上田秋成 うえだあきなり 享保十九〜文化六(1734-1809) 号:無腸・余斎・鶉居(じゅんきょ)

出自不詳。大阪曽根崎の遊郭に私生児として生まれたともいう。幼時、堂島の富裕な紙商上田家の養子となる。遊蕩の青春時代を過ごし、俳諧・戯作などに親しむ。二十代で養父を亡くすと家業を継ぎ、一方浮世草子の作者として世に出る。契沖賀茂真淵の著書に親しみ、明和三年(1766)、大阪城の勤番となった加藤宇万伎(賀茂真淵門人)に師事して国学を学んだ。同五年、怪談集『雨月物語』を執筆、後世文学史に不朽の名を留めることになる(出版は八年後の安永五年)。明和八年(1771)、三十八歳の時、火災で家産をなくしたため、医を学び生業とする。四十歳前後、俳諧から和歌に転向し、一時は下冷泉家に入門したという(『胆大小心録』)。五十代半ばで医を廃業し、以後文筆に専念する。晩年は妻の郷里京都に移り、知恩院門前、百万遍の羽倉信美邸、南禅寺境内などを転々とした。この頃、小沢蘆庵伴蒿蹊と親交する。文化六年六月二十七日、没。七十六歳。墓は京都西福寺にある。
上記以外の著書に『諸道聴耳世間猿』『世間妾形気』『春雨物語』『胆大小心録』など。和歌は自撰の歌文集『藤簍冊子(つづらぶみ)』に七百首余りが収められ、他に歌集『毎月集』『秋の雲』『鶉居和歌集』などがある。同門の本居宣長との激しい論争は名高い。

「藤簍冊子」上田秋成全集(国書刊行会)・続歌学全書6・和文和歌集上(日本名著全集)・校註国歌大系17・新編国歌大観9・近世歌文集下(岩波新日本古典文学大系68)

「心はおのがものなれば、人丸も貫之も、定家も後京極も、よい事はまなんで、悪い事は捨小舟、櫓櫂なしに榜ぐぢゃてや」(胆大小心録)

  13首  5首  10首  5首  3首 計36首

立春霞(二首)

風はやき山はけしきを立ちかへて横川(よかは)の杉に霞たなびく(藤簍冊子)

【通釈】強い春風が吹く山は、ありさまをさっと変えて、今や横川の杉林に霞がたなびく。

【語釈】◇山 「横川」の名から比叡山であることが判る。◇けしき 気色。ありさま。おもむき。◇横川 比叡山延暦寺の横川地区。横川中堂・根本如法搭などがある。

【補記】「立ちかへて」の「立ち」は動詞に付いて語勢を強めたり、その動作が素速かったり目立ったりする意を添える接頭語。ここでは「さっと変えて」ほどの意になる。ついさっきまで冬景色に見えた山が、風が運んできた霞によって春めいた趣に一変したというのである。

 

我こそは面がはりすれ春霞いつも生駒の山に立ちけり(藤簍冊子)

【通釈】私の方は去年の今と比べ面変わりしたけれども、春霞はいつもと変わりなく生駒の山に現れている。

【語釈】◇生駒(いこま)の山 大和・河内国境の山。秋成が生まれ住んだ大坂からは東に眺められる。春は東方からやって来ると考えられたので、大坂人にとっては生駒山の霞が真っ先に春を告げるものであった。

【補記】老けてゆく自分の顔と、毎年変わりない春霞を対比した、未曾有の立春詠。新年の永遠回帰を春霞に象徴させて「立春霞」という伝統的な題の本意を満たしているのであるが、何となく霞に向かって憎まれ口を叩いているようにも聞こえて面白い。作者の独特のパーソナリティを感じさせる作である。

【参考歌】作者未詳「万葉集」巻十
昨日こそ年は果てしか春霞春日の山に早立ちにけり

早春歌

春の雪あがきにくだき信濃なる菅のあら野の駒いさむなり(藤簍冊子)

