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細川幽斎 ほそかわゆうさい 天文三〜慶長一五(1534〜1610) 号:玄旨

本名藤孝。三淵伊賀守晴員の次男(実父は将軍足利義晴という)。母は清原宣賢の娘。忠興の父。
七歳の時、伯父細川常元の養子となり、足利将軍家に仕える。永禄八年(1565)、将軍義輝が三好党に攻められて自殺した後、奈良興福寺に幽閉されていた義輝の遺児覚慶(のちの義昭)を救出し、近江へ逃れる。その後、義昭を将軍に擁立した織田信長の勢力下に入り、明智光秀とともに丹波・丹後の攻略などに参加。これらの功により、信長から丹後を与えられた。光秀とは親しく、縁戚関係にあったが、天正十年(1582)本能寺の変に際しては剃髪して信長への追悼の意を表した。その後豊臣秀吉に迎えられ、武将として小田原征伐などに従う一方、千利休らとともに側近の文人として寵遇された。慶長五年(1600)、丹後田辺城にあった時、城を石田三成の軍に囲まれたが、古今伝授の唯一の継承者であった幽斎の死を惜しんだ後陽成天皇の勅により、難を逃れた。徳川家康のもとでも優遇され、亀山城に隠棲。晩年は京都に閑居した。熊本細川藩の祖である。
剣術・茶道ほか武芸百般に精通した大教養人であった。歌は三条西実枝に学び、古今伝授を受け、二条派正統を継承した。門人には智仁親王・烏丸光広・中院通勝などがいる。また松永貞徳・木下長嘯子らも幽斎の指導を受けた。後人の編纂になる家集『衆妙集』がある。『詠歌大概抄』『古今和歌集聞書』『百人一首抄』などの歌書のほか、『九州道の記』『東国陣道の記』など多くの著書を残す。

天授庵 京都市左京区
写真は本堂前庭。幽斎の設計と伝わる。同庵には幽斎の墓もある。

  5首  2首  2首  2首  11首 計22首

天正二十年入唐の御沙汰ありし年の元日に

日の本の光を見せてはるかなる唐土(もろこし)までも春や立つらむ(衆妙集)

【通釈】

【語釈】◇入唐の御沙汰 秀吉による朝鮮への軍派遣を言う。

【本歌】藤原俊成「新古今集」
今日といへば唐土までも行く春を都にのみと思ひけるかな

【主な派生歌】
さしいづるこの日の本の光より高麗唐土も春を知るらむ(本居宣長)

立春

明けわたるとほ山かづらそのままに霞をかけて春や立つらむ(衆妙集)

【通釈】

【語釈】◇とほ山かづら 遠くの山にかかった霞を、花の髪飾りに見立てて言う。

【先蹤歌】源通光「建保四年内裏百番歌合」
雲のゐるとほ山姫の花かづら霞をかけてふくあらしかな
  正徹「草根集」
明けわたるとほ山かづらおのづからいまやかくらむ里のをとめご

窓竹

鶯の来鳴くみぎりの夕日影むらむらなびく窓のくれ竹(衆妙集)

【通釈】

【語釈】◇みぎり 砌。軒下の石畳。雨滴を受けるためのもの。◇むらむら むらがあるさま。

【参考歌】伏見院「玉葉集」
山あらしの杉の葉はらふ曙にむらむらなびく雪のしら雲

簾梅

軒ちかき梅が香ながら玉すだれ隙もとめ入る春の夕風(衆妙集)

【通釈】

【語釈】◇梅が香ながら 梅の香と一緒に。◇隙(ひま)もとめ入る (玉簾の)隙間を求めて(部屋の中に)吹き込んで来る。

【本歌】「伊勢物語」
吹く風に我が身をなさば玉簾ひま求めつつ入るべきものを

【主な派生歌】
玉すだれひまもとめ入る春風はいづくなりけんあやし梅が香(後水尾院)

吉野にて人々に代りて

吉野山すず吹く秋のかり寝より花ぞ身にしむ木々の下風(衆妙集)

