北畠親子 きたばたけちかこ 生没年未詳 通称:権大納言典侍

村上源氏。内大臣通親の裔。権大納言北畠師親の娘。実父は源(中院)具氏。具顕の実姉妹。勅撰集等の作者名は「従三位親子」。
幼くして父を亡くし、父の従兄弟であった師親の娘として東宮煕仁親王(のちの伏見天皇)に出仕、権大納言と称した。弘安十年(1287)、典侍。正安三年(1301)、伏見院との間に尊悟法親王を生む。文保元年(1317)、伏見院崩御の時にはすでに出家していた。
前期京極派の代表歌人の一人。正安元年(1299)の五種歌合、正安二年(1300)〜嘉元元年(1303)頃の三十番歌合、乾元二年(1303)の仙洞五十番歌合、同年五月の三題三十番の歌合、正安元年(1299)〜嘉元二年(1304)頃の歌合、嘉元三年(1305)の永福門院歌合、延慶二年(1309)か翌年頃の十五番歌合など、京極派の歌合の多くに出詠した。家集『大納言典侍集』がある。新後撰集初出。勅撰入集は計五十二首。

  5首  1首  3首  1首  6首  7首 計23首

春歌の中に

朝あけの窓吹く風はさむけれど春にはあれや梅の香ぞする(玉葉61)

【通釈】明けたばかりの朝、窓に吹き込む風は寒いけれど、もう春なのだろうか、梅の香りがする。

【補記】朝風の肌寒さと梅の芳香の取り合せは意外に新鮮。凛冽な早春歌。

【参考歌】二条為世「嘉元百首」「新拾遺集」
朝あけの窓吹きいるる春風にいづくともなき梅が香ぞする
(掲出歌との先後関係は不明)

春居所

月うすくふるき軒ばの梅にほひ昔しのべとなれる夜半かな(大納言典侍集)

【通釈】月の光は淡く、古びた軒端の梅は馥郁と薫り――懐かしい昔を偲べとでもいう有様になった夜だなあ。

【本歌】順徳院「続後撰集」「百人一首」
ももしきや古き軒端のしのぶにもなほあまりある昔なりけり

【補記】月と梅の取り合せは業平の名歌「月やあらぬ…」を連想させもする。

春月を

雲みだれ春の夜風の吹くなへにかすめる月ぞなほ霞みゆく(玉葉123)

【通釈】雲を乱しながら春の夜風が吹きつのるにつれて、霞んでいた月がさらにぼんやりと霞んでゆく。

【補記】夜風が雲を払ってくれるのかと思いきや、千切れた薄雲が月に懸かり、朧月をいっそう朧ろにしてしまった。荒々しい春の夜を詠んだのは珍しい。

花の歌の中に

花なれやまだ明けやらぬしののめの(をち)の霞の奥ふかき色(風雅195)

【通釈】あれは桜の花だろうか。まだすっかり明けきらない東雲(しののめ)の空に、遠方の霞が奥深い色に映えているのは。

【参考歌】藤原成宗「新勅撰集」
花なれやと山の春の朝ぼらけ嵐にかをる峰の白雲

曙花を

春はただくもれる空のあけぼのに花は遠くて見るべかりける(玉葉198)

【通釈】春は何がよいかといったら、ただもう、曇った空がほのぼのと明ける頃、桜の花はぼんやり霞んで――それを遠くから眺めるのが一番だよ。

【参考歌】大中臣能宣「拾遺集」
ちかくてぞ色もまされる青柳の糸はよりてぞ見るべかりける

【補記】「春はただ」と始めて「花は…見るべかりける」と結んだのを、玉葉集論難の書『歌苑連署事書』は首尾が整わないと揶揄している。確かに語法にはやや無理があるにせよ、ために語勢は強くなっている。

夏歌の中に

夏の夜はしづまる宿のまれにしてささぬ戸口に月ぞくまなき(玉葉392)

【通釈】暑い夏の夜は、早くから寝静まる家は稀で、開け放した戸口に月が隈なく射し込んでいる。

【補記】涼むために戸口を開けているのだろうが、そこから月の光が射し込んで家の中まで明るく見せている。のどかな夏の夜の民家の情景。

早秋の心を

秋にこそまたなりぬれと思ふより心にはやくそふあはれかな(玉葉462)

