tr4.gif
WRITE IT LOUD!! ROLL OF ROCKS

since 97.5.01since 97.5.03

                        1996年10月11日開始

                                  火だるまG

第25回:1997年10月11日

ISOLATION/JOHN LENNON(70 IN PLASTIC ONO BAND)
MOHAMMED'S RADIO/WARREN ZEVON(76 IN WARREN ZEVON )



人類は進歩したというけど
みんな孤立を畏怖している
孤立
みんなひとりになるのが怖い
家庭がなくちゃ生きていけない
孤立

少年が少女と出会い
ふたりだけの世界を築こうと努める
孤立
世界は小さな村のようなもの
誰もがそこに閉じこめあう
孤立

君に僕のいっていることがわかるとは思わない
君のせいじゃないのに
そんなに傷ついて
君も人間だから
精神的におかしくなっても当然

ぼくらはお互いが怖い
お日さまさえ怖い
孤立
太陽は永遠
でも人類はそうでもない
孤立




ロックバーを終えて、歌舞伎町の真ん中を、中野会と山口組の流れ弾にあたりませんように祈りながら歩いていると、コンビニの前なんかで、ティーン・エージャーがうんこ座りで車座になっている。
3人が車座になりながら、それぞれ、携帯電話で他の友だちと話をしている。みんないるんだよ。来いよ。最近冷てぇじゃないかよぉ。
4人目がちゃりんこでやってくる。おもむろに携帯電話を取り出す。5人目に電話する。6人目も7人目もやってくるけど、集まった友だちたちがみんなして、お互いの顔を見ながら、他の奴の言葉に耳を傾けながら、会話を交わすことはない。いつも必ずひとりは、携帯電話で、来いよって、いっている。

横浜ベイスターズの大矢明彦監督は、うん十年ぶりの好成績を残したにもかかわらず解雇されるという。はっきりいえば、たしかに、なにを考えているのだか? という、作戦も用兵も多々あった。勝負を避けるべき場面で勝負に挑み、最悪の結果を招いたことも数知れず。
球団社長という野球の素人は、はっきりいって来年はマジなので、優勝できる監督にチームを預けたいと発言した。
大矢監督は、広島や甲子園などの土のグランドでは、よく試合前の練習中に、トンボを使ってグランドを直していたが、そんなことより勝たして欲しい、と、陰口をたたく選手もいたようだ。
さて、勝てる監督。それは、川上哲治や広岡達郎や森祇晶や野村克也(各敬称略)のように、勝負に徹する、勝つためにはなにをすればいいのかという発想で森羅万象すべての物事をとらえる人物となるのだろうが、この世のすべての事柄が勝負ならば、なんにつけサイコロを振って勝ち負けを決めたほうが、野球でたとえれば、審判の誤審もなし、ぶつけたぶつけないのビーンボールもなし、すなわち、万事軋轢もなしで、よっぽどすっきりとする。
たしかに勝ったほうが負けるよりも、気分は良かろうが、勝ち方というのもあるのではないだろうか? なんにつけ勝ち方がいつも同じで、その勝ち組の構成員だけが変化するというこの世の中の有り様に、みなさんあきあきしていませんか?
僕は生きている間に一度くらいは、あの人は人がいいだけの人だったけど、あの年は、たいへん運が良くて、遂に、優勝した。人の世にはこんなこともあるから、生きていくことも、それほど悪いことじゃぁないね、という、現実に出会ってみたいと思うのだけど。

