いち早く読んだ五十嵐力氏は、「ヱーリー氏の英訳源氏物語を読む」(昭和3年早大出版部刊『国語の愛護』収蔵)という論文の中で、ウェイリー訳を芸術的価値の豊かなものとして賞賛しながらも、不満な点を具体例で指摘している。

同じく、英訳第1巻が出版された直後にOxfordの客舎で、それを読んだという高木市之助氏も、

「最初、原文と対照することなしに通読して、よほど原文に近いと感じ、次に原文と対照して、今度はそうでもないと感じた。誤訳を拾いながら得た印象では、この種のあらが少々多すぎるように思う」(「源氏物語の英訳」 『国語と国文学』大正14年10月号) という意味のことを書いている。

しかし、正宗白鳥氏は、

「我ながら、不思議に堪へないのは、ウェーレー氏のThe Tale of Genjiが面白くって、紫式部の『源氏物語』が相変わらず左程面白く思われないことである。

 原文は簡潔とは言へ、頭をチョン斬って胴体ばかりがふらふらしてゐるやうな文章で読むに歯痒いのであるが、訳文はサクリサクリと歯切れがいい。糸のもつれのほぐされる快さがある。

 翻訳の侮り難いもので、死せるが如き原作を活返らせることもあるものだと私は感じた。」(『正宗白鳥全集』 第八巻) と、実に高い評価をしている.。

 ドイツのDr. Scharschmidtは、ウェイリーよりも早く英訳した末松謙澄氏の『源氏物語』をそのままドイツ語に重訳したものに手きびしい批評を加えた人物だが、 「Arthur Waleyの英訳には、日本の学者が非難するほど、けっして誤訳は多くない」(Ostasiatische Zeitschrift 1927) と弁護側にまわっていた。

現代の日本の研究者でも、

「Waleyは数々の誤訳を犯したかもしれないが、原作のもっている質の高い世界に匹敵する、別個の完結した文学的世界を築きあげることに成功したと思うのである。」(比較文学 高杉一郎氏)

「…日本に一度も足を踏み入れることなく、かつ日本の古典や風習に通じている日本人の助手もなしに、ただおびただしい文献の読破によってのみ、この大訳を成就したWaleyにとっては、誤訳の生じるのは無理もあるまい。

 しかし、だからと言ってWaleyのだけを読んで『源氏物語』はすばらしいというのは、笑止な話である。

 やはり、母国の作品は母国のことばで読まなくては、その味わいは、わかるものではないのである。」(吉田拡氏)

「『源氏物語』の敬語とその訳し方、という一つの視点だけに限定してみても、WaleyのThe Tale of Genjiに対しては、すぐれた訳業として、畏敬の念を抱かざるを得ない、というのが、私の感想でもあり、結論だといってもよいのである。」(武田孝氏) と、様々である。

★紫式部の扱われ方★

THE MODERN LIBLARY刊のThe Tale of Genjiの作者紹介

Lady Murasaki(Murasaki Shikibu)was born about A.D.978, and while the exact date of her death is unknown, it is presumed to have been between 1026and 1031. When her father, who belonged to a minor branch of the Fumiwara clan, became Governor of Echizen, he arranged to have his recently widowed daughter appointed a lady of the court to Empress Akiko. In his introduction to this volume Arthur Waley write: "It is generally assumed that The Tale of Genji was written during the three or at most four years which elapsed between the death of Murasaki's husband and her arrival at court …. It si more probable, I think that The Tale of Genji, having been begun in 1001, was carried on slowly after Murasaki's arrival at Court, during her holidays and in spare time at the Palace, and not completed till, say, 1015 or 1020. The middle and later parts certainly give the impression of having been written by someone of comparatively mature age…."

★英訳の特徴★   参考:武田孝 「アーサー・ウェイリーの源氏物語訳」

(A)加筆…原文にないことを付け加えている場合

 ウェイリーの英訳には『源氏物語』の原文にはない事柄が付加されている、という指摘が多い。 EX1)「女君の御乳母子、侍従とて、はやりかなる若人、…」<末摘花>の前半部分が、 There was among her ladies one called Jiju, the daughter of her old nurse.

