一条実経 いちじょうさねつね 貞応二〜弘安七(1223-1284) 号:円明寺殿・後一条入道関白

摂政九条道家の四男。母は西園寺公経女、准三后綸子。教実良実・頼経の弟。一条家の祖。子に家経・実家・万秋門院ほか。父道家と不仲だった兄良実とは対照的に父の偏愛を受けた。
貞永元年(1232)、元服し正五位下に叙せられる。右少将・同中将を経て、文暦二年(1235)十二月、権中納言。この年、長兄の教実が二十六歳で夭折。嘉禎二年(1236)六月、権大納言。同年十一月、正二位に昇り、暦仁元年(1238)二月、左大将を兼ねる(仁治二年十一月まで)。仁治元年(1240)十月、右大臣。寛元二年(1244)六月、左大臣。同四年正月、後嵯峨天皇譲位の前日、兄良実に代り関白氏長者となり、翌日、後深草天皇の受禅により摂政となる。同年三月には従一位に叙せられたが、その後、同母兄の頼経が鎌倉将軍を廃されて京に送還された事件のあおりを受け、宝治元年(1247)、幕府の意向により摂政を罷免された。弘長三年(1263)には左大臣に復帰し、文永二年(1265)閏四月、再び関白となる。同四年十二月、辞任。晩年は円明寺(今の京都府乙訓郡大山崎町の円明教寺)に過ごす。弘安七年(1284)病により出家し、同年七月十八日、薨去。六十二歳。
続後撰集初出。勅撰入集は計六十一首。家集『円明寺関白集』がある。

夾路柳繁といふ事を

枝かはす柳が下にあとたえて緑にたどる春の通ひ路(続拾遺40)

【通釈】枝を交わす柳並木の下で、人通りは絶えていて、春風はその緑を辿るように吹いてくる――すなわち柳の緑が春の通い路なのだ。

【補記】さかんに繁る柳の枝が人の往き来を遮断しているが、春はその緑を目印にして訪れる、と見た。

夕花

あだにのみうつろひぞゆくかげろふの夕花ざくら風にまかせて(円明寺関白集)

【通釈】いたずらに色褪せ、散ってゆくよ。陽炎のように儚い、夕日の光に映える桜の花は、風の吹くままに。

【補記】意図して柔弱な詞を畳み重ね、はかなさの極限を目指したかのように見える歌。「夕花桜」は前例のない表現。『六華集』には「薄花桜」とする。

初冬

山おろしのさえゆく空のむら雲にしぐれしぐれて冬は来にけり(円明寺関白集)

【通釈】山から吹き下ろす風がしだいに冷たくなってゆく空――その空をめぐる叢雲によって時雨が降り、時雨が降りして、冬になったのだった。

【補記】晩秋から降り始める時雨。その冷たい雨の降る日が重なって、ついに冬がやって来た。「しぐれしぐれて」に冬のはじまりのしみじみとした実感が籠る。

【参考歌】紀貫之「古今集」
(前略)神な月 しぐれしぐれて 冬の夜の 庭もはだれに ふるゆきの 猶きえかへり(後略)

寄夢述懐を

なにぞこの夢てふもののありそめて()るがうちにも身をなげくらむ(続古今1801)

【通釈】どうしてこの夢というものが存在するようになって、人は起きている間ばかりか寝ているうちにも身を歎くのだろうか。


更新日:平成14年09月29日
最終更新日:平成22年05月15日