【通釈】また秋になってしまったなあと思うや否や、早くも心に寄りついて離れなくなる、哀愁の情だことよ。

【補記】秋という季節が心に哀愁をもたらすのか、心が秋の景色に哀愁を添えるのか。事象と心理の関係に深い関心を払った、いかにも京極派らしい歌。

秋風を

また秋のうれへの色にむかふなり尾花が風に庭の月かげ(玉葉535)

【通釈】再び秋の憂愁の趣へと向かってゆくようだ。尾花を靡かせて風が吹き、庭にさやかな月光が射す頃。

【補記】「むかふ」は玉葉集・風雅集に頻用される語。この歌では季節が「うれへの色」へと深まってゆく意と、作者の心がそれに向き合う意と、両義を兼ねると思える。対象をつぶさに観察し観照する京極派独特の用語である。

野暮秋

野辺とほき尾花に風は吹きみちてさむき夕日に秋ぞ暮れゆく(玉葉818)

【通釈】野辺遠くまで生える尾花に風がいちめん吹きつけて、寒々とした夕日のうちに秋の最後の一日が暮れてゆく。

【補記】「吹きみちて」の句から、野辺いちめんを覆っている薄がいっせいに穂を靡かせる情景が髣髴とされる。正安二年(1300)〜嘉元元年(1303)頃、初期京極派による三十番歌合。

消雪といふ心を

ふりうづむ雪のすがたと見えつるを消えゆくかたぞ竹になりゆく(玉葉990)

【通釈】うずたかく降り積もった雪の姿と見えたのだが、融けてゆくあとに残る輪郭は、次第に竹になってゆくのだった。

【補記】先後関係は明らかでないが、伏見院には「岡のべやあらしの風のはらふたびに松になりゆく雪のひとむら」との類想歌がある。烈しく動的な院の御製と、静かで悠然とした親子の作、好一対をなす。

【主な派生歌】
日影さす木の下しろき朝霜の消えゆくかたは落葉にぞなる(後崇光院)

夕恋

心にもしばしぞこむる恋しさの涙にあまる夕暮の空(玉葉1463)

【通釈】心の中に押し籠めて我慢できるのも暫くだけだ――やがて恋しさが涙となって溢れ出てしまうよ、夕暮の空を眺めていると。

後朝恋を

いつと待つ日かずはしばしなぐさむを今朝わかれぬるけふぞわびしき(風雅1131)

【通釈】逢えるのはいつだろうと待ち望む日々は暫く心が慰むのだけれども、今朝別れたばかりの今日という日は、つらくて遣りきれない。

【補記】恋人と別れたその日から「いつと待つ」日々が再び始まるのだが、後朝の別れの当日の切なさはやはり耐え難い。

恋歌の中に

さてしもは果てぬならひのあはれさのなれゆくままになほ思はるる(玉葉1503)

【通釈】このままの状態ではとても終わらないのが恋のならい――その悲しさが、人と親密になってゆくにつれて、やはり思われてならないのだ。

【補記】「なれゆく」ばかりでは「果てぬ」のが恋の「ならひ」。それを知ってしまった以上、恋には常に不安がつきまとう。恋に対する醒めた心情ゆえの悲哀である。

題しらず 二首

思ふてふその言の葉よ時のまのいつはりにても聞くこともがな(玉葉1509)

【通釈】「恋しく思っている」というその言葉よ――僅かな間の偽りでもいいから、あなたの口から聞いてみたいものだ。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
思ふてふ言の葉のみや秋をへて色もかはらぬ物にはあるらむ

【補記】古今集の本歌は言の「葉」に木の「葉」を掛けている。本歌取りが情趣に深みを添えた。

 

日にそへて思ひのみそふ身の果てよ惜しからぬしもあはれなるかな(玉葉1525)

【通釈】日に日に恋しさばかり募ってゆく我が身の果てはどうなるのか――死んでも惜しくない命に思えることこそが、何より悲しいなあ。

【補記】思いが「添ふ」ばかりで、恋人は寄り添ってはくれない。だから命も惜しくないが、そんな風に自暴自棄になることの悲しさを詠む。

恋歌とて

人も憂く身も憂き果ての我が身をばただおなじ世におかじとぞ思ふ(玉葉1743)

