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火だるまGのTHANK YOU REPORT


since 96.5.03

毎月3と9の日に僕のHEART AND SOULからお届けします。1カ月単位でバックナンバーに在庫していきます。

1997年10月3〜1997年10月29日

10月3日  『私は女』
  9日  ワカメ怒りの鉄槌
  13日  ふたりのチャーリー、もうひとりのダイアナ
19日  モハメッドのラジオ再聴
23日  半月の夜に街は溢れている
29日  おやすみベースボール

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メール歓迎

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3日(金曜日)

『私は女』

「人生いいことばかりではないことは知ってはいたけれどもね・・・・・・』
俺の前で、女の人が呟く。たしかに女の人、俺の義理の叔母だ。
彼女の息子、すなわち、俺の一歳年下のいとこが心臓で倒れ、俺のアパートのすぐ近くの大きな病院に入院したので、おばちゃんは福島から出てきた。おばちゃんと会うのは7年ぶりである。
昔からのことだが、お眼が悪いのにおばちゃんは眼鏡をかけないので、病棟の廊下で俺が一生懸命に手を振りながら近づいていっても、なかなか気づかなかった。近視なのに、格好悪いと思って眼鏡をかけない女の人は、俺は何人も知っているが、おばちゃんのはその逆で、眼鏡をかけることがカッコつけているみたいで嫌なのだという。もちろん本人曰くだけど、俺もきっとそうなんだろうと思う。
おじちゃん、すなわち、俺の母の兄貴が、彼女を見初めたのは、彼女がとても元気な女の人だったからと俺は聞いている。俺がまだ半ズボンをはいていたガキの頃、たまに会うおばちゃんは、デブとしか言い様のない、パンパンの風船のような体をしていた。
しかし、昨日、何気なく俺がさすったおばちゃんの背中はやせていた。
体育会系のおばちゃんの息子二人。兄は声楽、そして、弟は美術と、芸術の道に進んでしまった。そして、彼は倒れたのだ。
今度、初台にできる第二国立劇場での幕開けの和製オペラで下っ端頭みたいな役を担っていた彼は、30キロの甲冑を身につけての練習、それに、真夜中のマネージメント、連絡業務などの事務処理、そして、昼間の生活のための中高校での講師と、ここ1年ほぼ3時間睡眠だったという。
一昨日奴に会った時、おばちゃんはいなかったので、「俺はそれをわかる気がするが、おばちゃんの前ではそんな話はするなよ」と、俺はいった。
「いや、医師とのカウンセリングに、お袋も同席したから、みんな聞かれてしまった」と、彼は答えた。

「これでしばらくおばちゃんに会えるね。なんか病気にかこつけているみたいで申し訳はないのだけど、僕は今日おばちゃんに会うのが本当に楽しみだったんだよ」、俺がそういうと、おじちゃんが体調を崩して幾年。おばちゃんは、おじちゃんも心配だから、明日いったん福島に帰るという。

俺がまだ半ズボンを吐いていたガキの頃の夏休み、福島に泊まりにいったことがある。そして、かんかん照りの真っ昼間、飯坂温泉にいって川で泳いだ。おばちゃんはムームーみたいなワンピースを着て、日傘でもさせばいいのに、手拭いのほおっかむりで、俺ら3人のガキが溺れないか、小さな眼をかっぴらいて真剣に見はっていた。あの時はしっかり眼鏡をかけていた。
おやつは山ほど持ってきたとうもろこし。所々黒や茶色の粒もあって、時には全然甘くない奴もあったりする、今はもういなくなった種類のとうもろこしである。飲み物はやかんを川に浮かべて冷やしたカルピスだった。

思いきり遊んで、くたくたになって、たんぼ道みたいな道路を私鉄の駅に戻る時、電信柱に妙なポスターを見つけて、これはなんだろうと思った俺は、足を止めた。
上部に大きく『私は女』と書いてある。
映画のポスターらしかった。構図を説明すると、いっぱいに裸の女の人の臀部があり、おへそが見えていて、おへそから下が男の後頭部で隠れていたのです。
ずいぶん長い時間俺はそれを見つめていたような気がするが、別におばちゃんたちとはぐれたりはしなかったのだから、それはほんの一瞬だったのかも知れない。

おばちゃんと会うたびに、俺はくっきりとそのスェーデン映画(後で知ったのだが、『私は女』とう作品は、クンニリングスを売り物にした世界初のポルノ映画だったらしい)のポスターの構図を思い出すのだが、昨日もやはり思い出してしまった。

