ゲストブック(やまとうた・はるのゆき芳名帳)

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 RE:力をかしてください    ..水垣    
      2005/04/29(金) 16:51  No.606
 
 
宿題の問題がわからない人さん、あなたの文章には句読点を省略するという「表現技法」が駆使されているようです。おかげで、焦る気持がよく伝わってきます。

このように「表現技法」とは、何か言い表したいことがある時に、それをより効果的に伝えるための工夫のことですね。

 新しき年の始めの初春の今日降る雪のいや重け吉事

いきなり「表現技法」を調べる前に、まず、この歌の主題は何か、あるいは、この歌には作者のどのような思いがこめられているのか、よく考えてみてはいかがでしょう。
そのためには、この歌が、いつ、どこで、だれ(どんな立場の人)が作ったのか、といったことを調べてみるのもヒントになるかもしれません。




 力をかしてください    ..宿題の問題がわからない人    
      2005/04/29(金) 13:22  No.605
 
 
学校の宿題なのですが大伴家持の「新しき年の始めの初春の今日降る雪のいや重け吉事」という歌の表現技法を調べなければならないのですがどうしても分かりません教えてください。


 釣鐘水仙(ブルーベル)    ..水垣    
      2005/04/27(水) 21:19  No.604
 
 
道の辺にブルーベル咲けりヨークシャの荒野(ヒース)の丘も夏近きかな

シャガやツルニチニチソウがところどころ群がって咲く山陰に、ほんの二、三株、釣鐘水仙(つりがねずいせん)が薄紫の愛らしい花をつけていました。
ユリ科ツルボ属、学名は"Scilla hispanica"。長さ二センチほどの小さな釣鐘形の花が俯くように咲きます。明治時代、欧州より園芸用にもたらされ、のち野生化したとのことです。
英語では"bluebell"、春から夏にかけて野を彩る花として人々に愛され、詩の題材ともなりました。彼の地では時に大きな群落をなし、辺りを清らかな芳香で包むそうです。
『嵐が丘』の作者エミリ・ブロンテが若き日「エリス・ベル」の筆名で書いた詩「The Bluebell」の第一節を掲げましょう。

 The Bluebell is the sweetest flower
 That waves in summer air:
 Its blossoms have the mightiest power
 To soothe my spirit's care.



 サイト内検索キーワード ランキング四月分    ..水垣    
      2005/04/25(月) 23:29  No.603
 
 
CoCoDa e-Xpressのサイト内検索、今月分の履歴より、検索リクエストの実行回数が10回以上のキーワードです。

70  桜・さくら
37  紀貫之
32  西行
24  春・春の歌
21  藤原定家
20  吉野・吉野山
19  小野小町
17  花・花びら
12  水泡・水沫・みなわ
11  柿本人麻呂
11  藤原俊成

「桜」の圧勝という当然の結果と相成りました。もちろん、山桜・八重桜など類似のキーワードも相当数ありました。

写真は護良親王を祀る鎌倉大塔宮の八重桜です(撮影は三日前)。

 なほのこれ青葉の下の八重桜
     ひとへづつこそ散らば散るとも(宗良親王)

一重ずつゆっくり散るなら散るがよい、しかし今しばらくは咲き残っていてくれ、と青葉の下に咲く八重桜に呼びかけた趣向です。
「宗良親王千首」より。



 RE:十二単(じゅうにひとえ)    ..水垣    
      2005/04/24(日) 23:10  No.602
 
 
紀州の姫様
美しいお写真をありがとうございます。
これは「アジュガ」とも呼ばれているようですね。「十二単」とは素敵なネーミングです。
今日は一家で浄妙寺まで散歩したのですが、境内に似たような花が咲いていて「おや」と思いました。写真を撮りそびれてしまって残念に思っておりました。

「花シリーズ」はブログの予行演習みたいなつもりでやっております。もうちょっとお付合い頂ければ幸いです。

写真は昨日の段葛です。躑躅の見頃はまだまだこれからです。



 十二単(じゅうにひとえ)    ..紀州の姫    
      2005/04/24(日) 18:17  No.601
 
 
花が幾重にも重なって咲く様子を、平安時代の宮中の女の正装である”十二単(じゅうにひとえ)”に見立てた花です。
我が家ではなくお隣りに咲くのですが・・・。(^^ゞ
水垣さまの花シリーズの中でも、八重山吹のお写真は特に心が癒されます。

せきど様へ
お礼が遅くなりましたが、お軸についてお教え頂きましたこと本当に
有難う御座いました。感謝しております。m(__)m



 著莪(シャガ)    ..水垣    
      2005/04/24(日) 01:33  No.600
 
 
これも鎌倉の路地や山道でよく見かけられる花です。アヤメ科の植物で、学名は"Iris japonica"ですが、遠い昔に大陸から渡来したものらしい。
花の直径はせいぜい五センチ程度。ほんのわずかに青みがかった白い花びらには、紫と黄色の斑模様があり、あの美しい菖蒲の親戚であることをひっそりと主張しているようにも見えます。漢名は胡蝶花。

写真は、昨日の夕方、民家の竹垣に咲いていたのを撮りました。こんな風に竹薮や雑木林の陰に群をなしていることが多く、日向はあまり好まないのでしょうか。すでに萎れかけている花もいくつかありますが、花は一日しか持たないとのこと。

 夕影の著莪の花見つ地の茎に命つなげて明日も咲かなむ



 山吹と躑躅    ..水垣    
      2005/04/22(金) 23:49  No.599
 
 
勅撰和歌集の排列ですと、桜の散った後は山吹・躑躅・藤と続いて、夏に入ると卯の花ですね。色彩の変化にも配慮して花を選んでいたのでしょうか。

高市皇子の歌はもちろんですが、万葉集にも山吹を詠んだ印象深い歌がいくつかありますね。

 かはづ鳴く甘南備河に影見えて今か咲くらむ山吹の花

厚見王。新古今集にも採られた名歌です。
新古今と言えば、藤原定家の秀歌もぜひ挙げておきたいと思います。

 にほふより春は暮れゆく山吹の花こそ花のなかにつらけれ

美しく咲いたと思ったら、春はもう過ぎ去ろうとしている。山吹の花こそ花の中で一番辛い花だ、という歌です。もっともこれは新古今集でなく続古今集所収歌ですが。

写真は鎌倉若宮大路の段葛を今日写したものです。桜並木の下には躑躅が植えられていますから、桜と躑躅がさながら「入れ替わりに」咲き散る様が見られます。



 無題    ..sion    
      2005/04/21(木) 20:56  No.598
 
 
桜と入れ替わりに咲く花といえば、やはり山吹、そして躑躅ですね。どちらも、淡い桜とは対照的に色鮮やか! 自然の変化はなんと多彩なのでしょう。

山吹の歌といえば、高市皇子の
 山吹の立ちよそひたる山清水汲みにゆかめど道の知らなく
も忘れがたいですね。

blogをご計画中とは、うれしいニュースです! 「予行演習」のように、ご自作の短歌も拝見できるのでしょうか。期待で今からわくわくしております。



 八重山吹    ..水垣    
      2005/04/21(木) 01:08  No.597
 
 
一重の山吹はすでに満開ですが、少し遅れて八重山吹も咲き始めていました。
(やつ)のじめじめとした土質は山吹の生育に適しているのでしょうか、鎌倉のあちこちで見かけられる花です。
写真は二階堂の公園にて。「公園」と言っても、少しずつ造成を進めている処で、まだ地図にも乗っていない無名公園です。しかも奧まった場所にあるので、人は滅多に見かけません。

 桜ちり春のくれ行く物思ひも忘られぬべき山吹の花
(桜が散り、春が暮れてゆく憂鬱も、しぜんと忘れてしまいそうなほど美しい山吹の花よ)

玉葉集、藤原俊成の歌です。
桜が散った後の虚しさを埋めてくれるように艶やかに咲く花として、王朝人にも愛されました。



 こちらこそありがごうございます    ..水垣    
      2005/04/19(火) 23:52  No.596
 
 
落合様、こんばんは。
いつもご感想を有り難うございます。

花山院の秋の月の御詠、心にすうっと染みとおるような秀歌で、私も愛誦しております。
「雲ゐ」とはもちろん宮中の暗喩でもあるのですけれども、本当に雲の上まで心が届きそうな、のびやかな調べが素晴らしいと思います。

ドウダンツツジは私にしては珍しくくっきり撮れました。

ブログにご期待のお言葉、大変励みになります。
只今予行演習中で、日々更新のペースを何とかつかみたいと思っているのですが。
ブログでは落合様の方が先輩になりますね。こちらこそ何かとアドバイスなど頂けましたら幸いに存じます。今後ともどうぞよろしくお願い致します。



 ありがとうござました    ..落合晴水    
      2005/04/19(火) 09:21  No.595
 
 
水垣さま、おはようございます。

先日は拙サイトにご祝辞を賜りまして 本当にありがとうございました。
お礼を申し上げますのが大変遅くなってしまい、
誠に申し訳ございません。


更新を拝見致しました。

中でも花山院の

「秋の夜の月にこころのあくがれて雲ゐにものを思ふころかな」

このお歌にとても心惹かれました。
煌々と照る月が目に浮かぶようです。


ドウダンツツジのお写真も拝見致しました。
本当に可憐な花ですね。
とても美しいお写真だと思います。

ブログをはじめられるとのこと!
水垣さまの文章を拝見できますのを
今から心待ちにしております♪


水垣さま この度は本当にありがとうございました。
今後ともどうぞよろしくご指導下さいませ(*^_^*)










 ドウダンツツジ    ..水垣    
      2005/04/18(月) 22:47  No.594
 
 
ドウダンツツジの花を見つけました。

紅葉の美しさが注目されることの多い木ですが、春に咲くわずかに黄緑がかった白い花もなかなか可憐で目を惹かれます。壺を逆さまにして吊り下げたような花が、輪をなすようにして咲いています。

「ドウダン」は「灯台」が訛ったものだそうで、枝の分かれ方が昔の灯明台(結び灯台)の脚に似ていることからの命名だとか。美しい別称「満天星」は、白い小花が無数に群がり咲くさまからでしょうか。また「筆の木」という別名は、上に掲げた写真からも納得頂けるのでは。

いわゆるツツジとは似ても似つかないのですが、よく似た花をつけるアセビもまたツツジ科の植物なのです。

 春の夜の満天星躑躅(どうだんつつじ)一閃の夢に聞かばや花ふるふ音



 お疲れ様でした>紀州の姫様    ..水垣    
      2005/04/18(月) 18:18  No.593
 
 
ご報告ありがとうございます。
丁寧なお言葉を頂き恐縮です。
記念の御席でささやかながらもお役に立てたのでしたら、まことに幸甚でした。

お天気にも恵まれたようですし、枝垂れ桜も満開。最高の舞台だったことでしょう。美しいお写真のお蔭で、私も雰囲気を味わわせて頂いたような気が致します。

 みやこ人柳さくらにこきまぜて
       袖の錦もかをる春かな(香川景樹)



 ありがとうございますぅぅぅ>せきど様    ..水垣    
      2005/04/18(月) 18:17  No.592
 
 
コーギーをお飼いですか。我が家の近所でも時々見かけますが、賢そうな子が多いです。
うちの犬はやっと「散歩デビュー」したばかりで、しつけに忙しく、慣れない飼い主はなかなか草花を眺める余裕が持てません。「路地という路地を網羅」…早くそんな境地に至りたいものです(笑)。
ブログの方はテーマを和歌に限らずやっていこうと思っております。しばらく鎌倉散策が中心になるでしょうか。ご期待に応えられれば良いのですが。

それから、お軸の件もありがとうございました。
(注:実は、せきど様も和歌の読み方をご教示下さったのです。)



 桓武天皇1200年祭    ..紀州の姫    
      2005/04/17(日) 01:29  No.591
 
 
平安神宮での記念献茶式茶会が無事終りました。
家元、後見の方から「丁寧なるお読み下し頂きましたお陰でさらに良き席となり感謝しております」とのお言葉で御座いました。
水垣さま、皆様、本当に有難う御座いました。m(__)m
今回の献茶祭は、私に取りましては忘れられないお茶会となる事でしょう。

みわたせば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける

(写真は早朝の平安神宮の貴賓館と枝垂れ桜です。)



 かわいいですねぇぇぇ    ..せきど    
      2005/04/17(日) 01:09  No.590
 
 
あ、水垣家の子犬のことです。
我が家にも5才のコーギー犬がおりまして、さんぽのおかげでご近所の路地という路地を網羅しております(笑)
毎日散歩をしていますと、梅や沈丁花や金木犀が最初に香りを放ちだした日に立ち会う幸せ感なども味わえて、とっても得した気分になります。
鎌倉の散策はさぞ楽しいでしょうねー。
水垣様の目に留まった風景・・・とても楽しみです。



 咲きか散るらむ見る人なしに    ..水垣    
      2005/04/15(金) 23:31  No.589
 
 
裏山にひっそりと咲いている桜です。おそらく手前が大島桜、後方(日の当たっている方)が山桜ではないでしょうか。おおかた散ってしまった染井吉野をよそに今なお盛りです。

 山たかみ雲ゐに見ゆる桜花心のゆきてをらぬ日ぞなき(躬恒 古今集)

上の写真に「雲ゐ」は幾ら何でも大げさすぎましょうが…。

ところで春先から飼い始めた柴犬が散歩に連れ出せるまでに成長しました。今後は早朝散歩を励行し、犬と歩きながら、目に留まった近所の風景をデジカメに収めてゆきたいと思っております。
実は、長年利用しているプロバイダのアサヒ・ネットがようやくblogサービスを開始するというので、それに合わせて私もblogを始めようかと計画中なのです。

アサブロ
http://www.asablo.jp/
我が家の柴犬
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/raiden.html



 (^_^; m(_ _)m    ..水垣    
      2005/04/15(金) 23:21  No.588
 
 
紀州の姫様
ウェブサイトやゲストブックは好きでやっていることですので、お気遣いご無用です。
お茶会での軸物をめぐるご事情など詳しくご説明頂き、こちらこそ有り難うございました。
ともあれ間に合ったとのことでほっとしております。
どうぞ良きお茶会になりますように。

それにしましても今回、その道の専門家の方から素速く懇切な反応を頂きましたこと、大変驚き、また嬉しく存じました。
ゲストブックの方へもお気軽にお書き込み頂ければ、幸甚に存じます。



 有難う御座いますm(__)m    ..紀州の姫    
      2005/04/15(金) 06:17  No.587
 
 
水垣さまへ
お忙しくていらっしゃいますでしょうに、私の件でお時間取らせてしまい申し訳ございません。m(__)m
訂正、補足の件、良く解りました。まだ十分間に合います。

本当なら軸の持ち主がしっかり把握すべきことなのですが、また軸を求めた時は把握しておられたのかも知れませんが、イマイチ曖昧だったもので、お陰さまで本当に助かっております。
だって最初は中山愛親の読み方すら良く解っていなかったぐらいですものね。(^^ゞ 参考にさせて頂くという事で十分で御座います。

お茶会のお道具の場合、古い物を求めて謂れが解らない場合もあるのです。
ここでこれだけの事を教えて頂かなかったとしても、それなりの知識でお話する事になります。
それをいかにその時のお席(時期や他のお道具との取り合わせやテーマやら)に合わせてお話するか、なので軸だけについて細かく厳密にお話するわけではありません。
が、かといっていい加減ではいけませんので、話をする側(後見といいますが)は自分の中に色々としっかりした知識を頭に入れておかなければなりません。

ですのでこんなに色々教えて頂き、ただただ恐縮し感謝しております。
また、メールでお教え頂きました方々にも有り難く、心から感謝する次第でございます。本当に、本当に有難う御座いました。
明日です。何とか、良きお茶会になるようして参ります。(^.^)b



 花の名残    ..水垣    
      2005/04/15(金) 01:06  No.586
 
 
今日あたりはすっかり葉桜になっているかと思っておりましたが、この二三日急に冷え込んだせいか、意外なほど花は散り残っていました。写真は鎌倉鶴岡八幡宮の東北、源頼朝の墓に続く桜並木を今夕撮ったものです。



 愛親卿の和歌(補足)    ..水垣    
      2005/04/15(金) 00:46  No.585
 
 
初句を「としにそふ」と読んだ場合の解釈を考えてみました。

 年に添ふ色にもあるか飽かずなほ持て囃す花の春は久しき
 
「年が巡って来るに連れて、ますます美しくなる色であるなあ。飽きずになお素晴らしいと持て囃す花――この花の盛りの春はなんと長く久しいことよ」

老木と言ってよいか、かなり年を経た桜の木が、年毎に色を美しくする。この花の盛りの時はなんと長く続いているのだろう、といった感慨でしょうか。(これですと「もてはやす」は今言う意味とほぼ同じと考えてよろしいかと思います。)

やはり「としにそふ」で間違いないように思いました。紀州の姫様、間に合うでしょうか。
いやーお恥ずかしいです。



 愛親卿の和歌(訂正とお詫び)    ..水垣    
      2005/04/14(木) 23:37  No.584
 
 
> 花色春久といふことを
>とくにほふ いろにもあるか あかずなを(ほ) もてはやす花の 春は久しき

と読み下しました掛軸の和歌ですが、その後二、三の方よりメールを頂きまして、初句は「としに所(そ)ふ」(あるいは「とてにそふ」)ではないかとのご指摘を頂きました。

私も初句は自信がなく、歌題や「あかずなほ」との対応からして、「とくにほふ」と読むしかないだろうと思ったのですが、専門の書家や鑑定家の方の目には無理な読み方だったようです。

「年に添ふ」だとして、解釈はどのようになるか、今ちょっと考えているところですが、意が通じないことはなく、やはり「としにそふ」と読むのが妥当ではないかと考えております。

 としにそふ いろにもあるか あかずなを(ほ) もてはやす花の 春は久しき

と、取りあえず訂正してお詫び申し上げます。

メールを下さった方々には、この場を借りまして、改めてお礼申し上げます。

しかしやはり、一番良いのは、専門家の方に実物を見て頂くことだと思います…。



 新緑のイロハモミジ    ..水垣    
      2005/04/13(水) 23:03  No.583
 
 
三日続きの雨でしたが、裏庭のイロハモミジの新緑がしっとりと濡れて、ひときわ美しく見えました。
二階の窓から首を伸ばして、デジカメで撮ってみました。
梢が赤っぽく染まっているのがお分かり頂けるでしょうか。葉が出ると同時に咲く、紅い小花のせいです。

 かへるでの手にみな紅き花を提げいろはもみぢの春の梢よ

追加画像
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/image/iroha01.jpg



 花色春久    ..水垣    
      2005/04/13(水) 22:50  No.582
 
 
>紀州の姫様
お役に立てまして幸いに存じます。
貴重なお軸を見せて頂き、興味深い人物の床しい歌を知ることができまして、私の方こそ感謝申し上げなくてはなりません。
大舞台でのお務め、恙無く果たされますよう、お祈り致しております。

お母様のお幸せそうな笑顔が思い浮かぶようです。本当に良かったですね。

>むらじ様
いつも有り難うございます。
愛徳と愛親、私も「おやっ」と思いました(笑)

過去ログを見てみましたら、花山院愛徳の掛軸が話題にのぼりましたのが、ちょうど二年前の四月で、やはり京都平安神宮のお献茶祭のお軸だったのですね。



 むらじさまへ    ..紀州の姫    
      2005/04/13(水) 14:43  No.581
 
 
有難う御座います。
愛親と愛徳とが兄弟だなんて!驚きましたです。
水垣さまに教えて頂き調べている内に解った事ですが、愛親の孫との間に出来た子が明治天皇のようですね!?

教養のない私は何も解らず大変ですが、皆様にこうして教えて頂き色々と勉強させて頂いて本当に感謝しております。

また、母へのお気遣いも有難う御座います。
いずれ我が行く道と思い、母の老いに付き合っております。(^.^)



 ちょっと留守をしているうちに    ..むらじ    
      2005/04/13(水) 00:05  No.580
 
 
素晴らしいやり取り、お軸の流麗さともども、息を呑んで拝読させていただきました。
あえて蛇足を申し上げますと、以前話題となりました掛け軸の書き手である花山院愛徳のご兄弟のようですね。
愛親は1741年、愛徳は1755年の生まれですから、かなり年の離れた兄弟のようですが。

>紀州の姫さま
おひさしぶりでございます。
お母様、ご病気なんですね。お大事に。(^_^)



 感謝感激です!!m(__)m    ..紀州の姫    
      2005/04/12(火) 22:44  No.579
 
 
水垣さま、何て言ったら良いのでしょうか!?
私がこれまで伺った事は、まるで魔法のごとく(大げさかな?)何でも答えて下さり、感謝感激そして驚いております。(@_@)
水垣さまのお陰で教養を身に付けさせて頂いてるようなものです。

今度のお茶会には、なかなかのお茶人方もお見えになられる事ですし、お軸に付きしっかりと把握したくお尋ねした次第です。
もう嬉しくて、近ければお礼に何か持って伺いたい程の気持ちです。
是非とも良いお茶会になるようしっかり務めたいと思います。(^.^)b
有難う御座いました。m(__)m

昨日今日は入院中の母が一泊外泊で帰っておりました。
往復の道中の桜が美しく、とても喜んでおりました。
母を思う気持ちと体力が反比例なのが悲しいですが、私達子供孫曾孫も寄り良き時間を過ごす事が出来ました。(^.^)



 愛親卿の和歌    ..水垣    
      2005/04/12(火) 21:23  No.578
 
 
紀州の姫様
こちらへもご投稿頂きありがとうございます。結構なお軸、目の保養になります。
前大納言愛親とは、中山愛親(なかやまなるちか)卿のことでしょう。
詳しくは下記人名辞典を参照下さい。

http://www.shibunkaku.co.jp/biography/search_biography_id.php?id=5415

まず変体仮名をそのままに読み下しますと、

花色春久と
  いふこ登を
 前大納言愛親
東くに本ふ
 いろ丹もある可
  阿可須なを
もて者や春
 花能春ハ久しき

これを普通に書き改めますと、

 花色春久といふことを
とくにほふ いろにもあるか あかずなを(ほ) もてはやす花の 春は久しき

歌の大意は、

「はやばやと美しく映える色であることよ。これで良しと満足することなく、更に大切に世話をするなら、花の盛りの季節は長く続くのである」

といったところではないかと存じます。
あるいは何か人事にわたる寓喩を籠めているかとも思われますが、ともあれ大変めでたい歌です。

京都大学図書館の画像データベースにも同じ作者の筆になる掛軸が登録されていましたので、ご参考までに。同一人物の手に成ることは間違いないように拝見致します。

中山愛親筆詠草
http://ddb.libnet.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/ishin/kanren/doc/shoshi/00667.html



 水垣さまへ    ..紀州の姫    
      2005/04/12(火) 09:10  No.577
 
 
昨日、勝手なお願いで添付させて頂きました前大納言愛親(さきのだいなごんよりちか、と読むようですが・・・)のお軸をこちらにも添付させて頂く事に致しました。
今度のお茶会にて飾る軸ですが、どなたかお読み下し頂けないでしょうか?
宜しくお願い致します。m(__)m



 もろともにあはれと思へ山桜    ..水垣    
      2005/04/12(火) 01:00  No.576
 
 
八重葎様

拙い写真ですが、お目にとめて頂き幸いに存じます。
今年は遅く咲いて慌ただしく散って、まさに無常迅速を体現するような桜でしたね。これぞ日本人の愛惜してきた桜の風情なのかもしれません。

>”はなより外にしる人もなし”
>こういう感覚はかえって都会の喧騒の中で、孤独に
>静かに花を眺めていますと共感できる気もします。

本当に、行尊大僧正の桜への思いは、都会の片隅での花との遭遇にもそのまま通じるものがありますね。

山近く住んでおりますと、先週末あたりはどこを向いても桜という感じでした。これほど桜が多かったのかと、初めて気づいた次第。
もちろん、それはそれでまた結構なものです。

(写真は先日咲き始めた近所の花桃?です。こちらの方はまだ当分目を楽しませてくれそうです。)



 夜桜    ..八重葎    
      2005/04/11(月) 12:17  No.575
 
 
水垣様

すばらしい夜桜ですね。
東京でも昨日は風の吹く中、桜がさかんに散っておりました。

夜桜はかく味わいたいものですが、当方近隣の桜は
夜になると付近の会社の人がたくさん集まり、
酒盛りで足の踏み場もありません。

それでも人通りの少し絶えたところの桜に出会いますと、
昼とは違った存在感で花が近寄ってくるような錯覚も
覚えます。
”はなより外にしる人もなし”
こういう感覚はかえって都会の喧騒の中で、孤独に
静かに花を眺めていますと共感できる気もします。



 段葛の夜桜    ..水垣    
      2005/04/08(金) 23:11  No.574
 
 
昨夜撮影しました、提灯の明りに照らし出された段葛の桜並木です。
夜の鎌倉は昼間の賑いが嘘のようにひっそりとしています。

 花の陰人もかへりて夕暮の
     色もあはれもふかく成りぬる(心敬)



