源経信母 みなもとのつねのぶのはは 生没年未詳

光孝源氏。播磨守源国盛の娘。曾祖父公忠・祖父信明と、著名歌人の血統を引く。民部卿源道方の妻。長和五年(1016)、経信を生む。
和歌ばかりでなく、作文・琵琶・琴などにも秀でたという。家集『帥大納言母集(経信母集)』がある。後拾遺集初出。勅撰入集は計四首。

山里の霧をよめる

明けぬるか川瀬の霧のたえまより遠方(をちかた)人の袖の見ゆるは(後拾遺324)

【通釈】夜が明けたのか。川の渡り瀬に立ちこめる霧の切れ間から、遠くにいる人の袖が見えるということは。

【補記】家集には詞書「七条に河霧たちわたるあか月やうやうあくるほどに人のゆきかふを見て」。川は賀茂川であろう。幽玄な叙景歌として後世に影響を与えた。百人一首で名高い藤原顕輔の「秋風にたなびく雲のたえまよりもれいづる月のかげのさやけさ」などもこの歌の影響を受けているだろう。初句切れ・倒置を用いた構文も当時としては新しいものだった。

【他出】帥大納言母集、和歌一字抄、定家八代抄、八雲御抄

【参考歌】曾根好忠「好忠集」「新古今集」
山里に霧のまがきのへだてずは遠かた人の袖も見てまし

【主な派生歌】
浅みどり野原の霞ほのぼのと遠かた人の袖ぞ消えゆく(後鳥羽院)
明けぼのや河瀬の浪の高瀬舟くだすか人の袖の秋霧(*源通光[新古今])
明けぬなり遠かた人もあぶくまの河せの霧に袖の見えゆく(兵衛内侍)
舟よする遠かた人の袖みえて夕霧うすき秋の川浪(宗尊親王)
野べの尾花きえもてくれや夕霧にをちかた人の袖ぞちかづく(正徹)
明けぬるか松原づたひゆく人の菅の小笠の白く見ゆるは(足代弘訓)


更新日:平成15年01月21日
最終更新日:平成19年01月09日