そんな俺に、おばちゃんは、「倫弘の見舞いに来てくれてありがとう。宏樹チャンは昔から本当に優しい」といいながら、何度も頭を下げた。


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9日(木曜日)

ワカメ怒りの鉄槌

土、日と早朝までアルバイトでコンピュータに向かい、月曜日帰宅して眼を閉じ目を開けると、早、午後2時、それでも睡眠5時間。そこから、別種のバイトで、松本清張大人の研究、資料読み、構想、執筆を終えると、早、午前2時。掃除も洗濯も買い出しもできなかった。ここしばらく外食続き。金はなくなるは、体重と血糖値は増えるは、これは飲まなきゃやってられないと街へ出る。と、いっても実は深夜12時に若い友だちに遊ぼうと誘われていたのだ。俺が深夜にしか遊ばない(遊べない?)人物だと知っていて、遊ぼうといってくれる人のお誘いをそうは断れない。この2週間で3回断ったけど。それでNVで7時まで飲む。込み入った話もあった。
睡眠5時間。起床1時。
冷蔵庫、空になって久しい。買い出しを兼ねてトンカツを食いに。俺は疲れるとトンカツしか受けつけない体になり、徐々に豚に先祖帰りしていくのだ。
あてにしていた、トンカツ屋、と、いってもいったこともない店。俺はトンカツ屋の開拓には身をパン粉にする覚悟ある人だが、主人急病のためしばし休業と、ゴロがあっているところが気にいらねぇ。しゃれじゃぁねぇのか? それで、旧知の平均点のトンカツ屋へ。
サントク(大手スーパー)でカレールー、ハナマサ(大手スーパー)で肉類(サラミ、ベーコン、豚こま、豚バラブロック、合い挽き、鳥レバー、鳥砂肝、牛カルビ)、丸正(大手スーパー)で野菜と魚の買いだめ。肉は約2カ月、魚は2週間、野菜は1週間でこれを消化する予定。それぞれそれぞれのスーパーが一番安い分野。主婦なみの経済観念だが、主婦はそんな買い物の前にトンカツを食わないだろう。
帰宅3時、4時には代々木上原でそん次のバイトの打ち合わせなので、肉と魚をラップでくるんで冷凍する作業の時間なし。あきらめてシャワーだけ浴びて新宿へ。まだ朝刊読み終えておらず、靖国通りを新聞を読みながら歩く。人が避けて歩くのは気のせいでじゃない。
打ち合わせから、走って店に着いて7時7分。7分の遅刻なれど、おっ! ラッキーセブンじゃんと喜ぶ。ちあきなおみ熱唱するところの『上海帰りのリル』をCDでくり返しにしておき、それをララバイにして寝る。客が来たら起こしてもらう作戦なれど、客10時まで現れず。途中でおしっこに起きると寝られなくなった。いよいよジジイだな。イヒヒヒヒ。
リルというのは、SWEET LITTLE SIXTEENなどといういう言い方で使われるLITTLEのことだと俺は思うけど、そう思いませんか?
10時くらいから、客ぱらぱら来始めて、しっかり、2時まで営業。通信簿でいえば、やはり、1だな、今日の営業成績は。
トンカツから先、マックの月見バーガーを一個食べただけなので、餓死寸前なれど、体重の増加傾向に無駄な抵抗をするために、本夜食は米を炊かずに、味噌汁だけで済ますことを決意。塩田屋(24時間営業のスーパー)でワカメを買って帰宅。深夜3時。
あぁ、ホームページ書かねばなぁと思いつつ、昼の残務の、肉類、魚類の冷凍保存用のラッピング。終了3時半。
さぁ、味噌汁作るぞ。じゃがいも、玉ねぎ、ゴボウを下拵え、火にかけたところで、ワカメを失念していることに気づく。ワカメを水洗い、ボールにて水に戻した後に、先発の味噌汁の具部隊と合流させる。
残りのワカメの袋をクリップで封じるため、端をくるくると巻こうとするが、全体の体積のバランスが悪く、うまくいかない。そこで袋の両端をもって、顔の前のあたりから思いきり下に振り下ろしたら、ワカメはすんげえ勢いで俺の金玉を直撃した。
俺は、しばしうずくまったが、やった、これでホームページ書けると思った。
そして、今、卵を落とした、美味しい味噌汁を飲みながら、俺はこの文章を書いている。俺に反逆した、ワカメは胃袋に入れてやった。明日糞になって出てきやがれっていうんだよ。お尻ぺんぺん、豚のけつ〜、あぁ、トンカツ喰いてぇなぁ。
さぁ、明日も忙しいけど、アメリカ大リーグのチャンピオンシップでも見よっと。といっているうちに、もう、朝の5時でやんの、さすがに今日は酒を飲みに行くのはあきらめよう。NVはまだまだやっているけれどね。