 サイト内検索キーワード ランキング三月分    ..水垣    
      2005/04/06(水) 21:22  No.573
 
 
遅くなりましたが、CoCoDa e-Xpressのサイト内検索、先月分の履歴より、検索リクエストの実行回数が10回以上のキーワードです。

47  桜・山桜
31  梅
27  青柳
24  藤原定家
21  紀貫之
21  柿本人麻呂
14  西行法師
14  和泉式部
14  小野小町
13  桃
12  西行
12  源実朝
11  大伴家持
10  山吹

写真は今夕撮りました、鎌倉若宮大路、段葛の桜並木です。満開に近く見えるかもしれませんが、木毎に遅速あり、おおよそ五分咲きといったところでしょうか。今週末は「鎌倉まつり」と重なり、大変な人出になりそうです。



 RE:和泉式部    ..水垣    
      2005/04/06(水) 21:03  No.572
 
 
sion様、ご感想いつも有り難うございます。

おっしゃるとおり、和泉式部のファイルは、以前は恋を最初に置いて、以下哀傷・四季・雑と続く構成にしておりました。彼女においては恋歌が質量とも他を圧倒していますから、まず何より恋歌を読んで頂きたいとの思いからでしたが、やはりどうも据りが良くない感じがして、今回は他の歌人と同様、四季・恋・雑という、勅撰集の秩序に戻してみることにしました。

>式部は何の花が一番好きだったのでしょうね。

削ってしまった歌ですが、

  「梅(むめ)桜いづれおもしろし」と人のいふに

 桜より色はさこそは深からめ香さへ殊なりくれなゐの梅

という歌があります。紅梅が一番と言っているわけではありませんが、紅梅は和泉式部にいかにも似つかわしい花のように思えます。

【補記】はなかなか気のきいたことが書けなくて慙愧に堪えません。

和泉式部はとても百首では足りず、入れたかった歌がたくさん残っておりますから、またいつか選び直しをしたいと思っております。またその時は見て頂ければ幸いです。




 和歌における発想や措辞の類型性について    ..水垣    
      2005/04/06(水) 20:59  No.571
 
 
逸爾散士様
こちらこそ有り難うございます。お返事遅くなり失礼しました。
御文章は和歌についての大変興味深い問題に触れておられると思います。

>でも古典和歌に親しんでいくうちに、歌が互いに似通っていること、発想や措辞の共通性がただの凡庸さではないと思えるようになってきました。

この辺について私の考えておりましたことを少しだけ…。

かつての歌人にとって、和歌を創作するということは、八雲立つ出雲に発し長い長い歴史を持つ和歌という一つの大きな「場」に参加することを意味したはずだ、と思います。それは、広大な言葉の海であり、歴史を超越した一種の精神共同体でもありました。死んだ人たちとの間でも、自在に精神の交感が可能な世界でした。歌人たちは、そうした場へ参入し、私性の超越と言いましょうか、自分の生きている時空の限界を超越することにこそ創作の意義や喜びを見出していたのではないかと思われます。
そんな彼らにとって、自己表現とかオリジナリティの追求などは、関心の外だったでしょう。かわりに、類型的な表現を用いて派生歌をなしたり本歌取りをなしたりして倦むことがなかったわけです。



 和泉式部    ..sion    
      2005/04/06(水) 15:04  No.570
 
 
お久しぶりです。
和泉式部の改訂バージョンを拝見いたしました。
たしか以前は恋歌が最初に来ていて、「つれづれと空ぞみらるる」から始まっていたと記憶しているのですが・・・(記憶違いかもしれません。)

前に読みました時は、恋歌と挽歌に圧倒されてしまい、言葉も出ないほどでした。今回は、四季詠もとても良いなと思いました。

 むめの香を君によそへてみるからに花のをりしる身ともなるかな
 われがなほ折らまほしきは白雲の八重にかさなる山吹の花

式部は何の花が一番好きだったのでしょうね。
冬歌も身に染みるような歌が多かったです。

 さびしさに煙(けぶり)をだにもたたじとて柴をりくぶる冬の山里

>煙を絶やすまいとするのは、何も暖をとるためばかりではあるまい。一すじの細い煙に託して、自分が生きていることをささやかに主張したいのではないだろうか

「補記」にこうした一言を添えて頂くだけで、歌が生き返ったように見違えて見えます。

とりとめのない感想で申し訳ありません。



  RE: RE:女郎花 時たがへりと思へども・・・    ..逸爾散士    
      2005/04/02(土) 12:11  No.569
 
 
 水垣さま
 お返事ありがとうございます。
 たしかにどちらの歌が先かわからないと、影響関係は決めかねますね。昔の貴族社会は狭かったろうし、書物、文芸も今のように古今東西の本があふれかえってはいないから、互いに知らずにいたことはないでしょう。共通の先行歌があって失われた可能性はあっても、全く相互関係がないとは思えないと考えるほうが自然ですね。
 ある歌と後世の「派生歌」との関係では、あるいは直接の影響ではなく、あいだにある派生歌があって直接には元の歌を知らなかったという場合も、まれにはあるのかも…。まあ勅撰集などは標準の教養だから、そんなケースは殆どなかったでしょうけど。

 たとえば本歌取りは、品下れる後世の者としては「それって、パクリじゃん」とついつい思う。小中学生の頃の学習参考書などは、枕詞、掛詞、序詞、本歌取りなどなどは、「理知的な技巧」とされていて、「駄洒落が理知なの?」と不思議の思った記憶があります。成人して時がたつにつれ、万葉集は素朴で最高、古今集は技巧的で芸術としては下というような観念は、世の中でだんだんなくなってきたように思えますが、それでもオリジナリティこそ重要という近代的感覚は私の中にもまだ少しはあります。。
 でも古典和歌に親しんでいくうちに、歌が互いに似通っていること、発想や措辞の共通性がただの凡庸さではないと思えるようになってきました。余人は知らず、私の古典志向は、復古というより脱近代の新しもの好きというほうが近いように、自分では思っています。

 「恋てふを…」の歌は今まで誰にも贈ったことはないです。女の人に歌を贈ったことがないことはないけど。和歌ではないですが(でも古文の助動詞を使ったところだけが値打ちだと思うけど)、ブーケの絵のついたバースデイカードに歌を書いて、女性に贈ったことはあります。

 ファックスにバラの花束差し入れて君の職場に送らまほしを

 いとつらき心にや、返しごとのなきこそうたてけれ

 



 RE:女郎花 時たがへりと思へども・・・    ..水垣    
      2005/04/01(金) 00:41  No.568
 
 
「女郎花 おほかる野辺に」の歌、私もちょっと気になっていた所です。
平貞文(?-923)と小野美材(?-902)の歌は、先後関係がよく判らないのです。
美材の方が二十年程早く亡くなっていますが、二人とも寛平御時(宇多天皇代)を中心に活躍した人で、ほぼ同時代人です。
両者の歌を改めて引用いたしますと、

       寛平御時、蔵人所のをのこどもさ
       がのに花見むとてまかりたりける
       時、かへるとてみな歌よみけるつ
       いでによめる    平さだふん
  花にあかでなにかへるらむをみなへし
     おほかるのべにねなましものを

       題しらず     をののよし木
  をみなへしおほかるのべにやどりせば
     あやなくあだの名をやたちなむ

おそらくどちらか一方がもう一方の影響を受けたに違いないと思われるのですが、どちらが先に詠まれたか判りませんので、どっちがどっちの【先行歌】なのか、あるいは【派生歌】なのか、判別することが困難です。
とりあえず貞文の歌に美材の歌を【参考歌】として挙げておくべきだったな、と反省しております。

御作は立派な「派生歌」ですね。初々しさがかえって女心を擽ったのではないか、とも思えますが、ご披露の機会はなかったのでしょうか。



 RE:これから・・、    ..水垣    
      2005/04/01(金) 00:40  No.567
 
 
紀州の姫様
ご近所とは言え、お住まいは別となりますと、かえってご心労も多いのではないでしょうか。しかしお子さん四人の協力態勢とは、頼もしいこと限りなしですね。
本当に、こういう状況では何より「プラス思考」が大切と思います。お互い「試練の時」でしょうが、前向きにがんばりましょう(^^)

 ながらへばまたこの頃やしのばれん憂しと見し世ぞ今は恋しき(清輔)



  女郎花 時たがへりと思へども・・・    ..逸爾散士    
      2005/03/31(木) 14:54  No.566
 
 
 屈託したとき、古歌の世界に遊ばさせていただいております。
 逸爾散士です、
 先ごろこのサイトの平貞文の歌を読みました。
花にあかで なに歸るらむ 女郎花 おほかる野邊に ねなましものを

 この歌の主な先行歌、派出歌に
 女郎花 多かる野邊に 宿りせば あやなくあだの 名をや立ちなむ  小野美材 (古今集秋歌上)
 が、ないので何でかなあと思いました。
 といっても古語辞典の用例で知って覚えた歌で、古今集だったか作者は誰だったかは覚えていないかった。今確認したばかりです。女郎花が秋の花だというのも意識になかったけれど、秋まで待って話題にするのでは忘れてしまいそう。

 この古今集秋歌上に七首離れて並ぶ二首は同じ時期の歌でも、影響関係はないとみてよいのでしょうか。なんとなく色っぽくて似ていると思うけど。

 恋てふをならはぬ我は女郎花多かる野邊を眺むばかりぞ

という歌は、派生歌といえるでしょうか。むかし女の人に誘われて断るときのために作っておいたのだけど…。中年になった今はちょっと無理があります。まあ無理といえば最初から「女の人に誘われたとき」という想定が、私には縁なくて無理なんですけどね。
 




 これから・・、    ..紀州の姫    
      2005/03/31(木) 07:36  No.565
 
 
水垣さま
お見舞いを有難う御座います。
母は退院した後は、今まで通り自分の家(我が家の近く)に帰ります。
でも一人暮らしは無理となりましたので、介護専門の方のアドバイスを頂き、お手伝いさんをも含め多くの方の手を借りる事になります。
そして私が中心となって介護を致しますが、幸い子供が四人居ますので皆で調整しながらやってみます。お手上げ状態になれば又その時考えます。
これまでの母の気持ちを考えるとこれが一番の方法と思い、四人で納得し決めました。

>例えば人とのつながりについて、様々に考え直す、よいきっかけを与えてくれた、とも言えそうです。

水垣さまと同じかどうかは解りませんが、今回特に思う所がありました。また自分の考えの狭さに気が付かされた事もありました。
人の言葉に素直に耳を傾け、全てプラス思考でやっていきたいと思っております。

まことならでまた思ふことはなきものを知らぬ人をばなにかうらみん
                           (慈円)



 RE:命なりけり    ..水垣    
      2005/03/29(火) 00:59  No.564
 
 
紀州の姫様
仏足跡歌碑の件からもう二年近くになるのですね。ついこの間のような気がしておりました。
薬師寺の旧講堂の古材で作られたという、めでたいお茶杓でしたね。きっとお席の皆様は深い感銘を覚えられたことと拝察致します。私もほんのささやかながら関わりを持てましたこと、幸いに存じます。

お母様がご病気の由、お見舞い申し上げます。ご自宅で介護されることになるのでしょうか。
実は我が家も似たような事情にありまして、介護の大変さを身にしみて感じているところですが、一方では、自分の世界を広げ、深める貴重な経験であるとも感じております。例えば人とのつながりについて、様々に考え直す、よいきっかけを与えてくれた、とも言えそうです。
どうぞ、あまりお一人で抱え込もうとなさらず、ご自身の健康にもくれぐれもお気をつけ下さい。

 君がため花も色そふもとつ枝の
     百世の春はつきじとぞ思ふ



 命なりけり    ..紀州の姫    
      2005/03/26(土) 18:21  No.563
 
 
水垣さま
お久し振りでございます。
以前(調べましたら2003年5月でした)に、薬師寺仏足跡歌碑の万葉仮名をお読み下しして頂いた事が御座います。それは、

「巳乃美阿止夜与呂豆比加利乎波奈知伊太志
 毛呂毛呂須久比和多志多麻波奈須久比多麻波奈」
(この御跡(みあと) やよろづひかりを 放ち出(いだ)し
 もろもろ救ひ わたし給はな 救ひ給はな)

この中から、茶杓の銘として「夜与呂豆比加利乎」(やよろずひかりを)を、薬師寺松久保秀胤前管長様に付けて頂きました。

先日、小さなお茶会ですがこの茶杓を使う機会に恵まれ、お席の皆様に水垣さまから教えて頂きました「八万光(やよろず光)は、仏の慈光の広大さを無上の大数で表わしている。」とのお話をさせて頂きました。
その御礼を申し上げようと思った矢先、高齢の母が倒れ忙しくしておりました。介護の日々が始まりそうです。  

春ごとに花のさかりはありなめどあひ見むことは命なりけり

母が来年も再来年も花の盛りに出会えるよう、介護したいと思っています。



 ありがとうございました    ..八重葎    
      2005/03/25(金) 23:47  No.562
 
 
春の陽光を浴びながら、ひばりの声を聞くとき
家持のような感慨を味わうことができますが、
何故か私はいつも長い眠りから覚めたような気が
してしまいます。この感覚が本当に久しぶりに甦りました。



 RE:ひばり    ..水垣    
      2005/03/25(金) 22:12  No.561
 
 
八重葎様、お久しぶりです。ご投稿有り難うございます。
牧場の芝生でひばりの声を聞かれた由。気持よい春の一日を過ごされたのですね。
当地では鶯の声がさかんにしておりますが、ひばりは聞いたことがありません。
広々とした草原など無い土地柄ですから、あまり期待できそうにありません。

 なにとなき草の花さく野べの春
   雲にひばりのこゑものどけき(永福門院 風雅集)

遠出でもしないと、こんな景色には出会えそうにありません。



 CLIP・CLAP様    ..水垣    
      2005/03/25(金) 22:07  No.560
 
 
こちらへもわざわざお書き込み有り難うございます。
メール確かに拝見致しました。
私などでお役に立てることでしたら、喜んで。
今日はちょっと時間が取れませんでしたので、
詳細はメールにて明日にもお返事致したく存じます。
よろしくご了解の程お願い致します。



 うらうらとひばりあがり    ..八重葎    
      2005/03/25(金) 12:32  No.559
 
 
水垣様

お久しぶりです。

先日千葉のマザー牧場にいきましたら、広い芝生の原で
ひばりが盛んに鳴いていました。
小生が子供のころは東京でも川原の土手でよく泣き声が
聞こえましたが最近では久しぶりの体験でした。

鎌倉近辺ではひばりはいるのでしょうか。



 水垣さま    ..CLIP・CLAP    
      2005/03/25(金) 02:53  No.558
 
 
突然のメールで失礼いたします。
当方、東京で広告のディレクターをしている者です。
実は、仕事上のお願いでメールさせていただいています。
このホームページにある「紫陽花の歌」コンテンツについて、
水垣様に直接お会いするか、またはメール等で
さらにお話をお伺いすることが
可能かどうか、お聞かせいただきたく、
メールいたしました。

ホームトップページの下段に記載された
mizukaki@j.email.ne.jp
のアドレスに別途、詳細のメールをさせていただきますので
ご検討いただけると幸いです。




 狂歌百人一首のこと>uni様    ..水垣    
      2005/03/24(木) 23:16  No.557
 
 
初めまして。ようこそおいで下さいました。
蜀山人のパロディのセンス、ほんとにすごいと思います。手軽に読める本がないのを残念に思っておりましたので、浅学菲才を顧みず電子テキスト化してみたものです。反応を頂き大変嬉しく存じます。

>一点思ったのですが、22番の解説で「豆粥を「あつし」と言ったのでしょうか?」とお書きになって
>らっしゃいますが、豆粥が熱かったと言うことなのだと思います。

なるほど。「あつしあつし」と言いながら豆粥を食った、ということですね。御尤もです。ご意見を参考に、後日改訂致したく存じます。
ご教示まことに有り難うございました。
またご意見など頂ければ幸いに存じます。



 狂歌百人一首すごいですね    ..uni    
      2005/03/23(水) 22:05  No.556
 
 
初めまして、こんなものが存在していたとは存じませんでした。
すごいぞ蜀山人。
一点思ったのですが、22番の解説で「豆粥を「あつし」と言ったのでしょうか?」とお書きになって
らっしゃいますが、豆粥が熱かったと言うことなのだと思います。
だから食べると汗が出る出る、袖を絞るほど。
差し出がましい口を申し訳ありません。失礼ご容赦ください。。



 RE:はじめまして>鹿之助様    ..水垣    
      2005/03/17(木) 17:18  No.555
 
 
ようこそおいで下さいました。ご投稿ありがとうございます。
お役に立てたようで幸いに存じます。

新古今集に採られた俊恵の歌ですね。今頃の季節に海など眺めますと、私もふと思い出すことのある、愛誦歌の一つです。
それにしましても、ずいぶん昔の歌をよく憶えておられたものですね。

どうぞまたお気軽にお立ち寄り下さい。



 ぜひ使わせて頂きたく    ..水垣    
      2005/03/17(木) 17:17  No.554
 
 
カゴシマニア様
ご親切にありがとうございます。ぜひ使わせて頂きたく存じます。
今週末にもアップできたらと思っております。

こちらへもまたお気軽にお立ち寄り下さい。



 はじめまして    ..鹿之助 [URL]    
      2005/03/16(水) 10:13  No.553
 
 
40年近く前、妹が所属していた書道結社の雑誌に出ていた歌をふと思い出しました。
「春といへば霞にけりなきのうまで波間に見へし淡路島山」
誰の歌だろうか、たぶんわからないだろうと思いながら検索したら、こちらで知ることができました。ありがたいことです。



 これもぜひお使いください    ..カゴシマニア    
      2005/03/16(水) 00:01  No.552
 
 
暗いようでしたら、加工されても結構です。


 家持像パート2    ..カゴシマニア    
      2005/03/15(火) 23:57  No.551
 
 
気に入っていただけましたでしょうか?
これ、わたしにとっては上出来!と思っている自信作です。
こんなものでよろしければ、是非お使いくださいませ。

これからもいろいろと、郷土史のことを調べていきたいです。
また遊びにいらしてください(^^)



 RE:大伴家持パート2    ..水垣    
      2005/03/15(火) 23:22  No.550
 
 
お知らせありがとうございました。
家持像、本当に良いアングルでお撮りになったと思います。風格がありますね。
この写真もぜひ使わせて頂きたいのですが、宜しいでしょうか。
ブログの方も拝見致しました。リンクありがとうございます。



 大伴家持パート2    ..カゴシマニア [URL]    
      2005/03/15(火) 13:14  No.549
 
 
ガラッパ、シュールですね(~o~)
水木しげるの銅像群は、いつか全部制覇したいです♪

ようやく家持像アップできました。
なかなかのヨカニセに写ってますよ(~o~)



 どういたしまして>楓葉丹様    ..水垣    
      2005/03/14(月) 22:43  No.548
 
 
半分しかお役に立てませず…。
もう一首の方はもう少し調べてみますので、またこちらを覗いてみて下さいませ。
お褒めの言葉をありがとうございます。励みになります。



 ありがとうございます。    ..楓葉丹    
      2005/03/14(月) 10:00  No.547
 
 
ご丁寧に教えていただきありがとうございます。
自分でも続古今集を調べてみます。
唯唯すばらしいサイトに驚いています。
これからも感動させていただきます。



 ガラッパ!    ..水垣    
      2005/03/13(日) 22:19  No.546
 
 
カゴシマニア様、お知らせありがとうございます。
新聞記事に「若い家持」の像のことが出ていましたね。
アップのお知らせを楽しみにしております。

ガラッパ像で思い出しましたが、以前訪れた鳥取県境港市の「水木しげるロード」は妖怪のブロンズ像が立ち並んで壮観でした。水木ファンかつ妖怪マニアだった私は夢中で写真に収めたものでした(笑)。



 RE:作者を教えてください > ..楓葉丹様    ..水垣    
      2005/03/13(日) 22:17  No.545
 
 
初めまして。ようこそおいで下さいました。
二首目「千世をへて…」は中御門右大臣藤原宗忠の続古今集の歌です。
一首目「すずしさは…」は判りません。
調べてみて何か判りましたら追って書き込み致します。
御存知の方いらっしゃいましたらよろしくお願い致します。



 家持像パート2    ..カゴシマニア    
      2005/03/13(日) 19:13  No.544
 
 
こんにちは。
昨日の新聞記事に書いてあった、もう一体の家持像を探しに行ってきました。

川内歴史資料館裏の川沿いに、「万葉の散歩道」がありました。
歌碑が18個ぐらいでしょうか、あるそうです。
そして、その中にもう一体の家持像が!!
今回のは、私個人的にも好きなアングルで撮れました!

そのほか、日本一の徐福像、西郷隆盛の牝犬「ツン」像、かぐや姫像、ガラッパ像など大量に仕入れてきました!

アップの際には、またご連絡差し上げます。
数日内にアップしたいと思っていますので、楽しみにしていてください(^◇^)



 作者を教えてください    ..楓葉丹    
      2005/03/13(日) 12:18  No.543
 
 
初めまして
古今 新古今 和漢朗詠など家にあるもので調べたのですがわかりません。次の二首の作者 出典を教えてください。
 すずしさはたぐいもさらに夏山の峯より落つる音なしの瀧
 千代をへてそこまですめるいけ水にふかくもうつる花の色かな
よろしくお願いします。



 古今集1100年・新古今集800年    ..水垣    
      2005/03/12(土) 22:48  No.542
 
 
むらじ様、情報のご提供ありがとうございます。
今年は和歌にとって記念すべき一年でしたね。記念切手が発売されるとは初耳でした。どんな図案となるのか、楽しみです。

9月1日という日付は私も心当たりがありません。

関連する記念の催しなどを調べてみましたが、九月一日は切手発売以外特にないようです。
以下には知り得た展覧会の概要を。

五島美術館「やまとうた一千年」
平成17年10月29日(土)〜11月27日(日)
勅撰集の写本・古筆断簡を一堂に展示。
http://www.gotoh-museum.or.jp/tenrankai/index.html

京都国立博物館
平成17年11月23日(水)〜 12月25日(日)
古今集1100年・新古今集800年記念「和歌と美術」
http://www.kyohaku.go.jp/jp/tenji/korekara/index_02.html



 家持像のこと    ..水垣    
      2005/03/12(土) 22:47  No.541
 
 
カゴシマニア様、追加情報をご親切に有り難うございます。
リンクして下さった南日本新聞の記事、興味深く拝見しました。
家持像の建立は九州新幹線開通の直前だったのですね。
頂いた画像と情報を拝借して近いうちにアップしたいと存じます。



 大友家持像作者のなぞ    ..カゴシマニア [URL]    
      2005/03/12(土) 13:16  No.540
 
 
たまたま、地元紙の南日本新聞のトップに家持作者の正体がのっていました!

意外や意外、薩摩川内市の職員の方が作られたものだそうです。

http://373news.com/2000picup/2005/03/picup_20050312_7.htm



 勝手に宣伝?    ..むらじ    
      2005/03/10(木) 22:37  No.539
 
 
9月1日に、「古今和歌集奏覧1100年記念・新古今和歌集奏覧800年記念」の記念切手が発売予定だそうですね。

http://www.post.japanpost.jp/kitte_hagaki/stamp/tokusyu/2005/index_n.html

たしかに「日本紀略」延喜五(905)年四月十五日条には
  今日。御書所預紀貫之撰進古今和歌集一部廿巻。
なんてありますね。
いっぽう新古今のほうですが、手許にある岩波文庫(佐佐木信綱校訂)の解説によれば、
  新古今は、土御門天皇の元久二年三月二十六日に撰進した
  (略)
  元久二年三月に成つたものを第一次本とすれば、
  承元三年六月十九日に書寫したものを第二次本とし、
  承元四年四月二十五日披露したものを第三次本とし、
  建保四年十二月二十日に書寫し、
  同二十六日に家長が詳しい識語を添へたものを
  第四次本とし、公的決定本と目すべきであらう。
  (略)
  上皇はなほ隠岐において更に本集を精選せられ、
  四百餘首を削除せられて、
  千六百首(割注略)とし、本集の抄本を作られた。
  それは隠岐本とよばれてゐる。
とあり、当該記念切手は元久二(1205)年第一次本撰進後800年記念ということになりますね。
しかし、9月1日はなににちなんだものでしょうか??



 ありがとうございます♪    ..カゴシマニア    
      2005/03/10(木) 21:19  No.538
 
 
気に入っていただいて、写真を撮った甲斐がありました。
鹿児島の薩摩川内駅が新幹線開通オープンに向けてできたものではないでしょうか?

