一条兼良 いちじょうかねら(-かねよし) 応永九〜文明十三(1402-1481) 通称:一条禅閣・後成恩寺殿

応永九年五月七日、関白経嗣の二男として生れる。母は菅原道真の子孫にあたる東坊城秀長女。関白二条良基は祖父。子に教房・冬良ほかがいる。
病弱であった長兄経輔に代り家督を継ぐ。応永十九年(1412)、十一歳で元服・叙爵。翌年、従三位に昇叙され、翌二十一年には正三位・権中納言に昇進する。さらに内大臣・右大臣・左大臣と進み、永享四年(1432)八月、摂政二条持基が太政大臣に就く際、摂政に任ぜられたが、これは一時的な措置で、二カ月後には辞任させられた。長く二条持基・近衛房嗣の後塵を拝するも、文安三年(1446)には太政大臣に任ぜられ、翌四年、念願の関白に昇任した(故将軍義教夫人日野重子の口添えがあったという)。享徳二年(1453)、関白を辞し、准三宮の宣下を受ける。応仁元年(1467)、関白に再任。やがて応仁の乱が勃発すると、邸や文庫を焼失し、子の大乗院尋尊を頼って南都興福寺に疎開した。奈良では古典の注釈を始めとする著述に打ち込む。文明二年(1470)、関白を辞す。文明五年(1473)出家し、法名覚恵と称した。同九年、帰京。同十三年四月二日、薨去。八十歳。
和漢の学問に精通し、ことに古典学者として公武に重んぜられ、「五百年以来の才人」「一天無双の才」等とその学識が賞讃された。著書は膨大な量にのぼり、将軍足利義尚の求めに応じた政道書『文明一統記』『樵談治要』、パトロン日野富子に贈った教訓書『小夜のねざめ』、有職故実書『公事根源』『桃華蘂葉』、源氏物語の注釈研究書『花鳥余情』『源氏和秘抄』、神道書『日本書紀纂疏』、奈良から美濃への旅行記『藤河の記』などがある。桃華老人・南華老人・三関老人などと号した。
歌道は下冷泉持為に学んだという。永享六年(1434)、新続古今集撰進にあたり永享百首を詠進。新続古今集には9首入集し、また序文を執筆した。嘉吉三年(1443)には自邸で二百八十番の大歌合(通称「前摂政家歌合」)を開催し、文安三年(1446)の「文安詩歌合」、宝徳二年(1450)仙洞歌合、文明十年(1478)の「内裏褒貶歌合」などでは判者を務めた。詠草に奈良疎開中の「南都百首」があり、歌学書には『古今集童蒙抄』『歌林良材集』等がある。連歌にも造詣深く、『連歌初学抄』の著があり、また宗祇と交流があった。なお二条派からは異端視された正徹の歌を高く評価し、『草根集』の序文を執筆したほか、『正徹千首』の編者と目されている。

「南都百首」新編国歌大観10
「藤河の記」群書類従336(第18輯) 新日本古典文学大系51『中世日記紀行集』
「歌林良材集」日本歌学大系別巻7
「花鳥余情」源氏物語古注集成1 源氏物語古註釈叢刊2
 
『一条兼良』永島福太郎、昭34、吉川弘文館人物叢書
『一条兼良全歌集 本文と各句索引』武井和人編、昭58、笠間索引叢刊80
『一条兼良 藤河の記全釈』外村展子、昭58、風間書房
『一条兼良の書誌的研究』武井和人、昭62、桜楓社

里梅

朝日影にほへる山の春風にふもとの里は梅が香ぞする(永享百首)

【通釈】朝日にほのぼのと照り映えている山から吹く春風で、麓の里は梅林もないのに梅の香がするよ。

【補記】「にほへる」は朝日に梅の花が映えている様。このように暖かみのある梅歌は意外と珍しい。永享六年(1434)、新続古今集撰進にあたり後花園院に詠進した百首歌。作者三十三歳。

【参考歌】藤原有家「新古今集」
あさ日かげにほへる山の桜花つれなくきえぬ雪かとぞみる

いにしへをみきのつかさの袖の香や奈良の都にのこる橘(南都百首)

【通釈】いにしえの世を見てきたのだろうか、右近衛府の官人の袖に移ったその香――奈良の旧都に咲き残る橘の花よ。

【語釈】◇みき 「見き」「右」の掛詞。◇みぎのつかさ 右近衛府。◇奈良の都 平城旧京。◇橘 「右近の橘」を想起させる。儀式の際、右近衛府の官人は紫宸殿南階下西方に植えられた橘の側に列した。但しこの慣例は平安時代以降のこと。

【補記】「南都百首」は、「堀河百首」の題に則りつつ、各首に大和国の歌枕や名所を詠み込んだ百首歌。文明五年(1473)成立。作者七十二歳。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
さつきまつ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする
【参考歌】亀山院「嘉元百首」「玉葉集」
わすれずよ右のつかさの袖ふれし花橘やいまかをるらむ

百首歌奉りし時

神垣にぬさと散りかふ紅葉かなしめをもこえて秋や行くらん(新続古今604)

【通釈】神社の垣にあたかも幣と散り乱れる紅葉であるよ。侵入禁止の標縄をも越えて秋は去って行くのだろうか。

【語釈】◇ぬさ 御幣。神への捧げ物。旅に出る時、紙または絹を細かく切ったものを袋に入れて持参し、社の前でまき散らした。◇しめ 縄を張るなどして神域を限った標識。

【本歌】菅原道真「古今集」「百人一首」
このたびは幣もとりあへず手向山もみぢの錦神のまにまに
【参考歌】藤原清輔「千載集」
今ぞしる手向の山はもみぢ葉のぬさとちりかふ名こそ有りけれ

寄月恋

この夕べほのみか月の宵々に影そふごとく恋やまさらん(永享百首)

【通釈】今夕、ほのかにその人と逢った――ほの明るい三日月が、宵毎に光を増してゆくごとく、私の恋心も増さってゆくのだろうか。

【語釈】◇ほのみか月 薄明るい三日月。動詞「ほの見ゆ」と掛詞になっている。

【参考歌】西園寺実兼「続千載集」
空にしれ雲まにみえしみか月のよをへてまさる恋の心を

寄枕恋

あかざりし人の契りのあさねがみ我が手枕にまたもみだれず(永享百首)

【通釈】いくら交りを重ねても満足できずに、朝を迎えたものだ――しかし浅い契りであった――あの人の寝くたれ髪は、私の腕枕の上で、もう二度と乱れることはない。

【語釈】◇契(ちぎ) 言い交わすこと。また、性的な交り。「前世からの因縁」などの意にもなる。◇あさねがみ 朝寝髪。夜の間に乱れた髪。「あさ」に「浅」の意を掛け、契りの浅かったことを暗示している。◇手枕(たまくら) 腕枕。男女は互いに手枕を交わして寝るという習俗があった。

【参考歌】柿本人麿「拾遺集」「人丸集」
あさねがみ我はけづらじうつくしき人の手枕ふれてしものを
  西住「千載集」
たまくらのうへにみだるる朝寝髪したにとけずと人はしらじな


最終更新日:平成17年01月08日