二条持基 にじょうもちもと 明徳元〜文安二(1390-1445) 号:後福照院

左大臣関白従一位師嗣の二男。初名基教。福照院関白満基の弟。子に関白持通・大僧正尊応。
応永十七年(1410)、兄満基が急死したため、その子として摂家二条家を継いだ。称光天皇の関白、後花園天皇の摂政・関白を務め、従一位太政大臣に至る。
和歌を好み、永享頃には一条兼良と並ぶ権門歌人として歌壇に重きをなした。岩倉の別邸等でしばしば歌会を催す。「永享百首」作者。新続古今集に三首入集。『後福照院殿御詠草』の名で伝わる歌集があるが、持基の家集でなく、大僧正義運(足利満詮男)の家集であることが判明しているという。

擣衣

影さむみかさねて袖におく霜のしろたへ衣月にうつなり(永享百首)

【通釈】月光が寒々と冴えているので、袖には幾重にもかさなって霜が置いているかのようだ――そんな月夜、砧の音が聞こえてくるのは、やはり彼処でも真っ白な衣を擣っているのだろうよ。

【補記】月光の白い反映を霜に喩えるのは和歌漢詩の常套だが、月夜の砧の音から白妙の衣を擣っていると連想を繋げたところに工夫がある。「月にうつ」を文字通り受け取って、月世界の住人のわざを幻視するのも一興。


公開日:平成16年07月14日
最終更新日:平成17年02月14日