在原元方 ありわらのもとかた 生没年未詳

業平の孫。棟梁の子(系図)。『古今和歌集目録』によれば、大納言藤原国経の養子となったという。
官歴等は不詳。正五位下に至る。是貞親王家歌合・寛平御時后宮歌合・延喜五年(905)四月八日平定文歌合などに出詠。断簡のみ残存する家集『元方集』がある(私家集大成1に収載)。古今集初出。勅撰入集三十五首。中古三十六歌仙の一人。

  4首  2首  2首  5首 計13首

ふるとしに春たちける日よめる

年のうちに春は来にけりひととせを去年(こぞ)とや言はむ今年とや言はむ(古今1)

【通釈】年が終わらない内に、春は来てしまったよ。この一年を、もう去年になったと言おうか、それともまだ今年のうちと言おうか。

【語釈】◇ふるとし 旧年。新年を迎える以前。◇年のうちに 旧年中に。まだ暦の上で新年の正月を迎えていないうち。◇春は来にけり 立春を迎えたことを言う。旧暦(太陰太陽暦)では立春が正月一日より先に来ることは左程珍しいことではない。◇ひととせ この一年を振り返っての謂と解す。残りの一年(立春から大晦日までの残りの日々)と解する説もある。

【他出】寛平御時中宮歌合、古今和歌六帖、和漢朗詠集、奥義抄、後六々撰、古来風躰抄、定家八代抄、三五記、未来記、桐火桶、題林愚抄

【鑑賞】「このうた、まことに理(ことわり)つよく、又をかしく聞えてありがたくよめるうたなり」(藤原俊成『古来風躰抄』)
「實に呆れ返つた無趣味の歌に有之候。日本人と外國人の合の子を日本人とや申さん外國人と申さんとしやれたると同じ事にて、しやれにもならぬつまらぬ歌に候」(正岡子規『歌よみに與ふる書』)
「理知を愛し、分解を好む風の濃厚に現れている歌である。これは古今集を通じての傾向で、この時代に入って始めて起こって来たもので、新歌風だったのである。取材も表現も乾いたものであるが、しかし一脈の潤いを持っている。それは一首の背後に、春の来たことを喜ぶ心のあるためである」(窪田空穂『古今和歌集評釈』)

【主な派生歌句】
ももしきの大宮人もむれゐつつこぞとや今日をあすはかたらむ(藤原師氏[新勅撰])
年のうちに春立ちぬとや吉野山霞かかれる峰のしら雲(藤原俊成)
雪のうちに春は来にけりよしの山雲とやいはむ霞とやいはむ(慈円)
鶯もまだ出でやらぬ春の雲ことしともいはず山風ぞ吹く(藤原定家)
野も山もまだ雪深き年の内に霞ぞおそき春は来にけり(宗尊親王)
年のうちに餅はつきけり一年をこぞとや食はむ今年とや食はむ(二条良基)
いづこぞと梅がか深し年の内も立枝尋ねて春風やふく(武者小路実陰)
年のうちに春きぬめりと梅やさく梅さけりとて春やきぬらむ(小沢蘆庵)
あら玉の年の内にも鶯の初音ばかりの春は来にけり(香川景樹)
年の内に踏み込む春の日脚かな(北村季吟)

寛平御時きさいの宮の歌合のうた

霞たつ春の山べはとほけれど吹きくる風は花の香ぞする(古今103)

【通釈】霞が立ちこめている春の山は遠いけれど、吹き寄せる風は花の香がするよ。

【補記】遠くから見るので花は霞かと見まがう。しかし風が香を運ぶことによって、花であることが確信される。この花は古今集の排列では桜。

【補記】寛平四年(892)頃の寛平御時后宮歌合。

【他出】寛平御時后宮歌合、新撰万葉集、古今和歌六帖、定家八代抄、西行上人談抄、時代不同歌合、桐火桶

【主な派生歌】
草も木もふりまがへたる雪もよに春待つ梅の花の香ぞする(源通具[新古今])

春を惜しみてよめる

惜しめどもとどまらなくに春霞かへる道にし立ちぬと思へば(古今130)

【通釈】いくら惜しんでも、もう春は止まることはないのだなあ。春霞は帰途に発ってしまったと思うので。

【語釈】春霞について「立ち」と言えば普通「あらわれる、立ちこめる」意だが、それを春が帰途に「発つ」意に転用したところに趣向がある。

【補記】左兵衛佐定文歌合、暮春右負。

【主な派生歌】
はかなくもなに惜しむらん行く年のとどまらなくにせく涙かな(藤原秀能)

三月尽の心を

老いぬれば春の暮るるも惜しきかないそぐ日数も命ならずや(続古今180)

【通釈】年老いてしまったので、春が暮れるのも愛惜されることよ。見る見る少なくなる日数が、私の余命でないと言えようか。

【補記】建長五〜六年(1253〜1254)成立と推測される藤原基家の私撰集『雲葉集』にも見える歌。

月をよめる

秋の夜の月のひかりし(あか)ければくらぶの山も越えぬべらなり(古今195)