建立が16年の2月となっていますから。

画像コーナー楽しみにしています。ご連絡お待ちしています。





 RE:はじめまして>カゴシマニア様    ..水垣    
      2005/03/09(水) 22:44  No.537
 
 
ようこそおいで下さいました。大変興味深い情報をありがとうございました。

家持は天平宝字八年(764)、薩摩守として現地に赴任しておりますが、鹿児島県に銅像があるとは思いも寄りませんでした。
当時家持は四十代後半、さすがに貫禄のある風貌ですね。

>また、今回添付する写真、もしお使いになるときには是非お使いください。

ご親切に有り難うございます。
家持の画像コーナーでぜひ使わせて頂きたく存じます。アップする際には改めてご連絡差し上げますので、どうぞ宜しくお願い申し上げます。



 はじめまして    ..カゴシマニア [URL]    
      2005/03/09(水) 01:50  No.536
 
 
私は、『銅像大好き!』という銅像ブログ管理人のカゴシマニアと申します。

先日、薩摩川内駅に行った折、大伴家持の銅像を発見しました。
銅像写真を集めるのが最近の趣味なので、撮ったはいいのですがどんな人なのか知らなかったんです。調べているとこちらのサイトにたどり着きました。

写真やイラスト、相関図など資料価値のあるページですね。
さっそく、私のサイトから紹介させていただきました。
ご確認ください。

また、今回添付する写真、もしお使いになるときには是非お使いください。写真しか提供できるものはございませんが。。。(^^ゞ



 ありがとうございます>むらじ様    ..水垣    
      2005/02/27(日) 01:00  No.535
 
 
いつもお気遣い頂き感謝致します。
サイト内検索のランキングですが、実行回数の順位が低いキーワードの方が、眺めていて面白かったりします。
今回は「綾小路きみまろ」の検索キーに笑わせてもらいました。悪戯かもしれませんが、こういう愉快なのならどんどんやってもらいたいものです(もちろんヒットしません 笑)。

検索機能など不十分なところがあるとは存じますが、今後とも活用して頂ければ幸いです。



 おそまきながらですが    ..むらじ    
      2005/02/26(土) 20:41  No.534
 
 
六周年、おめでとうございます。
和歌について調べたくなると、本をひもとくよりも先にこちらに伺うのがつねになってしまいました。
そんなわけで、ランキングは毎回興味深く拝見しております。
どういうわけか、小生が検索したものが、載ったためしがないのですけど・・・(笑)



 サイト内検索キーワード ランキング二月分    ..水垣    
      2005/02/25(金) 21:16  No.533
 
 
Co.Co.Da e-Xpressのサイト内検索、今月分の履歴より、検索リクエストの実行回数が10回以上のキーワードを掲げます。なお、検索の実行回数は総計2839回、検索キーの数 は1876箇でした。

50  藤原定家
48  紀貫之
40  西行
37  小野小町
32  柿本人麻呂
31  月・月読・月の光
19  梅
18  勅撰和歌集
17  春風
16  山上憶良
13  平兼盛
13  大伴家持
13  持統天皇
13  桜
12  後鳥羽院
11  藤原俊成
11  和泉式部
11  吉野・吉野山
10  阿倍仲麻呂
10  紫式部

写真は昨日に続き鎌倉鶴岡八幡宮の牡丹園の冬牡丹です。今月末まで見られるとのことです。



 ご祝辞に感謝    ..水垣    
      2005/02/24(木) 23:40  No.532
 
 
ひよきち様、ありがとうございます。
ご投稿で初めて今日がその日だと気づきました。
未熟なサイトですが、今後とも楽しんで頂けましたら幸いに存じます。

 月雪のきよき心を一花のにほひにこむるふかみ草かな 村田春海



 おめでとうございます    ..ひよきち    
      2005/02/24(木) 09:01  No.531
 
 

水垣さま おはようございます。

サイト開設6周年 おめでとうございます。

これからも このサイトにて
多くのことをお教え下さいませ

毎日サイトを拝見させて頂きますのを
楽しみに致しております(*^_^*)




 RE:田毎の月    ..水垣    
      2005/02/23(水) 00:49  No.530
 
 
今どき歌枕に関心を持つ方が相当変わり者なわけでして、御存知なくても恥でも何でもございません。

 わが心なぐさめかねつ更級や姨捨山に照る月を見て

と古今集に詠まれた姨捨(をばすて)は、姥捨(うばすて)という根深い民俗伝承とかかわりを持つ点で、ちょっと異色の歌枕ではないかと思います。
『大和物語』百五十六段は、この歌をもとに、当時からあった姥捨説話を結びつけて作った物語だったのではないかと思われます。
リンクさせて頂いているtoka3akiさんの『露草色の郷』にて『大和物語』がお読みになれます。ご参考までにURLを↓

http://homepage2.nifty.com/toka3aki/utamono/yamato.html

お写真、ありがとうございます。奈良の鹿には随分ご無沙汰しておりますので、懐かしいような思いで拝見致しました。
梅はいよいよ盛りを迎えますね。



 田毎の月    ..紀州の姫    
      2005/02/22(火) 10:32  No.529
 
 
姨捨山の月写真と雪写真、そしてお話を楽しく拝見致しました。
歌枕の「更級紀行」にあります藤田繁一画も拝見し、むらじさまの雪写真と同じアングルかな?と思ったりしています。

姨捨山について深く興味を持った事はなく、子供の頃から、年寄りになると捨てられる場所、みたいなイメージしかありませんでした。
(また私の無知ぶりを披露・・(^_^;))

名にしおふをばすて山にてる月も
     雲ゐの秋をみしごとはあらず

お陰さまで、名月の里の姨捨山を勉強致しました。(^.^)

先日、奈良に出向きました。写真は東大寺での鹿です。二月堂周辺の梅も綺麗でした。
また一昨日は京都で道真公ゆかりの神社でお茶会があり、梅にまつわるお道具やお話を楽しみました。

こちふかば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春をわするな



 RE:姨捨山の月・続    ..水垣    
      2005/02/21(月) 23:38  No.528
 
 
そうそう、姨捨と言えば「田毎の月」でしたね。

  帰る雁田ごとの月の曇る夜に  与謝蕪村

これは春の句ですが、田植え時の水面の月はさぞや美しいことでしょう。

姨捨を実見した(らしい)歌人として早い例では能因法師が思い浮かびます。

      九月十三夜の月をひとりながめて
      おもひいで侍りける  能因法師
  さらしなや姨捨山に旅寝して
     こよひの月をむかし見しかな(後拾遺集)

かつて姨捨山に旅寝して見た九月十三夜の月を回想しての作です。能因は馬の交易のため各地を旅していたのだろうとする説がありますが、そう言えば信濃は名馬の産地でした。

宗良親王と言えば、信濃にあった時、北畠親房から

  名にしおはば雲井の秋の夜半の月
     ほかよりもさぞてりまさるらん

と姨捨山の月のことを尋ねられ、

  名にしおふをばすて山にてる月も
     雲ゐの秋をみしごとはあらず

と返歌しています。「雲ゐ」を宮中の意に置き換えて、京で見た秋の月には及ばない、と応じたものです。親王の境涯を思い遣れば、無理もなかったかも知れません。
「歌枕は遠くにありて思うもの」でしょうか。



 姨捨山の月・続    ..むらじ    
      2005/02/20(日) 18:52  No.527
 
 
みごとにマッチしたお歌を頂戴し、有難うございます。ただ、感歎の思いを致しておりました。
「田植え時」についてはしょうしょう言葉が足らなんだようですが(笑)、この界隈は棚田が有名でして、田植え時には満々と湛えられた水面に月が映え、当地の絶景とされているとのことです。

しかし、もしも実際に王朝歌人が姨捨の地を訪れたその当夜、月が宿っていなかったら、さぞやがっかりされたことでしょうね。(笑)
かの宗良親王は姨捨にもいたという伝承があり、或いは姨捨山の月を実見した数少ない王朝歌人かもしれません。
かの藤原定家もまた、信濃を知行する機会をもったそうですが、
この国には腕っ節の強い武士があまたいて、年貢なんてとても取れるようなものではなかった、と、日記「明月記」のなかで歎いております。
いずこも同じ・・・ではありましょうけれども、信濃もまた、育まれた幻想とは裏腹の、厳しい現実?もあまたあるようでございます。(笑)



 RE:姨捨山の月    ..水垣    
      2005/02/19(土) 01:01  No.526
 
 
夕日に雪が映えてきれいですね。
千載集の藤原隆信の歌、

 出でぬより月見よとこそ冴えにけれ
      をばすて山のゆふぐれの空

にぴったりあてはまるようなお写真だと思いました。

月と言えばやはり秋が一番美しいという常識がありますので、「ベストショット」が「田植え時」とはやや意外でしたが、面白いですね。

 月は姨捨 須磨明石
 花はみよしの 嵐山

などと唱歌になったくらい月の名所として名高い姨捨山ですが、王朝時代の歌人で実際に姨捨の月を見た人が何人いたでしょうか。多くは想像のうちで詠んでいただけで、「姨捨山に月が宿らない夜もある」などとは、思いもよらなかったことでしょうね。

美しい画像と貴重な情報をありがとうございました。



 姨捨山の月    ..むらじ    
      2005/02/18(金) 10:41  No.525
 
 
先日、月夜の晩に姨捨界隈を通りかかりました。
去年の暮には姨捨山のちかくに月があり、絵に描いたような景色でしたが、今回は姨捨山の正反対。
天体の運行には疎いのですが、時期によっては姨捨山に月が宿らない夜もあるようです。
ベストショットを狙えるのはいつ頃のことかと地元の方に伺ってみたところ、
「田植え時だね」
との返事がかえってきました。
姨捨山に月が寄り添わない季節、というのがあるのかどうか、ちょっと気になりはじめました。

写真は夕映えの姨捨山です。



 どういたしまして>逸爾散士様    ..水垣    
      2005/02/18(金) 00:02  No.524
 
 
御作の場合は、「はやも」「やがて」の方が、調べとしてもしっくりする気が致します。

>万葉、古今、新古今、現代のそれぞれの調子で作れ

難題に見事にお応えになったものです。愉快なご友人と雅交を楽しんでおられるのですね。

弊サイトにお褒めの言葉をありがとうございます。私自身、中世和歌という深い深い森の中を探索している最中ですが、埋もれた秀逸はまだまだ多いと感じております。またお目に止めて頂ければ幸いです。



 ご教示ありがとうございます    ..逸爾散士    
      2005/02/16(水) 21:51  No.523
 
 
水垣様

 お教えありがとうございます。
 「とくや」(「疾くや」かな)は、奉公人を旦那が呼んでいるみたいで変かなあ、と思っていました。「はやも」か「やがて」の方がいいかもしれませんね。意味はそれぞれ微妙に違ってくるし、句勢というか「調べのテンポ」のようなものが変わるものだなあ、と感じます。

 古典和歌もどきの歌を作り出してから何年かたちます。実作すると自分の古文法理解が穴だらけなことに気づかされます。
 パズルのような言葉遊びとしてはとても面白いものです。
 昨年の立春には

 あらたまの春は来にけり我妹子と酌みそむ酒の濁れるぞよし
 風寒み雪は降れども道野辺の梅の芽ぐみに春は来にけり
 こぞの雪積もる白嶺とまぎらふは春立つ空の末の白雲
 春は来ぬ初出勤のOLのアウターウェアの淡き色目に

 という四首を作りました。万葉、古今、新古今、現代のそれぞれの調子で作れという友人の要望でしたので。
 友人は「『末の白雲』の字、めでたし。制詞にすべし」などとメールしてきました。たんに家隆の
 
 明けばまた越ゆべき山の峰なれや空行く月の末の白雲

からとっただけなのですが。
 
 貴サイトは中世和歌が充実しているなあと思います。中世和歌をもっと読んでいれば、現代調の代わりに「玉葉調」などというのを作れたかもしれません。



 RE:「隠し剣 鬼の爪」のやまとうたについて    ..水垣    
      2005/02/15(火) 21:08  No.522
 
 
あやめ様
はじめまして。
その映画は見ておりませんので、私には分かりません。どなたか御存知の方いらっしゃいましたら、よろしくお願いいたします。



 梅の色合    ..水垣    
      2005/02/15(火) 21:07  No.521
 
 
ひよきち様
ご病気にもかかわらずご投稿下さいまして有り難うございます。
私の写真のせいでお具合を悪くされはしなかったかと気がかりです。

和歌では香が賞美されることの多い梅ですが、紅白揃った色合も結構なものですね。殊に現在の梅は品種改良が進み、大変多彩になりました。一つの樹に紅白まざって咲く品種さえあって、初めて見た時は驚いたものです。

 むめのはな香はことごとににほはねど
     うすくこくこそ色はさきけれ(清原元輔 後拾遺集)

香は同じだけれど、色はさまざま、という歌です。

梅の満開も間近です。一日も早くご快復なさいますよう、お祈り申し上げます。




 「隠し剣 鬼の爪」のやまとうたについて    ..あやめ    
      2005/02/15(火) 19:33  No.520
 
 
はじめまして。
はじめから質問で申し訳ないのですが、映画「隠し剣 鬼の爪」で、松たか子が謡っていたやまとうたをご存知でしょうか?ご存知でしたらなんという種類の唄なのか教えて頂けませんでしょうか?
習いたいのです。



 湯河原の梅林    ..ひよきち    
      2005/02/15(火) 01:31  No.519
 
 
水垣さま、こんばんは。

ここ数日体調が悪く 臥せっておりましたが
つい先程 携帯にてこのゲストブックを拝見致し、
どうしてもお写真を拝見したいと思い
よろよろと(笑)パソコンの前までやって参りました(*^_^*)

「湯河原の梅林 」のお写真、 拝見致しました!
仰いますとおり クライマーたちの姿も見ることが出来ました。

三分咲き、そして早咲きのものはすでに満開とのこと、
お写真を拝見しまして いろいろな種類の梅があるのだなと思いました。

同じ白でも、そして紅でも
微妙に色合いが違っておりますね。

奥の方に咲いております淡い桃色の梅。
とても優しい色合いだと思いました(*^_^*)

お写真を拝見しまして
ほんのり 春の風が吹いてきたように思いました。





 湯河原の梅林    ..水垣    
      2005/02/15(火) 00:03  No.518
 
 
湯河原温泉に泊った帰り、幕山の梅林を見て来ました。三分咲きとのことでしたが、早咲きの品種はすでに満開でした。見頃は今月下旬からとのことです。
ここはロック・クライミングの名所でもあるそうで、切り立った岩壁では練習するクライマー達の姿が見られました。写真にも小さく写っていますが、お分かり頂けるでしょうか。

因みに湯河原は万葉集の東歌に「土肥の河内」として出てきます。

 あしがりの土肥の河内に出づる湯のよにもたよらに子ろが言はなくに



 古典和歌における「すぐに」の意味の副詞    ..水垣    
      2005/02/14(月) 23:32  No.517
 
 
逸爾散士様、ようこそおいで下さいました。当サイトの管理人です。
「擬古ちない」どころか、「古典風」の雅調をよく会得しておられるのではないでしょうか。

>待つ春も来ぬればとくやたけぬらん若菜摘む日はいくかもあらじ
>「すぐに」より「とく」のほうがいいのか不自然か、よくわからないのですが。

「待望した春になったと思ったら、早くも季節は長けてしまったのだろうか。若菜を摘める日はあと何日もあるまい」といった歌意と拝見しました。

古典的な和歌で「すぐに」といったら「まっすぐに」「曲がらずに」の意で、これを「即座に」の意で用いるのはかなり時代が下ってからのことです。一方、「とく」は古今集から用例があります。

 ひかりなき谷には春もよそなれば
     さきてとくちる物思ひもなし(清原深養父)

「すぐに」よりも「とく」の方が良いと思います。

但し、immediately,soonといった意味ですと、「はや」あるいは「やがて」を用いるのが古典的な和歌ではより普通でしょうか。

 今ははや恋ひ死なましをあひ見むと
     たのめし事ぞいのちなりける(凡河内躬恒)

 白露のかかるかやがてきえざらば
     草葉ぞたまのくしげならまし(壬生忠岑)



 擬古ちない和歌    ..逸爾散士    
      2005/02/14(月) 20:36  No.516
 
 
はじめまして。

 このごろ友人が月に4首、古典風の和歌を作れというので、貴サイトにおじゃまして、参考にさせていただいております。
 2月には古今和歌集の詠み人知らずや凡河内躬恒の歌を参考に以下の4首を作りました。
 一首目は「鶯遷」という漢語を下敷きにしています。
 「すぐに」より「とく」のほうがいいのか不自然か、よくわからないのですが。


鶯のこなたかなたと啼く声に驚きはつる夢ぞはかなき
あやなくも梅の香りぞ匂ひくるつれなき人は訪れもせで
消へ残る雪のあはひに萌え出づる草葉の上に霰たばしる
待つ春も来ぬればとくやたけぬらん若菜摘む日はいくかもあらじ



 RE:心敬    ..水垣    
      2005/02/11(金) 21:16  No.515
 
 
のりまき様、ご無沙汰致しました。
また金剛山へ行って来られたのですね。羨ましいです。

心敬についてのご感想、誠に有り難うございます。
歌人というより連歌師として有名な人ですが、和歌も良いでしょう。
私も今回、歌を選びながら、心底すごい人だなと改めて思い知った次第です。

心敬は大山の麓の浄業寺というお寺(遺跡のみ残存)に住んでいたそうです。下記サイトに心敬のお墓についての記事があります。

http://www.geocities.jp/kanagawa_kohun/atugi_isehara/atuise_5.htm

大山山麓は、太田道灌のお墓のある大慈寺があったりと、意外と和歌にゆかりのある土地なのです。私の所からもさほど遠くないので、一度ゆっくり歩いてみたいものだと思っておりました。

私は明日から一年ぶりの旅行、近場ですが、温泉に浸かって参ります。



 心敬    ..のりまき    
      2005/02/11(金) 13:22  No.514
 
 
水垣様、ご無沙汰しています_(._.)_
時々思い出したように訪問させていただいております。

千人万首の心敬、これまで知りませんでしたが、良いですね!
ある意味恵まれすぎた現代の我々が表現し得ない、凄みのある歌ですね。
亡くなった場所が私の自宅からもよく望める、大山のふもとというのもびっくりです。

これからも私がこれまで知らなかった素晴らしき歌人を紹介していただけるものと期待しております。

また、よろしくお願いします。



 RE:紅梅    ..水垣    
      2005/02/06(日) 22:35  No.513
 
 
ダークレディー様、
こんばんは。梅の写真は、鎌倉の荏柄天神社という神社です。鶴岡八幡宮の東北にあたります。小さな天神様ですが、今の季節、受験生たちで賑っています。

藤原高子は在原業平との悲恋物語が有名です(伊勢物語)。しかし「雪のうちに春は来にけり…」の歌がどのような事情で詠まれたか、残念ながら定かではありません。



 世の中は澄むと濁るの違ひにて…    ..水垣    
      2005/02/06(日) 22:33  No.512
 
 
むらじ様
お加減はもうよろしいのでしょうか。お大事に。
インフルエンザが流行を見せ始めたとのことです。どうぞお気をつけ下さい。

「たけたくひなき」の話は私も何かで読んだ覚えがあります。ちょっと出来すぎのような気もしますが、あり得ない話でもないような。

仮名の清濁と言えば、昔の歌人たちは、清濁の区別を表記しないことを利用して、さまざまな言葉遊びを仕掛けたものです。

 日かけさす山のすそのの春草にかつかつましる下わらひかな

風雅集の阿仏尼の歌ですが、「わらひ」は「蕨」「笑ひ」の掛詞です。蕨の若芽の、招き猫の差し出した前脚のように先が丸まった姿は何となく可笑しく、可愛らしいものです。春草の中にまじって蕨が「下笑ひ」している様がユーモラスに思い浮かびませんか。



 紅梅    ..ダークレディー [URL]    
      2005/02/06(日) 09:33  No.511
 
 
こんにちは

初めてのわたくしに お返事を書いてくださり
ありがとうございます

水垣さまの お写真の場所はどのあたりでしょうか
梅と朱塗りの欄干が美しいですね

藤原高子 という方は 二条の后と記された方なのでしょうか
なにか つらい思いを秘めた恋歌なのでしょうか



 静の歌    ..むらじ    
      2005/02/05(土) 16:42  No.510
 
 
>水垣様・sion様
整理していただいてありがとうございます。
詳しく解説いただいて、じつにスッキリしました。
さいごの投稿以後体調を崩し、寝込んでしまい、お礼が遅れましたことをお詫び申し上げます。

替え歌で思い出したのですが、
川中島の合戦前夜、武田方から上杉方へ、こんな句が贈られました。

杉枯れて 竹たぐひなき 朝(あした)かな

そうしたら、すぐさま上杉方から武田方に返書がありました。

杉枯れで たけだくびなき 朝(あした)かな

濁点の位置をちょっといじっただけで、正反対の内容にしてしまった、というわけですね。
典拠は小学生のころの国語の参考書なので、どこまで実説かどうかは、ちょっと保証の限りではないのですが(笑)、お話としてもよくできていると思います。

お口直しになるかどうか、ちょっとご披露まで。



 はじめまして>ダークレディー様    ..水垣    
      2005/02/05(土) 15:45  No.509
 
 
ようこそいらっしゃいました。
古今集に名前は出されていませんが、藤原高子の歌ですね。
貴サイト、主にお写真を拝見したばかりですが、猫さんとお花、楽しませて頂きました。
またお気軽に訪ねて頂ければ幸いです。



 立春を過ぎて    ..ダークレディー [URL]    
      2005/02/05(土) 12:22  No.508
 
 
はじめて 訪問いたしました

窓辺に咲いた花に 古今集の歌を入れて 遊んでみました
よろしかったら サイトトップを覗いてくださいな





 立春    ..水垣    
      2005/02/04(金) 20:24  No.507
 
 
sion様、
私としましては大変的確に要約して頂いたと思います。誠に有り難うございました。

>>正広の恋歌
>>なよらかに音せぬ衣(きぬ)を一重きてよりそふ程も知らぬ仲かな

>これは色っぽすぎてダメなのでしょうか?(笑)

色っぽいのはもちろん全然OKです(笑)。
末句は「人は知らぬ仲かな」の意でしょうけれども、和歌ではこうした省略法は珍しくないので瑕瑾とは言えないものの、やはりこの歌では詞足らずに感じざるを得ません。それがこの歌を採らなかった主な理由だったと思います。
「思います」と言うのは、いつもこんなことを考えながら歌を選んでいるわけではなく、直観に頼って素速く選別していることが多いからです。

二月四日、今日が立春ですね。当地は風がまだ冷たいものの、空は霞がかかったようで、めっきり春めいてきました。
荏柄天神、今度は紅梅の方を中心に撮った画を掲げます。



 無題    ..sion    
      2005/02/04(金) 01:43  No.506
 
 
静御前の有名な歌をめぐっての、お二人の文章を何度か読み返してみて、私なりに理解したことですが――。

水垣様は、信憑性は問題でなく、作品自体にオリジナリティが乏しいため採らない、というお立場で、むらじ様は、オリジナリティには問題があるとしても、静御前の歌である信憑性は高く、感動的な和歌である以上、採ってもよいのではないか、というお立場なのかなと思いました。
(乱暴な要約でしょうし、誤解がありましたらお許し下さい。)

私は心情的にはむらじ様寄りです(やはり甘いのでしょうか^^ゞ)。
でも、水垣様がはっきりとした原則を立てて歌人や歌を選んでおられることがよく分かった気がします。
とても勉強になりました。>水垣様・むらじ様

>正広の恋歌
>なよらかに音せぬ衣(きぬ)を一重きてよりそふ程も知らぬ仲かな

これは色っぽすぎてダメなのでしょうか?(笑)
私はとっても気に入りました。ご紹介ありがとうございます。
荏柄天神の梅、はやくも春の香りが馥郁と漂ってくるようです。



 正広の恋歌    ..水垣    
      2005/02/01(火) 22:00  No.505
 
 
sion様
千人万首に素速いご感想、いつもありがとうございます。
正広の恋歌はちょっと異色で、面白いと思います。
これも割愛した歌ですが、

   忍逢恋
 なよらかに音せぬ衣(きぬ)を一重きてよりそふ程も知らぬ仲かな

「しなしなと、音も立てない衣を肌に一枚だけ着て、身体を寄せ合う我々――それ程の間柄なのに、人は知らない二人の仲なのだ」ということでしょうか。真面目そうな正広ですが、こんな色っぽい歌も詠んでいます。

NHK大河ドラマ『義経』は、さる理由あって、毎週見ております(タッキーファンではありません・・・念のため)。『独眼竜政宗』以来のことです(何年前だ)。

文章と関係ありませんが、写真は先日、近所の荏柄天神の梅を撮ったものです。本殿両側の紅白の梅は、鎌倉の春を真っ先に告げる花として知られています。




 静御前の歌について・再    ..水垣    
      2005/02/01(火) 21:40  No.504
 
 
むらじ様・sion様

ご意見ありがとうございます。
本歌取りの基準としては、sion様のおっしゃる通り「二句程度まで」が原則だと思います。ただ、絶対的な基準というわけではなく、何句取ったからこれは本歌取り、これは剽窃と、明確に区別できるものでもないでしょう。
(藤原定家の「近代秀歌」http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/kagaku/kindai.html#03Tを参照下さい)。
本歌取りの名人は何と言っても定家ですが、その一例を挙げてみます。

 風ふけば峯にわかるる白雲の
   たえてつれなき君が心か  壬生忠岑「古今集」
 春の夜の夢の浮橋とだえして
   峰にわかるる横雲の空  藤原定家「新古今集」

恋人のつれなさを恨んだ忠岑の歌を背景に取り込むことで、言わば情趣を重層化し、余情あふれる妖艷な春の夜を描くことに成功していると思います。これを定家のオリジナルとみとめない人はいないでしょう。

今度は静御前の歌を、本歌の後に置いて並べてみましょう。

 いにしへのしづのをだまき繰り返し昔を今になすよしもがな
 しづやしづしづのをだまき繰り返し昔を今になすよしもがな
 み吉野の山の白雪ふみわけて入りにし人のおとづれもせぬ
 吉野山峯の白雪踏み分けて入りにし人のあとぞ恋しき

ほぼ一句のみを入れ替えることで、全く違った歌に作り直してしまった静御前の咄嗟の機転は本当に見事なものですが、彼女のおこなったことが作品の創造行為と言えるかどうか、私は疑問を感じます。

なお、須佐之男命の作と伝わる「八雲立つ…」が静の場合と違う点は、「八雲立つ…」には、それ以前に溯れるオリジナルが存在しない(見つからない)ということです。
「八雲立つ…」の歌は、須佐之男命と呼ばれる伝承上の作者以外に、帰属せしむべき固有名詞が当面無いわけです(少なくとも私は存じません)。

以前の投稿で「『静のオリジナルとはいえない』ということが重要」云々と書きましたが、むしろ「作品創造のオリジン(起源・出所)を静に帰することが出来ない」と言うべきだったでしょうか。



 「本歌取り」と「替え歌」    ..sion    
      2005/02/01(火) 19:55  No.503
 
 
むらじ様、こんばんは。

>「本歌取り」と「替え歌」と、どこで線を引っぱればいいのか…

デリケートな問題で私もぜんぜん自信はないのですが、たしか本歌取りには「本歌から借りるのは二句程度まで」という制限があったのではないでしょうか。
本歌と静の「替え歌」を比べてみますと、「しずやしず・・」は初句を入れ替えただけですし、やはり本歌と近すぎる印象があります。それで「静のオリジナルとはいえない」のだなと、私はお二人の投稿を拝見して、とっても納得してしまったのですが・・・。

それにしても、静の機転はみごとですね。その後に続く、北条政子の弁護も感動的ですが。
スサノオノミコトの伝承歌が入っているなら・・・うーん、むずかしいところですねえ(--;)



 無題    ..むらじ    
      2005/02/01(火) 15:41  No.502
 
 
>..sion さま。
お久し振りでございます。
>静御前の歌が選ばれていない理由
う〜ん、水垣さまには申し訳ないんですが、じつはあれ書いたあともだいぶ悩んでいるのです。

本歌取りでも和歌としてちゃんと評価されている歌、多いですよね。
そうすると、「本歌取り」と「替え歌」と、どこで線を引っぱればいいのか…っていう問題になってくるとおもうんです。
そこのところがドウも私、自信がもてなくて…^^ゞ
「義経記」のような物語に出ているだけでしたら、あの歌は、静に仮託した後世の物語作者による付会、と片づけてしまってもいいかもしれないのですが、
「吾妻鏡」にも載っている話なので、静が即興にしてもあの歌を自身で歌い舞ったことはたぶん確実だろうとおもうんです。
少なくとも、スサノオノミコトの作ったという日本最古の恋歌ほどには信憑性があるのかな、と。

私みたいな大甘の甘太郎が管理人だったら、案外特例として静の歌、載っけてるかもわかりませんです。はい。^^;



 正広    ..sion    
      2005/01/31(月) 22:18  No.501
 
 
静御前の歌が選ばれていない理由、とてもよく分かりました。>水垣様・むらじ様

静御前といえば、今年の大河ドラマですが、義経ファンの私は毎週かじりついて観ております(タッキーファンではありません・・・念のため ^^;)。鎌倉ゆかりの人物ということで、水垣様も御覧かしらと拝察いたしますけれど・・・??