【通釈】春の雪を蹄に駆け砕いて、信濃の菅の荒野の馬が奮い立っている。

【語釈】◇菅(すが)のあら野 信濃の歌枕、所在不詳。長野県上田市の菅平高原、筑摩郡の梓川と奈良井川の間の原野とする説などがある。

【補記】万葉集に由来する鄙びた歌枕を舞台として、春の雪を砕く荒馬に早春の凛呼たる風情を詠む。

【参考歌】作者未詳(信濃国歌)「万葉集」巻十四
信濃なる須我の荒野に霍公鳥鳴く声聞けば時過ぎにけり

曇り日はことにぞにほふ梅の花風吹きとづる深き霞に(藤簍冊子)

【通釈】曇りの日には普段より一層よく匂う。梅の花は、風が吹き寄せ、立ち籠めた深い霞のために。

【補記】霞に閉じ込められて花の香が漏れない、ゆえに春の曇り日は梅がよく匂う、という。梅と霞の取り合わせは古来おびただしいが、「曇り日はことにぞにほふ」という卑近な物の見方は旧派和歌のとらなかったところ。

かげろふのもゆる春日の小松原鶯遊ぶ枝うつりして(藤簍冊子)

【通釈】陽炎が燃え立つ春の日の小松原で鶯が遊んでいる、枝から枝へ移って。

【語釈】◇小松原 小さな松が生える原。この「小」は文字通り小さい意と見た方が一首の可憐な情趣に適う。

【補記】近代の写生歌に慣れた目には何ということもない歌であろうが、下句に見られる細やかで生彩ある描写は、当時にあっては清新さの感じられるもの。若き日俳諧に親しんだ作者の眼が生きているように思われる。

【参考歌】冷泉為村「為村集」
声の色をそへよ鶯梅はとく春しる花の枝うつりして

九重もちかくやなりぬ道広きゆくてに萌ゆる春の青柳(藤簍冊子)

【通釈】宮城も近くなったのだな。道が広々としている行く手には、柳の並木が青々と萌えている。

【語釈】◇ちかくやなりぬ 近くなったのだ。この「や」が疑問をあらわす係助詞だとすれば連体形で結ばなければならず、「ちかくやなりぬる」が文法的に正しい。しかし詠嘆の意を添えたり語調を整えたりする間投助詞と見れば、「なりぬ」で良いことになる。

【補記】印象鮮明ということでは、同題の「大寺の門辺にたてる古柳土はくまでに枝は垂れにけり」が勝ろう。春情の豊麗さで掲出歌を採った。

禅林寺にて

夕日影かがやく峰のさくら花けふもながめて暮るる庵かな(藤簍冊子)

【通釈】夕日が輝く峰の桜花――今日もそれを眺めて一日が終わる庵であるよ。

【語釈】◇禅林寺 京都東山の永観堂。◇夕日影 夕日の光。

【補記】同題三首の三首目。他の二首は「さくらさく此山陰の夕曇り空さへ花の色にまがひて」「高砂のをのへにたてる桜花はやも嵐のさそひやはせむ」。

桜花さけるを見ればかほよ人衣にとほるひかりなりけり(藤簍冊子)

【通釈】桜の花が咲いているのを見ると、あたかも美女の衣を透けて通る光の美しさであった。

【語釈】◇かほよ人 美貌の人。容姿比類なく、その美しさが衣を透して輝いたという衣通姫を暗示している。

山路花

夜にかくれ逢ひにし人に花山の道にゆきあふおもなしや我(藤簍冊子)

【通釈】夜の闇に隠れて逢った人と、花咲く山の道で昼間に偶然出会う。私はどんな顔をすればよいものやら、きまりが悪いよ。

【語釈】◇おもなし 合わせる顔が無い、恥しい。

【補記】秋成は恋歌を一首も作らなかった(少なくとも遺さなかった)。掲出歌は、狂歌めかしてはいるものの、珍しく恋の風趣薫る歌。

雨中花(二首)

打ちむれてきのふは見しを桜ばな雨しづかなる陰となりにき(藤簍冊子)

【通釈】昨日は大勢集まって見た桜の花であるが、今日は静かな雨の降る木陰となっている。

【補記】賑やかな花見より、静かな木陰で眺める雨中の花の風情をよしとする。

【参考歌】鷹司基忠「玉葉集」「題林愚抄」
ふりくらす雨しづかなる庭の面にちりてかたよる花の白波

 

