冷泉為景 れいぜいためかげ 慶長十七〜慶安五(1612-1652) 号:細野

下冷泉家。慶長十七年四月二十六日、藤原惺窩の長男として生れる。元和五年(1619)、八歳で父と死別する。後水尾天皇に仕え、図書頭に任ぜられる。後光明天皇の正保年間(1644〜1648)勅旨により叔父冷泉為将の跡を継ぎ、歌道家下冷泉家を再興した。しばしば天皇に和歌を侍講し、正四位下左近衛中将に至る。父の遺稿を集めて『惺窩先生文集』の編集に尽力したが、版行以前に焼失した(のち、孫の為経により刊行)。慶安五年三月十五日死去。四十一歳。木下長嘯子と親しく、また松永貞徳・中院通村らと交流があった。
以下には『冷泉為景朝臣歌集』(古典文庫591所載)より五首を抄した。

春月

やはらげる色や見すらん嬉しさを月も霞の袖につつみて

【通釈】月も、春が来た嬉しさを霞の袖に包んで、やわらいだ色を見せているのだろうか。

【語釈】◇霞の袖 月を擬人化し、霞を袖になぞらえた。

【補記】朧月の柔和な風情を擬人化して詠み、春の喜ばしさを艶に歌い上げた。

【参考歌】藤原仲実「永久百首」
うれしさを袖につつみて過ぎきにき今は何かは身にもあまらん

杜蝉

染めて聞く心木の葉よ啼く蝉の声も色ある森の時雨に

【通釈】私の心も秋の木の葉のように深く染めて耳傾けることよ。声も色彩の感じられる森の蝉時雨に。

【語釈】◇心木の葉 心を木の葉に譬える。下記参考歌に由来する語。◇森の時雨に 時雨は普通晩秋から初冬の通り雨を言うが、ここでは蝉の鳴き声を時雨に譬えている。

【補記】家集冒頭の百首歌より。晩秋、時雨が木の葉を紅葉させることに寄せて、夏には蝉時雨が心を染めるとした。

【参考歌】小野貞樹「古今集」
人を思ふ心木の葉にあらばこそ風のまにまに散りも乱れめ

秋風

さびしとも何をかわきていはれ野の尾花が末にのこる夕風

【通釈】何を特別に寂しいと言われよう――何もかも寂し気な風情の磐余の野にあって、敢えて言えば、尾花の穂末になお吹き残る夕風であるよ。

【語釈】◇いはれ野 磐余野。大和国の歌枕。万葉集に「磐余の池」「石村(いはれ)の山」などが詠まれているが、所在などは不詳。「言はれ」を掛ける。◇尾花 花穂を出した薄。

【補記】磐余は大津皇子にゆかりのある古い歌枕。その名に寄せ、秋の一景を趣深いものとして詠んだ。

【参考歌】九条良経「後京極殿御自歌合」
真野の浦の浪まの月を氷にて尾花が末にのこる秋風

落葉

なほざりに惜しとやは見ん青葉よりなれし梢の風のわかれを

【通釈】好い加減な気持で惜しいと見るだろうか。青葉の頃から慣れ親しんだ梢の葉の、風ゆえの訣別を。

【補記】家集冒頭の百首歌より。初夏から慣れ親しんだと言って落葉への惜別の情を深めている。

鳥の音に残りし夢はむかしにて寝覚めをいそぐ峯の松風

【通釈】鳥の声に途中で醒まされた夢はもはや昔のことで、今や峰から吹き下ろす松風の音が老の寝覚めを急がせるばかりだ。

【補記】「鳥の音」は後朝の別れを告げるものとされたので、「夢」は恋人との情事を暗示する。対して「峯の松風」に急かされる「寝覚め」は老いて独りの侘しい寝覚めである。


公開日:平成22年10月24日
最終更新日:平成22年10月24日