千人万首の正広、拝読いたしました。正徹先生のお弟子さんということで、どんなに難しい歌を詠まれるのやらと身構えて読み始めたのですが、ためかぬ様に同じく、一首目からしてのびやかな歌風にほっとさせられ、「和歌を詠む楽しみ・喜びに満ち溢れた」歌々に心はればれと読了いたしました。割愛された歌も可憐ですね。

私は印象に残った歌として、恋歌の二首を挙げたいと思います。

 小簾(こす)のとにひとりや月の更けぬらん日比(ひごろ)の袖の涙たづねて
 車よりおりつる人よまゆばかり扇のつまにすこし見えぬる



 RE:正広・・ 風 光 希望    ..水垣    
      2005/01/30(日) 23:17  No.500
 
 
ためかぬ様
歌を読み進まれる時のお心の動きまでありありと感じ取れるようで、大変興味深く、また嬉しく拝見致しました。誠にありがとうございました。

正広の歌風は、師の正徹と比べますと、「やさしい」と申せましょうか、分かりやすく、穏やかな、そして優美な作風ですね。「広」と「徹」、名は体を表わすとはよく言ったものです。

>尋ねみよ蓬が島ぞ和歌の道心をのべて人は老せず

とは、正広が和歌に託した理想をまことに良く言い表しているのではないかと思いました。歌の出来不出来を問題外にしてこの一首を採らずにいられなかった所以です。

正広の家集『松下集』は、三千首以上を伝存する大冊ですが、和歌を詠む楽しみ・喜びに満ち溢れた歌集です。私は長い長いハイキングを楽しむような気持で通読したものでした。

以下、惜しくも割愛した歌を少々。

    惜落花
 里の子も惜しむか花をちりぢりに袖や裳裾にかきあつめつつ
    秋夕
 厭ひこし多くの秋を身にとめて今年もあへる夕まぐれかな



 正広・・ 風 光 希望    ..ためかぬ    
      2005/01/29(土) 09:48  No.499
 
 
    初春
  天の戸をあくればやがて日の光神代のままの春やたつらん

にはじまって、のびやかな気持ちにさせてもらえた歌が多くありました。

    余花風
  いづくにか花はのがれん夏きても風の使の青葉ふく声

の歌を読むころには、私の中ではボッティチェリ(1445-1510)の傑作『ビーナスの誕生』『春(プリマベーラ)』が浮かび上がってきました。優しい風が描かれているからでしょうか。

    花匂
  花にふく山風よりも夕月夜ひかりにとほく行くにほひかな


    河冬月
  雲ゐよりひとつに落ちてみなの川月は氷のちる嵐かな

月の光の美しさがひんやりと澄んだ空気にいっそう映え、音楽までが聞こえてきそうな気さえしました。

    新樹風
  花ちらす昔はむかし今はいましたしくなりぬ木々の下風

    古寺歳暮
  またや夢春はあすかの寺の鐘ことしもけふに声ぞ暮れゆく


新しい一日を新鮮に迎えるゆとりが伝わってくるようで、

    慶賀
  尋ねみよ蓬が島ぞ和歌の道心をのべて人は老せず

人生このようにありたいものとも思いました。

    庵懐旧
  いにしへにあはぬ板間の月ひとりなきがおほかる夢ぞかなしき

たとえこのような時があっても。

    林下幽閑
  はかなくもかたらふ声よ鳥のきてならぶ梢の夕暮のやど

このような、やすらぎのひとときを持つ日々をめざしたいものです。



 静御前の歌について    ..水垣    
      2005/01/27(木) 23:52  No.498
 
 
>むらじ様

年逝き、敏行も去りぬ。どうしちゃったんでしょうね。私もなんだか残念です。

静御前の歌についての補足、誠にありがとうございます。
私は『義経記』を思い浮かべて書いたのですが、『吾妻鏡』に既に記録されていたのですね。非常に信憑性が高いのだなと認識を改めました。

>静の歌として伝わっている高名な二首の和歌は、単なる「言い伝え」よりは真実味があるものの、実体は本歌取りないしいわゆる替え歌であり、必ずしも静のオリジナルとはいえない。

全くおっしゃる通りと思います。「替え歌」にもそれなりのオリジナリティはあるわけで、なかなか見事な本歌取りとも言えるのですが、「静のオリジナルとはいえない」ということが重要で、それこそ私の言いたかったことなのです。

静御前ファンの皆様にも、むらじ様のご説明で納得して頂けたかと推察致します。m(_ _)m



 むらじ様へ    ..一人静    
      2005/01/27(木) 19:39  No.497
 
 
拙文にもかかわらずエールいただき、ありがとうございます。
こちらのサイトに書き込みをさせていただきはじめて半年くらいになるでしょうか・・・
水垣様に多くの助言をいただき、私達の読書会も楽しいものとなっています。

私達、万葉集は2002年頃から読み始めています。
原文を読む。自分達で読む。これだけですが、蝸牛のような歩です。忘れることを恐れず、稚拙であることを恐れず、わかるほどを楽しんでいます。
これからもヘンな質問、愚かな質問すると思いますが、よろしくお願いします。

頑張って読み続けま〜す!



 >一人静さま    ..むらじ    
      2005/01/26(水) 23:39  No.496
 
 
万葉の歌のかけ合い、じつに興味深く拝読させていただいております。
一見とっつきにくい詞で書かれてありますが、こうやってお話を伺うと、じつに表情豊かな内容をもっているんですね。
いまの日本語とは、平安以降の和歌以上にかけ離れているので、読み解くのがなかなか難儀なことと拝察いたします。
なおかつ、これらの歌と千年もの時空を隔てながらの水垣様との才気あふれるやり取り、もとの歌にまさるとも劣らぬ感興を添えているように感じました。
気の利いたレスひとついたしかねる浅学を恥じながら、ともあれご挨拶&エールをお送りさせていただきます。



 ランキング感想    ..むらじ    
      2005/01/26(水) 23:30  No.495
 
 
毎回、興味深く拝見しております。
うーん、消えちゃいましたね。藤原敏行。
以前『俊頼髄脳』にある、打てば響くような掛け合い問答、楽しく読ませていただきました。
マイナーな人が上位にランキングされたりするとつい応援したくなってしまうのですが、
案外、なかなかのインテリさんがこっそりのぞいていて、博士論文か修士論文の勉強をされていったのかも…などと、あらぬ想像をかき立てております。時期的にはぴったりですし。(^^)

静御前の歌は、「吾妻鏡」に載っていますね。

靜、マヅ吟ジテ云フ、
吉野山峰ノ白雪フミ分テ入ニシ人ノ跡ゾコヒシキ
次ニ別物ノ曲ヲ歌フノ後、又和歌ヲ吟ジテ云フ、
シヅヤシヅシヅノヲダマキクリカヘシ昔ヲ今ニナスヨシモガナ
誠ニ是レ社壇ノ壮観、梁塵殆ド動クベシ。上下皆興感ヲ催ス…
(原漢文)

と、じつに古色蒼然たる文章です。「梁塵」うんぬん、というのは、中国の故事で、素晴らしい歌声に梁の上の塵までもが感動して舞い上がった、という意味です。

別段「吾妻鏡」といえども、書いてあることを100%鵜呑みにする必要はないのですが、ともかくも静御前が頼朝の御前で上記の歌を舞い歌ったのは事実と考えてよろしいかと思います。
ただここで注目したいのは、
「和歌ヲ吟ジテ云フ」
という表現です。
和歌を詠じて、ではないんですよね。
静御前は周知のとおり白拍子という、いまでいうと芸能人です。
著作権などというものがなかった時代の事ですから、本歌取りはもちろんのこと、古歌の替え歌を即興で作るくらいは朝飯前だったことでしょう。

まとめると、
静の歌として伝わっている高名な二首の和歌は、単なる「言い伝え」よりは真実味があるものの、実体は本歌取りないしいわゆる替え歌であり、必ずしも静のオリジナルとはいえない。
ということと、
そうであったとしても、静御前の真情が、敵方であるはずの人々をさえ感動させたのはおそらく事実であり、まことに和歌というものは
「力をもいれずして、天地をうごかし、目に見えぬ鬼神をもあはれとおもはせ、男女のなかをもやはらげ、たけきもののふの心をもなぐさむる」ものだ
ということになりましょうか。

またまた長々と、失礼いたしました。 ^^;;



 サイト内検索キーワード ランキング一月分 および静御前の歌について    ..水垣    
      2005/01/25(火) 23:48  No.494
 
 
恒例のCo.Co.Da e-Xpressのサイト内検索、今月分の履歴の上位です。

67  紀貫之
45  藤原定家
44  小野小町
34  西行
29  柿本人麻呂
24  正月・新春・新年
24  大伴家持
20  天智天皇
19  清少納言
18  藤原俊成
18  式子内親王
16  古今和歌集
14  紫式部
14  持統天皇
14  藤原俊成女
13  和泉式部
13  娘子
12  椿
12  一休
12  紀友則
11  万葉集
11  雪・初雪
11  伊勢
11  在原業平
10  百人一首
10  我が君の
10  蝉丸
10  東歌
10  後鳥羽院
10  静御前

さすがに百人一首関係の検索が多かったようです。
また大河ドラマの影響でしょうか、義経・平家・静御前関係のキーワードも目立ちました。

因みに静御前の作と伝わり名高い、

 しづやしづしづのをだまきくりかへし昔を今になすよしもがな
 吉野山峯の白雪踏み分けて入りにし人のあとぞ恋しき

の二首ですが、義経との悲恋物語では非常に効果的に使われていて、胸を打たれる歌です。しかし、前者は『伊勢物語』第三十二段に見える「いにしへのしづのをだまき繰りかへし昔を今になすよしもがな」の、後者は『古今集』壬生忠岑作「みよしのの山の白雪ふみわけて入りにし人のおとづれもせぬ」の、いずれも作り替えであることが明らかです。

弊サイトの「千人万首」に静御前の歌がないことを訝るメールを以前頂いたことがあるのですが、上記のような理由からのことであります。



 RE:湯原王、娘子の贈答歌・・その後    ..水垣    
      2005/01/25(火) 23:42  No.493
 
 
今回も充実した読書会(そして御食事会)におなりのご様子。楽しく思い浮かべながら拝見致しました。
「焼大刀」と「くるべき」の対照には気づきませんでした。これは面白いですね。

>絶つと言はばわびしみせむと焼き大刀のへつかふことはからしや我が君  娘子
「仲を絶つと言えば、さぞかし悲嘆するだろうと、(焼大刀の)当たり障りのないことばかり言う――そんなの、辛くはないですか。貴方」

この歌なども、見方を変えて読みますと、湯原王に対する非常に痛烈な皮肉になります。わざとどちらにでも取れるような詠み方をしているのではないかと勘繰られる程です。この「娘子」、まことに食えない人です。

さて今度は誰のどんな歌をお選びになるのでしょうか。今から楽しみになってまいりました。



 RE:武将の和歌    ..水垣    
      2005/01/25(火) 23:39  No.492
 
 
>むらじ様
辞世の「三つの傾向」、なるほどと頷きました。まことに武将・武人達の辞世はほぼこの三つに分類できそうです。
おそらく圧倒的に多いのは三番目の「悟りの境地に至ったもの」ではないでしょうか。私がすぐに思い浮かべますのは、

 天地(あめつち)の清きなかより生れ来て
    もとのすみかに帰るべらなり  北条氏照

秀吉に小田原城を落とされ、兄氏政と共に自決させられる時の歌と伝わります。

反対に二番目の「無念の死を遂げる前の心情を詠んだもの」は意外と少なそうです。思い浮かぶ歌がないので、『武人万葉集』で探してみますと、

 阿修羅王にわれ劣らめややがて又
   生れて取らむ勝家が首    竹股秀重

が見つかりました。
作者は魚津城主河田豊前守の家臣で、柴田勝家に城を攻め落とされ、自決した際の歌とのことです。

その勝家の辞世、

 夏の夜の夢路はかなき跡の名を
   雲居にあげよ山郭公    柴田勝家

これは一番目の「死に臨んで、せめては自らの名をいちだんと高めたい、という趣旨のもの」にぴったり当てはまりますね。
「千人万首」に採った歌ですが、足利義輝の辞世に学んだものだったようです。

>水明塾様
武将・武人の和歌は(辞世も含め)実際のところ型に嵌った作品が多いのですが、また和歌という「型」がこれほど偉力を発揮したものもないでしょう。
人間が生きる(そして死ぬ)支えとなり得るものは何か。それについて大切なことを教えてくれているように思われます。



 湯原王、娘子の贈答歌・・その後    ..一人静    
      2005/01/24(月) 19:29  No.491
 
 
今日は今年初の読書会でした。
みんなで自分達の気持ちを持ち寄って湯原王と娘子の贈答歌を楽しみました。
水垣様のご意見なども加えさせていただいて鑑賞しました。

湯原王の比較的平凡な歌いかけに対して、チクッと小さな刺というか、皮肉を見せつつ返す、娘子の歌のうまさ。
くりかえし読んでみるとよくわかりますね。

 絶つと言はばわびしみせむと焼き大刀のへつかふことはからしや我が君  娘子

焼き大刀・・という男性の持ち物を使っての娘子の歌の隣には

 我妹子に恋ひて乱ればくるべきに掛けて搓らむと我が恋ひそめし 湯原王

くるべき・・という女性の糸繰り道具の含まれた王の歌


君がこうくるなら、私はこうだ。貴方がそういうなら、私はこうよ。
こういう歌のやりとりの中で相手の知性や心根を確かめて楽しんでいたようなことに気がついてきます。

独りで読んでいては何がなんだかわからない上代語なども勉強しながら助け合って読んでいます。

後はみんなでお好み焼きパーティーとなりました。
午前11時に集まって解散したのが午後の4時・・・勉強熱心だねと夫に言われると友達が笑っていました。

その後の書き込みの武将の辞世の歌の話なども思いがけない歌に触れることができています。
皆様のご意見読ませていただくの楽しいですね。
では、またおじゃまします。



 無題    ..水明塾 [URL]    
      2005/01/24(月) 17:07  No.490
 
 
水垣様
むらじ様

教えてくださった本をさっそく探してみます。武人の歌は現実に敗北、一族の滅亡、そして死という恐怖に直面しているので、ひとつひとつの言葉が重くせまってくるのですね。それを子供達に伝える人が非常に少ないのは残念なことだと思います。どうすれば子供達に先人達の美学、哲学、また心情を伝えることができるか、色々考えてはおりますが…



 武将の和歌(おまけ)    ..むらじ    
      2005/01/22(土) 20:19  No.489
 
 
水明塾様
はじめまして。むらじ と申します。
おっしゃるとおり、武将の詠んだ和歌をまとめたものは、なかなかありませんね。
昔、辞世の歌について調べたことがありますが、それこそいろんな本(特に個々の武将の伝記)から拾っていくしかありませんでした。
(高校生のころのことで、10首くらい集めて文化祭の展示をやりました…^^ゞ)
水垣様ご推薦の本は私も未読なので読んでみたいと思いました。

辞世の歌にかぎってですが、比較的近刊(平成十五年)のもので

吉岡生夫「辞世の風景」和泉書院

というのがあります。
武人に限らず、上古から現代までの辞世が100首、うち武将のものは20首ほどですが、いずれも逸品が並んでいますので、ご一読をお薦めいたします。

この本に出ていないもので印象深い歌をいくつか書いてみます。

さみだれは露か涙かほととぎす 我が名をあげよ雲の上まで
                          足利義輝

ながはるといわれしこともまた夢よ 廿五年の春を見捨てて
                          三好長治

打つものも打たるるものもかわらけよ くだけてあとはもとの土くれ
                          三浦導寸

武将の詠んだ辞世の歌は、これらの歌にみえるように、めだって三つの傾向があるように思えます。
ひとつは足利義輝の歌にみえるように、死に臨んで、せめては自らの名をいちだんと高めたい、という趣旨のもの。
義輝は周知のとおり家来の夜襲を受けて斬り死にします。
居合わせた家来もほとんどが討死した中で、どうやってこの歌が伝わったのかはわかりませんが、
この歌にはそんな切羽詰った心情がよく歌いこまれているように感じられます。

二番目のものは「無念だ。とにかく無念だ。どうしてオレがここで死ななきゃならないんだ」という、無念の死を遂げる前の心情を詠んだもの。
かなり赤裸々なものが多く、たとえば織田信長の三男で秀吉に詰め腹を切らされた信孝の歌「昔より主をうつみの野間なれば報いをまてや羽柴筑前」などという、怨念みなぎるようなものもあります。

さいごのはやや悟りの境地に至ったもので、
「人はいずれは土に還るのだ」
という、人生の諦観を謳ったものです。
ほかにも「草を結べば庵になるが、ふたたびほどけばまた草に還るのみ」という意味の歌を詠んだ武将もいました。
子供のころに読んだ北条早雲の伝記では、
「導寸はこの歌で、私のこともさとしている。私もいずれは、土に還るのだ」
と呟く早雲の科白で終わっていました。

長々と恐縮でございます。m(_)m



 武将の和歌    ..水垣    
      2005/01/22(土) 18:10  No.488
 
 
水明塾様
武将の和歌を扱った本では、古くは川田順の『戦国時代和歌集』(甲鳥書林)があります。応仁の乱から関原役頃までの武将・武人の佳詠を集大成したものです。
最近では山口志郎氏の『武人万葉集』(東京堂出版)があります。こちらは上代から明治時代まで、幅広く集められています。
歌集ではありませんが、岡谷繁実の名著『名将言行録』(岩波文庫など)にも武将の詩歌が多数収録されていますね。

弊サイトでは「千人万首」というコーナーで戦国武将の歌も(申し分け程度に)扱っております。これからもっと資料を読み込んで、さらに精撰作業を繰り返すつもりでおります。



 無題    ..水明塾 [URL]    
      2005/01/21(金) 22:10  No.487
 
 
水垣様
こちらこそ、これからもどうぞよろしくお願いいたします。女性や子供が和歌に親しんでくれたらいいですね。
私は、上杉謙信の「もののふの鎧のそでに」の歌がとても好きです。謙信に限らず武将の歌に興味がありまして、ネットなどで探しましたが武将の詠んだ歌の本はないのですね。やっと武田信玄の本一冊だけ見つけました。よろしければこれから武将の歌なども教えていただけないでしょうか。



 湯原王と娘子の贈答・再    ..水垣    
      2005/01/21(金) 16:25  No.486
 
 
 家にして見れど飽かぬを草枕旅にも妻とあるが羨(とも)しさ 娘子

いずれにしても、娘子と王の関係を考える場合、この歌が大きなヒントになりそうですね。
遊行女婦なら王の邸に呼ばれて宴席に侍ることもあったでしょう。それで「家にして見れど飽かぬ」と言っているのかなと私は考えてみたのですが。

非常に面白い贈答歌で、あれこれ考え始めると時間を忘れて(泥沼にはまって、とも言う)しまいそうです。
こちらこそご投稿ありがとうございました。




 ご意見、ありがとうございました    ..一人静    
      2005/01/20(木) 17:22  No.485
 
 

歌はどのような状況下で詠まれたかをよく考えることも大切ということですね。
私は湯原王の身の回りの世話をする女性かと考えていました。
それも身分がかなり下の。

>湯原王が妻を伴って地方に赴任し、その土地で「娘子」をみそめて言い寄った、と見るのが素直な見方になるかと思います。そうするとこの「娘子」はやはり「遊行女婦」でしょうか。

なるほど。そう考えると贈答が短い期間にたびたびなされていることの納得が得られます。
遊行女婦・・が当時どのような立場にいたか知りませんが、楽しくもてなす中で王が気に入ったのかもしれませんね。
それにしても、娘子の歌のうまさには感心します。
それだからこそ、王も気に入ったのかもしれませんが・・・

単純に楽しいおしゃべりの贈答だけではない・・・とわかりました。
ありがとうございました。



 無題    ..水垣    
      2005/01/20(木) 00:41  No.484
 
 
水明塾様

確認致しました。ご紹介ありがとうございます。
龍ちゃん(達)にもよろしくお伝え下さい。



 湯原王と娘子の贈答    ..水垣    
      2005/01/20(木) 00:37  No.483
 
 
一人静様、お久しぶりです。

「楽しい歌のやり取り」に「ほのぼのとしてくる」……私も大体同じ様な感じを受けます。
ただ、「娘子」の歌は「控えめ」な風情を表面的には見せながら、結構皮肉を含んでいると思います。コケットリーと裏腹の皮肉でしょうが。
湯原王の方は、「月の内のかつら」「櫛笥の内の玉」など巧みな修辞を用いて、歌の力で相手の心を虜にしてしまえといった戦術を感じます。

この贈答の場合、二人の置かれた状況をどのように考えるかで、解釈がずいぶん違ってきそうです。湯原王が妻を伴って地方に赴任し、その土地で「娘子」をみそめて言い寄った、と見るのが素直な見方になるかと思います。そうするとこの「娘子」はやはり「遊行女婦」でしょうか。
それはともかく、二人のやり取りに「楽しさ」や「ほのぼのと」した感じを受けるのは、やはりお互いの心に余裕があったからではないかと思います。

なおこの贈答については下記参照下さい。
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/manyok/manyok04.html#631



 無題    ..水明塾 [URL]    
      2005/01/19(水) 13:58  No.482
 
 
水垣様
さっそく水明塾の「風流」というページにこちらのサイトについて書かせていただきましたが、誤った書き方をしていないかどうか確認していただけないでしょうか。お手数ですが、宜しくお願いいたします。



