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WRITE IT LOUD!! ROLL OF ROCKS

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                        1996年10月11日開始

                                  火だるまG

第51回:1998年11月11日

IT WOULDN'T HAVE MADE ANY DIFFERENCE/TODD RUNDGREN/72 IN SOMETHING/ANYTHING?

覚えているかい?
僕が最後に言った言葉
「嘘をつくことを考えるくらいなら
僕は死んじまうほうがいい」
きっと君は思い出すだろうね
君が最後に電話で終わりを告げた時に
言った言葉を
「あんたのせいでどのくらい泣きを見たと思うの」
そして終わちゃったってわけさ

でも君が僕を愛していたのなら
何にも変わったことなんてなかった
どうして僕を愛しているなんて言えたんだろう?
本当に僕を愛していたのなら
何にも変わったことなんてなかったのに
けっきょく君は僕を愛していなかったのさ

なぜなら
僕は
通常
君が僕に差し出してくれたような
実に信用できない抱擁に身を任せることもできることは
わかっていた
だからそうした
君は言うだろうね
そんなことを僕は君に教えなかった
僕は頑固で
でも
僕はいつもきちんと君と一緒だったじゃぁないかと
そうさ
でも終わちゃったってわけさ

君は僕を信じるほどには
僕を愛さなかった
僕から別れられないほどには
僕を愛さなかった
僕といるとどうして不愉快なのか
そのこたえをきっちり見極めるほどには
僕を愛さなかった
そして
どうして僕は君と縁を持ってしまったんだろうと
そのことばかりを考えている
終わっちゃったっていうのに


 ダブルスタンダードという言葉がある。
 たとえば中東政策で、きれい事を言っているが、アメリカはパレスチナの人の命と、ユダヤの人の命を、同じ人間なのに明らかに同価値とはみなしていない。そこにはダブルスタンダードがある。
 そんな使われ方をする言葉がダブルスタンダードである。
 人の心の中と外の言葉の間に、ダブルスタンダードがはびこっていて見るに堪えない。
 僕は、一人称の言葉、人が独り言で使っている言葉にとても興味がある。
 僕は、その人の心の中で、この僕はどういう主語代名詞で呼ばれているのだろうか? とよく考える。
 別に、愛しき人とか、尊敬する兄貴、とか、気になるあいつ、とか、そんなイメージで他人の心象風景の中に居住したいとは思っていない。
 変態オヤジ、スケベ爺、カッコマン、口先男、げすの極み、何でもかまわない。
 ただし願い下げなのは、心の中と外をダブルスタンダードにする人。
 ある人間に対する、心の中の心象風景における応接と、現実における応接に齟齬がある人間のハビコリは、いくつかの理由で、人類にとって現在もっともゆゆしき問題の一つである。
 その理由は、それは必ず破綻するから。そしてその破綻は、言論ではなく、大概の場合、行動によって現れるからである。
人間は矛盾の固まりだと人は言うが、僕は人間は矛盾に堪えるほど強くないと思っている。思っていることは、言葉には出なくても、必ず行動に出る。
 どのようにゆゆしき問題かというと、
 1)真っ当な人間は、たとえそれがいつかは破綻するものだとわかっていても、人間の思考の自由は尊重するし、もちろん、言論の自由も尊重する、それに、人の心の深淵を覗く装置などこの世に存在しないのだから、どうしても、現実の言葉で他人と応接し、他人を判断する。だから自分のことを愛しているという人は、自分のことを愛しているのだろうと思い、喜ぶし、そして、それが虚偽だと知れば、虚しくてやりきれなくなるのである。誰にも、真っ当な人を、しらけさせる権利はない。真っ当な人も、だまされ続ければ、だんだん、無気力になり、果ては、もう人間なんかどうでもいいやという気分になる。人間同士のコミュニケーションからどんどんおりていく。かくして、どんどん真っ当な人が減少し、ダブルスタンダードばかりがはびこるようになる。
 2)人がどうしてダブルスタンダードに走るかというと、彼らは、愛されたいからだと言うだろうが、本当は、嫌われたくないからである。彼らは極端に嫌われることを恐れる。彼らには嫌われないことと愛されることの違いがわからない。思っていることを言うと必ず嫌われると彼らは考える。何故か知らないが彼らは自分は嫌われているという予感に満ちている。近親憎悪などという、まさに彼ら自身のことを端的に表現した言葉の意味も彼らにはわからない。ダブルスタンダードの人間がはびこる世界では、愛は好き嫌いのレベルまで矮小化される。
だいたいが愛とは無償の行為であり、たとえそれが嫌われたくないというレベルであっても、何かの見返りを求めて、愛をカガゲテはならないのだ。見返りを求める愛がこの世に蔓延すれば、心有る人間は愛に絶望し、どんどん愛から離れていく。かくして愛なき世界がこの世に展開されるのである。
 3)愛なき世界とはどういう世界かと言うと、それは、自由なき世界なのである。なぜなら、好き嫌い、愛憎、それらは、何か言われたから好きとか嫌いとか、愛するとか憎むとか、そんな単純な世界ではない。まさに矛盾に満ちた不思議な世界なのだ。予定調和を拒む不可侵の世界なのだ。そんな世界だからこそ人は愛を希求するのだ。
 ダブルスタンダードの人間がはびこると、人間が愛に到達するのが困難になる。嫌われようが憎まれようが愛するという、人間味に満ちた愛情の世界が遠くなり、人間は大きく自由を失う。そんな不自由なものが愛なら、愛なんていらないという人たちが出てくるのは当然である。
(日本映画に花束を/『迷い猫』に続く) 


僕のこの歌詞にスポットをあてる連載で、取り上げる曲の音楽面が最高に格好いいことは保証します。大音量で10回続けて聴いてみてください。きっと感じるものがあるでしょう。(この企画、文章、考え方などの著作権は一応存在するといっておきます)

 

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