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13日(月曜日)

ふたりのチャーリー、もうひとりのダイアナ

アメリカプロ野球(MLB)、アメリカンリーグ・チャンピオンシップは日本時間12日現在、クリーブランド・インディアンズが2勝1敗でリードしているが、その第2戦でセンターバックスクリーンちょい右に飛び込んだマーキス・グリッソムの起死回生の逆転スリーランに呼応して、一早くベンチから飛び出してマーキスに抱きついた白髪の老人が、打撃コーチのチャーリー・マニュエルであることを、アナウンサーに指摘されるまで、僕は全然気がつかなかった。

1978年、彼がスワローズで39本のホームランを打った年は、ちょうど僕が大学に上がった年であるが、若気の至りというか、青春の気負いというか、大学と同時に英会話学校にも進んで、毎日3時間ずつ、英会話のお勉強をした年でもあった。
あの年には、「私の愛したホエールズ(現ベイスターズ)」見物の神宮のレフト外野席から、ずいぶん失礼なヤジをチャーリーさんに向かって飛ばしたものである。
「HEY, MAN,YOU HAVE A HOLE IN YOUR ASS」
「おっさん、けつに穴あいてんぞぉ!!」
「YOU TOO.KISS MY ASS」
「お前だって、あいてんじゃねぇか。ひっこんでろ」
そんな返答を陽気に返してくれたアンクル・チャーリーがこんなおじいちゃんになっちまうとは。チャーリー・マニュエル、53歳。現役時代には「赤鬼」というニックネームだったけど、現在は完璧な「白髪鬼」であります。

白髪のチャーリーといえば、ストーンズのミスターワッツ。こちらさんは60歳になろうかという、名実とものおじいちゃんなのだが、新作『BRIDGE TO BABYLON』の最終曲「HOW CAN I STOP」のエンディングのドラミングには驚愕させられた。
まるで始めてドラムを叩かせてもらったみたい小学生みたいな嬉しげな様子で、ただ、ズドン、ズドン、ズドン、ズドンという4ビート、そして、最後はハイハットをシンバルみたいに響かせて終了するというだけの演奏なのだが実に感動的なのである。滂沱とか至福とか、そんな言葉を思い起こさせる響き。眠りに落ちる間際に聴いたことのあるような、ないような、そんな、大いなるなにかの足音のような音。

こんな感じのドラムはどこかで聴いたことがあるぞと、客のいない、伽藍伽藍のロックバーで、あれでもないこれでもないと、LPをひっくり返していたら、それは、ダイアナ・ロスの80年代初頭のヒット曲「I'M COMING OUT」(最近パフダディがサンプリングしている)という曲のイントロの、最近逝去されたと風の噂で聞いた、元シック、及び、元パワーステーションのドラマー、トニー・トンプソンさんの、でいや〜っでいや〜っという声が聞こえてきそうなプレーでありました。
ジャケットはTシャツにジーンズという、ラフなスタイルのダイアナ・ロス。あぁ、今後しばらくはダイアナといったら、あのダイアナさんになるという事実をこのスーパースターはいかなる思いで見つめていることでありましょう。結構頭にきているんじゃねぇの。

てな、どうでもいいことを考えながら、耳を澄ましていると「A NEW ME COME OUT AND I GOT THE WORLD TO KNOW ALL MY ABILITY THAT IS SO MUCH MORE TO ME」という歌詞がひっかかりました。この歌あたりが、明日の自分、まだ見ぬ自分、潜在能力としての自分に対する、根拠レスな自信の意図的で過剰な肯定で、ダメな客を喜ばしてレコードを売り込むという、資本主義文化産業成熟の結果の気持ちの悪いなにかが始まったハシリかもしらんなぁと、一瞬虚無的になりましたが、トニーさんの、ひとしきりの、でいやぁドラムの後には「CAUSE I GOT LOVING HAND OF YOU」という、歌詞が続いていました。

最近、君だけは愛し続けたいとか、いつまでも君の背中を見守っていきたいとか、君を守ることが僕の仕事だとか、つきあってんだか、片思いなんだ、それともストーキングしてるだけなんか、なぁんかよくわからないラブソングが多い気がしますが、たまには、あなたと愛し合ったから、私は、これこれこのように変わったのだというような歌を聴いてみたいものですね。とくに現代の若者の口からね。
人間ひとりじゃ、ジジイになる程度にしか、変われないものです。