 無題    ..一人静    
      2005/01/19(水) 13:25  No.481
 
 
ご無沙汰しています。
皆さんの歌の造詣の深さに、しり込み気味ですが、
アドバイスいただきたく、お便り差し上げます。

私は今は湯原王と娘の贈答歌を読んでいます。

 目には見て手には取らえぬ月の内の楓のごとき妹をいかにせむ

に始まった恋は相思相愛になり、楽しい歌のやり取りがされています。
王が送ればすぐにそれに答えて娘が送る、それも少し控えめな思いの込め方で・・・

 我妹子に恋ひて乱ればくるべきに掛けて搓らむと我が恋ひそめし

などと出会いの頃の気持ちまでうちあけてくれるという、なんとも幸せな娘が想像され、こちらまでほのぼのとしてきます。
湯原王の妻には申し訳ないのですが、

 家にして見れど飽かぬを草枕旅にも妻とあるがともしさ

と娘が歌えば、

 草枕旅には妻は率たれどもくしげの内の玉こそ思ほゆれ

と答えてくれる。
娘が妻になることはなかったのでしょうが、彼女の恋は十分報われたと思ったことでした。

思い込みの深い私ですが、ご意見あれば、お願いします。



 心敬3    ..水垣    
      2005/01/18(火) 22:39  No.480
 
 
>ためかぬ様・sion様
早速にご感想頂きありがとうございました。お二人の好みが分かれ、大変面白く拝見しました。

清澄さを指向する映像美の世界ということでは、京極派―>冷泉家―>正徹と引き継がれて来た遺産が心敬にも読み取れるのではないでしょうか。
「心敬十躰和歌」の麗体の作に

 ふけゆけば白くなりゆく埋火に面影むかふ春のあは雪

「夜の更けるにつれ白くなってゆく埋み火に向かっていると、春の淡雪のイメージが目の前に浮かぶ」という歌ですが、風雅集の趣に似たところがあります。

sionさんの挙げられたのは、まさに心敬が考えていた「有心」の作だと思います。『新々百人一首』にも採られた、

 世は色におとろへぞゆく天人(あまびと)のうれへやくだる秋の夕ぐれ

「悽愴」な現実世界への思いの深さが、秋の夕暮の景に浸透しています。



 どういたしまして>水明塾様    ..水垣    
      2005/01/18(火) 22:38  No.479
 
 
ご質問はいつでも歓迎致します。お返事が遅れることもありますが…。こちらは私より余程知識の深い方も見ておられ、ご解答頂ける場合もあると思います。どうぞまたお気軽にお書き込み下さい。

>お名前とサイトをご紹介させていただいてもよろしいでしょうか。

もちろん構いません。ありがとうございます。



 心敬 2    ..sion    
      2005/01/16(日) 21:22  No.478
 
 
戦乱の世を感じさせる「悽愴」な歌が少なからずあることに驚きました。
ためかぬ様が幽玄な映像美の作品を挙げておいでなので、私はあえて内面的な(「有心」かな?)作風の歌を選んでみました。

 なき玉やふりにし宿にかへるらん花たちばなに夕風ぞふく
 世は色におとろへぞゆく天人(あまびと)のうれへやくだる秋の夕ぐれ
 思ひたえまたじとすれば鳥だにも声せぬ雪の夕暮の山

はっきりとした映像が浮かばないところに、かえって奧深さを感じます。新古今とも玉葉風雅ともまたちょっと趣が違いますね。戦乱の世にあっても「おとろへ」ない、和歌の生命力をまざまざと感じさせてくれる23首でした。



 心敬    ..ためかぬ    
      2005/01/16(日) 20:43  No.477
 
 
  さほひめの霞の袖に髪すぢをみだすばかりの春雨のそら

  夕暮は遠ざかりゆく山のはを軒ばにかへすさをしかのこゑ

  山もとの杉の一むらうづみかね嵐も青くおつる雪かな

マイベスト三首です。
「水青し消えて幾日の春の雪」をふくめ、清澄な色彩と音のイメージが
あり、映像美の世界という感じです。いつも同じ感想ですが。



 無題    ..水明塾 [URL]    
      2005/01/16(日) 18:16  No.476
 
 
ためかぬ様

私のHPを御覧になってくださってありがとうございます。和歌についても、他の日本文化についても非常に浅い知識しかなく、様々な本を参考にしながら悪戦苦闘しております。神道に関してもお世話になっている神社の神主様のご指導をいただきながら勉強しているところです。もしよろしければ、ためかぬ様にも色々教えていただければありがたいと思います。今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。



 無題    ..水明塾 [URL]    
      2005/01/16(日) 18:11  No.475
 
 
水垣様
突然のお願いに快くご指導くださいまして、ありがとうございました。和歌の知識がないものですから、本当に助かりました。和歌の世界は奥が深くて生半可な知識では理解できないものなのですね。これからも、どうぞ色々教えてください。
 水垣様にお教えいただいた「桃の杯」の歌を水明塾で紹介させていただこうと思いますが、子供にもわかるようにできるだけ簡単に解説しようと思います。そこで、もしも間違いがあれば教えていただけないでしょうか。また、和歌について深く知りたい方がいるかも知れませんので、水垣根様のお名前とサイトをご紹介させていただいてもよろしいでしょうか。



 和漢朗詠集    ..水垣    
      2005/01/16(日) 16:28  No.474
 
 
ためかぬ様、
和漢朗詠集より全備なる引用、ありがとうございます。
対句ですから、前句と併せて読まないと、理解しにくいですね。

和漢朗詠集の注釈書が文庫本で出ているのは有り難いことです。つまみ食いのように読める詞華集は、忙しい時の読書にも向いています。

ところで正徹は室町時代の大歌人であるにもかかわらず、作品が厖大かつ難解なためか、いまだに家集の完全な注釈書が刊行されておりません。私も暗中模索するようにして読んでおります。



 三月三日 付 桃    ..ためかぬ    
      2005/01/15(土) 23:05  No.473
 
 
  石に礙(さわ)つて遅く来れば心窃(ひそ)かに待つ

  流に牽かれて遄(と)く過ぐれば手先づ遮る

                     菅原雅規(道真の孫)

今 和漢朗詠集全訳注 川口久雄 講談社学術文庫をよんでいるところ
ですから、ついうれしくなって書き込みました。
良い勉強になりました。

>水明塾様
興味深く拝見しました。
設いをはじめ、龍さまにはすっかり目をうばわれました。
塾のご発展をお祈り致します。



 「桃の杯」の歌    ..水垣    
      2005/01/15(土) 21:45  No.472
 
 
水明塾様、初めまして。ようこそおいで下さいました。
貴サイトは大変有意義な試みをされているのですね。アイデアもユニークで感心致しました。心よりご発展をお祈り致します。

さてご質問の歌、

 ながれきて桃の杯過ぐるとも
  手もさへぎらじ飲む身ならねば

これは正徹の作ですね。
三月三日桃の節句の曲水宴で、水の流れに浮かべる盃を「桃の盃」と言いました。その盃が自分の前へ流れて来ると、通り過ぎないうちに詩歌を作り、盃を取って酒を飲み、次へ流す、というのが作法でした。

「手もさへぎらじ」は、和漢朗詠集に見える詩句「流に牽かれて遄(と)く過ぐれば手先づ遮る」に由った表現です。まだ詩歌が出来ないのに、どんどん盃が流れて来てしまった場合、とりあえず手を差し出して盃を止めておく、といった意味です。

一首の大意は「流れてきて私の前を桃の杯が過ぎるとしても、手でふさぐこともすまい。いずれ酒を飲む身ではないので」。

禅僧の飲酒は禁制でしたから、正徹は「飲む身ではない」と言っているのでしょうか。因みに「身」には「(桃の)実」が掛けられているでしょう。
おそらく宴で詠まれたもので、軽い諧謔味を狙った歌だと思います。



 無題    ..水明塾 [URL]    
      2005/01/15(土) 15:18  No.471
 
 
初めまして、水明塾と申します。日本文化をできるだけわかりやすく解説するHPを作っていますが、その中で和歌も少し紹介しています。そこで、「桃」を読んだ歌を紹介したいのですが、「なかれきて桃の杯過くるとも 手もさへきらし飲む身ならねは」という和歌がよいのではないかと思いましたが、意味がよくわからず、困っております。書籍なども探したのですが、見つからないのですが、もしよろしければ教えていただけないでしょうか。


 RE:紫木蓮    ..水垣    
      2005/01/15(土) 01:55  No.470
 
 
紀州の姫様

「好きなもの」は以前記載していたと思うのですが、その後削除してしまって、今年またちょっと気が変わり新たに書き加えたものです。
「ご挨拶」の頁は正月ごとに書き直すのが慣例になっております。

木の花は大体何でも好きなのですが、特に紫木蓮には惹かれます。春浅い寒々とした枝に飾り気もなく咲く姿。花びらが開き切った途端、剥がれ落ちるように散ってしまう、何ともさっぱりとした潔さ。真砂女の句はそんな紫木蓮の趣をよく捉えているように思えます。
載せて下さった写真は、咲き切って、散り始める頃ですね。

上の写真は関係ないですが、新春の鶴岡八幡宮です。



 紫木蓮    ..紀州の姫    
      2005/01/14(金) 07:08  No.469
 
 
水垣さま

更新情報の中に
>「制作者に関する情報」にどうでもよい情報を追加しました。

がありましたが、確か“好きなもの”が幾つか増えているのですよね?
記憶違いだったら・・・、ご免なさい。。m(__)m
そして、もしかしたら前にも紫木蓮があったかもしれませんが・・、
紫木蓮は私も大好きです。

“戒名は真砂女でよろし紫木蓮” 鈴木真砂女



 南都百首    ..水垣    
      2005/01/09(日) 23:07  No.468
 
 
この百首歌は、題詠のお手本とされた「堀河百首題」を踏襲しながら、各首に必ず大和の名所を詠み込むという、私などには大変心躍る、楽しい企画です。かなりの離れ業でもありますが、作品としての水準も相当なものだと思います。老練の一条兼良ならでは、というところでしょうか。

 かきつめし大和ことのはちりぢりに
     奈良の里びと名のみふりつつ

 粟まかんことをしぞ思ふ神のます
      春日の原に家ゐせしより

応仁の乱で京都は荒廃し、家屋敷を失って、関白も名ばかり。奈良に疎開していた兼良は、老いて子に頼らざるを得ない状況でした。そんな窮境が偲ばれる歌も百首のうちにちらほら。



 奈良のみやこにのこる橘    ..ためかぬ    
      2005/01/09(日) 00:50  No.467
 
 
一条兼良「南都百首」読む機会をもちたいものとおもいました。
「橘」が「わが母」となった昨年末からの状況でありますので、猛吹雪の件を拝読したときは、同じ年代だったことを思い起こしました。



 RE:宝皇女    ..水垣    
      2005/01/06(木) 21:28  No.466
 
 
ゆきべー様、ようこそおいで下さいました。宝皇女で検索して来られたのですね。
ドラマ「大化の改新」、私もBSで連夜見た(見ようとした)のですが、どちらも途中で居眠りしてしまいました。しかし宝皇女役の高島礼子さんの演技は強く印象に残っています。
オープンセットとか、衣裳とか、なかなか見どころは多かった気がします。




 どういたしまして>八重葎様    ..水垣    
      2005/01/06(木) 21:26  No.465
 
 
 かりの世を思ひつらねてながむればあまのはらはら散る涙かな

こういう歌は、その人その人の思い入れで、様々な読み方ができるでしょうね。歌自体が「色々な人生の諸相」を映し出す鏡のような気もします。



 宝皇女    ..ゆきべー    
      2005/01/06(木) 17:33  No.464
 
 
「大化改新」というドラマを見て、急に宝皇女の事が知りたくなり、
お邪魔しました。額田王をめぐる関係は知っていたのですが、宝皇女については
まったく知らなかったので、大変参考になりました。
今年もよろしくお願いします。



 ありがとうございました    ..八重葎    
      2005/01/05(水) 12:24  No.463
 
 
水垣様

ありがとうございました。
蓮月尼の書に再びまみえる機会を頂きましたこと深くお礼申上げます。

かりの世と思いつつ、涙がこぼれる…
仮と雁をかけて淡々と歌っておられますが、
色々な人生の諸相を誠実に冷静に見定めよう
とでもされているのかのように勝手に忖度しました。

浜までは海女も蓑着る時雨かな



 蓮月の書    ..水垣    
      2005/01/04(火) 22:29  No.462
 
 
八重葎様、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。

蓮月と鉄斎のことは、杉本氏の著書でも最終章で詳述されていました。
蓮月は自分との合作という形で、若き鉄斎の収入の方途を講じてやっていたようですね。
生前、蓮月は自分が死んでも誰にも知らせる必要は無いが、鉄斎にだけは伝えてくれと周囲の人に頼んでいたそうです。

蓮月の書はまことにユニークですね。仰る通り「引き締まった線」が、か細いけれどもしなやかな強さを持っていて、この人の生き方そのものの軌跡を見るような思いです。
どこのサイトで手に入れたものか忘失してしまったのですが、まず著作権上の問題はないと思いますので、手持ちの蓮月の和歌懐紙の画像を掲げさせて頂きます。

かりの世を
 おもひつらねて
  なかむれは
 あまの
    はらはら
  ちるな
   みたかな



 新年おめでとうございます    ..八重葎    
      2005/01/04(火) 12:34  No.461
 
 
水垣様 皆様おめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。

年末から太田垣尼の名が出ており、興味をひきつつ
投稿できませんでした。
鉄斎が若いころ蓮月尼にあずけられて、薫陶を受けた
話を思い出しました。蓮月尼がどんな方かは詳しく
存じませんが、引き締まった線をもつ和歌懐紙を
ものの本で拝見し、その人となりを偲んだことです。
鉄斎が売れないころ、物心ともに影から暖かく支えていた
方かと思います。



 WEB年賀状    ..水垣    
      2005/01/03(月) 23:28  No.460
 
 
三が日もやがて終わってしまいますが、ようやくWEB年賀状が出来ましたので、下記リンク致します。
重ねて皆様の一年の息災をお祈り申し上げます。

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/newyearH17.html



 新年のご挨拶    ..水垣    
      2005/01/03(月) 23:24  No.459
 
 
明けましておめでとうございます。
皆様の一年のご多幸をお祈り申し上げます。

新年早々のご挨拶を皆様ありがとうございました。
一人で自由になれると、取りあえずパソコンの前に座ってネットにつなぐ――という習慣ができてから何年になるでしょう。そうした時間を取ることは年々難しくなってゆきますが、それにつれてますます私にとって大切な時間となってゆくことを感じております。今後とも、呉々もどうぞよろしくお願い申し上げます。

>むらじ様
「敏行の周辺」のお話、大変面白く読ませて頂きました。「凛々しい爽やかさ」で思い出しましたが、源俊頼の歌学書『俊頼髄脳』に、こんなエピソードが記されています。ある日、近衛の少将であった敏行が近衛府の詰所にやって来て、
「陣には誰かさぶらふぞ」
と問いかけますと、居合わせた壬生忠岑(この人ももちろん百人一首歌人ですが)が、
「番長(つがひのをさ)、壬生忠岑」
と名乗りました。すると敏行は、
「つがひのをさに、壬生のただみね」
と連歌の下句のようにして高らかに吟じ、通り過ぎようとしたところ、忠岑は即座に
「なははしの絶えぬ所にかづらはし」
と付けた、と言います。
忠岑が自らを縄の橋に喩え、敏行をたのもしい葛の橋に喩えたということのようです(目崎徳衛氏説)。
俊頼は連歌の最初期の例として挙げているだけなのですが、いかにも衛府の官人らしく颯爽とした敏行の風貌が髣髴とする逸話ではないかと思います。

>「ゆきのはなたば」
お嬢さん、詩人ですねえ。

>ぱぐさん
お風邪の具合はその後いかがですか。お大事に。
「あたら夜の」、良いですねえ。これは丸谷才一氏の「新々」にも採られていましたね。信明の代表作と言いますと、新古今集に採られた

 ほのぼのと有明の月の月影にもみぢ吹きおろす山おろしの風

もあり、甲乙つけがたいと感じます。

>ためかぬ様
関西でも雪がちらついたのですね。
杉本秀太郎著「大田垣蓮月」、お取り寄せになるとのこと。絶対後悔はしない本だと思います。私はいまだに迷っていますが(笑)。

>sion様
sionさんのご投稿に示唆されて、今年のWEB年賀状を作成しました(上記投稿参照下さい)。お礼申し上げます。

>紀州の姫様
愛らしいイラストとめでたい歌と、ありがとうございます。
こちらこそ、今年も姫様のご投稿を楽しませて頂けましたら幸いに存じます。

>せきど様
お忙しい中の雪かき、お疲れ様でした。
鎌倉は積もるほどではなかったのですが、正月準備の買物途中、突然の猛吹雪に見舞われ、驚きました。あやうく老母に風邪をひかせてしまうところでした。



 あけましておめでとうございます    ..せきど    
      2005/01/02(日) 23:26  No.458
 
 
大晦日はおせちの支度を中断しての雪かきにおおわらわでしたが、一転のどかな元日をすごし、どうかこの一年穏やかな日々が続きますようにと祈るばかりです。
こちらのゲストブックを覗くのが日課となり、皆様のお話しに耳ダンボで聞き入っております(笑)

水垣さま、皆様、今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。



 明けましておめでとうございます    ..紀州の姫    
      2005/01/01(土) 23:37  No.457
 
 
真っ青な空と薄っすら雪化粧した山々を眺めながら、初詣に行って参りました。
“どうぞ、良き年になりますように・・・”と。

今年も水垣さま皆様のお話から学ばせて頂き、楽しませて頂きたく存じます。どうぞ宜しくお願い致します。

新(あらた)しき年の始めの初春のけふ降る雪のいや重(し)け吉言(よごと)



 新春のご挨拶を申し上げます    ..sion    
      2005/01/01(土) 21:58  No.456
 
 
 春ながら今年の空ははつ雪にふりはへ神のめぐみをやみん

下冷泉持為のこの歌がぴったりと来るような新春ですね。
今年はあまりお天気に翻弄されることなく、どうか平穏な一年でありますように。水垣様にも、皆様にとりましても!

今年もどうぞよろしくお願いします。



 新年おめでとうございます    ..ためかぬ    
      2005/01/01(土) 21:27  No.455
 
 
  山もとの鳥の声より明けそめて花もむらむら色ぞみえゆく
                                  永福門院


暖冬だったので、おだやかなお正月との思いもこめて年賀用の歌を選びましたが、雪がちらつく新年となりました。

  

  よろづ代の春のはじめとうたふなりこはしき島のやまと人かも


こちらでの年頭歌で知った大田垣蓮月 自分へのお年玉にと本の取り寄せを申し込みました。

未知の歌、歌人との出会い、そして水垣さまの御歌を今年も楽しみにしております。



 謹賀新年    ..むらじ    
      2005/01/01(土) 00:12  No.454
 
 
あけましておめでとうございます。
雪のお正月になったところも多いかと存じます。皆様いかがお過ごしでしょうか?
今年も皆様からよい歌をお教えいただき、心の糧としてまいりたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。



 源実明    ..ぱぐ [URL]    
      2004/12/31(金) 09:51  No.453
 
 
>あたら夜の月と花とをおなじくば心知れらん人に見せばや

この歌、佐佐木弘綱撰の中でいちばんいいなあと思いました。
理屈っぽい歌が多い中で調べ、かっこよさ、そして女人に贈っ
たというエピソード、みんな好みです。

いろいろなアンソロジーに選ばれていますが、やはりそれだけ
のことはありますね。

今年もあとわずかですね。
残念ながらわたしは風邪が治らないまま年を越しそうですが、
水垣さんはじめみなさま、よいお年をお迎えください。



 敏行の周辺    ..むらじ    
      2004/12/30(木) 22:11  No.452
 
 
おとそきぶんにはまだちょっと、早いですが・・・
宇多院の宮廷で開催された王朝イッキ飲み大会のお話、ってご存知ですか?
ことの詳細はいささかビロウなので、ここに持ち出すのは控えますが、
あるいは轟沈、あるいは漂流するなかで、ただひとり正気を保ち、優勝の栄冠?に輝いたのは藤原伊衡という人物。
この人、なにをかくそう敏行の子息なんですね。
のちに参議に至っています。

敏行が小野篁と縁続き、というのは「尊卑分脈」という系図集からみつけたのですが、これは敏行の子息のひとりが小野峯守(篁の父)の女を母としている、と書かれてあります。
伊衡は残念ながら別腹の子にあたります。
その伊衡の女に、源高明の室?がいたと思います。勅撰集の歌人だそうです(ちょっと事情があって、いますぐ披見できないので、詳しいことは書けませんが…)

敏行の父は富士麿といい、この時代としてもかなり古めかしい名前の持ち主です。阿保親王の密告?によって起こった皇太子廃立事件・承和の変のさいには、「勇敢の近衛」を率いて被疑者確保にむかったと伝わっています。
敏行の周囲は、本人のイメージとは裏腹に、衛府の官人がめだつようです。そこに凛々しい爽やかさを思い描くのは、後世の人間の勝手な思い込みかもしれませんが…

雪景色、とても綺麗ですね。
三才の娘といっしょにこのサイトをみていたら、
「ゆきのはなたば」
といっていました。どこまでわかっているのやら…ですけど。^^;

年末のご挨拶は書きそびれてしまうことが多いです。
まだまだ書くつもりでいつのまにか除夜の鐘…ということのがありがちなパターンです。
本年もいろいろお世話になりました。
水垣さまはじめ皆様のご多幸を念じつつ、年末のご挨拶に代えさえていただきます。



 年末ご挨拶    ..水垣    
      2004/12/29(水) 22:54  No.451
 
 
初雪が降りました。

佐佐木弘綱撰「続百人一首」をアップしました。今年最後の更新です。
正月明けまで、当ゲストブックもしばし開店休業となりますので、ご承知置き下さい。

さて、各地で災害の多発した今年一年。被災された方々のご苦労とは比べ物になりませんが、私自身にとりましてもなかなか多難の一年ではありました。どうにかサイトの運営を維持できましたのは、さまざまな形で励ましを与えて下さった、閲覧者の皆様方のお蔭です。誠に有り難うございました。
今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。

それでは皆様、良いお年をお迎え下さい。



 サイト内検索・藤原敏行    ..水垣    
      2004/12/29(水) 22:50  No.450
 
 
珍しいお写真をありがとうございます。まさに姨捨山から昇った夕月ですね。

>サイト内検索
ご活用頂いているとのこと、嬉しく存じます。私自身も重宝しております。
サービス提供元が毎月末に「検索履歴レポート」をメールで送ってくれるのが、結構楽しみだったりします。どんなことを知りたくてアクセスしてくれているのか、サイト制作者にとって興味深いことですから。
例えば「禁断の恋」なんていうキーワードもあったり(残念ながらヒットしません)。

>藤原敏行
大歌人というわけでもないのに、何故検索キーの上位に来るのか、いまだに謎です。
百人一首の歌も良いですし、「秋来ぬと目にはさやかに見えねども」の歌も人気がありますね。

>蔵人頭、右兵衛督までなっているんですね。

十分エラかったのですね。百人一首や勅撰集では、三位以上の人しか官職名を付けなかった筈なので、「藤原敏行朝臣」なわけですが。

小野篁の姉妹と結婚しているとは、気づきませんでした。これは興味深い話ですね。在原業平や紀氏だけでなく、篁、延いては小野氏とも関係が深かったとなると…。
書の名人でもあったと言いますし(小野道風は敏行と空海の二人を古今の名筆として挙げたそうです)、もっと注目されてよい、面白い人物なのかも知れません。



 藤原敏行    ..むらじ    
      2004/12/29(水) 20:51  No.449
 
 
先月に引き続き、上位にランキングされていますね。なぜだろう。
…って検索したのも、もしかしたら今月の一票になっていたりして…^^ゞ

夢のかよひぢ人めよくらむ

という詩句は、とてもナイーヴな恋心を思わせて、ワタシ的には好きな歌ですね。

小学五年生のころ初めて百人一首の読み札をみて、
ほかの人は左大臣とか大納言とかでているのに、この人はナマエだけ。あんまりエラくなれなかったのかなー、などと思っていたのですが、蔵人頭、右兵衛督までなっているんですね。
敏行は母が紀名虎女なので、在原業平の姻戚として知られていますが、系図みてみると小野篂の姉妹と結婚しているようですね。
篂は妹とのかなわぬ恋のエピソードを持っていましたっけ。
ちょっと気になる関係です。



 サイト内検索    ..むらじ    
      2004/12/29(水) 20:34  No.448
 
 
とても便利ですよね。
小生は特定の歌枕がどんな歌になっているか、などを調べるのに利用させていただいております。
縁があってしばしば観るようになった「をばすて山」にまつわる歌を・・・などなどと。
データの量だけではなくて、利用度の高いものにしていただいていて、常々感謝申し上げております。(^_^)

写真は姨捨山の月です。



 ※サイト内検索キーワード ランキング 12月    ..水垣    
      2004/12/25(土) 16:48  No.447
 
 
恒例のCo.Co.Da e-Xpressのサイト内検索、今月分の履歴です。リクエストランキング上位1000個の検索キーより、実行回数が10回以上あった語を掲げます。

  53  藤原定家
  46  紀貫之
  44  清少納言
  36  小野小町
  28  西行法師
  27  正月(新年・初春・年始など含む)
  16  伊勢
  16  百人一首(小倉百人一首)
  15  梅
  14  山上憶良
  14  大伴家持
  13  柿本人麻呂
  13  雪
  12  紅葉
  11  藤原敏行
  10  夏の夜は
  10  寂蓮