さくら花うれしくもあるかこの夕べ嵐にかへて小雨そぼふる(藤簍冊子)

【通釈】桜花よ、嬉しいではないか。この夕暮時、嵐がやんで小雨がそぼ降っている。

【補記】桜の花が「うれし」と思っているとも解せる。「もあるか」と留めるのは復古調。平安以降の和歌では「もあるかな」の方が普通である。

【参考歌】道祖王「万葉集」
新しき年のはじめに思ふどちい群れてをればうれしくもあるか

落花

桜ちる木の本見れば久方の星の林に我は来にけり(藤簍冊子)

【通釈】桜が散り敷いた木の下の地面を見ると、天上の星の林に私は来ていたのだった。

【補記】「星の林」は、下記万葉歌では天の川を言うのであろう。掲出歌は、土の上に散り敷いた花びらを無数の星に見立ている。

【参考歌】「万葉集」巻七 柿本朝臣人麻呂之歌集出
天の海に雲の波立ち月の船星の林に漕ぎ隠る見ゆ

かはづ

夕されば蛙なくなり飛鳥川瀬々ふむ石のころび声して(藤簍冊子)

【通釈】夕方になると、飛鳥川では蛙が鳴く。この川の浅瀬を踏んでゆくと石がころころと音を立てるが、ちょうどそのように転がる声で。

【語釈】◇蛙(かはづ) 蛙を意味する歌語。元来は河鹿を指した。◇飛鳥川 大和の歌枕。浅瀬の多い里川である。◇ころび声 川底の小石がころがって立てる音を、蛙の鳴き声になぞらえる。秋成の造語に違いない。

【補記】「境は何でもないものだが、彼のその時の明るい気分を捉へられて、寸情の溢れた歌となつてゐる」(窪田空穂『近世和歌研究』)。

【参考歌】上古麻呂「万葉集」巻三
今日もかも明日香の川の夕さらずかはづ鳴く瀬のさやけくあるらむ

〔題欠〕

宮のうちは男をみなも白栲(しろたへ)の衣ゆゆしみ夏立ちにけり(藤簍冊子)

【通釈】宮中では男も女も夏服に替わり、その真っ白な衣が神聖で尊い感じがして、夏になったのだとしみじみ思い知らされる。

【語釈】◇ゆゆしみ この「み」は上代のミ語法と呼ばれ、形容詞の語幹に付いて理由・原因をあらわすのが本来の用法であるが、王朝和歌では形容詞連用形と同じ使い方がなされることが多い。ここも「ゆゆしく」程度の意味で用いている。

【補記】『藤簍冊子』の冒頭、屏風歌を集めた「藻屑」の一首。寛政十一年(1799)、妻を亡くした秋成が羽倉信美(本姓は荷田。伏見稲荷社の祠官)の家に奇遇していた時の作。

【参考歌】持統天皇「万葉集」
春過ぎて夏来たるらし白栲の衣ほしたり天の香具山

〔題欠〕

かぐ山のをのへに立ちて見わたせば大和国はら早苗(さなへ)とるなり(藤簍冊子)

【通釈】香具山の峰に立って見渡すと、大和の平野では早乙女たちが早苗取りをしている。

【語釈】◇国はら 万葉集の舒明天皇御製に「国原は 煙たちたつ 海原は かまめたちたつ」とあるように、海原に対して陸の平原を意味するが、国讃めの心が籠る語でもある。

【補記】秋成の代表作として名高い。「藻屑」より、これも屏風歌。続く一首「早苗とる時には成りぬをとめらが難波すが笠紐はつけてん」も清々しい。

【参考歌】藤原為忠「風雅集」
夕日さす山田の原を見わたせば杉の木かげに早苗とるなり

時鳥

さみだれは夜中に晴れて月に鳴くあはれその鳥あはれその鳥(藤簍冊子)