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19日(日曜日)

モハメッドのラジオ再聴

ここで書いたことの複雑さについてぐたぐたと書いておきたくなりました。
この曲のタイトル。モハメッドのラジオのモハメッドという言葉には、もちろん、イスラムの始祖としてのモハメッドがかけられていることは明白です。
宗教大嫌いの僕としては、本当に困ってしまうタイトルです。ウオーレンはなんでこんな曲を作ったのか?
ウオーレンが回教徒であるかどうか、僕は知りません。もしかしてそうだったのかもしれないし、今はそうではないのかもしれない、あるいは、この曲を作った76年当時は違ったけれど、いまはそうなのかもしれない。そして今も昔も、ずっとそうなのかもしれない。
当たり前ながら、それは彼の自由です。
ウオーレンは、イスラムをロックと同様に伝播力のある、現代に対して批判する力のあるものとして定義しているのか? それとも揶揄しているのか? ロックはイスラムと同様すごいんよといいたいのか? ロックがイスラムと一緒になればもっとパワフルよといいたいのか? ロックを信じているやつは、ロックはイスラムと同じくらいやばくて洗脳力のあるものであることを自覚すべきなんよといいたいのか?
この曲の解釈は、この曲を聴く人間に任されている問題ですが、あえていえば、そんないろんなことを聴くものに考えさせるところに、この曲の凄みがあるといえましょう。
実際、アメリカのエスタブリッシュメントにしてみれば、ロックの歌詞に対して検閲しようというゴア副大統領夫妻の執拗な動きが示すが如く、ロックもイスラム同様、彼らにとって不都合なものらしいです。
まだまだ一定のセールスは期待できるのに、メジャーのレーベルから追い出されたり、ウオーレンは一部の資本家にいみきらわれているようですが、肉とガソリンが買えないから俺らの人生は不完全だというフレーズに、権力者は強烈な批判を感じるのかもしれません。必需品の肉と嗜好品のガソリンを並べるところに、ウオーレンの富と権力に対する意識の真骨頂があると感じますし、そんな不完全な人生を生きる人間の慰安としてモハメッドのラジオから流れるロックをとても美しくソウルフルと表現するところに、ウオーレンの得体の知れなさが潜んでいるのです。
ウオーレンは、怒りを込めて歌っています。
怒りはどこに向かっているのか? 
彼にこんな曲を作って歌わせている、現代と、そんな現代でただ黙々と生きているだけの僕たちに向かっているのに違いはないでしょう。
恥ずかしながら、ここに僕の顔写真があります。

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23日(金曜日)

半月の夜に街は溢れている

半月の夜に街は溢れている。

遅番だったので9時に家を出た。横町の三毛がミュア〜と鳴きながらバックオーライで寄ってくる。いくら僕と君とはできないのだよと説明しても、三毛は頭を落とし背骨を曲げお尻と高く掲げて震えて僕のネクストを待っているばかり。
半月の夜に猫さえ溢れている。

交番の横で中年のカップルを追い抜く。抜け道の公園で三毛を撫でた掌を洗っていると、カップルは僕の脇をすり抜けていく。予想通り、女装をしているのが初老の男性で男装をしているのが中年の女性である。それにしてもこの黒のボディコンのおじいさん、きれいな足をしているなぁ。
半月の夜に倒錯者さえ溢れている。

ライブが終わったのか、パワーステーションの周りは、上気した頬の女性、女性、女性の渦。ミニ、ボディコン、ホットパンツ、ロング、パンタロン、ジーンズと合わせている女性、質の良さそうなカーディガンを羽織っている女性、スタイルはそれぞれ、しかし、老若女女、黒黒黒の黒ずくめ。30人にひとりの割合で混ざっている男に見向く女性はひとりもいない。もちろん僕も見向きもされない。猫にはもてるのにね。
半月の夜に女性の群は抽象的に昇華して溢れている。


風林会館の四つ角でポン引きに中国語で声をかけられる。別に僕が同胞に見えたわけではない。彼の頭の中は中国語で機動しているので、それが、素直に出ただけなのだ。自分自信に驚いた顔はあどけなく、この仕事では、まだ新入りなのだろう。
半月の夜に国際的に溢れている。

