内蔵忌寸縄麻呂
くらのいみきなわまろ
- 生没年 未詳
- 系譜など 未詳。内蔵氏は東漢(やまとのあや)氏の同族で、坂上氏などと同族。もとは皇室の財物を扱った内蔵の職に携わった氏族。『新撰姓氏録』によれば、都賀直(つがのあたい)の四世孫東人(あずまひと)直の後裔。姓は初め直、のち天武朝において連・忌寸を賜わり、本宗は延暦四年(785)六月、坂上氏の同族として宿禰を賜わった。
- 略伝 天平十七年(745)十月の大蔵省の移に少丞で正六位上の署名が見える(古代氏族人名辞典)。のち越中介に遷任され、天平十八年(746)から天平勝宝三年(751)まで、大伴家持が越中守であった期間を通じ、介(次官)の地位にあったことが万葉集から確認できる。
天平十九年(747)四月二十六日、大伴池主の館で税帳使大伴家持を餞する宴に参席、歌を詠む(17/3996)。天平感宝元年(749)五月九日、秦忌寸石竹の館での飲宴に参加、歌を詠む(18/4087)。天平勝宝二年(750)四月十二日、布勢水海遊覧、述懐歌を詠む(19/4200)。翌天平勝宝三年一月三日、内蔵縄麻呂の館で宴が催され、家持・久米広縄・遊行女婦蒲生娘子らが参席。歌を詠む(19/4233)。同年八月四日、縄麻呂の館で餞宴、家持歌を詠む(19/4250)。天平勝宝五年(753)三月頃、造東大寺司判官(大日本古文書)。
関連サイト:内蔵縄麻呂の歌(やまとうた)
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