【通釈】五月雨は夜中のうちにやんで、月明りに鳴く、ああ素晴らしいその鳥よ、ああ素晴らしいその鳥よ。

【補記】下句は万葉集から借りた句を繰り返しただけであるが、古来この鳥に寄せた風流びとの思いをかくも端的に言い尽くした歌はあるまい。

【参考歌】高橋虫麻呂歌集「万葉集」
かききらし雨の降る夜をほととぎす鳴きてゆくなりあはれその鳥

夏月

夏河に光をみせて飛ぶ魚の音するかたに月はすみけり(藤簍冊子)

【通釈】夏の川にきらりと光って飛び跳ねる魚――気づけば、その水音がした方に月は澄み輝いているのだった。

【補記】光にきらめく魚、水面を打つ音、魚の消えた川の上に輝く月――視覚から聴覚、聴覚から視覚へ、一瞬の切り替えが鮮やか。

明けぬれば(あふち)花さく葉隠れにやめば次がるるひぐらしの声(藤簍冊子)

【通釈】夜が明けると、花咲く楝の葉繁みに隠れて蜩が鳴き始め――ふと鳴きやんでは、また声を継いで鳴く。

楝(栴檀)の花
楝の花

【語釈】◇樗(あふち) 楝とも書く。栴檀のこと。夏、香り高い薄紫の花を多数咲かせる。樹液が多いためか蝉に好まれる樹である。

【補記】万葉集の句を巧みに応用するなど、作者の修辞の才を遺憾なく発揮している。秋成の蝉を詠んだ歌では「鳴く蝉のやどりの松の木の本にもぬけの衣の風に吹かるる」も知られた一首。

【参考歌】山部赤人「万葉集」
たかくらの三笠の山に鳴く鳥のやめばつがるる恋もするかも

残暑

朝がほの凋まぬほどに降り晴れて雨より後の秋のあつさは(藤簍冊子)

【通釈】朝顔の花が萎まない程度にさっと降り、また晴れて――雨あがりの、秋だというのにこの暑さよ。

【補記】「藻屑」の一首。夕立などが降った後の涼しさを詠んだ歌は多いが、雨後の暑さを詠むのは珍しい。題詠ながら、伝統的な趣向に拘泥しない作者の姿勢はここにも見られる。

初秋十七夜、三井寺の高きに上りて、月を見る

てる月の影は浪もて砕けども光は海をわたるなりけり(藤簍冊子)

【通釈】湖面に輝く月の形は波によって砕かれるけれども、そのまま光は湖を東から西へ渡ってゆくのであるよ。

【補記】「藻屑」の一首。初秋七月十七日の夜、近江の三井寺(園城寺)の高台から琵琶湖の月を眺めた歌。「湖上に映る月を影(かたち)と光とに分解した異例の歌」(岩波新日本古典大系注)。

あした湖上の楼に遊ぶ

白雲に心をのせてゆくらくら秋の海原思ひわたらむ(藤簍冊子)

【通釈】空ゆく浮雲に心を乗せて、ゆらゆらと、秋の広大な湖面を渡ってゆこう。

【語釈】◇湖上の楼 琵琶湖のほとりの高楼。◇ゆくらくら 「ゆくらゆくら」の約。万葉集では「大船の ゆくらゆくらに 思ひつつ」などと使われ、ゆらゆらと心がたゆたうさまを言う。秋成の歌では「ゆくらか」の語感も響き、ゆったりとした心のありさまが含意される。◇思ひわたらむ 想像の中で渡ろう。

 

秋の雲風にただよひゆく見れば大はた小幡妹がたく領布(ひれ)(胆大小心録)

【通釈】秋の雲が風に漂ってゆくのを見ると、大きい幡のようなのや、小幡のようなのや、妻の栲領布(たくひれ)のようなのや、様々な形である。

【語釈】◇大はた 大きな幡。◇たく領布 栲領布。楮(こうぞ)の繊維で作った薄い布切れ。肩に掛けて装った。

【補記】自身の随筆集『胆大小心録』で言及している歌で、『藤簍冊子』には見えない。「さしてよいといふのではない。古意にて、古體にて、等類ないかと思うたのなり。秋風吹白雲飛といふを、ちとおもしろがらせたのみ。調べの高き事が自慢ぢや」と自作解説。

峰月

ねざむれば比良(ひら)高峰(たかね)に月落ちて残る夜くらし志賀の海づら(藤簍冊子)