 《末摘花の侍女たちの中に、彼女の老いた乳母の娘で、侍女と呼ばれる女性が居た。》 EX2)「十六日、桂川にて御祓へし給ふ。」<賢木> On the sixteenth day of the seventh month the virgin was purified in the Katsura River.

   《七月十六日、斎宮は桂川でお祓えをした。》

これらは、言わば、頭注や傍注に該当する説明を本文に組み入れたことになるようだ。(ただし、上の例の「七月」は「九月」が正しく、ここは、昔と今との季節の区分を混同したことによる誤解と考えられる。) そのような方法でも説明が足りなくて、ページごとに語句の注を付加した場合もある。 EX3)「近う馴れつかうまつるを、うれしきことにて、四五人ばかりぞ、つとさぶらひける。」<須磨> ……and the four or five retainers who habitually served him felt that the discomforts of exile were quite outweighed by the pleasure of waiting upon such a master.

《そして、源氏に常に仕えている四五人の従者たちは、このような主人に仕える喜びの方が、配流の生活による不快感よりも全くまさっているのを、感じた。》 などがあり、意訳の限界を越えている恣意的過ぎると責めたりする意見もある。

(B)省略…原文にある物事を訳出していない場合

 ウェイリーの『源氏物語』は、6部53巻から成り、<鈴虫>の巻の訳を全く省略している。他にも、<御法>の巻の一部などの大胆なカットが指摘されている。文や語句を削ったり無視したりした例は、少なくないが、省略と意訳、抄訳との境界には微妙な問題も存在する。 EX1)「人知れぬ思ひ出で笑ひもせられ、あはれとも、うちひとりごたるる、何事ぞ、など、あはつかにさし仰ぎ居たらんは、いかがは口惜しからぬ。」<帚木>

But the wife only says lightly 'What is the matter?' and shows no interest.

《しかし、妻は,ただちょっと、「どうしたのですか?」と言うだけで、興味も示さない。》 としていて、妻の姿態の具体性が消えているが、onlyの語で強調しながら要約して意訳した、とみることも出来る。 EX2)「君、『何心ありて、海の底まで深う思ひ入るらん。底のみるめも、ものむつかしう。』など、のたまひて、ただならず思したり。」<若菜>

The story made a deep impression upon Genji's imagination.

《その話は、源氏の想像力に強い影響を与えた。》

と訳しているだけである。ここは、縁語(「海の底―入る―海松布」)や掛詞(「深う」「入る」「みるめ」の各語)の修辞法を説明する煩わしさを避けて、一方の意味だけを生かしている例が多く、それらの中には、掛詞であることに気づかなかった場合もあるようだ。なお、和歌の訳し方については、内容の大体を散文的に紹介したり、時に韻文的にしたりする場合もあるが、無視して英訳を避けている傾向は、否定できない。

(C)誤訳…理解や訳し方を誤っている場合

 ウェイリーの英訳には、誤訳が多いという批判が多いが、「誤訳」と、なんとなく感じられる「ズレ」と、そして「意訳」との違いは微妙でる。しかし、明らかな誤りのものもある。 EX1)「愛宕(をたぎ)」<桐壺>→Atagi,「宮城野(みやぎの)」<桐壺> →Takagi moor《タカギの野》 前者は、常識的な読み方に従ったためであり、後者は、「宮」と「高」との字形の類似に基づく誤り。 EX2)「(ためらひて、ゐざり出で給へる、)月影に、いみじうをかしげに居給へり。」<須磨>という、文の後半が

The moonlight fell straight upon her face. He looked down at her tenderly.

《月の光が、真っすぐに彼女の顔に降り注いだ。源氏は、やさしく彼女を見下ろした。》 源氏に呼ばれて端の方へ出た紫の上が、月光を受けて美しい姿で座っている様子を描いているが、英訳では源氏が彼女を見下ろしている情景になっているのは、原文の「ゐ給へり」を「み給へり」と読み誤ったようだ。しかも、主格の人物まで取り違えている。 EX3)「須磨には、いとど心づくしの秋風に、<須磨> At Suma autumn had set in with a vengeance.

