藤原宣子 ふじわらのせんし(-のぶこ) 生年未詳〜元亨元(1321)

御子左家。侍従為顕の娘。為家の孫。関白二条兼基(1268-1334)の側室。弘安十年(1287)、道平を生む。従二位に至る。
文保三年(1319)頃、後宇多院が続千載集の選歌資料として召した文保百首に詠進。この頃五十歳位か。新後撰集初出。勅撰入集は計三十三首。

暮秋の心を

庭もせに声々ききし虫のねのときどきよわき秋の暮がた(玉葉811)

【通釈】以前までは庭いっぱいにさまざまな声で鳴くのを聞いた虫の音が、最近は時々ふと弱くなる――秋も暮れようとする季節。

【補記】秋の深まりと共に弱まってゆく虫の音に対する感慨。「ときどきよわき」に観察的な態度が見え、京極派らしさがある。

【参考歌】藤原俊成「千載集」
さりともと思ふ心も虫のねもよわりはてぬる秋の暮かな

百首歌奉りし時

月もまたしたひきにけり我ばかり宿ると思ふ野べのかり庵(続千載822)

【通釈】月も慕うように追って来て、私の袖の涙に宿っていたのだなあ。自分独りが宿を借りたと思っていた野辺の仮庵だったが…。

【補記】旅の辛さに流す涙に、月の光が映っている。詞書の「百首歌」は文法百首。文保三年(1319)、後宇多院が続千載集撰進のために当代歌人より召した百首歌である。

恋歌の中に

おのづから思ひや出づるとばかりの我がなくさめもよその年月(風雅1408)

【通釈】自然と思い出してくれることもあるだろうか――そんな風に自分を慰めるしかない私の思いをよそに、むなしく過ぎてゆく年月。

【補記】破れて久しい恋、なお残る未練の思い。

【参考歌】飛鳥井雅孝「続千載集」
おのづから思ひや出づる憂き人の心しらせよ夜半の月影

述懐歌の中に

折々の身のあらましもかはりけり我が心さへさだめなの世や(風雅1878)

【通釈】こうあってほしいという我が身の願いも、折にふれて変わってきたのだ。自分の心さえ定まらない、無常の世よ。

【参考歌】西行「残集」
かへり行くもとどまる人も思ふらん又逢ふことのさだめなの世や
  伏見院「風雅集」
かはりゆく昨日のあはれ今日のうらみ人に心のさだめなの世や


公開日:平成14年11月09日
最終更新日:令和5年07月14日