【通釈】

【語釈】◇すず 篠。細い竹。「すず吹く秋」は下記源頼政の歌を踏まえる。◇かり寝 仮寝すなわち野宿。「かり」は「刈り」の掛詞で、「すず」の縁語。◇花ぞ身にしむ (篠を吹く秋風のもとで仮寝するよりも)花を散らす春風の方が身に沁みる、ということ。

【本歌】源頼政「新古今集」
今宵たれすず吹く風を身にしめて吉野の嶽の月を見るらむ

早苗

植ゑわたす麓の早苗ひとかたになびくと見れば山風ぞ吹く(衆妙集)

【通釈】

【参考歌】正徹「草根集」
うかりける人の契の浅茅原なびくと見れば秋風ぞふく
  大内政弘「拾塵集」
うゑわたす早苗の末葉うちなびき田面すずしき夏の夕かぜ

江月

風の音むら雲ながらきほひきて野分に似たる夕立の空(衆妙集)

【通釈】

【参考歌】永福門院「風雅集」
草のすゑに花こそみえね雲かぜも野分ににたる夕ぐれの雨

八月十五日月次会当座に寄月哀傷

なき人の面影そへて月のかほそぞろに寒き秋の風かな(衆妙集)

【通釈】

【語釈】◇月のかほ 中秋の明月に故人の面影を眺めている。

山朝霧

目のまへに海をなしつつ朝霧のあらぬところに沖つ島山(衆妙集)

【通釈】

【語釈】◇海をなしつつ 朝霧がいちめん立ちこめ、海のように見えるさま。

寒草

風わたる洲崎のよもぎ冬がれて夕霜しろき遠の川波(衆妙集)

【通釈】

【語釈】◇洲崎(すさき) 「洲が崎となって、水中に突き出ている所」(岩波古語辞典)。賀茂川の洲を言うのであろう。◇夕霜しろき遠(をち)の川なみ 蓬に降りた夕霜が、洲の向こう側の川の波に、白く映じているさま。

【参考歌】藤原家隆「冬題歌合」
かささぎのわたすやいづこ夕霜の雲井にしろき峰のかけ橋

冬月

花紅葉ちるあと遠き木の間より月は冬こそさかりなりけれ(衆妙集)

【通釈】

【語釈】◇花紅葉 花も紅葉も。◇ちるあと遠き 散ってから、時を遠く隔てた。「遠き」は次句の「木の間」にも懸かる。◇月は冬こそ… 朧月の春や明月の秋よりも、冬こそが。

【先蹤歌】よみ人しらず「詞花集」
秋はなほ木の下かげもくらかりき月は冬こそみるべかりけれ

【補記】源氏物語「朝顔」に光源氏の洩らした言葉、「時時につけても、人の心をうつすめる花紅葉の盛りよりも、冬の夜の澄める月に雪の光りあひたる空こそ、あやしう色なきものの、身にしみて、この世の外のことまで思ひ流され、おもしろさもあはれさも残らぬをりなれ。すさまじき例に言ひおきけむ人の心浅さよ」を想起させる。

深夜雨

更けにけり往き来たえたる夜の雨くらはし川の波も音して(衆妙集)

【通釈】

【語釈】◇くらはし川 奈良県桜井市の倉橋(倉梯)山から流れ出る川。クラに「暗」を掛ける。

閑居

山を我がたのしむ身にはあらねどもただ静けさをたよりにぞ住む(衆妙集)

【通釈】私は山を楽しむような分際の身ではないけれども、ただ静けさをよすがとして山に住むのである。

【語釈】◇山を我が楽しむ身には… 論語の「仁者楽山」を踏まえる。自分は仁者ではないが、と謙遜しているのである。晩年、京都吉田山麓に住んでいた頃の作か。

山館燈

仙人(やまびと)の住家とやいはむみだれ碁の音してふくるともし火の影(衆妙集)

【通釈】

【語釈】◇仙人(やまびと) 樵が仙人の碁を見ているうちに斧が朽ちてしまったという中国の説話に基づく。◇みだれ碁 乱碁(らんご)とも言う。碁石をおはじきのように使う遊戯。