さすがに百人一首の歌に関する検索が目立ちました。

因みに、百人一首の歌を検索される場合、たとえば「ひとめもくさも」など、句を平仮名で検索されると見つけやすいかと思います。



 よいお年を    ..水垣    
      2004/12/25(土) 16:45  No.446
 
 
こちらこそ折々励ましやお気遣いを頂き、まことにありがとうございました。
ゲストブックでは、ひよきち様はじめ、投稿者の皆さまのお蔭で、私自身、大変楽しませて頂きました。

山茶花(おそらく(笑))のお写真、大変心惹かれます。私は淡紅色のこの花が殊に好きです。

掲げた写真は、今しがたデジカメで撮影した裏庭の楓です。日当りが悪い場所なので、色づくのに時間がかかり、散るのもゆっくりなのでしょう。このまま年を越してしまいそうです。

ひよきち様も風邪等には注意され、健やかな新年をお迎えください。



 年末のご挨拶    ..ひよきち    
      2004/12/24(金) 23:01  No.445
 
 

水垣さま、こんばんは。

早いもので あと1週間ちょっとしますと
お正月ですね。

今年1年大変お世話になりまして
本当にありがとうございました。

サイトを拝見しながら たくさんのことを学ばせて頂きました。

また このゲストブックでの皆様のご投稿を拝見し
本当に楽しい時間を過ごすことができました。

心より感謝申し上げます。

急に寒くなって参りましたので 風邪を召されませぬよう
くれぐれもお気をつけ下さい。

水垣さま、皆様
今年1年大変お世話になりました。



どうぞ良いお年をお迎え下さいませ(*^_^*)







 RE:初学パソコン    ..水垣    
      2004/12/23(木) 23:27  No.444
 
 
失礼ということは全然ありません。どうぞお気になさらず。
前略・後略、私は少しも構いません。簡潔な文章はむしろ歓迎です。

>『百人一首評解』、いい本ですってね。

戦後の百人一首注釈書の白眉と評価する向きもありますね。『鑑賞 百人一首』と共に、私も愛読しております。醒めた分析と熱い語り口と、兼ね備えているところが魅力でしょうか。

>ご当人に申し上げるのも気が引けますが、偉い方ですね。

偉いということは全然ありません。

>私の所属する『水甕』という短歌結社は、戦前は、新古今研究に寄与するというのが一つの指針になっていたらしい。

『水甕』の学統を継いでおられるのですね。

>面影に花の姿をさきだてて幾重越えきぬ峰の白雲

大したことは書けませんが、この歌はぜひ加えたいと思っておりました。
こうしてリクエストして頂けるのは(お応えできるかどうかはともかく)サイト運営者として嬉しく有り難いものです。



 初学パソコン    ..toyohashi taro    
      2004/12/23(木) 14:03  No.443
 
 
パソコンの扱いに慣れていませんので、中途でエンターキーを押してしまい、前略、後略で失礼しました。こういうのは感情の齟齬をきたしますね。『百人一首評解』、いい本ですってね。百目鬼恭三郎が以前誉めていました。私はまだお目にかかっていませんが、そのうちぜひ手に入れたいと思っています。水垣様の「ご挨拶」拝見しました。ご当人に申し上げるのも気が引けますが、偉い方ですね。はっとひれ伏す思いです。私の所属する『水甕』という短歌結社は、戦前は、新古今研究に寄与するというのが一つの指針になっていたらしい。それで只今は私も新古今に関心があります。『鑑賞ノート』の俊成には<面影に花の姿をさきだてて幾重越えきぬ峰の白雲>を加えていただきたいものです。


 訂正しました    ..水垣    
      2004/12/22(水) 21:49  No.442
 
 
>toyohashi taro様
ご指摘ありがとうございます。只今訂正しておきました。

ついでにと言うのも何ですが、参考文献リストに入れ忘れていた同氏の著作を追加しました。



 重箱の隅    ..toyohashi taro    
      2004/12/22(水) 19:40  No.441
 
 
参考文献、百人一首の項中、『小倉百人一首鑑賞』石田良貞は、
石田吉貞だと思います。



 私も新聞で読みました    ..水垣    
      2004/12/21(火) 23:24  No.440
 
 
>ためかぬ様

杉本秀太郎著『大田垣蓮月』は、初め淡交社から刊行され、その後小澤書店で再刊、また中公文庫にも収録されました。今度は青幻舎で復刊というわけですね。
私は文庫本で持っているのですが、今回の復刊では若干の改訂があり、図版の増補もあるとのことで、気を惹かれます。

丸谷才一『後鳥羽院』は、筑摩の「日本詩人選」シリーズで読みました。今回の『第二版』は三十年ぶりの増補改訂ということになるのでしょうか。調べてみますと、三つの論文が追加され、前回と異なり歴史的仮名遣での出版とのこと。

どちらも安くない本なので、購入しようか借りて読もうか(あるいは古書店に出るまで待とうか)、迷ってしまいます。

追記:「千人万首」の大田垣蓮月のファイルの文献情報を書き直して再アップしました。ためかぬ様、ありがとうございました。



 碩学二人の著作復刊    ..ためかぬ    
      2004/12/21(火) 22:51  No.439
 
 
>評伝には中公文庫に杉本秀太郎著『大田垣蓮月』がありましたが、これも平成十四年二月現在、品切れのようです。

との紹介があった杉本秀太郎著『大田垣蓮月』が青幻舎から2004年10月に、丸谷才一『後鳥羽院 第二版』が筑摩書房から復刊との紹介が今日の夕刊にありました。
『大田垣蓮月』まだ手にはいるかと、あわただしい年の瀬ますますそわそわあせってます。



 解読もまた楽し?    ..水垣    
      2004/12/20(月) 23:06  No.438
 
 
>せきど様・sion様
ふふふ、一番右だけはお二人とも苦労されたようですね。
実は私も最初見た時は「なんじゃこりゃ(゜д゜;)」と思いました。
草書は時々筆者が謎掛けをしているのではないかと思うことがあるのですが、どうなのでしょう。

一応、正解(多分)を……左から。
(変体仮名はもとの漢字で記しました。)

 ま多ふみも見須天能橋立(小式部内侍)
 身を津くしてやこひ王多るへ幾(皇嘉門院別当)
 今一堂ひの御幸ま多南(貞信公)

「カルタ美術館」ですが、今後は書の方ももう少し勉強して、字が縦横に活躍する取札にも光をあてて行けたらと思っております。



 Re:肉筆カルタの字    ..sion    
      2004/12/20(月) 21:13  No.437
 
 
私も挑戦してみました。
一番左の札は「ふみも」から、真中の札は「身」から、わりとすぐ見当がついたのですが、せきど様同様、右の札がどうしてもわかりません。
横に引いた一本の棒はどう見ても数字の「一」なので、「一」という字を使っている歌を、百人一首のテキストのページから検索して(カンニングです^^;)、やっと「そうか!!」と・・・。

大学の授業で草書の読み方は習ったのですが、全然身に付いていません。

ところで左の札、「まだふみも見ず」の「見須」のところが、ふと「つんく 男」に見えてしまって、一人でウケてしまいました。

私の場合、「勉強不足」以前の問題のようです・・・(-_-;)



 Re:肉筆カルタの字    ..せきど    
      2004/12/19(日) 23:54  No.436
 
 
一番右のものがなかなかわからず四苦八苦、とうとう百人一首をひっぱりだして、やっとこさみつけました(汗・・)。 まだまだ勉強不足です。 
こうして取り札を見せていただくのはとても嬉しいです。もちろん絵は眺めているだけで楽しいのですが、取り札に見る散らし書きの自由さには驚いてしまいます。



 RE:初めまして>toyohashi taro様    ..水垣    
      2004/12/19(日) 22:10  No.435
 
 
ご投稿ありがとうございます。
「奇特」ということでは、私などまだまだ甘いでしょう(笑)。
越部禅尼(藤原俊成女)は晩年を播磨国越部庄に過ごしたのですね。お墓のことは初耳でした。私もいつか訪ねてみたいと思っています。
新古今に関心をお持ちでしょうか。
こちらこそ今後ともどうぞよろしくお願いします。



 初めまして    ..toyohashi taro    
      2004/12/19(日) 20:26  No.434
 
 
初めてお便りを申し上げます。以前からこのサイトは時折拝見していたのですが、世の中には奇特なお方がいらっしゃるナと、ほとほと感心しておりました。
先日、越部禅尼の墓に御参りして来ました。兵庫県揖保郡新宮町、静かな山間の町でした。以後、石田吉貞、森本元子さんの本など読んでいます。今後ともご指導のほどお願い申し上げます。



 肉筆カルタの字    ..水垣    
      2004/12/19(日) 16:27  No.433
 
 
一仕事終えた後、今日も百人一首のテキストや画像の整理をしているのですが、例によって更新は間に合いそうにありません。

江戸時代その三で紹介しましたカルタの取り札を掲げてみました。皆様、誰の下句かお分かりになるでしょうか。



 RE:カルタ拝見しました♪    ..水垣    
      2004/12/19(日) 16:22  No.432
 
 
せきど様、早速ありがとうございます。

>「大正時代その四」、可笑しみと動きのある絵

「可笑しみと動き」、ほんとにこの二点が特色ですね。
画質の良くないのが残念ですが、表情なども生き生きとしています。
カルタの小さな画面の中でどんな工夫を凝らしているかと思いながら見ると、一見似たような歌人達の絵にも、興味は尽きません。
その点は字も同じです。特に江戸時代の肉筆カルタなどは、見事なちらし書きの技法が駆使されていて、楽しませてくれます。

出光美術館、面白い企画があったのですね。色紙に焦点をあてているところに興味を惹かれます。
住処が東京から遠くなって、美術館にも足が遠のいてしまった今日この頃ですが。



 カルタ拝見しました♪    ..せきど    
      2004/12/18(土) 23:55  No.431
 
 
「大正時代その四」、可笑しみと動きのある絵だなぁと思って見ていましたが、ためかぬ様の「ほろ酔い気分の歌人」というのがぴったりですね。

>十二月後半から正月にかけては、「百人一首強化月間」
とのこと、嬉しい限りです。引き続き楽しみにしております。

今日は「書の名筆<三色紙>とちらし書き」を観に出光美術館へ行って来ました。気付くのが遅く、明日までです。継色紙目当てでしたが、内容豊富で面白い展覧会でした。



 RE:かるた    ..水垣    
      2004/12/18(土) 14:39  No.430
 
 
ためかぬ様、早速ありがとうございます。
十二月後半から正月にかけては、「百人一首強化月間」ということで、滞りがちなこのコーナーの更新に励もうと思っております。

「大正時代その四」、絵師の楽しんで描いている心が伝わってくるような気がします。そんなところが「ほろ酔い気分」に通じるのかなと思いました。

「皇軍慰問百人一首」、作画者を少し調べてみましたら、昔話などの絵本の挿絵を描いていた画家だったようです。当時の若者たちには、ノスタルジーを掻き立てるような絵柄だったのかなと思います。
ご意見には深く頷かされました。

神戸ルミナリエは歳末の風物詩として定着してゆくのでしょうか。
私はこれから長谷寺(もちろん鎌倉のです)の歳の市へ行って参ります。



 かるた    ..ためかぬ    
      2004/12/18(土) 08:35  No.429
 
 
早々のアップ!!
「新春かるたご披露」との予想、はずれてしまいました。

昨夜は神戸ルミナリエの光の回廊を通り抜け、ミニ忘年会(アルコールなしでしたが)のあと、拝見したからなのかどうかはわかりませんが、ほろ酔い気分の歌人にみえた『大正時代その四』
「皇軍慰問 百人一首」妙にリアルな絵柄(特に衣干すてふなど)に違和感をおぼえましたが、望郷の思いをさそい愛国心を喚起せざるをえなかった時代背景をおもうと、安心して遊びを楽しめることのありがたさと、心の余裕をもつことの大切さをあらためて感じました。

http://www.kobe-luminarie.jp/



 RE: ロムばっかで恐縮です;    ..水垣    
      2004/12/17(金) 12:57  No.428
 
 
むらじ様、お久しぶりです。
ご多忙の中ありがとうございます。
暖かい日が続いていますが、風邪は流行っているようですので、くれぐれもお気をつけ下さい。
おすこやかに新年をお迎えに…のご挨拶はまだちょっと早すぎますかね(^_^;
またお目に留まった話題などありましたら、よろしくお願いします。



 ロムばっかで恐縮です;    ..むらじ    
      2004/12/16(木) 23:19  No.427
 
 
おひさしぶりです。
織りなす錦、麗しい芸妓さん。
さいきんの画像はどれも、感興一入の逸品ぞろいですね。
ロムばかりですみませぬ。相変わらず、愛読させていただいております。(^_^)



 RE:春はきにけり    ..水垣    
      2004/12/16(木) 13:09  No.426
 
 
いやー色っぽいお写真をありがとうございます。
「一力茶屋」は外から眺めるだけで嘆息していたものでした。

少し冬らしくなったかなと思っていたら、今日はまた春のような暖かさです。
鎌倉は散り残った紅葉がまだまだ綺麗です。
忘年会シーズン、飲み過ぎにはお互い注意しましょう。




 春はきにけり    ..紀州の姫    
      2004/12/15(水) 08:51  No.425
 
 
昨日はこちらも師走とは思えないほどのポカポカと暖かな一日でした。

>我が家など(以下略)。

我が家も、以下略・・・・です。(^_^;)
ご近所あちこちの年末掃除風景を横目で見ながら、忘年会に明け暮れています。
昨日は、赤穂浪士討ち入りの日。
「仮名手本忠臣蔵」には祇園の「一力茶屋」が登場します。
13日には事始めをされた舞妓、芸妓さん。
その「一力茶屋」での踊り風景(これは昨年5月ですが)を添付します。
忘年会気分でご覧下さい!(^.^)

年のうちに春はきにけりひととせをこぞとやいはん今年とやいはん(古今1)



 春のいそぎ    ..水垣    
      2004/12/14(火) 23:14  No.424
 
 
祇園の事始め、華やかでしょうね。
しかし暖冬のせいでしょうか、なかなか歳末という気がしません。
ためかぬ様は準備を終えられているだけでもご立派です。我が家など(以下略)。

 いくつねて春ぞと人に問ひしころ
     待ち遠なりし年ぞ恋しき(正徹)

「もういくつ寝ると…」と大人に訊ねた、お正月が待ち遠しかったあの幼い年の暮が懐かしい、という歌です。
せめて年末年始、「決まりごとで、けじめをつけ」ることの豊かさ・美しさを、子に伝えてやりたいものです。



 祇園で「事始め」    ..ためかぬ    
      2004/12/14(火) 00:47  No.423
 
 
13日、迎春準備に入る伝統行事「事始め」の記事が、金刀比羅宮展閉幕(15万人弱の入場)の記事とともにありました。

百人一首カルタ、私も今から楽しみです。

年賀状用の和歌は早々選び、葉書も版木も準備万端だったはずなのに、進展のないまま、もう月半ばになってしまいました。
決まりごとで、けじめをつけなくともよい生活に、豊かさ、心地よさ、まして美しさは望めないようです。



 わくわく    ..せきど    
      2004/12/14(火) 00:12  No.422
 
 
百人一首カルタ、楽しみにしています!


 和歌と書    ..水垣    
      2004/12/12(日) 23:57  No.421
 
 
何といっても情調の豊かさと調べの心地よさが和歌の大きな魅力ですが、和様の書はそんな美しさをいっそう引き立ててくれますね。書を通じて和歌に親しむことの素晴らしい所以と思います。

写真は江戸時代に書道のお手本として刊行された加藤千蔭『新百人一首』より。

 山田法師
 よし野やまもみぢのいろやいかならむ
 よそのあらしのおとぞはげしき

お正月も近づき、今日は百人一首カルタの画像などを整理していたのですが、更新もできないまま過ぎてしまいました。



 月にゆく    ..せきど    
      2004/12/11(土) 20:35  No.420
 
 
そうですね、部屋に飾って眺めるなら私もこの歌が良いです。
冴え冴えとした月のひかりと夜気と、明け方の湿って靄る空気の匂いまで伝わって来るようです。
それに、「月にゆくさよの中山」というフレーズがなんとも美しくて。
技巧や文法のことはまだまだわからないことばかりですが、そのあたりは千人万首やここでの皆様のお話で助けていただいて、情景が浮かび掻きたてられるものがあるかというあたりで、楽しく歌選びさせていただいております。




 「書きたい」歌    ..水垣    
      2004/12/11(土) 11:35  No.419
 
 
なるほど、書をやっておられるせきど様はまず「書きたい」かどうかが評価の基準になるわけですね。
それぞれに色々な見方がおありなのだなと、面白く拝見しております。

常縁の歌で、私がもし書を部屋に飾るとしたら、

 月にゆくさよの中山なかなかに明けてはくらき霧の下道

この歌がよいと思いました。字を見て、そこから情景を思い浮かべるのが楽しそうだなと感じるのです。



 東常緑拝見しました    ..せきど    
      2004/12/11(土) 00:45  No.418
 
 
書きたいと思った三首です。

吹くかぜや空にかよへる夏山の峯よりたかき蝉のこゑかな
今はとて暮れ行く秋を山かげや木の葉に迷(まど)ひ小鹿(をしか)なくらむ
月にゆくさよの中山なかなかに明けてはくらき霧の下道

こういう情景に心を止める・・・そんなところに惹かれました。



 RE:東常縁>sion様・ためかぬ様    ..水垣    
      2004/12/10(金) 00:37  No.417
 
 
早速のご感想ありがとうございます。

sionさんの引かれた二首は、伝統的な歌題を、あまり目立たない技巧を用いて歌い直しているという感じでしょうか。「句のつなげ方に工夫があって、しかも流麗に仕上がっている」とのご指摘、的を射ていると思います。
一見古風ですが、確実に当時の「新しい歌」ではあったと思います。
宗祇とこの人の関係には大変興味を引かれます。

ためかぬ様の引かれた三首は、旅の歌と言ってよいでしょうか。旅という非日常の場での心の動きとして、なかなかリアルではないかなと感心しました。私も大好きな歌々です。
未曾有の内乱の時代に、このような歌を詠んだ武将歌人がいたことを思いますと、私も少し勇気づけられるような心持がいたします。



 RE:青蓮院・再>紀州の姫様    ..水垣    
      2004/12/10(金) 00:36  No.416
 
 
天園の紅葉、ちょっとだけでも雰囲気に触れて頂けたのなら幸いです。
楓はまだ緑のままの樹も少なくありませんでした。全山紅葉も美しいでしょうが、色付きにばらつきがあるのもなかなか良いと思いました。宝石とは縁が薄く、ルビーくらいしか名を思い付かなかったのですが。

またまた写真をありがとうございます。青蓮院の門のあたり、大変心惹かれます。紅葉の季節に一度お参りしてみたいものです。




 RE:天園コース>八重葎様    ..水垣    
      2004/12/10(金) 00:35  No.415
 
 
見て下さってこちらこそありがとうございます。

鎌倉について私などよりずっとよく御存知なのですね。
天園あたりは「鎌倉アルプス」という呼び方をするようですね。標高はせいぜい百数十メートルですから、おそらく日本で一番低い、「アルプス」と名の付いた山並でしょうか。
先日歩いた時は日没近かったので、紅葉を堪能したところで引き返してしまいました。お書き下さった見事な眺望は、またの機会の楽しみといたします。

>曼荼羅堂
私の見ました地図には「まんだら堂跡」というのが名越切通しの近くに載っています。
調査中で非公開だったのが、最近公開されたとの話を耳に挟みました。



 RE:はじめまして>ら様    ..水垣    
      2004/12/10(金) 00:35  No.414
 
 
初めまして。書き込みありがとうございます。
山あり谷ありですが、何とか続けて来れたのは、ちょっとした反応でも書き記して下さる訪問者の方々のおかげです。
どうぞまたお気軽に寄って下さい。



 たれかすさめむ    ..ためかぬ    
      2004/12/09(木) 19:42  No.413
 
 
夕陽に透けて輝く葉の美しさとともに清らかな空気までがつたわってきそうですね。

東常縁 全く無知ながら、
題不知(三首)に心ひかれました。

 くれわたる入江の波もすて舟もありとて明日もたれかすさめむ
 今朝の山路きのふの野べも忘られて夕波荒き浜辺をぞゆく
 松島やをじまの苫屋くれはててなほおもかげに浦風ぞふく

孤独な時間・空間でありながら、自分と向き合うことの豊かさ・潔い清らかさが感じられ、力づけられるような気分になりました。



 東常縁    ..sion    
      2004/12/09(木) 15:24  No.412
 
 
獅子舞という紅葉の名所があるのですね。天園ハイキングコース、私もいつか歩いてみたいです。
それにしても鎌倉は小町とか雪ノ下とか、町名にも風情がありますよね〜。

東常縁、拝読いたしました。古今伝授の創始者ということでお名前はよく目にするのですが、作品をちゃんと読むのは初めての機会です。

 世はなにとうつろひかはるふるさとの昔ながらの夕ぐれの花
 今はとて暮れ行く秋を山かげや木の葉に迷(まど)ひ小鹿(をしか)なくらむ

昔から繰り返し詠まれてきた主題でしょうけれど、句のつなげ方に工夫があって、しかも流麗に仕上がっているところが見事だなあと思います。さすが宗祇のお師匠さん、なーんて(^^)

たゆまぬ更新、お疲れ様です。こちらではお写真とお歌も拝見できてうれしいです。本当にありがとうございます。



 青蓮院・再    ..紀州の姫    
      2004/12/09(木) 13:16  No.411
 
 
天園の紅葉は素晴らしいですね、そして雰囲気ピッタリのお歌も。
このような色合いの風景に出会ったことがありませんので、何度も拝見しています。
ルビー、メキシコオパール、ブラックオパール、アレキサンドラライト・・などの輝きが全て合わさったようですね。(^.^)

千人万首の慈円に有ります青蓮院門跡と同じ所の写真も撮ってきました。初夏から秋へと・・・・。



 天園コース    ..八重葎    
      2004/12/09(木) 12:14  No.410
 
 
水垣様

紅葉の写真とお歌を拝見致し、鎌倉の初冬を感じさせて頂きました。
ありがとうございます。

天園とは別名鎌倉アルプス(大そうな名ですが)のことかと思います。
小生も昔、春先に建長寺半僧坊から歩いていった記憶があります。
地面の露出した山頂(?)から眺めますと、鎌倉の町が若宮大路を中心
に扇型に拡がりまして、その先に材木座・由比が浜の海が光っていました。こういう場が近くにあるなんて、本当にいい所に引越しされましたね。

鎌倉はずいぶん歩きましたが、まだ行ったことのない場所で
ぜひ歩きたいのが、たしか太刀洗の先 曼荼羅堂なのですが
なかなか時間がとれないのが残念です。



 はじめまして。    ..ら。 [URL]    
      2004/12/09(木) 11:45  No.409
 
 
もう何年もブックマークに貴サイトを入れてるんですが、
ブックマークに書き記すのは初めてかと思います。
着実に更新が進んでいるのがすげーなあ、と。

んでは。



 鎌倉の紅葉・再    ..水垣    
      2004/12/07(火) 21:50  No.408
 
 
一昨日、横浜市との境に近い天園ハイキングコースを辿り、獅子舞と呼ばれる紅葉の名所を歩いて来ました。
銀杏はすっかり葉を落として山道を敷き詰め、楓もかなり散っていましたが、なお樹冠を多彩な色で覆っています。見上げるように高い楓の木が群生していることに驚きました。
暦は冬に入ってもまだ当分は紅葉が楽しめそうです。

 天園(てんえん)へ谷をのぼれば紅玉の千々に砕けし落日に散る

またも即興の拙作で恐縮ですが、楓の葉は夕陽に透けて輝くと、まるでルビーなどの宝石を砕いて散りばめたように見えたのです。



 RE:青蓮院・好文亭    ..水垣    
      2004/12/05(日) 23:24  No.407
 
 
紀州の姫様、今晩は。
以前お話し下さった青蓮院でのお茶会が今日だったのですね。
色づいた葉がすっかり落ちたのでしょうか。庭を敷きつめて、何とも素晴らしい趣です。障子の白がまた美しいですね。
私が参りました時は初夏だったのですが、本当に同じ所かと目を疑う程です。
爽やかな一服を頂いたような心地です。ありがとうございました。

お忙しさも一段落とのこと、当サイトでゆっくりして行って頂ければ幸いです。

 いかばかり秋の名残をながめまし
       けさは木の葉に嵐ふかずは(源俊頼 千載集)



 青蓮院・好文亭    ..紀州の姫    
      2004/12/05(日) 22:30  No.406
 
 
水垣さま、こんばんわ!
この秋は仕事でとても忙しくしておりまして、やまとうたも茶道もお休み状態でした。(^_^;)
その忙しさもやっと一段落し、今日は青蓮院のお茶会に行って参りました。
京都も午前中は雨があり、また風が吹くたびに紅葉も散っておりましたが、それもなかなか風情ある美しい光景でした。
好文亭では静けさの中、松風の音を聞きながらの一服にとても心が落ち着きました。
こちらでの皆様のお話も走り読みばかりでしたが、またゆっくり拝読させて頂きます。
写真は今日の好文亭です。障子が見えますでしょうか?

