木戸孝範 きべたかのり(きど-) 永享六〜文亀二以後(1434-1502以後)

上野国木部邑(今の群馬県邑楽郡大泉町)出身の豪族。木戸氏は清和源氏新田流とも言うが、『兼載雑談』は孝範を桜町中納言の末裔で藤家の血筋と伝える。
代々関東管領の重臣の家柄。父小府は連歌の上手であったという(『雲玉和歌抄』)。永享八、九年(1436〜7)頃、父が自殺し、嘉吉二年(1442)、九歳の時に将軍義教のはからいで上洛する。下冷泉持為に和歌を学び、貞常親王正徹の指南も受けたらしい。文明以後は関東に住み、文明六年(1474)、太田道灌主催の「武州江戸歌合」(心敬判)に参加するなど、関東歌壇で活躍。自ら歌合の判者を務めることもあった。心敬・道灌・宗祇等との親交が知られる。文亀二年(1502)七月までの生存が確認でき(六十九歳)、その後まもなく没したか。自撰と思われる家集『孝範集』には百数十首の歌を残す。他に『自讃歌注』等の著がある。

「孝範集」 群書類従260(第15輯)・私家集大成6・新編国歌大観8

雨夜もすがらおとづれて寒き明がたに、と山の雪をみて

明けわたる外山は雪の色そへて麓にさゆる夜の春雨(孝範集)

【通釈】次第に明るくなってゆく外山は雪の色を添えていて――その麓ではまだ夜の暗さのなか春雨が寒々と降っている。

【語釈】◇外山(とやま) 「深山」あるいは「奥山」の対語で、山地の外側の山。里から眺望できる山。

【補記】冴えた感覚の叙景歌は、冷泉派の得意とするところ。なお『孝範集』冒頭には「日記歌」の表題で四十四首を集め、詞書や左注に日記風の記述が見える。そのうちの一首。

【参考歌】俊恵法師「新古今集」
みよしのの山かきくもり雪ふれば麓の里はうち時雨れつつ

たが袖に契りおきてか梅のはな夕べの空を匂ひ行くらん(孝範集)

【通釈】誰の袖に逢瀬を約束しておいて、梅の花は、夕方の空を匂いながら風に乗ってゆくのだろうか。

【補記】夕方、梅の香が漂って行くのを、恋人のもとへ向かう袖の香に擬え、誰と契り合ったのかと訝ってみせた。孝範の梅花詠では「うすくこき色香もわかぬ梅の花ひとつにかをる春のあけぼの」も心惹かれる。

【参考歌】大弐三位「大弐三位集」「金葉集(初度本)」「新勅撰集」
春はいかにちぎりおきてかすぎにしとおくれてにほふ花にとはばや

逢夢恋

夢のうちの夢のたはぶれ夢ならでしたふ衣々などうつつなる(孝範集)

【通釈】あの人との逢瀬は夢の中での夢の戯れ――夢でないと慕い惜しむ後朝の別れだけは、なぜありありとしているのか。

【語釈】◇夢ならでしたふ 逢瀬を夢ではないとして慕う。◇衣々(きぬぎぬ) 恋人同士は、脱いだ互いの衣を重ね合わせて同衾するという風習があった。そして翌朝、それぞれの衣を着て別れたのであるが、その別れの時を「きぬぎぬ」と言った。

【補記】題は「夢に逢ふ恋」。しかし逢瀬が本当に夢だったのかどうか、曖昧めかしている。

かけはなれ思はぬ人はつらからずつらきも契り憂きもなぐさめ(孝範集)

【通釈】掛け離れていて、思ってもくれない人に対しては、辛く感じないものだ。辛いのも交渉があるからこそ。憂鬱な思いをするのも、それはそれで慰めなのだ。

【補記】「つらき」は恋人の仕打ちを辛く感じる意。「憂き」も恋人のつれなさに対する感情を言っている。恋愛心理の分析的表現は京極派の系譜につらなる。

江雨鷺飛

こと色はふりくる雨にくれはてて入江をわたる鷺のひとつら(孝範集)

【通釈】ほかの色は降って来た夕暮の雨にすっかり暗くなってしまって、入江を渡る鷺の一列の白ばかりが見分けられる。

【補記】季節を限定しない雑(ぞう)の叙景歌。

【参考歌】伏見院「伏見院御集」
見わたせば秋の夕日のかげはれて色こき山をわたる白鷺
  光厳院「風雅集」
夕日かげ田のもはるかにとぶ鷺のつばさのほかに山ぞくれぬる
  下冷泉持為「持為集」
しらむをもおのが色とやあくる夜に山の端はこゆる鷺のひとつら

鎌倉の里にまかりて見けるに、あらぬさまに荒れはてて所々に神の御社などもかたばかりなる中に、荏柄(えから)の宮にまうでて梅のさきたるを見て

里ふりぬなに中々の梅が香は春やむかしも忘れぬる世に(孝範集)

【通釈】里はさびれてしまった。どうして中途半端な梅の香は匂うのか、春は昔のままであるというが、その昔も忘れてしまったように変わり果てた世にあって。

【補記】鎌倉に行ったところ、荒れ果てて神社も形ばかり残っているような惨状であった。そんな中、荏柄の宮(荏柄天神)に参詣して梅の花を見て詠んだ歌。この鎌倉行は文明以後(1469〜)と思われるが、享徳三年(1454)の享徳の乱に発して関東は長く争乱の時代が続いていた。

荏柄天神
荏柄天神 鎌倉市二階堂。菅原道真を祀る。長治元年(1104)創建と伝わる。

【本歌】在原業平「古今集」
月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身ひとつはもとの身にして

述懐

おろかにも思ひはすてじたらちねにうくるこの身ぞおのづからなる(孝範集)

【通釈】おろそかに思って、投げ出したりはすまい。親から受け継いだこの身は、おのずからこの世に生まれてきたものなのだ。

【語釈】◇たらちね もともと枕詞「たらちねの」から転用して母親を意味する語であったが、その後父親をも意味するようになる。◇おのづからなる 自然のままに生まれて来たものである。「なる」は断定の助動詞とも動詞「生(な)る」とも取れるが、いずれにしても係助詞「ぞ」に呼応して連体形に活用する係り結び。


最終更新日:平成17年06月19日