鷹司清雅 たかつかさきよまさ 弘安七〜正慶二(1284-1333)

関白師実の裔。従二位参議中将定長の息子。母は中将忠雅女(宰相局)。子に権僧正定煕。
左少将・左中将・春宮権亮などを歴任。延慶元年(1308)、花園天皇が践祚すると昇殿を許され、蔵人頭に補される。同年十二月、従三位に叙され、参議を拝す。応長元年(1311)五月十日、参議を辞す。正和五年(1316)十二月、権中納言。文保元年(1317)二月五日、辞職。同日、正二位に昇叙。正慶二年(1333)二月十九日、出家。
京極派歌人。乾元二年(1303)五月の三題三十番歌合、嘉元三年(1305)三月の伏見院御所での歌合などに出詠。玉葉集・風雅集に各二首入撰。

夕落花をよみ侍りける

のどかなる入相の鐘はひびき暮れて音せぬ風に花ぞ散りくる(玉葉259)

【通釈】のどかな入相の鐘の響は夕日と共に消えてゆき、音もなく吹き寄せる風に花が舞い散ることよ。

【補記】「ひびきくれて」一語で、空に響く鐘の音のうちに日が暮れてゆくという時の経過をあらわした。このように通常は結びつかない二つの動詞を接合して豊かなイメージ表現を図るのは京極派歌人にしばしば見られる手法。

【参考歌】能因「新古今集」
山里の春の夕暮きて見れば入相の鐘に花ぞ散りける
  伏見院「御集」
風のおとは花のかをりにひとつにてのどかにひびく入相の鐘

閑庭落花を

つくづくと雨ふる郷のにはたづみ散りて浪よる花のうたかた(風雅248)

【通釈】ぼんやりと雨の降る古里の庭を眺めていると、水たまりに散り、波となって寄せる落花――泡のように果敢なげなその花びらよ。

【補記】「ふる郷」は「降る」「古里」の掛詞。

【参考歌】鷹司基忠「玉葉集」
ふりくらす雨しづかなる庭の面にちりてかたよる花の白波


最終更新日:平成15年03月29日