播州御陣の時、所々見物のついでに、明石の浦にて夜のふくるまで月を見て

明石潟かたぶく月もゆく舟もあかぬ眺めに島がくれつつ(衆妙集)

【通釈】

【補記】天正五年(1577)、羽柴秀吉の中国征伐の援軍に出陣した織田信忠の隊に随行しての作か。戦陣に在っての風流。

香椎の浦見にまかりて

海原やしほぢはるかに吹く風の香椎のわたり浪立つらしも(衆妙集)

【補記】天正十五年(1587)、秀吉の西征に随って九州へ渡った時の作。この歌以下四首は『九州道の記』より。

【先蹤歌】大伴家持「雲葉集」「続古今集」
船出する沖つしほさゐしろたへの香椎のわたり波たかくみゆ

備中国にありと云弥高山、たしかにはなけれど、嶺つづきの中なりと云へば

曙やふもとをめぐる雲霧に弥高山のすがたをぞ見る(衆妙集)

【通釈】

【語釈】◇弥高山(いやたかやま) 未詳。九州からの帰途、瀬戸内海を航行する際の作。

【先蹤歌】花園院「風雅集」
むら雨のなかばはれゆく雲霧に秋の日きよき松ばらの山

しかま川近きわたり、海の面濁りたるを、船人に尋ねけるに、水上に大雨ふり侍れば、かやうに有と云

水上(みなかみ)に幾むらさめか飾磨河(しかまがは)にごりは海に出でて来にけり(衆妙集)

【通釈】

【語釈】◇飾磨河 船場川。姫路市で瀬戸内海に注ぐ。(むらさめが)「し」た、と掛詞になっている。

【本歌】「万葉集」巻十五
わたつみの海に出でたる飾磨川たえむ日にこそ我が恋やまめ

廿四日肝付よりめぐりといふ所までつきて大安寺に泊りけるに、夕月夜をかしくさしうつるを見て

はるばると山をめぐりの夕月夜西に入江のかげを見るかな(衆妙集)

【通釈】

【語釈】◇めぐり 大隅国姶良郡の廻(めぐり)城。◇山をめぐりの 「山を巡って来た」意に地名「めぐり」を掛ける。◇西に入江の (月が)西に入る、を掛ける。◇かげ 月影。廻城から入江を眺めると、月は西に沈もうとしている。その影が入江の水面に映じている情景。

文禄三年二月二十九日、関白殿吉野の花御覧の時、人々歌つかうまつりけるに花の祝を

君がため花の錦をしきしまや大和しまねもなびく霞に(衆妙集)

【通釈】

【語釈】◇関白殿 豊臣秀吉。この歌は文禄三年(1594)秀吉の吉野花見に随行しての作。◇しきしまや 大和にかかる枕詞。錦を「敷き」と掛詞になっている。◇なびく 日本全国民が秀吉の支配下に靡き伏している意を籠める。

初雪ふり侍りし暁、夜をこめて太閤より御使にて、
 月に散るみぎりの庭の初雪をながめしままにふくる夜半かな
といふ一首を送り下され侍りし返歌に

月にちる花とや見まし吹く風もをさまる庭の初雪の空(衆妙集)

慶長五年七月二十七日、丹後国籠城せし時、古今集証明の状、式部卿智仁親王へ奉るとて

古へも今もかはらぬ世の中に心の種をのこす言の葉(衆妙集)

【通釈】

【語釈】◇古今集証明の状 古今相伝の箱に付した証明の状。丹後田辺城落城に際し、死を決意した幽斎が、古今伝授の絶えることを怖れて門弟智仁親王(後陽成天皇の皇子)に遺贈しようとしたのである。◇心の種 古今集仮名序の巻頭を踏まえる。

【参考歌】三条西実隆「雪玉集」
いまさらにしきしのぶかな敷島の道のをしへにのこす言の葉


更新日:平成15年01月27日
最終更新日:平成19年02月21日