【通釈】相手の人も恨めしいし、自分にもつくづく嫌気がさした――そのなれの果ての我が身は、ただもうあの人と同じ世には置くまいと思う。

【参考歌】藤原忠良「千五百番歌合」
人もうく我もくやしきなぐさめは世々のちぎりのむくひばかりぞ

暁の心を

庭のかげはまだ夜ぶかしとみる程に月にしられて夜は白みけり(玉葉2127)

【通釈】庭の木蔭の暗さから、まだ夜は深いと思っていたところが、弱まってきた月の光によって、あたりは白じらと明けてきたことに気づいたのだ。

【補記】庭に射す月明かりの淡さによって夜明けの近いことを知らされ、その時始めて空が白んで来たことに気づいたのである。光と時間の推移に対する感覚をリアルに詠む。

雑歌の中に

窓ちかき軒ばの峰はあけそめて谷よりのぼるあかつきの雲(風雅1631)

【通釈】窓近く軒端に望まれる峰は、しらじらと明けそめて、谷の方から暁の色に染まった雲が昇ってくる。

【補記】色をあらわす語は一つも使っていないのに、昧爽の彩りが匂い立つ。

【先蹤歌】西園寺実氏「宝治百首」「玉葉集」
山たかみ梢にあらき風たちて谷よりのぼるゆふだちの雲

庭松と云ふ事を

聞きわびぬ軒ばの松を吹きしをる嵐にこもる入相のこゑ(玉葉2197)

【通釈】聞いているのも辛くなってしまった。軒端の松を撓ませて吹く嵐の中に籠って響く入相の鐘の声は。

【補記】乾元二年(1303)五月の三十番歌合。

【参考歌】九条良経「秋篠月清集」
見ずしらぬむかしの人の心まで嵐にこもる夕ぐれの空

題しらず

つれづれと山陰すごき夕暮の心にむかふ松のひともと(風雅1734)

【通釈】山陰の寒々とした夕暮を、徒然と物寂しく過ごしている――そんな私の心は、一本の松の木と対座しているかのようだ。

【補記】庭先の孤松と向かい合う孤独な我。「むかふ」は京極派独特の用語だが、「ももしきのとのへをいづる宵々は待たぬにむかふ山のはの月」「夜もすがら月にうれへてねをぞなく命にむかふ物おもふとて」など定家の作を先蹤とするようだ。

永仁二年四月十三日、ふるきしの心を

なにとなくあはれにみゆる大空の雲に心をけふは暮らしぬ(大納言典侍集)

【通釈】なんとなく趣があるように見える大空の雲に心を遣って、今日は夕暮れるまで眺めていたことだ。

【補記】詞書は「古き詩の心を」か。不詳。

【参考歌】永福門院小兵衛督「嘉元三年歌合」
けふも又ただ大空の雲にのみ我がながめをばつくしぬるかな

世の中はかなき事おほくきこえける比

先立つをあはれあはれと言ひ言ひてとまる人なき道ぞかなしき(玉葉2341)

【通釈】先立ってゆく人を、ああ悲しい、かわいそうと言い言いして過ごしながら、そう言っている当人たちも結局誰一人留まることはない、人の世のならいの悲しいことよ。

【補記】知り合いの不幸が続けて起こった頃の作。「さきだつ」「とまる」は道の縁語。道ゆく人々のイメージを喚起することによって、人生の無常という抽象的な主題に具体性を持たせた。

【参考歌】殷富門院大輔「新勅撰集」
桜花ちるをあはれといひいひていづれの春にあはじとすらむ

心ちなやましくて里に侍りける比、月をみて

しばしだにここをば月もすみうくや(すだれ)(ほか)に影おちてゆく(玉葉2491)

【通釈】ほんのしばらくでさえここに住むのは嫌だと言うのか、澄んだ月の光は簾の外へと落ちてゆく。

【補記】田舎で療養していた頃の作。「ここ」は現世を言い、「簾の外」は西方浄土を言う(月は西へ沈むゆえ)。「すみうく」の「住み」に「澄み」を掛けている。


公開日:平成14年11月09日