【通釈】今宵は秋の夜、月の光が明るいので、「暗い」という名のくらぶ山も無事越えてしまえそうだ。

【語釈】◇くらぶの山 京都市左京区の鞍馬山の古名かという。

【他出】元方集、古今和歌六帖、五代集歌枕、六百番歌合陳状、歌枕名寄、題林愚抄

【主な派生歌】
おほぞらの月のひかりしあかければ槙の板戸も秋はさされず(源為善[後拾遺])
くらま山月のひかりのあかければいかなりし夜のなにかとぞみる(赤染衛門)

題しらず

おそくとく色づく山のもみぢ葉はおくれ先だつ露や置くらむ(後撰381)

【通釈】或いは遅く或いは早く色づく山の紅葉は、遍昭の詠んだ「おくれ先立つ」露が置いたのだろうか。

【補記】遍昭の「すゑの露もとのしづくや世の中のおくれさきだつためしなるらむ」を踏まえる。露が紅葉を促すとされた。

題しらず

わび人や(かみ)な月とはなりにけむ涙のごとく降る時雨かな(新勅撰364)

【通釈】神無月となったのだろうか、侘びしく暮らす人が涙を流すかのごとく降る時雨だことよ。

【補記】私家集大成の『元方集』は初句「わひしとや」。

年の果てによめる

あらたまの年のをはりになるごとに雪もわが身もふりまさりつつ(古今339)

【通釈】年の終りになるごとに、雪は降る量が増え、我が身もますます古くなってゆく。

【語釈】◇あらたまの 「年」にかかる枕詞。◇ふりまさりつつ 「ふり」は「降り」「古り」の掛詞。

【他出】家持集、古今和歌六帖、如意宝集、万葉集時代難事、桐火桶、題林愚抄

【主な派生歌】
白妙に雪もわが身もふりはてぬあはれ名残の有明の月(西園寺公経[続古今])
このやどに雪も我が身もふりはてぬ明けぬ暮れぬとつもるながめに(伏見院)

題しらず

音羽山おとに聞きつつ逢坂の関のこなたに年を()るかな(古今473)

【通釈】音羽山の「音」ではないが、噂にばかり聞きながら、「逢ふ坂」という名の関のこちら側で、逢えないまま何年も過ごすことよ。

【語釈】◇音羽山 山城・近江の歌枕。逢坂の関に近い。

【他出】古今和歌六帖、定家八代抄、西行上人談抄、時代不同歌合、歌枕名寄、井蛙抄

【主な派生歌】
都には聞きふりぬらむ郭公関のこなたの身こそつらけれ(藤原実方[続後撰])
音羽河雪げの波も岩こえて関のこなたに春は来にけり(藤原定家[続古今])
今朝かはる秋とは風の音羽山おとに聞くより身にぞしみける(亀山院[続拾遺])
逢坂の関のこなたにあらねども往き来の人にあこがれにけり(*良寛)

題しらず

立ちかへりあはれとぞ思ふよそにても人に心をおきつ白波(古今474)

【通釈】繰り返しあの人を恋しく思うことだ。遠くからでも、あの人に心を寄せてしまった――寄せては返すように沖の白波のように。

【語釈】◇立ちかへり 波が寄せては返す意を掛ける。◇おきつ 「置きつ」「沖つ」の掛詞。

【他出】新撰和歌、後六々撰、和歌初学抄、定家八代抄、時代不同歌合

題しらず

たよりにもあらぬ思ひのあやしきは心を人につくるなりけり(古今480)

【通釈】音信を届ける使いでもないのに、この止めようのない思いの不思議なことは、心をあの人にぴったり付き添わせ、恋心を知られてしまうことである。

【語釈】◇たよりにもあらぬ思ひ 「たよりにもあらぬ」「あらぬ思ひ」と掛けて言う。「あらぬ思ひ」とは、思うべきでないのに、止めることの出来ない恋心の意。「思ひ」の「ひ」は「火」と掛詞になり、「つく」と縁語の関係になる。◇つくる 告ぐる意が掛かり、「たより」と縁語になる。

【他出】後撰集(作者貫之)、定家八代抄

題しらず

逢ふことのなぎさにし寄る波なればうらみてのみぞ立ちかへりける(古今626)

【通釈】逢ふことが無いという名の「なぎさ」に寄せる波なので、浦を見るだけで引き返す――そのように、私はあなたに逢えず、恨みばかり残して帰って行きます。

【補記】「なぎさ」に「無き」、「うらみて(浦見て)」に「恨みて」を掛ける。

【他出】新撰和歌、定家八代抄

【主な派生歌】
逢ふことのなぎさなればや都鳥かよひし跡も絶えて問ひこず(藤原道長[続後撰])
逢ふことのなぎさにひろふ石なれや見れば涙のまづかかるらむ(藤原輔相[新拾遺])

題しらず

久方のあまつ空にも住まなくに人はよそにぞ思ふべらなる(古今751)

【通釈】天上に住んでいるわけでもないのに、あの人は私のことをまるで別世界の住人とでも思っているようだ。

【他出】元方集、新撰和歌、古今和歌六帖、綺語抄、定家八代抄


公開日:平成12年01月02日
最終更新日:平成21年02月01日