覚誉法親王 かくよほっしんのう 元応二〜永徳二(1320-1382) 通称:聖護院宮

花園院の第一皇子。母は権大納言正親町実明の娘で後伏見院女房、一条の局。徽安門院儀子内親王の異母兄弟。
元徳三年(1331)、親王宣下。同年出家し、聖護院(京都市左京区)に住む。康永元年(1342)、園城寺長吏。同職には文和四年(1355)・貞治年間と再任された。四天王寺別当にも補せられる。二品。護持僧。永徳二年(1382)五月二十八日、薨ず。六十三歳。
応安三〜四年(1370-71))頃の崇光院仙洞歌合に出詠。自邸で五十首歌を催した(新拾遺集等)。貞和百首・延文百首・永徳百首(永和百首)の作者。風雅集初出。勅撰入集二十九首。

立春

あめつちのひらけしことも春のたつはじめややがてはじめなりけん(延文百首)

【通釈】天地開闢の時も、春の始まりがそのまま世界の始まりだったのだろうかなあ。

【参考】世界創成の時を重ね見る、スケールの大きな立春歌。延文百首は、延文元年(1356)、新千載集撰進にあたり後光厳院により召された百首歌。

野春雪といふことを

野べはまだ去年(こぞ)みしままの冬枯にきゆるを春と沫雪(あわゆき)ぞふる(新拾遺1533)

【通釈】野辺はまだ去年見たままの冬枯れであるが、春の雪は消えるものだからと、沫雪が降っては融けるよ。

【補記】「きゆるを春と」、春の沫雪が潔い覚悟を抱いて降っているかのように言いなした。

題しらず

をちかたの霧のうちより聞きそめて月にちかづく初雁の声(新後拾遺340)

【通釈】遠くの霧の中から鳴き声が聞こえ始め――やがて夜空に影をあらわして月に近づいてゆく初雁よ。

【補記】秋歌。霧の立ちこめる遠景と、月明かりに照らされた近景。その間を、雁が鳴きつつ移動する。初出は延文百首、題は「雁」。

朝雪を

ふりはるる朝けの空はのどかにて日かげにおつる木々の白雪(風雅868)

【通釈】降っていた雪が上がった早朝の空はのどかに照りわたり、日の光に暖められて落ちる樹々の白雪よ。

【補記】冬歌。朝日にきらめいて枝から崩れ落ちる雪。「ふりはるる」「のどかにて」などの詞遣いに、京極派の影響が窺われる。

【参考歌】伏見院「御集」
ふりはるる空ともみえず山ふかき嵐の木々の雪のしたみち

貞和二年百首歌たてまつりける時

のがれきて人めをいとふ心にもあまりさびしき山のおくかな(新続古今1853)

【通釈】俗世を遁れて来て、人目を避ける私だが、そんな私の心にとっても、余りに寂しい山の奥の有様であるなあ。

【補記】貞和二年(1346)の百首歌は、風雅集撰定に際し、光厳院が召したもの。

【参考歌】慶運「新後拾遺集」
のがれきてすむはいかなる宿とだに人にしられぬ山のおくかな


最終更新日:平成15年05月18日