聖武天皇 しょうむてんのう 大宝元〜天平勝宝八(701-756)　略伝

文武天皇の皇子。母は藤原不比等の娘宮子。光明皇后との間に孝謙天皇・基親王(夭折)をもうけ、夫人県犬養広刀自との間に井上内親王・安積親王・不破内親王をもうけた(男子はいずれも夭折した)。尊号は勝宝感神聖武皇帝、法名は勝満。また後世「皇帝菩薩」とも称された(延暦僧録)。
和銅七年(714)、立太子し、神亀元年(724)、伯母の元正天皇より譲位されて即位。たびたび吉野や難波への行幸を行ない、山部赤人・笠金村らに歌を奉らせた。天平九年(737)の疫病大流行で藤原四卿を失うと、橘諸兄を大納言(のち大臣)に任じ、唐から帰国した玄�ﾑ・吉備真備らを重用して政治改革に着手した。しかし同十二年九月、筑紫に藤原広嗣の乱が起こり、急遽関東に行幸、そのまま平城京に帰ることなく、同年末、山背国恭仁に遷都した。翌年国分寺建立の詔を発布。同十五年、墾田永年私財法の詔を発布。その後都は難波・紫香楽と転変するが、結局天平十七年、平城京に還都した。行基らの協力を得て東大寺の大仏造営を始め、天平勝宝四年(752)年四月九日、開眼供養会を挙行した。これより先、天平感宝元年(749)、皇位を皇太子阿倍内親王に譲り、史上最初の男帝の太上天皇となる。天平勝宝八歳(756)五月二日、崩御。五十六歳。佐保山陵に葬られる。古代律令制の成熟期に君臨した天皇として絶大な権威を有し、死後も偉大な聖王として官人・僧侶・民衆の崇敬を集めた。
万葉集に11首の歌を残す。新古今集以下の勅撰集には8首入集。

天皇御製歌一首

妹に恋ひ吾(あが)の松原見渡せば潮干の潟に鶴(たづ)鳴き渡る（万6-1030）

【通釈】あの子を恋しく思って、逢える日はいつかと待つ――その「吾(あ)が待つ」に因む吾(あが)の松原を見渡すと、潮の退いた干潟を鶴が鳴き渡ってゆく。

【補記】一つ前の歌が家持の天平十二年伊勢国河口行宮での作なので、この歌も同年の行幸の時の作か。「吾の松原」は万葉集の左注によれば伊勢国三重郡にあった松原。今の四日市市辺りかという。なお、鶴は妻を慕って鳴くとされた。

【他出】新古今集、定家十体（拉鬼様）、定家八代抄、歌枕名寄、夫木和歌抄、三五記、桐火桶、井蛙抄
（新古今集では詞書「天平十二年十月、伊勢国にみゆきしたまひける時　聖武天皇御製」とし、「妹に恋ひわかの松原みわたせば潮干の潟にたづ鳴きわたる」）

【参考歌】山部赤人「万葉集」
若の浦に潮みちくれば潟をなみ葦辺をさしてたづ鳴き渡る

【主な派生歌】
伊勢島やわかの松原みわたせば夕しほかけて秋風ぞふく(九条道家[続古今])
玉藻かる潮干のかたにたづ鳴きて夕日かすめる和歌の松原(大江頼重)
妹に恋ひたが心とかなくたづも妻恋ひわたる和歌の松原(後柏原院)

天皇御製歌二首

秋の田の穂田を雁がね暗けくに夜のほどろにも鳴き渡るかも（万8-1539）

【通釈】穂の出た秋の田を、雁がまだ夜の明けきらない暗いなかにも鳴き渡ってゆくなあ。

【補記】「秋の田の穂田を」は、「刈り」から「雁」を導く序詞だが、同時に雁が鳴き渡ってゆく場所を示してもいる。「夜のほどろ」は夜が明けかける頃。

　

今朝の朝明(あさけ)雁が音(ね)さむく聞きしなへ野辺の浅茅ぞ色づきにける（万8-1540）

【通釈】今朝の明け方、雁の鳴き声が寒々と聞えたが、それと時を同じくして野辺の浅茅は色づいたことだ。

【補記】同じ万葉集巻八に阿部虫麻呂の「今朝鳴きてゆきし雁が音寒みかもこの野の浅茅色づきにける」と同想の歌が見えるが、聖武天皇御製の方が声調がなめらかですぐれている。