【通釈】目が覚めると、比良の高嶺に月が沈んで、残りの夜は真暗である。山陰の志賀の湖面も黒々として――。

【語釈】◇比良の高峰 琵琶湖の西側に聳える山々。主峰の武奈ヶ岳は標高千二百メートルを越える。◇残る夜 明け方までの残りの夜。◇志賀の海づら 琵琶湖の志賀あたりの湖面。志賀は琵琶湖南西岸一帯を指す古称。

【補記】これも琵琶湖の景。「『残る夜暗し』の秀句表現を軸に、ぐらりと傾く感ある琵琶湖の乾坤(けんこん)、闇に近い景色に、先刻まであった月光が、意識の底ではまだ照っている一種の錯覚の妙、ここには、小説の世界で私達を魅了した秋成が確かに生きている」(恂{邦雄『和歌文学講座8 近世の和歌』)。

田家月

いはけなき里のわらべが夕まとゐ月に指さし門遊びして(藤簍冊子)

【通釈】あどけない村里の子供たちが、夕方、門先で円くなって座り、月が出て来たと指さして遊んでいる。

【語釈】◇夕まとゐ 夕方、円座を組むこと。原文は「夕まとひ」で、「夕惑ひ」の意とする本もあるが、仮名違いの「夕まとゐ」すなわち「夕円居」であろう。和歌での用例は他に見ないが、用語に拘泥の無かった秋成であれば不思議はない。また、子供たちの「まとゐ」と見る方が、のどかな田園地帯の月見の風情という題の本意にも適う。

月歌

千里まで照らせる影とゆふ波の汐のたたへに月さし昇る(藤簍冊子)

【通釈】千里の果てまで照らすという月の光――その月が、夕潮の満ちた波の上に今しも差し昇る。

【語釈】◇ゆふ波の 「云ふ」「夕波」を掛ける。

(二首)

てる月に雁のまれ人なきわたる我がまつ友はこよひこなくに(藤簍冊子)

【通釈】輝く月明かりの中、雁という客人が鳴きながら空を渡って来る。今宵、私の待つ友は来ないというのに。

【語釈】◇まれ人 異国・異郷からの来訪者。古く雁は常世からやって来ると考えられた。

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
山吹はあやなな咲きそ花見むと植ゑけむ君がこよひこなくに

 

とぶ雁のゆくへは霧にうづもれて鳥羽田の千町夕暮れにけり(藤簍冊子)

【通釈】雁の飛んで行った先は霧に埋もれて見えず、鳥羽の千町田(ちまちだ)はすっかり夕暮れてしまった。

【語釈】◇鳥羽田(とばた) 鳥羽の田。鳥羽は山城国の歌枕。今の京都市南区上鳥羽から伏見区下鳥羽あたり。広大な田地が歌に詠まれた。◇千町(ちまち) 広々とした田。「町」は土地の面積の単位。

【参考歌】慈円「新古今集」
大江山かたぶく月の影さえて鳥羽田のおもに落つる雁がね

秋のはて

久方の天の河原も影きえて秋の夜くらく雁鳴きわたる(藤簍冊子)

【通釈】天の川の川原の光も消えて、暗い秋の夜空を雁が鳴きながら渡ってゆく。

【補記】秋の果ては長月(陰暦九月)の末。月はまだ昇らず、天の川は沈んだ暗夜。北へ帰る雁の姿も見えず、ただその声だけが響く。

越の海は浪たかからし百船(ももふね)のわたりかしこき冬は来にけり(藤簍冊子)

【通釈】北陸の海は波が高くなっているらしい。たくさんの船が渡航を恐れ慎む冬がやって来たのだ。

【語釈】◇越(こし)の海 越は北陸道の呼称。その沿岸の日本海を「越の海」と言った。◇百船 たくさんの船。万葉語彙。「百船の泊つる対馬の安佐治山しぐれの雨にもみたひにけり」など。

【補記】遠国の荒海に冬の到来を思いやるのは珍しい趣向。『藤簍冊子』では雑歌に分類されている。

落葉

森深き神の(やしろ)の古簾すけきにとまる風の落葉は(藤簍冊子)