店はお客様少数。しかし深夜2時まで溢れかえった曲が店中いっぱい溢れかえった。TOM WAITSの『SMALL CHANGES』のアルバムのジャケットで初老と呼べそうなストリッパーの、乳首をスパンコールで隠しただけの乳房は、いつ見ても、年齢を感じさせないほど溢れかえっているので、しばし見とれてしまった。この女性存命なら古稀はこえているでしょう。
半月の夜にロックバーには女性の客が来店せず溢れようもなかった。

真夜中のラブホテル街を通り抜けて帰宅。ホステスさん達を連れ出した、日本男児がリードをつとめる、不釣り合いでぎこちのないにわかカップルがあちらこちら。女性たちはみなさん、その昔、大日本帝国軍が悪さをした国から出稼ぎに来た美しき人たちであります。自力では生涯これだけ美しき女性とは縁がなかろうと思われる、醜きわが国の男たち、いいかげん酔っぱらっているにもかかわらず、気合い充分。その思いこらえきれずに物陰で激しく抱きしめ、フランス式のキッスを強要している輩もいる。口臭が臭そう。その昔は暴力で現在は金力で金玉がゆらり。しかしいくらお支払いするのかしら? 高そうだな。
半月の夜に昔同様に溢れている。

先ほどの公園のベンチに中年のカップル。こちらは乱れているのは女性の方。男性はしきりに時計を見る。女性も男も50は過ぎている。「あの頃は」という、女性の囁きが聴こえる。彼女がもう10歳も若ければ彼も応じるだろう。しどしどに酔っぱらって男に抱きつく彼女の唇が男の痩せた首筋を這う。後で乾いたら臭そう。
半月の夜に粘着的に溢れている。

横町に入る。ミヤ〜ァと鳴いて三毛を呼ぶ。返事はない。猫にはもてるという言葉は取り消します。

半月の夜に街は溢れている。

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29日(水曜日)

おやすみベースボール

アメリカ大リーグワールドシリーズ決勝第7戦は、延長の末、新興フロリダ・マーリンズが伝統だけはどこにもまけない(だから古豪とは書けない)クリーブランド・インディアンズを3対2でくだし、チーム創設5年目で優勝を果たしたが、このシリーズは、僕が、メジャーリーグを見てきた、この25年の内で、文句なしに最低の内容であったので、まことに不満が残った。
しかし、これで春までベースボールはおねむなのは事実であるので、いくつかのことをメモしておこうと思う。野球ファンの寝物語のつもりである。

今年からマーリンズの監督に転じたジム・リーランドの優勝インタビューがまことに象徴的であったが、時代が実にせちがらくなっていることをあらためて感じさせるシリーズであった。
彼は「チャンピオンだけが記憶される」といったのである。
ピッツバーグ・パイレーツ監督の11年間で3度地区優勝を果たしながら、1度としてワールドシリーズまですすめずに苦杯を飲んだ人の言葉としては、実に痛切な言葉である。しかし、人間の記憶のはかなさや気まぐれさ、それは結果であり、あからさまにそれを念頭に浮かべて勝負に挑むのはもの悲しい。
今シリーズ、凡庸な内容ながら、勝ちたい、あるいは、負けたくない、という思いだけにはことかかない心理的に重いシリーズであった。試合の勝負が決しそうな場面で爪を噛んだり乾いた唾を吐く選手が目立った。勝てば総取り負ければオケラ。今の世はそういう時代であるけれど、野球選手がそれを知りすぎてしまったことが寂しい。というのは、ジジイの感傷なのだろうか?
僕は最終戦が延長に入った時に嬉しいと思った。あぁ野球がまだ続く、終わらない、と思ったからである。しかし、両チームの選手の表情は、まるで執行が延び延びになっている死刑囚のように切迫したものであった。

感動的なシーンもあった。優勝を決めた直後、リーランドと3塁手ボビー・ボニーヤの間に深くて長い抱擁があったのである。
ボビー・ボニーヤはパイレーツでリーランドとともに最後の最後で負け続けた選手である。そして負け続けることと、いくら勝っても客が来ないこと(当時のピッツバーグの観客の態度はいまだに僕にとっての謎である。いくらフットボール=スティーラーズに対する信仰の厚い街とはいえ、あれは、やりすぎである)、したがい、給料が上がらないことに業をいやし、FA でニューヨーク・メッツに移り、その後、ボルチモアを経て、今年、再びリーランドの指揮下に入った。リーランドの監督就任が、去年ボルチモアで116打点を上げた、クラッチ・ヒッター、ボニーヤのマリーンズ入りを決意させたといわれている。蛇足だが、ボニーヤに逃げられたボルチモアはあと一歩でワールドシリーズ到達を逃した。