【他出】綺語抄、僻案抄、続後撰集、秋風集
（続後撰集では第二・三句「雁がね寒み鳴くなへに」。）

天皇御製歌一首

あをによし奈良の山なる黒木もち造れる室(むろ)は座(ま)せど飽かぬかも（万8-1638）

【通釈】奈良の山の黒木で造ったこの室は、いつまで居ても飽きないことだ。

【補記】長屋王の佐保宅の宴での作。「黒木」は樹皮がついたままの木材。

【他出】「新勅撰集」右大臣の佐保の家にみゆきせさせ給うける日　聖武天皇御製
青によし奈良の都のくろ木もてつくれる屋戸は居れど飽かぬかも

冬十一月、左大弁葛城王等に、橘の氏をたまへる時の御製歌一首

橘は実さへ花さへその葉さへ枝(え)に霜降れどいや常葉(とこは)の木（万6-1009）

【通釈】橘は実までも、花までも、その葉までも、枝に霜が降ることがあっても、枯れるどころかますます栄える常緑の木である。

【補記】天平八年(736)、葛城王たちに橘姓を賜った時の歌。

【主な派生詩歌】
ことの葉の実さへ花さへ橘のこれとさだめてにほふ宿かも(三条西実隆)
ことの葉のたねにもうつせ橘の実さへ花さへあかぬにほひを(中院通勝)
山姫や君がためにと時わかぬ実さへ花さへさらにをりけん(中院通村)
枝にみちてかをるもあかぬ立花は実さへ花さへ常盤にをみん(霊元院)
言の葉の昔の風も知るやいかに実さへ花さへ匂ふ橘(武者小路実陰)
鬼灯は実も葉も殻も紅葉かな(芭蕉)

遠江守桜井王の天皇に奉る歌一首

九月(ながつき)のその初雁の使にも思ふ心は聞こえ来ぬかも

天皇の報和(こた)へ賜ふ御歌

大の浦のその長浜に寄する波ゆたけく君を思ふこのころ（万8-1615）

【通釈】大の浦のその長浜に寄せる波のように、ゆったりと君を思うこの頃である。

【語釈】◇大の浦　不詳。脚注に「大の浦は遠江国の海浜の名なり」とある。

【補記】「自分を思って下さるというお気持ちを初雁の便りにでもお聞きしたい」と言ってきた桜井王に対し、「あなたはご無事だと安心している」と応えたもの。個人的な親近感あってこその贈答と思われるが、天皇の国司に対する信頼感もおのずと漂ってくるかのようで、まことに帝王らしい堂々とした歌。

【他出】「新拾遺集」大原桜井遠江任に侍りける時、その初かりのたよりにもと奏し侍りける御返しに　聖武天皇御製
おほのうらのそのなが浜による波のゆたにぞ君を思ふこのごろ

天皇の海上女王(うなかみのおほきみ)に賜ふ御歌一首

赤駒の越ゆる馬柵(うませ)の標(しめ)結ひし妹が心は疑ひも無し（万4-530）

右は、今案(かむが)ふるに、この歌は擬古の作なり。但し時に当たるを以て、便ちこの歌を賜ひしか。

【通釈】うっかりすると赤毛の馬が飛び越える柵――その柵を縄でしっかり結び固めておくように、私は固い約束を結んだのだから、あなたの心に少しも疑いはない。

【補記】左注は「おそらく古歌を模して作った歌であるが、時宜にかなったので、その場で贈った歌だろうか」程の意。確かに俗謡風で、天皇の作とは考え難い。海上女王の返歌は「梓弓爪(つま)ひく夜音(よと)の遠音(とほと)にも君が御幸を聞かくしよしも」。

【参考歌】「万葉集」巻十二(作者不明記)
大き海の底を深めて結びてし妹が心は疑ひもなし

天皇の酒人女王(さかひとのおほきみ)を思(しの)ふ御製歌一首

道に逢ひて笑まししからに降る雪の消(け)なば消ぬがに恋ふといふ我妹(わぎも)（万4-624）

【通釈】道で出くわして、私が微笑んだというだけで、雪のようにはかなく、今にも消えてしまいそうな思いで私を恋い慕っていると言う可愛いあなたよ。

【補記】酒人女王は穂積皇子の孫と題詞脚注にある。「笑まし」は天皇に対する敬語。

【主な派生歌】
あわ雪は消なば消ぬがに降りたれば眼(まなこ)悲しく消ぬらくを見む(斎藤茂吉)

十一月八日、左大臣橘朝臣の宅に在(いま)して、肆宴(とよのあかり)きこしめす歌

よそのみに見つつありしを今日見れば年に忘れず思ほえむかも（万19-4269）

【通釈】あなたのお屋敷はこれまでよそ目にばかり見ていたが、今日久しぶりに来て見て、これからは毎年忘れず思い出すことであろうよ。

【補記】天平勝宝四年十一月、橘諸兄邸での宴。

九月ばかり菊の花を

ももしきにうつろひわたる菊の花にほひぞまさる万世(よろづよ)の秋（続古今1881）

【通釈】宮中の庭にあって色を変え続けてゆく菊の花よ――秋が永遠に廻り来るたびにますます美しく色映えることだ。

【補記】言うまでもなく菊は皇統の象徴。この歌は「奈良帝御集」「奈良御集」などの名で伝わる歌集(成立は平安時代か)に載る歌で、作者は確かでないが、万代和歌集・続古今集に聖武天皇御製としている。

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更新日:平成15年11月09日
最終更新日:平成22年03月01日

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