《須磨では、全く秋になってしまった。》

と訳されていている。ここでは、「いとど」(一層、の意)を単に程度を強める語と誤っており、続く「心づくし」(物思いをさせる、の意)の語も、強めの意味に誤解されたか、無視されたか、そのいずれかであるようだ。 EX4)「下簾」<葵>→curtain と訳されている。平安時代の作品を読むためには、これが「牛車の内側に垂らす絹の布で、その端を簾の下から出して外から見えるようにしたもの」だという知識が必要で、不備の部分が残ることを免れていない。

 英訳に誤りが生じた主な原因を整理してみると、

@ 日本や日本人に関する知識の不足…風土、気候、風物、思想、宗教や、日常生活は勿論、有職故実的な事物にも、多種多様な知識を必要としたはずであり、誤解が少なからず生じている。

A 内容に関する誤解…話の内容や、時間の前後、人物や人間関係の理解、などを誤ってとらえている場合がある。

B 語義に関する誤解…個々の語句について知識の不足もあるが、特に多義語や古今異義語に、解釈の誤りが目立つ。

C 文法・語法に関する誤解…構文・文脈(係り受け)や句読点に関する問題、主語や目的語の補足や取り違えの問題、を始め、敬語、補助動詞、(謙譲語「給ふ」など)、助動詞(「り・たり・らむ・なり・ぬ」など)や助詞(係り結び、など),その他、さまざまな問題があり、文語と口語との混合に基づく誤解も見られる。

 これらの他、翻訳上の誤りや支障を招きやすいものとしては、地の文と引用文、草子地、直接話法と間接話法、反語表現、修辞法(枕詞、擬人法)、擬声語・擬態語、等々、の場合があり、考察や工夫が必要だったと同時に、誤訳の落とし穴にもなったようだ。

※引用した原文「」は、『新潮日本古典集成』により、英訳の和訳《》は、武田氏の訳である。

★感想★

 英訳をしたアーサー・ウェイリー(Arthur Waley,1889-1966)が読んだ『源氏物語』の本文は、北村季吟の『湖月抄』の本だとみられている。他にも、本居宣長の『源氏物語玉の小櫛』なども参考にしたという。参考程度には現代語訳も見たとは思うが、それを元とせず、古語で書かれた文章は、現代語訳をするのでさえ容易ではないのだから、英訳するということは、(それも、彼にとって日本語は外国語であるから)想像できないほど大変なことであったに違いない。それを、感情表現豊かに、そして詩的に表現したというのだから感嘆するほかない。いろいろ非難されているが、現代語訳もままならない私には、勿論これを非難する資格もないし、そのつもりもない。それどころか、感服するばかりである。長編である『源氏物語』を、原文で読むだけでも大変なのに、翻訳しようと決心したのは、ウェイリー自身が、『源氏物語』の素晴らしさを知り、世界に伝えたいという意図があったのであろう。そして、今日では『源氏物語』は世界中に知れわたっており、2000年には2000円札の裏を『源氏物語絵巻』が飾るのであるから、より多くの人にふれることとなる。ここまで多く知れわたるとは、彼は思っていなかったであろう。しかし、きっかけを作ったのは、まぎれもなく彼であったと私は思う。

※ ウェイリー自身は、初版第2巻の前書きで英訳のために主に用いた底本は、博文館発行(大正3年?)の『源氏物語』だ、と言っているが、依拠本については未確認である。(武田氏)

★参考文献★

今井卓爾他編 源氏物語講座 第九巻『近代の享受と海外との交流』(勉誠堂) 1992年

古田拡他著 比較文学研究叢書4『源氏物語の英訳の研究』(教育出版センター)1980年

The Tale of Genji, Lady Murasaki, Translation by Arthur Waley (The modern library, New York) 1960

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