おほつぶね 生没年未詳

後撰集の二荒山本・片仮名本などに「むねやながむすめ」とあり、在原棟梁の娘らしい。また『大和物語』十四段には「本院の北の方のみおとうとの、童名をおほつぶねといふいますかりけり」とあって、藤原敦忠母の妹ということになる。また同書によれば陽成天皇の側女であったという。在原元方の妹でもある。平貞文・貞元親王などとの交渉が後撰集に見える。勅撰入集は後撰集のみ三首。

おほつぶねに物のたうびつかはしけるを、さらに聞き入れざければ、つかはしける  貞元親王

おほかたはなぞや我が名の惜しからむ昔のつまと人にかたらむ

【通釈】大体のところ、どうして私の名誉など惜しいでしょうか。あなたに振られても、昔の恋人だと人に語って誇りましょう。

【補記】貞元親王は清和天皇の皇子。延喜九年(909)薨。

返し

人はいさ我はなき名の惜しれば昔も今も知らずとを言はむ(後撰634)

【通釈】他人はどうあれ、私はありもしない噂で評判を落とすのは口惜しいので、昔も今もあなたなど知らないと申すつもりです。

【補記】おほつぶねの返歌は、古今集や古今和歌六帖では在原元方の歌として載っている。

【他出】古今集、深養父集、新撰和歌、古今和歌六帖、後六々撰、古来風躰抄、定家八代抄


最終更新日:平成16年03月01日