【通釈】森の奧深くの神社の古い簾、その隙間に、風が吹いて飛ばした落葉が留まっている。

【語釈】◇古簾(ふるすだれ) 簾は竹を編んだ帳。神社では殿舎に簾を垂らすのが常。

【参考歌】烏丸光広「黄葉集」
見ぞわかぬ色のちくさを木の下に吹きあつめたる風の落葉は

夜のほどにふりしや雨の庭たづみ落葉を閉ぢてけさは氷れる(藤簍冊子)

【通釈】夜のうちに降ったのだろうか、雨で出来た庭の水溜り――落葉を閉じ込めて今朝は凍っている。

【参考歌】近衛天皇「続古今集」
この寝ぬる夜のまの風やさえぬらむ筧の水のけさはこほれる

みぞれふり夜のふけゆけば有馬山いで湯の(むろ)に人のともせぬ(藤簍冊子)

【通釈】霙が降り、夜が更けてゆくと、有馬山の出で湯の浴室には人の音もせず、静まり返っている。

【語釈】◇有馬山 摂津国の歌枕。今の兵庫県神戸市。古くから湯治場として栄えた。◇人のと 人の音。

追儺

年ごとにやらへど鬼のまうでくる都は人のすむべかりける(藤簍冊子)

【通釈】毎年追い払うけれど、懲りずに鬼が参上する都――余程良いところなのだろう。なるほど人が大勢住むのも尤もである。

【語釈】◇追儺(ついな) 大晦日の夜、鬼を追い払い疫病を除くための宮中の儀式。のち社寺や民間に広まり、近世には節分の行事となったが、この歌では宮中の年中行事を言っている。

【補記】狂歌に近い詠みぶり。戯作者であった秋成が和歌でも稀に見せた一面である。

すみかさだめず、をちこちしあるくを、今はいづこにと、人のとひければ

風の上に立ちまふ雲のゆくへなくあすのありかは(あす)ぞ定めむ(藤簍冊子)

とこたへしかば、爪はじきして、憎きものにいふとなむ聞えし

【通釈】風の吹く上を舞い飛ぶ雲のように、どこというあてもなく彷徨い、明日の在り処は明日決めよう。

【語釈】◇爪はじき 人差し指を親指にかけて弾くこと。嫌悪感や非難の表明。

【補記】晩年、京を放浪していた時代の作。

庵を鶉居(じゆんきよ)と名付けしは、聖人鶉居鷇食の謂にあらず、鶉は常居無しと云ふによれるなり。此いほりに、ある夜ぬす人入りて、いささかある物をかづきもていにけり、あしたおもふ

我よりもまづしき人の世にもあれば(うばら)からたちひまくぐるなり(藤簍冊子)

【通釈】私より貧しい人もこの世にいるので、茨だろうが枳殼だろうが隙間を潛って、私の庵に盜みに入ったのであるな。

【補記】詞書の「聖人鶉居鷇食の謂」は『荘子』に由る。聖人は鶉のように野に住み、雛鳥のように母のはぐくみを受ける、の意。「鶉は常居無し」とは、鶉の住処を定めず野を移り住む習性を言う。それに因んで鶉居と名づけた庵に盗人が入り、物を盜られた翌朝に詠んだ歌。

かが鳴きて夕はかへる荒鷲の(つばさ)にしのぐ筑波やま風(藤簍冊子)

【通釈】声高く鳴いて、夕方には山へ帰ってゆく荒鷲――筑波嶺から吹きつける山風を、その翼に凌いで飛んでゆく。

【語釈】◇かが鳴きて があと鳴いて。万葉語彙(【参考歌】参照)。元来は「かか鳴く」と清音。◇翅にしのぐ この「しのぐ」は「逆らう」「困難を堪えて乗り超える」といった意。

【本歌】作者未詳「万葉集」巻十四(常陸国歌)
筑波嶺にかか鳴く鷲の音のみをか泣きわたりなむ逢ふとはなしに
  賀茂真淵「賀茂翁集」
信濃なるすがの荒野を飛ぶ鷲のつばさもたわに吹く嵐かな


公開日:平成19年10月19日
最終更新日:平成19年10月19日