木の葉ちる宿にかたしく袖の色をありともしらでゆく嵐かな(慈円)



 RE:冬や来にける    ..水垣    
      2004/12/05(日) 21:56  No.405
 
 
暴風雨の一夜が明けて、道には銀杏、櫨、楓などの黄葉・紅葉が散り敷いていました。

覚園寺は一時間毎にお寺さんの方でガイドをしてくれるそうですね。一度参加したいものだと思っています。昨日お参りした時は、時既に遅しで、愛染堂までしか拝観できませんでした。取りあえず紅葉が見れたので大満足でしたが。

鎌倉にお越しの節は、ご一報を。



 冬や来にける    ..sion    
      2004/12/05(日) 18:16  No.404
 
 
本当に「冬や来にける」と首を傾げたくなるような十二月初旬ですね。しかも台風まで来るとは! 昨夜からの風雨で、紅葉もかなり散ってしまいましたね。

覚園寺はずいぶん前に行ったことがあります。住職さんがとても丁寧に境内を案内してくださいました。十二神将像に圧倒されました。
紅葉の季節は逃してしまいましたが、また行ってみたいです。




 鎌倉の紅葉    ..水垣    
      2004/12/04(土) 23:07  No.403
 
 
季節外れの台風の影響で、こちらも夕方から雨になりました。
昼過ぎ、散ってしまう前にと紅葉を求めて近所を散歩しました。
上の写真は覚園寺。風情ある溝川に沿った谷戸の道の突き当たりにある古寺です。北条義時が建てた薬師堂が前身とのことですが、この堂に祀られた十二神将の戌神の夢告げのおかげで、義時は実朝暗殺の際に難を逃れたと伝わります。

 ぬるき風小春の空に吹きつのり薄紅葉散る 冬や来にける





 RE:定家が評価しなかった理由?    ..水垣    
      2004/12/01(水) 23:12  No.402
 
 
ぱぐさん、こんばんは。

斎宮女御の最上の作についてのご意見、全く同感です。

>琴のねに峰の松風かよふらしいづれのをよりしらべそめけん

これは拾遺集に採られている歌ですが、「を」が掛詞になっている以外さしたる技巧もなく、彼女の歌によく見られるような、淡く儚い作風です。「技巧的に物足りなかったのでは」とのご意見は尤もだと思います。
しかしこの歌、味わうほどに、調べは神韻縹渺、それゆえに或る種のシンボリズムを備えているようにさえ感じられて来ます。新古今の凝りに凝った象徴主義とは、全く別種のものなのですが。
この歌を最初に高く評価したのはおそらく藤原公任で、「金玉集(こんぎょくしゅう)」「和漢朗詠集」「前十五番歌合」「三十六人撰」「深窓秘抄」と、彼の編集した秀歌選には必ずと言っていいほど採られていますね。

ところで斎宮女御とほぼ同時代の女流で百人一首に採られている歌人と言いますと、道綱母・儀同三司母の二人です。両者の歌を並べてみます。

 嘆きつつ独りぬる夜の明くる間はいかに久しきものとかはしる
 忘れじの行末までは難ければ今日をかぎりの命ともがな

現代人にも分かりやすいインパクトのある歌、と言えるのではないでしょうか。それに比べて、斎宮女御の歌は古代的と言いましょうか、古色蒼然と言いましょうか。そんな古風なところに私などは言い知れぬ魅力を感じるのですが、当時の定家の目には古臭いと見えたのではないか、という気もします。

松琴亭、松風の陰々たる響が如何にも似合いそうな風情ですね。
それにしても竹垣の贅沢なこと! ご紹介有り難うございました。



 定家が評価しなかった理由?    ..ぱぐ [URL]    
      2004/11/30(火) 23:11  No.401
 
 
水垣さん、こんばんは。

>定家は斎宮女御の歌を評価していなかったらしい。これもよく考えてみたい点です。

宿題をもらった気持ちになって、千人万首にある斎宮女御の歌を読み返してみました。
調べがよく、技巧を凝らしていない(あるいは目立たない)というのがどの歌にも感じられるのですが、いかがでしょう。定家は自身が歌を詠む技術を磨き抜いたので、物足りなかったのでしょうか。紹介してくださった、『定家八代抄』所収の

 わくらばにあまの川波よるながら明くる空にはまかせずもがな

はわたしには最上の歌とは思えません。公任の三十六人撰始め、多くの秀歌選に採られた

 琴のねに峰の松風かよふらしいづれのをよりしらべそめけん

を選ばなかったのは不思議な気がします。

そういえば、桂離宮に「松琴亭」という茶室があってこの歌から名前を取ったようですね。宮内庁の下記サイトに写真が載っています。
http://www.kunaicho.go.jp/13/d13-05ph-02.html



 どういたしまして    ..水垣    
      2004/11/30(火) 00:39  No.400
 
 
ためかぬ様、こちらこそ、いつも楽しいお話や情報をありがとうございます。

裏庭の楓が随分と色づいてきました。鎌倉の紅葉はやがてピークを迎えそうです。



 ありがとうございます。    ..ためかぬ    
      2004/11/29(月) 21:09  No.399
 
 
ブームのことも知らなかったのですが、こちらでの年始の若冲の話題から、よい機会にめぐりあえて幸せです。

広沢切、詳しい解説つきで、鑑賞できるのはとてもありがたいです。
精進のなさを反省しないといけませんが、気軽に親しめるのが、
怠け者にはなんともありがたくて。

今後もよろしくおねがいいたします。



 若冲・広沢切    ..水垣    
      2004/11/28(日) 23:50  No.398
 
 
四年前の没後二百年記念展以来、「若冲ブーム」が続いているのでしょうか。MTVやテレビCMにも若冲の絵が使われたそうですね。
2006年のプライス・コレクション里帰り、今から楽しみです。
ブックマークしてあった若冲情報サイトに久々にアクセスしてみましたところ、来年二月にも静岡と京都で若冲が観られるとのことです。

http://park5.wakwak.com/~birdy/jakuchu/index2.html

伏見院の宸翰は、ネットでは下記サイトでも拝見できました。ご参考までに。

古典籍と古筆切:鶴見大学蔵貴重書展解説図録
http://library.tsurumi-u.ac.jp/library/kotenseki/kz032.gif

  春雨
あさみどりしほれし花もあとなくて
やよひの山の雨ぞのどけき

人の世のあまたわかれをさきだてゝ
けふぞことしのとしはくれぬる



 若冲    ..ためかぬ    
      2004/11/28(日) 21:32  No.397
 
 
近畿地方に木枯らし一号が吹いた27日 金刀比羅宮展10万人入場達成したとの記事が載っていました。

春に伏見院御陵がコースに入っていたということだけで参加した歴史散歩で、石峰寺の若冲の墓に手を合わせ、今回は花丸図見たさにいった金毘羅さんで広沢切を拝見できたこと、知識不足ゆえとはいえ、幸運というかご縁めいたものを感じています。

細見美術館(京都市)では今「若冲と琳派」 展をしており、なんとか行きたいものとおもっているところですが、http://www.emuseum.or.jp/museum.htm

「和樂」(小学館)2004年9月号http://www.fujisan.co.jp/Product/5834/b/30345/
によると、2006年7月に東京国立博物館(その後京都国立近代美術館、愛知県立美術館に巡回)で「プライス・コレクション」一度にすべての若冲里帰りの展覧会が予定されてるそうです。



 RE:金刀比羅宮への旅    ..水垣    
      2004/11/27(土) 23:27  No.396
 
 
天災続きの年として記憶されそうな今年ですが、紅葉もやはり相当の影響を受けているのですね。
鎌倉でも鶴岡八幡宮の大銀杏が台風で大量の葉を落としてしまったと聞きました。

金刀比羅宮の奥書院公開のバスツアー……東京方面発もないかと、あわてて探してしまいました。
若冲の「花丸図」などは今回逃したら、もう一生見られそうにありません。
伏見院の広沢切は何度か拝見する機会に恵まれました。昨年の上野の「西本願寺展」にも展示されていましたっけ。意外なところにもあったのですね。
「やわらかでのびやかな筆づかいは、心なごむもの」とのご感想、全く同感です。人に見せるために書いたのではない、草稿であるからこその良さなのでしょうか。



 金刀比羅宮への旅    ..ためかぬ    
      2004/11/25(木) 21:26  No.395
 
 
この山の麓にぞ見る呉竹の

     葉室の里の世々の面影 葉室光俊

今は訪ねる人も少なく、静かさがあたり一面に漂う、浄住寺(洛西)は葉室寺ともいい、かくれた紅葉の見所スポットとのことで、鈴虫寺(一時間30分待ちの人気)のあとに寄ったのですが、紅葉は見られませんでした。
125年ぶりの奥書院公開ということで、金刀比羅宮(香川県)への鑑賞バスツアーに行ったところ、ガイドさんのお話では、多かった台風の塩害で紅葉せず枯れる木が多いとのことでした。
若冲「花丸図」・岸岱「群蝶図」・應挙の障壁画と贅沢な公開でしたが、知らなかったゆえ驚きもひときわだったのが、宝物館にあった『広沢切 伏見院御集』です。

http://www.shikoku-np.co.jp/feature/kotohira/20/

>京極為兼は執拗なまでの観察と内省から研ぎ澄まされた心象風景を描出する京極派和歌の方法論を確立したが、伏見院はそこに柔らかみ・ふくらみを与えて、さらに新たな歌境を拓いたように見える。王者としての風格はおのずから歌柄を大きくし、叙される風景は「天地の心」を「受くる」がごとく息を吹き込まれ、生動する。

千人万首でのこの文が思い出されたくらい、やわらかでのびやかな筆づかいは、心なごむものでした。読み下すことのできない自分が歯がゆかったものの、はるばる出かけた甲裴がありました。



 ※サイト内検索キーワード ランキング    ..水垣    
      2004/11/25(木) 18:06  No.394
 
 
しばらくお休みしておりましたが、Co.Co.Da e-Xpressのサイト内検索の今月分の履歴です。リクエストランキング上位1000個の検索キーより、実行回数が10回以上あった語を掲げます。

実行回数 検索キー

  75  小野小町(「おののこまち」など含む。以下同断)
  70  藤原定家
  54  紀貫之
  37  柿本人麻呂
  27  藤原敏行
  25  山上憶良
  24  西行
  19  額田王
  19  紅葉
  18  式子内親王
  15  大伴家持
  15  源実朝
  12  持統天皇
  11  山部赤人
  10  和泉式部

小町・定家・貫之・人麿のビッグ4は安泰のようです。
敏行が多い理由が分かりません。
時節柄のキーワードとしてはやはり「紅葉」でした(これだと240件もヒットしてしまいますが)。以下、「秋の夕暮」「霜月」「時雨」と続きます。

写真は鎌倉五山の一つ、浄明寺です(昨日撮影)。こちらの紅葉はいよいよ見頃になります。



 斎宮・斎院    ..水垣    
      2004/11/22(月) 01:25  No.393
 
 
ぱぐさん、こんばんは。
斎宮と斎院、私も時々混同してしまいます。
式子内親王は京の外へ出たことはほとんどなかっただろうと思います。

 秋こそあれ人はたづねぬ松の戸をいくへもとぢよ蔦のもみぢ葉

など、籠りがちの、孤絶した境涯が思い遣られる歌が多いですね。

斎宮女御が百人一首に漏れたのは不思議だとずっと思っていました。ところが『定家八代抄』に採られた斎宮女御の作はたったの一首なんですね。

 わくらばにあまの川波よるながら明くる空にはまかせずもがな

定家は斎宮女御の歌を評価していなかったらしい。これもよく考えてみたい点です。

WEBログ、正仮名遣なので感心したのですが、いちいち新仮名から直していたのですか。それは大変だと思います。
私は昔ニフティかどこかでダウンロードした正字正仮名の辞書を日本語入力ソフトに登録して、ずっと使い続けています。しかしサイトでは略字正仮名を使うことが多いので、たとえば「こひ」と打って「戀ひ」と変換されてしまうのでちょっと不便なのですけれども。



 RE:きっと観るべき時が来ると信じて    ..水垣    
      2004/11/22(月) 01:24  No.392
 
 
>自分から思い立って見に行ったはずなのに、結局展示品に招かれたように感じたこと多々あります。

全くです。書店や図書館での本との出会いもまさにそう感じることがありますね。しかるべき時を待つとしましょう。

むかごがお庭で採れるとは羨ましい限りです。
風趣に富む食材だと思うのですが、和歌には全く詠まれていませんね。
万葉集では鰻・松茸など食欲を刺戟するような題材の歌が少なくないのに、平安以降の和歌では食べ物に関して非常に禁欲的になります。食材として詠まれたのは若菜とか氷魚とか……。これでは全然腹一杯になりません(笑)。




 無題    ..ぱぐ [URL]    
      2004/11/21(日) 02:37  No.390
 
 
水垣さん、こんばんは。
目が覚めてしまい、こんな時間に書いています。

>ところで式子内親王は「斎院」経験者ですね。
>百人一首に斎宮経験者がいないのは、在原業平と藤原道雅が選ばれ
>ているからだろうか、などと考えたことがありました。

ご指摘の通り、式子内親王は賀茂斎院でした。失礼しました。
ということは都の外にはほとんど出たことがなかったのかな。
あのひとの歌は内省的で、でも言葉に説得力がありますね。

百人一首に入りそうな斎宮経験者なら斎宮女御が筆頭でしょうか。
村上天皇とのやりとりもいいし、娘の斎宮に付き添ったときの鈴鹿
山の歌も好きです。

業平と道雅で斎宮を暗示するということはもしかしたら定家の頭に
あったことかもしれませんね。当時の人ならすぐぴんと来るわけで
すし。

Webログ、なかなか便利です。とにかく何か書きたいときには使え
る道具のような気がします。いったん新仮名遣いで書いてから旧仮
名遣いに直しているので時間がかかっていますけど。



 きっと観るべき時が来ると信じて    ..せきど    
      2004/11/20(土) 22:50  No.389
 
 
美術館や博物館で作品や資料を観るという行為も、ひとつの出会いですね。自分から思い立って見に行ったはずなのに、結局展示品に招かれたように感じたこと多々あります。会えない恋人を遠く想うような気持ちで、会える日を待つことにいたします。(ってちょっと大袈裟?)

今日は、秋の味覚のわたくし的第1位「むかご」を庭で採取しました。これを食べたいが為に、ツルを伸び放題にさせておくのです。ほかの庭木にはえらい迷惑なのですが・・。(笑)
そこで千人万首で「むかご」を検索、ありませんね「むかご」の歌は。そういえば、和歌には食べ物があまりでてきませんね。やはり食い意地が張っているのは優雅ではないのでしょうか?



 RE;つなでかなしも    ..水垣    
      2004/11/18(木) 22:56  No.388
 
 
うちの子も小さかった頃江ノ電に乗って非常に喜んでいました。民家の軒すれすれに走ったり、海岸線に沿って走ったり、車窓風景が驚きの連続だったのでしょう。

「つなでかなしも」の歌は鎌倉の海岸風景を詠んだものと見る向きもあるようですが、概して鎌倉を詠んだ和歌は少なく、寂しい気がします。
思い付くものでは、実朝の鶴岡八幡宮を詠んだ次の二首があります。

 つるの岡あふぎてみれば峰の松
     梢はるかに雪ぞつもれる
 八幡山木だかき松にゐるたづの
     はね白妙にみ雪ふるらし

鎌倉将軍宗尊親王には帰京後に鶴岡八幡宮を懐かしんだ歌、

 つるの岡や秋のなかばの神祭
     ことしは余所に思ひこそやれ(竹風和歌抄)

これは私の結構好きな歌で、千人万首にも採りました。
「秋のなかばの神祭」は今も鶴岡八幡宮で行なわれていますね。



 RE:ご無沙汰しております    ..水垣    
      2004/11/18(木) 22:54  No.387
 
 
せきど様、お久しぶりです。
百人一首最古の写本などもあり、書家の方にも興味深い展示が多いでしょうね。
ご一緒に悔し涙にくれましょう。

鎌倉に住んだはよいものの、なかなか史跡散策の時間が取れません。でも「日常生活のすぐ隣に歴史を遡り想いを馳せることができるものがある」と仰るのは全くその通りで、そこから得られる充実感はやはり大きいものだと感じています。
私も古典や歴史ともっと「格闘」しようと、気持だけはどんどん盛り上がっているのですが。



 RE:行きたいなあ    ..水垣    
      2004/11/18(木) 22:52  No.386
 
 
ぱぐさん、お久しぶりです。
斎宮歴史博物館、私はまだ一度も行ったことがないのです。
伊勢参りの時に途中下車しようといつも思うのですが、なかなか機会に恵まれず。
ところで式子内親王は「斎院」経験者ですね。
百人一首に斎宮経験者がいないのは、在原業平と藤原道雅が選ばれているからだろうか、などと考えたことがありました。

ところで話題の「ブログ」を始められたのですね。
またこちらへもお気軽にどうぞ。



 つなでかなしも    ..八重葎    
      2004/11/18(木) 12:18  No.385
 
 
子供が江ノ電を好きなもので鎌倉はよく散策します。
鎌倉を歌った歌もいろいろ調べたいのですが、
なかなかはたせず、残念です。

腰越から江ノ島の辺りを望みながら、実朝の
”世の中はつねにもがもな渚こぐあまの小舟のつなでかなしも”
をふと唱えたりしたこともありました。



 ご無沙汰しております    ..せきど    
      2004/11/18(木) 01:16  No.384
 
 
いつも忘れられた頃にやってきて申し訳ありません。
斎宮歴史博物館のご案内に涙がちょちょぎれております。あー見たい!どなたか足を運ばれましたら、ぜひお話し聞かせて下さい、いろいろ想像して楽しみます。

水垣さま、ずいぶん素敵なところへ居を構えられたのですね。お写真を拝見してため息をついておりました。鎌倉に住むというのは私にとってはあこがれです。日常生活のすぐ隣に歴史を遡り想いを馳せることができるものがあるなんて、考えただけでわくわくします。今はとりあえず手近なところで手を打つしかないので(笑)せっせと古典の臨書をして歴史を遡っております。只今継色紙と格闘中です。



 行きたいなあ    ..ぱぐ [URL]    
      2004/11/17(水) 23:32  No.383
 
 
水垣さん、ごぶさたしております。
いま、ご案内を見てため息が出てしまいました。

斎宮歴史博物館には何年か前いちど行ったきりなのですが、そんな
展示もやってるんですねえ。百人一首の歌人の中で斎宮経験者は式
子内親王だけだったかしら。

もっと近かったらちょいちょい行くのですが、東女は損です。

伊勢市の知りあいから、次回の遷宮の時にはいらっしゃいと誘われ
ています。まだ何年か先らしいのですが。



 斎宮歴史博物館にて特別展「百人一首の世界」開催中    ..水垣    
      2004/11/17(水) 22:54  No.382
 
 
三重県の斎宮歴史博物館で開館十五周年記念の特別展「百人一首の世界−天皇と歌人たちが語る王朝の謎」が十一月二十三日まで開催中です。
私は残念ながら観に行けないのですが、学芸員の榎村寛之氏が図録を送って下さり、大変充実した展示内容に悔し涙を流しております。
詳しくは下記サイトを御覧下さい。

http://www.museum.pref.mie.jp/saiku/

なお、図録に掲載された榎村氏のかなり長文の論考は、百人一首撰定の背後に定家達の歴史認識を読み取ろうとする、大変刺戟的な仮説を唱えておられ、似たような問題意識を持っていた私は興味津々で通読しました。



 RE:深まりゆく秋    ..水垣    
      2004/11/13(土) 23:59  No.381
 
 
ためかぬ様、
奈良はずいぶんご無沙汰しておりますので、ご投稿を嬉しく拝見しました。
写真ではよく見るあの琵琶、実物はどんなにか美しかろうと思っていました。
神苑は奈良へ行くたびに寄る場所の一つです。どの季節に行っても、なにかしら発見があります。ここで初めて見ることのできた万葉植物がいくつもあります。

ナナカマドの実も鮮やかな紅ですが、花の少なくなるこの季節、枝に照り輝く紅い実は目を楽しませてくれる貴重な風物詩ですね。

 この雪の消(け)残る時にいざ行かな山橘の実の照るも見む 家持



 RE:ナナカマド    ..水垣    
      2004/11/13(土) 23:58  No.380
 
 
ひよきち様、こんばんは。
裏庭のナナカマドは本当に目を楽しませてくれました(今はもうほとんど散ってしまいました)。
写真のように綺麗だったのはほんの数日だったでしょうか。そんなことも知らずにデジカメで撮ったものですが、良いタイミングで撮影できて良かったと思います。

リスはペットとして飼われていた台湾リスが野生化したものだそうです。家の門をかじったりするいたずら者で、この辺では害獣扱いですが、見た目は愛嬌に溢れています。

新居は、裏山に惹かれて購入を決意したと言ってもよいほどです。季節毎の眺めを楽しみながら、また写真などでご報告できたらと思っております。



 深まりゆく秋    ..ためかぬ    
      2004/11/12(金) 00:02  No.378
 
 
黄葉する時になるらし月人の楓の枝の色づく見れば  巻十−二二〇二

正倉院展にいってまいりました。予想通りの人出でしたが、
楓蘇芳染螺鈿槽琵琶の実物を拝見できただけで充分とおもえるほど
やはり美しい琵琶でした。

http://www.narahaku.go.jp/exhib/2004toku/shosoin/shosoin-1.htm

この春 見事な枝垂桜のお写真のご紹介のあった氷室神社、そしてそのうちと長年思っていた春日大社神苑(旧 萬葉植物園)にも寄ってきました。
うっそうとした巨樹とは対照的に、人工的に寄せ植えられた植物には、貧弱さも感じられましたが、花の季節でなくても、滅多にみられないムラサキやサネカヅラの艶やかな赤い実を見る事ができたのは、こういう園があってこそとありがたく思いました。

玉くしげみむろの山のさなかづらさ寝ずはつひにありかつましじ 
                           藤原鎌足 巻二−九十四


http://manyo.web.infoseek.co.jp/manyo_tanbo_kasuga.htm



 ナナカマド    ..ひよきち    
      2004/11/11(木) 22:32  No.377
 
 
水垣さま、こんばんは。
お写真拝見いたしました。

本当に美しい色合いですね!
黄色や橙、朱、緑・・。
鮮やかな はっとする美しさだと思いました。

殊に日の光の当たっている部分や
屋根の近くにある葉の美しさに
しばし見入っておりました(*^_^*)

自然の美しさには透明感があるのですね。


>リスが駆け回り、鳥たちが梢を伝う裏山

リス!鳥! 本当に可愛いでしょうね・・!