思い起こせば、90〜93年度のパイレーツは夢のようなチームであった。選手のほとんどが、ファームからの上がってきた選手であり、チームには若く活気があった。ついでにいえば、ユニホームが黄色くてカワイらしかった。
投手ダグ・ドレイベグ、捕手マイク・ラバリエ(左)、ドン・スロート(右)の併用。1塁の人材には泣いたけど、2塁手ホセ・リンド(この人はなんか知らないけどいつもでっかい水牛刀を腰にぶら下げていた)、3塁手、私の愛したジェフ・キング(見た目が高瀬実乗、あのねおっさんわしゃかなわんよ〜、なんですね、いってもだれもわからないだろうけど、ということは、グラウチョ・マルクスにも似ているのですよ、えっ、これも知らない? これまた失礼しました)、ショート、ジェイ・ベルと、見た目に寄らずに鉄壁の守備。
外野は左からスーパーマン、バリー・ボンズ、1番人気の2枚目、アンディ・バンスライク、そして一発屋のボニーヤと、みんなホームラン30発クラスで、今でも、すらすら出てくるもんね。
どうしてこれで負けたのか? これはフアンが応援しなかったからです。リーグ・ファイナルでも空席が目立った。
そのリーランドとボニーヤが激しく抱き合ったのだ。ボニーヤは高く抱きしめたまま、なかなか降ろそうとしなかった。ファン7万人弱の前でね。

野球があからさまに僕の時代のスポーツであり、僕の時代の精神の・ようなものが、これからは寂れていく? あるいは、なんとか続いていく? の試金石であることを実感させられるシリーズでもあった。
何が? というと、イニングの合間合間、プレイの合間合間にかかる曲がもうどうしようもなく、コモンストックだったのだ。常套のウイウイルロックユー(クイーン)の他に、ロックンロールオールナイト(キス)、フーアーユー?(フー)、ネバーキャンセイグッバイ(ジャックソンファイブ)、ライフハズビーングッド(ジョー・ウオルシュ)などがかかりまくっていた。優勝の瞬間に、ウィアーザチャンピオン(クイーン)がかかったのには驚かなかったが、最終戦、1点ビハインドの攻撃を迎えるという時に、ボーンツゥラン(ブルースイ・スプリングステーン)が大音量で鳴り響いたのには驚いたね。
90年代の野球のBGMが6、70年代のロックということは、何を意味する事実なのだろう?

クリーブランドで行われた第3戦の気温は2度だった。僕は、ドーム球場は日本には必要ないと信じているが、アメリカでは、必要な場合もあると思わざるを得なかった。防具をつけないでアイスホッケーをやらされているみたいな選手と、寝袋にくるまって観戦する大観衆を鑑みれば、そんな状態で、ホームゲームを行う、インディアンズの不利は予想される所であった。球場に足を運ぶだけ立派といえども、ほとんど長屋の花見で、盛り上がりようもない。老人、女子どものファンの内、何人か確実に死んだと僕は思うよ。

今年のマーリンズは、ブロックバスターやトイザラスで大金持ちのオーナーが、ボニーヤ以外にも、投手(アレックス・フェルナンデス=ホワイトソックスなど)野手(モイセス・アルー=エキスポス、ジム・アイゼンライク=フィリーズなど)をかき集め、金にあかして優勝を買ったチームであると、嬉しそうに解説する、元ライオンズの監督、森さんの言外には、リーランドに対する嫉妬はカワイイから許すとしても、同様に金にあかして選手を集めながら惨敗に終わった、あの人気監督の無能を嘲笑する感覚がみちあふれていたが、そんなこたぁ、俺ら、もともと、大蔵省みたいな、朝日新聞みたいな、自民党みたいな、日教組みたいな、共産党みたいな、創価学会みたいな、三菱三井みたいな、巨人は大嫌いな、ロッテだろうが(すまんロッテファン)、三商像隊だろうが(台湾です)、ヘッテタイガースだろうが(韓国です)、キューバだろうが、フランスだろうが、勝ちも負けも関係なく、この世のどこかで野球さえやっててくれいて、緑の球場を行き来する白球の描く放物線さえ眺めていられれば、それだけでいいんだもんね〜、の、ファンには、まったく、関係のない話なのですよと、釘を刺しておいて、それでは、おやすみベースボール、私に命あれば、桜の頃に会いましょう。

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