白女 しろめ 生没年未詳

『勅撰作者部類』によれば摂津国江口の遊女で、父は少納言大江玉淵(参議大江音人の子)。または源告(つぐる)の娘とも。宇多上皇が淀の川尻に行幸したとき、歌舞を奏上した話が『大鏡』などに見える。古今集に一首のみ。

(さね)が、筑紫へ湯浴みむとてまかりける時に、山崎にて別れ惜しみける所にて、よめる

命だに心にかなふ物ならばなにか別れの悲しからまし(古今387)

【通釈】命さえ思いのままになるなら、何を悲しむことがありましょう。いつ死ぬか分からない運命だからこそ、別れは悲しいのです。

【語釈】◇源実 嵯峨天皇の曾孫。昌泰三年(900)没。◇山崎 山城国乙訓郡。淀川の船着場。

【補記】源実(嵯峨天皇の曾孫。昌泰三年-900年-没)が九州へ湯治に向かった時、淀川の船着場、山崎で別れを惜しんで詠んだという歌。

【他出】金玉集、深窓秘抄、大鏡、定家八代抄、十訓抄

【主な派生歌】
絶えしとき心にかなふ物ならば我が玉の緒によりかへてまし(和泉式部)
めぐりあはむ我がかねごとの命だに心にかなふ春の暮かは(*藤原俊成卿女[新勅撰])
かからずは何か別れの惜しからむなれぬるばかり悔しきはなし(安喜門院大弐[玉葉])
旅衣みやこの月のおくらずはなにか別れの形見ならまし(頓阿[新続古今])


公開日:平成12年02月13日
最終更新日:平成21年01月31日