紀伊国に生れる。幼少より高野山で修学し、のち紀ノ川のほとりの藤崎山(和歌山県紀の川市に藤崎の地名が残る)に隠棲した。和歌を加納諸平に学ぶ。漢詩も嗜み、また七絃琴を能くした。西行を慕い、諸国を遍歴する。明治九年(1876)、寂。六十五歳。家集『空谷伝声集(やまびこしゅう)』がある(校註国歌大系十九所収)。
以下には『空谷伝声集(やまびこしゅう)』より十首を抜萃した。
待花
ともすれば琴ひきさしてうち霞む窓の外山のながめられつつ
【通釈】どうかすると、琴を弾く手を止めて、霞んでいる窓の外の端山をつい眺めてしまうのである。
【語釈】◇外山(とやま) 深山(みやま)の反意語で、山地の外側をなし、平地と接している山々。端山。因みに幽真は和歌にしばしば「窓の外山」を詠んでいる。「総角(あげまき)に木の芽煮させてつくづくと窓の外山の雪を見るかな」など。
【補記】桜の開花を待つ閑雅な日々。作者の幽真は七絃琴をきわめて好み、歌でもたびたび琴に触れている。自身のトレードマークとしていたかの感がある。
山花漸開
ただむかふ山松のまにほのぼのとにほへる雲やわが恋ふる花
【通釈】まっすぐ向き合っている山の松林の木の間に、ほのかに映えている雲――あの雲が私の恋い焦がれる花なのだ。
【補記】「ただむかふ」は庵の窓と正面に対しているということであろう。日ごろ眺めているからこそ「わが恋ふる花」なのである。
【参考歌】加納諸平「柿園詠草」
舟長の今ぞ盛と棹さしてをしふる雲やわが恋ふる花
夕立
かづらきの尾越しの雲の崩れきて夕立すなり
【通釈】葛城山の峰つづきにまたがる雲が崩れて来て、風猛の里では夕立が降っている。
【語釈】◇かづらき 和泉国と紀伊国の境に聳える葛城山。今は「かつらぎ」と読むが、昔は「かづらき」。◇風猛(かざらき)の里 紀ノ川北岸の地。粉河寺のあるあたり。和泉葛城山の南にあたる。
【補記】「かづらき」は古歌によく詠まれた大和の葛城山でなく、幽真の庵から眺められたであろう和泉葛城山である。その尾根にまたがる夕立雲の動きを捉えた描写には迫力がある。
【参考歌】賀茂真淵「賀茂翁家集」
大比叡や小比叡の雲のめぐり来て夕立すなり粟津野の原
泉
夏山の
【通釈】夏山の盛んに繁る木々の奥にある岩の間――そこから音さえ冷え冷えと水がほとばしっている。
【補記】岩の間から湧き出し、小さな滝のように迸っている清水に、夏の涼感の極みを見い出している。
【参考歌】藤原宣子「新拾遺集」
風さわぐ楢のおち葉に玉ちりて音さへさむくふる霰かな
月
月を見て誰かは家を恋ひざらむ野に臥す我も人の子にして
【通釈】月を眺めて、誰が故郷の家を恋しく思わないだろうか。諸国を行脚し、野に臥す私も人の子であって――。
【補記】家集の秋の部に収める。「野に臥す」とは、人ならぬ野獣の如く夜を過ごすということ。所さだめず遍歴する修行僧「我」の感慨である。
月前管弦
月
【通釈】月は明るく、琴の音は清らかである。老いた我が身も、少女めいた様で、庭に舞おうか。
【語釈】◇少女(をとめ)さび 少女らしくふるまうこと。五節の舞の時に歌われる「天人の歌」、「乙女子が 乙女さびすも からたまを 乙女さびすも そのからたまを」に拠る。
【補記】明月の夜、自ら弾く琴の音に鼓舞された心情であろう。
【参考歌】大伴四綱「万葉集」巻四
月夜よし川の音清けしいざここに行くも行かぬも遊びて行かな
良寛「はちすの露」
風は清し月はさやけしいざともに踊り明かさむ老のなごりに
落葉
夕日影ななめに照らす山窓に独りしぐれて散るもみぢかな
【通釈】夕日が斜めに射し込む山家の窓に、自分だけ時雨に濡れて散る紅葉であるよ。
【語釈】◇しぐれて 時雨が降って。時雨は晩秋から初冬にかけて降る局所的な通り雨。「しぐる」はまた「涙がこぼれる」「涙を催す」といった意味でも用いられた。
【補記】孤独な山住みの身にあって、紅葉の散るさまに涙を催す感傷をほのめかしている。
杉
荒鷲の羽ほす雲の八重山に
【通釈】ただ荒鷲ばかりが棲み、羽を干している、幾重も雲が重なる山――そんな深山に、誰を友として杉の木は生えたのだろうか。
【語釈】◇知る人 自分を知る人、つまり友。「誰をかも知る人にせむ」(古今集、藤原興風)。
【補記】荒々しい深山に孤立する一本杉に、おのれの孤独を見つめている。
芭蕉
世の中を夢と見果てて誰かすむ風のばせをの葉隠れの宿
【通釈】現世を夢と見極めて、誰が住んでいるのか。風が吹きつける芭蕉の葉に隠れた庵よ。
【語釈】◇ばせを 芭蕉。長楕円形の葉は、二メートル近くの大きさになるが、裂けやすく、果敢ないものの譬えとされる。
【補記】庭の芭蕉の葉に隠れるようにして建つ庵。その葉の破れやすさに寄せて、現世の儚さを見極めた人が住んでいるのかと思いやる。
述懐
琴とりてこの世は花につくさまし
【通釈】琴を奏して、現世はただ風雅のうちに送りたいものだ。一生が果てての因果応報はどうあろうとも。
【補記】「花」は「実(じつ)」の対語で、美しくも儚いものごと。音楽や和歌といった、社会において実用的には役に立たないものに我が世を尽くそうとの思い。幽真の人生観を端的にあらわした一首。
公開日:平成20年08月05日
最終更新日:平成22年01月08日