女郎花 おみなえし(をみなへし)学名:Patrinia scabiosifolia

女郎花の花 鎌倉二階堂にて

オミナエシ科の多年草。秋の七草の一つ。和歌では大変好まれた花で、ことに万葉集と三代集(古今・後撰・拾遺)に多く見られる。

歴史的仮名遣では「をみなへし」。「をみな」はのち女性一般を意味する「をんな」に転じた語であるが、もともとは美女・佳人を意味し、万葉集では「をみなへし」に「佳人部為」「美人部師」などの字を宛てている。古今集の名高い遍昭作「名にめでて折れるばかりぞ女郎花われおちにきと人にかたるな」の歌にも、「をみな」の「美女」という原義は生きていたのである。

因みに、「女郎花」という漢字を宛てるようになるのは平安時代以後であるが、「女郎(じょろう)」は本来貴族の令嬢・令夫人を称する、一種の敬語であった。

茎をすらりと伸ばし、枝先に黄色の小花をつける。秋風にしなやかに揺れる姿を、古人は愛すべき美女に見立てて歌に詠んだ。

『古今集』 朱雀院の女郎花合によみてたてまつりける 右大臣

をみなへし秋の野風にうちなびき心ひとつをたれによすらむ

「女郎花は、秋の野を吹き過ぎる風に靡いて、一心に誰に思いを寄せているのだろうか」。昌泰元年(898)、宇多上皇主催の女郎花合(おみなえしあわせ)に出詠した藤原時平の歌。女郎花合とは、女郎花の花と歌とを持ち寄って勝負を競った遊戯である。当時この花が貴族たちにどれほど愛好されたか知れようというものだ。

写真は近所の庭先に咲いていたのを撮らせて頂いた。野生の花を探してみたのだが、我が家の周辺では見つからなかった。かつては薄の原などに自生しているのが普通に見られたそうなのだが。

**************

  『万葉集』 (詠花) 作者不詳
手に取れば袖さへにほふをみなへしこの白露に散らまく惜しも

  『万葉集』 (八月七日夜集于守大伴宿祢家持舘宴歌) 大伴池主
をみなへし咲きたる野辺を行きめぐり君を思ひ出たもとほり来ぬ

  『古今集』 (朱雀院の女郎花合に詠みてたてまつりける) 藤原定方
秋ならであふことかたきをみなへし天の川原におひぬものゆゑ

  『拾遺集』 (題しらず) よみ人しらず
女郎花おほかる野べに花すすきいづれをさしてまねくなるらん

  『新古今集』 (廉義公の母なくなりて後、女郎花をみて) 藤原実頼
をみなへし見るに心はなぐさまでいとど昔の秋ぞこひしき

  『散木奇歌集』 (殿下にて野風といへる事をよめる) 源俊頼
夕されば萩をみなへしなびかしてやさしの野べの風のけしきや

  『千載集』 (女郎花随風) 源雅兼
をみなへしなびくをみれば秋風の吹きくる末もなつかしきかな

  『草径集』 (女倍之) 大隈言道
をみなへしこの一村の夕ばえの価はしらじ芝のさと人

  『春泥集』 与謝野晶子
わが机袖にはらへどほろろちる女郎花こそうらさびしけれ

  『秋天瑠璃』 斎藤史
短歌とふ微量の毒の匂ひ持ちこまごまと咲く野の女郎花


公開日:平成17年12月4日
最終更新日:平成17年12月4日

thanks!