毎週、TVKでアメリカントップ40(ビルボード)を見ている。出てくるのは、アフロアメリカン系のラップミュージックと、マライヤ・キャリーやホイットニー・ヒューストンに代表される、毒にも薬にもならないエンターティナー(僕の時代ならバリー・マニローとかケニー・ロジャースかな?)か、映画のサントラばっかり。
これは今頃、シングルCDやテープを購入するのは、その程度の購買力にとどまっている、アフロアメリカンやヒスパニックと、その女・子供たちであることを示している、結果なんだろうね。
隆盛をきわめているというハリウッド映画を支えている人たちも、おそらく、そういう階層なのだろうね。
しかし、あきれかえるのは、そういう人たちから、小金を回収しようとして制作された楽曲やMTVのほとんどが、同じパターンで作られているということ。
ラップでいえば、まず、大きな車に乗ってギャングふうの光景でスローモーションで登場、歌が始まると、なぜか潜水艦とか廊下みたいな場所で魚眼レンズみたいなカメラに向かって、寄ったり遠ざかったり、必ず、小節と小節の間に、あ〜〜ぁとかう〜〜ぅとか、しらけた捨て言葉みたいな小声をちらばめる。さびでは、最低10人程度の、きれいな女性ダンサーたちが登場して、背景で、ラジオ体操みたいにして踊るのさ。ジャニーズ系のアイドルたちが一生懸命ぱくっている踊り方です。それで、ラストにはまたスローモーションで、そのアーティストが4人組なら、その4人が、まるで、サム・ペキンパーの『ワイルド・バンチ』(69)のベン・ジョンソン、ウオーレン・オーツ、ウイリアム・ホールデン、アーネスト・ボーグナインが最後の闘いに赴くシーンのような風情で、スローで画面から消えていくのです。
映画のサントラなら、歌っている歌手のそばに、窓やら鏡やら絵画やら壁やら、必ずスクリーンになるものがあって、その中に映画のシーンが映し出されていて、それがアップになったりロングになったり。
話が長くなったけど、歌と歌い手が変われども(実は曲も似たようなものが多いし、歌い手の声の質も似たようなものが多くなっている)、作り方がほとんど変わらない曲が、果てしなく制作され果てしなく消費され続けている現状は、一体、正気の世界なのだろうか? ということです。
資本主義が文化に介入して、その無駄を省いて、効率に徹すれば、こういう、勝てる野球ばかりがばっこするのかしらん?

こんな音楽に、いくらたくさん多量に、包まれても、まるで、友だちを呼び続ける、ガキどものような、むなしさを味わうばかりだと、僕は思うのです。
消費資本主義に対抗するには、新しい満足をもたらす商品の出現を期待し続けことではなく、消費を拒否することしかないのかも知れません。そして、手元にある、最初のひとつを大事にすることがその第一歩なのでしょう。
ティーンエージャーたちの、泥沼のねずみ算も、まず集まった、最初のふたりが、しっかりコミュニケートしなかったことから始まったのだろうしね。



みんな疲れている
行く場所もない
同じ話ばっかりしあっているから
怒りと憤りが蔓延している

だから
一晩中ロックを聴いていたいと思わないかい?
モハメッドのラジオでさ
俺は、すんごく、甘くてソウルフルな曲を聴いたぜ
ラジオで、モハメッドのラジオでさ

おまわりには、おまわりの悩みがある
それはもちろん、俺たちのこと
妙にキラキラした表情でフラフラ歩いている
それもしょうがないだろ
一晩中モハメッドのラジオで聴いていたんだから

だから
一晩中ロックを聴いていたいと思わないかい?
モハメッドのラジオでさ
俺は、すんごく、甘くてソウルフルな曲を聴いたぜ
ラジオで、モハメッドのラジオでさ

みんな帳尻だけは合わせようと
絶望的に必至こいている
一日中働いて
それでも、ガソリンと肉の金まではまわらない
あーぁ、人生は不完全

一晩中起きて
ドラムのビートを聴いていると
啓示が来るのではないか、なんて、思う
聞いたところによると
軍のお偉いさんは
手下にいったそう
「モハメッドにラジオはのさばらせないように気をつけろよ」

だから
一晩中ロックを聴いていたいと思わないかい?
モハメッドのラジオでさ
俺は、すんごく、甘くてソウルフルな曲を聴いたぜ
ラジオで、モハメッドのラジオでさ



モハメッドラジオについては少々付け加えた文章があります。 僕のこの歌詞にスポットをあてる連載で、取り上げる曲の音楽面が最高に格好いいことは保証します。大音量で10回続けて聴いてみてください。きっと感じるものがあるでしょう。(この企画、文章、考え方などの著作権は一応存在するといっておきます)


バックナンバーのページへ/メールを書く  
headlineのページへ a.gif音楽中毒=Ak.gif酩 酊料理人 ・工

cs2.gif


火だるまGのページの最新号へ
火だるまGのTHANK YOU REPORTの最新号へ