山々も季節によってその姿を変えていくことでしょう。
秋には錦模様、春には芽吹きの淡い緑。

山の端から出る月も
本当に美しいことと思います。

・・いろいろと想像しておりましたら
楽しくなって参りました(*^_^*)





 大丈夫です    ..水垣    
      2004/11/11(木) 00:37  No.376
 
 
ひよきち様
お心遣いありがとうございます。下に書きましたように、もう大丈夫です。
引越後のゴタゴタはまだ引きずっておりますが……
もう焦らずノンビリやろうと開き直ることにしました。
もともと「ゆっくり」暮らしたいと思って引っ越した土地なのですから。

リスが駆け回り、鳥たちが梢を伝う裏山を眺めると、疲れも癒されます。
写真は裏庭の紅葉したナナカマドです(先週末撮影)。こちらはそろそろ見頃が終わりですが、楓はまだかすかに色づいて来たところです。



 笠女郎読書会    ..水垣    
      2004/11/11(木) 00:33  No.375
 
 
一人静様
ご心配頂き恐縮です。
私は本当に具合が悪い時はパソコンに触れもしませんので、ここに何か書き込んでいることは、もう大体良くなった証拠と思って下さって大丈夫です(笑)。

読書会のご報告ありがとうございます。活発な論議が髣髴とするようです。

>家持が24首連続してのせてくれたことがとても効果がでていると思います。

本当にそうですね。家持が意図を持って敢えてそうしたのだろうと思います。
万葉集巻四の題詞は割合詳しい状況説明がなされている場合が多いのに、笠女郎の24首は潔癖なまでに説明を拒否しているといった印象さえ受けます。ただ歌だけが次々と家持へ向かって放たれる、そうした単純な形が、笠女郎の歌を読むのに最も適していると家持は考えたのではないでしょうか。
そうして「私達の心にしっかりとその姿を刻み込んでくれ」る結果になったのだと思います。



 RE:お見舞    ..水垣    
      2004/11/11(木) 00:32  No.374
 
 
紀州の姫様
お見舞ありがとうございます。お蔭様でもうすっかり元気です。
引越だけなら何てこともないのですが、色んなことが重なったと言いますか、悪い時期に引っ越したと言いますか……やはりちょっと無理があったのでしょうか。
最近は暖い日が続いて、気分も良いので、かえって油断してしまったようです。
やはり適当に身体をいたわってやらないといけないトシなんでしょうねー。と実感しました。



 大丈夫でしょうか    ..ひよきち    
      2004/11/10(水) 23:28  No.373
 
 
水垣さま こんばんは。

かなりお辛いのではないでしょうか。
案じております。

お引っ越しそのものも大変ですが
その後の様々な用事も本当に大変なことと思います。

やはり知らず知らずのうちに
ご無理をなさっていたのでは・・・と思います。

どうぞゆっくりとお過ごしになり
くれぐれもお大事になさいますように・・(*^_^*)




 今晩は    ..一人静    
      2004/11/09(火) 20:10  No.372
 
 
風邪の具合はいかがでしょうか・・・
かるいといいのですが・・・
ご自愛ください。

昨日読書会があり、笠郎女後半601〜610までの鑑賞が終わりました。
資料を教えていただきとても参考になりました。
ありがとうございました。
後半もなかなか強い歌が多く、いろいろな意見がでて楽しかったです。
 彼女は歌の中で恋をしたのではないか
 こんな歌を送れるということは、言葉で互いに遊んでいるのではないか
 思いを言わずにはいられない性格の持ち主か
 詞書がないから想像できて、一つのお話になっている
 
などと友達とさまざまな思いを話し合って終わりました。
家持が24首連続してのせてくれたことがとても効果がでていると思います。
二人は別れる結果にはなりましたが、彼女の歌の力量を知っていてくれたのも家持だったのですから皮肉なものです。

別れて後に、家持に贈った歌

 近くあれば見ねどもあるをいや遠に君がいまさばありかつましじ

自分へのつぶやきとも思えるような歌です。
笠郎女さんは私達の心にしっかりとその姿を刻み込んでくれました。
お礼とご報告まで。



 お見舞い申し上げます    ..紀州の姫    
      2004/11/09(火) 13:50  No.371
 
 
水垣さま
お具合は如何でしょうか?
お若いつもりで(いえいえ、まだまだお若くていらっしゃいますが(^.^))、少しご無理をされたのでは?
風邪は万病の元。どうぞ充分に休養なさって下さいますように。
一言、お見舞い申し上げます。



 風邪をひいてしまいました。    ..水垣    
      2004/11/08(月) 23:10  No.370
 
 
引越疲れが出たのでしょうか、用心していたつもりだったのですが。皆様はどうぞお気をつけ下さい。

>めるがっぱ様

ご案内ありがとうございます。季通の文章は特に着眼点が鋭く面白いと思いました。私も勉強になりました。

>神澤様

初めまして。ようこそおいで下さいました。
足跡を残して下さり、励みになります。またお気軽にどうぞ。

>Naked様

大変興味深い書籍のご紹介、ありがとうございます。
私はもっぱら意味解釈に重点を置いていて、「音」から和歌を考えるという視点が欠落したままだなと改めて気づかされました。
ぜひ一読してみるつもりです。
小池光氏のご指摘についても熟考してみたいところです。



 日本語の呼吸    ..Naked    
      2004/11/08(月) 20:32  No.369
 
 
 日経の豆書評にでていた一冊で、著者はTBSの「岸辺のアルバム」等を演出した鴨下真一氏。ブームの「声に出して読みたい日本語といったって、どう読みゃいいんだ」に応えて書かれたものです。
 その特講1に「和歌・短歌をどう読むか」とあり、和歌一首の全体を一目で見てしまう〈目の動き〉ではなく、初句から次々に句を押し出すように読むことによって、上の句と下の句の間にある〈運動〉を声に出すことによって体感してほしいと熱く語っています。鑑賞編には「音で読む芭蕉」が続いており、目に見えるような映像的解釈ではなく、そこに読み込まれた〈音を詠む〉のが大事だとも述べています。
 そういえば歌人の小池光氏が「ミソヒト音は、五音七音を同じ時間で読むので、緩急緩急急」だと言っていました。



 初めまして    ..神澤    
      2004/11/07(日) 23:35  No.368
 
 
埼玉県の大学に通う神澤と申します。

この度、授業で清少納言について調べることになり
ネットで検索したところ、このサイトにたどり着くことが
出来ました。とても詳しく歌人について書かれてあるので
参考になりました。

お礼と挨拶を兼ねて書き込みをさせていただきました。
これからもお邪魔させていただきます。



 千載和歌集    ..めるがっぱ [URL]    
      2004/11/06(土) 10:49  No.367
 
 
以前、この掲示板で藤原季通について教えて
頂いたものです。

サイトに千載和歌集を読んだ感想を書いてみました。
勝手なことを書き散らした文ですが、
皆さんに斜め読みでもして頂ければとおもい
こちらにご案内させて頂きます。
よろしくお願い致します。

なお、「藤原季通(2)」の末尾に、簡単ですが、
水垣さんとむらじさんへの御礼を書かせて
もらいました。




 どういたしまして    ..水垣    
      2004/11/05(金) 23:29  No.366
 
 
阿部様

お役に立てたのか、今一つ不安ですが…。
おっしゃる通り、康資王母の歌は西行の歌の「紅の雪」に直接は関係ないだろうと思います。
和歌で詠まれる桜は普通純白の山桜で、紅の桜を詠むのは異例とされました。康資王母の「紅のうす花桜…」はそのために歌合で論議を呼んだのですね。

今頃の東北は最高でしたでしょう。歌枕も廻ってこられたのですね。私も落ち着いたら歌枕の旅を再開したいと思っております。



 RE: 京都・東福寺で俊成800年忌    ..水垣    
      2004/11/05(金) 23:27  No.365
 
 
ためかぬ様、こちらこそどうぞよろしくお願い致します。

昨夜ご投稿を拝見して、東福寺関連のサイトをいくつか見て廻っておりました。
そうした催しがあることは初耳でした。東福寺には藤原俊成・俊成女・九条良経のお墓があるとのことですし、正徹が書記を勤めるなど、和歌にはゆかりの深いお寺なのですね。

関東も暖かい日が続いていますが、夜になるとさすがに冬が近くなったことを感じます。これから紅葉が楽しみな季節ですね。



 「紅の雪」ありがとうございました。    ..阿部 [URL]    
      2004/11/04(木) 22:58  No.364
 
 

水垣様

「紅の雪」についてありがとうございました。

これで疑問は氷解したように感じます。
高陽院歌合は1194年でしたから、本朝年代記の1104年とは隔たりがあって、???という感じもしたのです。が、渡部さんの「西行全注解」をよく読んでみると、「紅の雪」という表現は和歌にふさわしくないという意味であって、「紅の雪」そのものに触れた解説ではないと思います。和歌の表現ということと、「紅の雪」関連の事跡ということとは関係のないことですね。
西行にとっても1104年のできごとは、充分に昔のことです。

西行の足跡をたどって東北に旅行していました。昨日、京都に帰ったところです。
そのためにお礼の返事が遅れました。ご容赦願います。
東北は紅葉が盛りでした。
毛越寺、中尊寺、松島、武隈の松、実方の墓などに行きました。

また何かありましたら、よろしくお願いいたします。



 京都・東福寺で俊成800年忌    ..ためかぬ    
      2004/11/04(木) 20:18  No.363
 
 
「初雪」優雅に献詠・・今日の朝刊に載っていました。

http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2004110300085&genre=J1&area=K1E

初雪の知らせのまえに、(こちらは、暖かい日続きで冬の訪れはまだまだと言った感じですが、)またこうして交流させていただけることうれしくおもいます。「いざ鎌倉」のりおくれましたが、またよろしくお願いいたします。





 追記    ..水垣    
      2004/11/01(月) 23:29  No.362
 
 
西行の「くれなゐの雪は…」の歌を私なりに解釈してみました。

「紅雪が降ったのは遥か昔のことと伝え聞くのに、花の美しい色に染まった紅の雪をこの春見ることができたのだなあ」



 RE:「くれないの雪の歌」について    ..水垣    
      2004/11/01(月) 23:20  No.361
 
 
阿部様

その節は行遍につき懇切なご教示をありがとうございました。

 くれなゐの雪はむかしのことと聞くに花のにほひにみつる春かな

この歌の前には、

 今もなし昔もきかず敷島や吉野の花を雪のうづめる

とありますので、その続きとして読みますと、「紅の雪」は桜の花に降り積んで薄紅に染まった雪のことを言っていることになります。

ところで「紅雪」をネット検索してみましたところ、「本朝年代記」の1104(長治1)年六月二日条に「北方で紅雪が降る」旨記録されているとのことです。

http://www.netlaputa.ne.jp/~kitsch/tenpen/ihen01.htm

瑞兆なのか凶兆なのか判りませんが、そのような天変地異がかつてあったという伝聞が西行に「くれなゐの雪はむかしのことと聞くに」と言わせたのではないかと推理してみましたが如何でしょうか。



 「くれないの雪の歌」について    ..阿部 [URL]    
      2004/10/31(日) 23:33  No.360
 
 

水垣様

初めて掲示板に書き込みさせていただきます。
いつぞや、行遍のことについてお世話になりました「山家集の研究」の阿部と申します。

岩波文庫山家集の249ページに以下の歌があります。

くれないの雪はむかしのことと聞くに花のにほひにみつる春かな

渡部保氏著の「山家集全注解」では、詞花集巻一の康資王母の

「紅のうす花ざくら匂はずばみな白雲とみてやすぎまし」

という歌に関係あるように説明されています。
果たして「紅の雪」とは何なのでしょうか。
和漢朗詠集にも記述があるそうですし、中国の神仙思想からきている言葉の可能性もあるようです。
兪としての表現ではなくして、自然現象としての「紅の雪」もあるような・・・

現代歌人では、前 登志夫さん の、以下の歌もあるそうです。

檜(ひ)の山にくれなゐの雪ふりしきりわが錬金の時間(とき)のたかぶり

なんだか含蓄のある表現で気になるところです。
「紅の雪」に関わることごとをご存知の方は、どんなことでもよろしいですので、教えていただけないでしょうか。
この掲示板に書かれておられる皆様方もよろしくお願いいたします。それでは。  





 こんばんは    ..水垣    
      2004/10/29(金) 23:21  No.359
 
 
>一人静様

留守中はお書き込みありがとうございました。

私は十五年ぶりの引越だったのですが、「もう死ぬまで引越はしたくない」と思いました。

巻四の笠女郎歌群は全24首。おっしゃる通り「いじらしい」歌から「大胆」な歌まで、柄が多彩と言いましょうか、心の振り幅が大きいと言いましょうか。何度読んでも飽きませんし、「格闘」のし甲斐もあるのではないでしょうか。

私は一群の作を、家持の越中守時代を中心に笠女郎が詠んだ連作として読解する試みをしておりますので、拙い文章ですが、ご一読頂ければ幸いです。

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/column11.html

>sion様

永福寺跡は鎌倉市が買収を進め、将来は史跡公園にし、建物を復元する計画があるとか。それも楽しみではあるのですが、ただの野原のまま残しておいてほしいとの思いもあり…。

この週末は全国的に天気が崩れるようです。私も近所の探検を楽しみにしていたので残念です。



 お疲れさまでした    ..sion    
      2004/10/28(木) 23:09  No.358
 
 
水垣さま、
荷解きを終えられたとのことで、一段落でしょうか。
とても良いところに移られたのですね。永福寺跡(ようふくじ、とよむのですね)のみごとな芒原、枯れる前に行って見たいものです。

一人静さま、
伏見院の引用歌にレスありがとうございました。(亀レスでごめんなさい)
御製にぴったりのお写真があったのですね。
私も秋は大好きです。菊科の花が好きなので、今の季節は特に。
この週末はお天気が続けばどこかに出掛けてみようかな。



 お久しぶりです    ..一人静    
      2004/10/27(水) 20:55  No.357
 
 
今晩は。
こちらにしばらくお邪魔しないうちに引越し終わられたのですね。
おつかれさまでした。
私など20年余って引越しの経験なく、家の中は古いしがらみであふれています。
また皆さんの楽しい歌のやり取りを読ませていただけると楽しみです。

私は今は笠郎女さんの歌と格闘しています。
前半分(587〜600)を読みましたが、

 君に恋ひいたもすべなみ奈良山の小松が下に立ち嘆くかも

 わがやどの夕陰草の白露の消ぬがにもとな思ほゆるかも

といった実にいじらしい歌があるかと思えば、

 八百日行く浜の沙も我が恋にあにまさらじか沖つ島守

 恋にもそ人は死にする水無瀬川下ゆ我痩す月に日に異に

などと、とても大胆に自分の恋を歌います。
片恋のなせる業でしょうか・・・・

この迫力に負けないように、最後まで鑑賞したいと思っています。

むらじ様へ
「靜」・・というお店、とても雰囲気のあるお店のようですね。
私は実は「静かな」性格などとは程遠い人間でして、一人静・・・は私の理想の花なのです。
花が咲いたその後の一人静の花の後の姿・・・葉が大きく茂ります・・こそが私の姿かも・・などと自己分析しています。
歌も初心者そのもので、鑑賞も恥ずかしい限りですが、皆さんのご意見などを伺ったり、教えていただいて、歌を楽しむ生活を送りたいと日々思って過ごしています。
これからもよろしく。

 



 ありがとうございます    ..水垣    
      2004/10/26(火) 23:48  No.356
 
 
皆様、こんばんは。色々とお気遣いありがとうございます。
今日、やっと本の荷解きが終り、段ボールの谷間から脱出できました。

引越の当日は快晴だったのですが、翌日から台風23号に襲われ、まだ物が置いてあった庭はあっと言う間に大きな水たまりと化す有様。てんやわんやの日々はなお続いております……。

先日、やっと近所をのんびり散歩できました。永福寺跡という碑の立っている広い空地が歩いて五分ほどの所にあるのですが、セイタカアワダチソウに負けず、いちめんの芒の原となっておりました。デジカメで撮った写真を掲げます。
銀色の穂が秋風になびく様を眺めながら、ずいぶん「奧地」へ引っ越してきたものだなと感慨に耽りました。

またこちらで皆様とのお話を楽しみたいと思っております。どうぞよろしくお願いします。



 秋の風    ..むらじ    
      2004/10/26(火) 22:31  No.355
 
 
>一人静さま。
>秋風にたなびく雲のたえまよりもれいづる月の影のさやけさ

あまりにも有名なお歌ですが、こうやってしみじみ伺っていると、
ついついしんみりと心にしみいるような歌ですね。(^_^)

たまたまきょう、
「靜」
というようなナマエのお店で、ほんのちょっぴり、お酒を頂戴してきたのですが、
たぶんこれって、

白玉の 歯にしみとおる 秋の夜の 酒は静かにのむべかりけり
                      (若山牧水)

にちなんだお店なんですかねえ。
いつもいつも、
たとえ世俗の垢にまみれながらも、そこに一片の歌心を覚えると、
心洗われる瞬間というものがありますね。
そういうひととき、一瞬を、これからも大切にしてまいりたいと、
切に想うこのごろです。



 引越しお疲れ様でした    ..八重葎    
      2004/10/26(火) 12:11  No.354
 
 
このところ天候不順だったので
引越し大変だったのではと推察致します。

あとはゆっくりとお家の中を整理していかれ、
無理をなさいませんよう。
引越し後の片付けは何でも早くやろうとして
昔 小生は目が回ってしまいました。
(若かったせいもありますが。お恥ずかしい)

鎌倉ですか いいですね。



 お疲れ様でした    ..紀州の姫    
      2004/10/25(月) 17:10  No.353
 
 
お引越しご苦労さまでした。
猛暑、台風、地震・・・の影響も少しはお有りだったのではないでしょうか?ご新居では少し落ち着かれたとのご様子、何よりです。

こちら、実家の一部改築で忙しくしておりますが、改築前の片付けの中から百人一首が出てきました。
でも、古くて値打ちのありそうな物ではなく、新しくて安物のような気がしますが・・・。(^_^;)
また、ここでのお話を楽しみにしております。



 お引越し御苦労様でした。    ..アナハイム エレクトロニクス(株) [URL]    
      2004/10/25(月) 11:46  No.352
 
 
これからもがんばって下さいね。

健康には、気をつけて下さい。



 お疲れさまでした    ..ひよきち    
      2004/10/25(月) 11:25  No.351
 
 
お引越し、大変にお疲れさまでございました。
本当にお忙しい毎日であったことと拝察いたします。


どうぞご無理をなさいませんように

またお疲れの出ませんよう
くれぐれもお気をつけくださいませ(*^_^*)





 復帰、おめでとうございます。    ..むらじ    
      2004/10/25(月) 09:09  No.350
 
 
引っ越し、ぶじ済んだようですね。
中世の都へのご転居、お慶び申し上げます。
こちらも超多忙の状態となってしまいました。
かんたんですが、ごあいさつまで。



 引越しました    ..水垣    
      2004/10/24(日) 23:43  No.349
 
 
皆様ご無沙汰いたしております。
山懐に抱かれた鎌倉の地に引越して参りました。
まだ段ボールの中に埋れるように暮らしておりますが、新居での生活もようやく軌道に乗り始め、パソコンもほぼ旧に復して、溜まりに溜まったメールへのお返事を書き始めようとしているところです。
サイトの更新などは目途が立たない状態ですが、少しずつでも以前のペースに戻して行きたいと思っております。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。



 >Aki様・あやの様・ゆっきー様    ..水垣    
      2004/10/15(金) 16:10  No.348
 
 
はじめまして。ようこそおいで下さいました。

Aki様・あやの様、只今引越直前の上に諸事多忙を極めており、ご質問に調べてお答えする余裕が物理的にも気持的にも取れない状況が続いておりまして申し訳ありません。むらじ様・ゆっきー様がお答え下さっていますので、お読みになって下さい。
むらじ様、ゆっきー様、ありがとうございました。

来週引っ越しまして、しばらくしたら復帰できると思います。



 あやの様・水垣様    ..ゆっきー    
      2004/10/09(土) 08:54  No.347
 
 
 唐衣・・・の和歌は「はるばる」が「張るばる」「遥々」の掛詞であると捉え、したがって、「着」「来」も掛詞であると捉えると鑑賞が深まると思います。
 着続けて柔らかくなった褄のように慣れ親しんだ妻がいるので、せっかく柔らかくなった着物に糊を張って着るように慣れ親しんだ妻からも離れ遥々来てしまった・・・
 「褻る」と「張る」の対応を意識したのですが、如何でしょう。

 以前和歌を学ぶ機会があり、在原業平を調べこのサイトに行き着き、今日は千載集を調べていたらまたこのサイトに行き着きました。素敵なサイトですね。



 sion様    ..一人静    
      2004/10/06(水) 11:13  No.346
 
 
里には七草の花を山には紅葉を楽しめる季節となりました。
伏見院の素敵な歌を教えていただきました。
さっそく霧の流れる里の風景にこの歌を添えて手製はがきを作りました。パソコンの前にピンで止め、しばらく楽しませていただきます。

山歩きを始める前は秋はどうも苦手でした。わびしいというか、寂しいというか・・・
山を歩き始めてみると空の高さや色づく木々の美しさ、春と違った心の動きにも気づかされはじめます。
そして、今では秋がすっかり好きになっています。
今日のお天気だと、夜には月は楽しめるでしょうか・・・

 秋風にたなびく雲のたえまよりもれいづる月の影のさやけさ
                  (左京大夫顕輔)

この歌もまた好きな歌です。

このコーナーもご主人の留守は寂しいです。
再開を心待ちにしています。



 雨、雨、雨…    ..sion    
      2004/10/05(火) 23:19  No.345
 
 
ここ数日、涼しさを通り越して寒いくらいになりました。
木々を濡らして降り続く雨に、やがて色づく紅葉を思い描く今日この頃です。
(猛暑の年は、紅葉が綺麗なのだそうです。)

 ふもとにはうすぎりたちて朝さむき
          時雨のあとの山ぞ色づく(伏見院)

引越疲れは意外と長引くものですので、どうぞ休息を十分お取り下さいね。
サイトもお引越なのでしょうか。これだけ巨大になると、移転作業も大変でしょうね。
復帰される日を待ち遠しくしております。



 質問    ..あやの    
      2004/09/28(火) 13:18  No.344
 
 
(1)伊勢物語の「から衣きつつなれにし妻しあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ」の掛詞に「着る」「来」を含めるのか否か。含めるとしても「きつつ」「きぬる」どちらに認めるかという質問。説は分かれており、含めないものが大半のように思います。縁語との関わりで敢えて含めるなら、「きぬる」に認めたとして、助動詞の「つ」「ぬ」の性質から、ややひっかりがあるようにも思います。
(2)源氏物語の冒頭「同じほど、それよりげらふの更衣たちはましてやすからず」の「同じほど」は多くは桐壺の更衣と同じ身分という解釈のようだが、前文とのつながりで、女御の身分として解釈できないものかという質問。もし更衣と同じ身分とすると、更衣の中でも、父親の細かい階層によって身分が細分化されていることになる、そういう解釈をやはりとるべきなのでしょうか。
(3)係助詞の「や」は「疑問・反語」のはたらきがあり、結びは連体形になると、高校古典文法では教えているが、たとえ結びが連体形であろうとも、「疑問・反語」はたらきをもたない係助詞は存在するのだろうかという質問。見方をかえれば、間投助詞であっても、文末が連体形になることがあるかという質問。
(4)伊勢物語と源氏物語の比較について知りたいとき、どういう本が勉強になるかという質問。



 探索    ..むらじ    
      2004/09/27(月) 08:37  No.343
 
 
>..Akiさま
はじめまして。
素晴らしいお歌と拝読いたしました。
たしかにどこかできいた歌のように思えますが、どうしても思い出すことができません。
「万葉集」「源氏物語」「勅撰集」につきこの歌がないか調べてみたのですが、ちょっと見当たりませぬ。
もっとも、索引でざっと追いかけただけですので(前二者は「岩波古典文学大系」で、「勅撰集」はCD−ROMで)、もしかしたら見落としがあるかもしれませんが…

歌の印象としては、「見ぬ恋」という感じですね。
シチュエーションとして想像するのは、美人の評判高い女性と逢おうとしてまず贈ってみた歌、というものかな、と思いました。
また、かなり観念的な恋歌のような感じもするので、「万葉集」よりは「源氏」とか、それ以降の時代のものか、とも思ったのですが…
(「紫式部集」「伊勢物語」「山家集」も見たのですが、ノーヒットでした)。
案外ネオ・ロマネスク=近代の歌だったりすることもあり得るかも知れませんが…^^;

オーナーの水垣さんがすぐに動けるようですと、あるいはたちどころに解決!となるのかもわかりませんが、ちょうどお引っ越しの最中なんですね。
どなたかお分かりの方がいらっしゃったら、私も知りたいです。
なんのお役にもたてず申し訳ありませんが、決してご投稿が無視されているわけではないということだけでもお伝えいたしたく、書き込みさせていただきました。m(__)m



 はじめまして    ..Aki    
      2004/09/23(木) 10:47  No.342
 
 
こんにちは。初めてお邪魔します。
実は、ある歌を探してネットしています。

寝てはさめ さめてはうつつ幻の まだみぬきみを 如何とぞ思う

こういった感じの歌があったように思うのですが、
万葉集なのか、作者は誰なのか、はたまたこれで合っているのか
全然分からないので、こちらに来られている方で、お分かりの方
いらっしゃいましたら、教えていただきたいです。
どうぞよろしくお願いいたします。



 一カ月ほどお休みします    ..水垣    
      2004/09/21(火) 19:54  No.341
 
 
いよいよ引越しが近づいたため、しばらくの間掲示板はお休みさせて頂くことにします。度々すみません。インターネット接続サービス会社の変更なども考えており、復帰は一カ月後位になるかと思います。
但し掲示板の管理は出来得る限り継続するつもりです。当分、投稿は可能ですので、私はお返事出来ないと思いますが、それで構いませんでしたら、どうぞお書き込み下さい。
また、メールのお返事も、普段にも増して遅れがちになると思います。
ということでよろしくお願いします。



 草香江の歌>一人静様    ..水垣    
      2004/09/16(木) 22:09  No.340
 
 
こんばんは。お久しぶりです。読書会、持続されているのですね。素晴らしいことです。

筑紫に残る人々と、京へ旅立つ大伴旅人との贈答。旅人が部下や友人たちからどれほど慕われていたか、切々と伝わってきます。まことに旅人の人柄が偲ばれる歌々ですね。
しかし歌群の中ではやはり旅人の返しが抜きん出ているように思います。

 ここに在りて筑紫やいづく白雲の棚引く山の方にしあるらし
 草香江の入江にあさる葦鶴(あしたづ)のあなたづたづし友無しにして

嘆息の息遣いまで感じ取れるような、情の籠った作ではないでしょうか。
草香江は旅人の歌では難波潟の入江を指しているのだと思いますが、福岡市の町名に残っているように、筑紫にも同名の江があったようです。それでことさらこの地名を用いたのではないかと思われます。
「たづ」から同音の「たづたづし」を導いているわけですが、入江の鶴の姿に、長年親しんだ知友と別れて途方に暮れる旅人の姿を重ね合わさずにはいられません。本当に良い歌ですね。

パソコンでの地図作りに一時凝っておりまして、そう言えば草香江の地図も作って載せたなあと思い出しました。お役に立てたのなら幸いでした。




 RE:虫の音>八重葎様    ..水垣    
      2004/09/16(木) 22:08  No.339
 
 
鈴虫のお裾分けとは何とも風流なご近所様です。
日々間近で耳にする虫の音の変化から、季節の移り変わりを敏感に感じ取っておられるのですね。
私など、マンションの上の方の階に住んでおりますので、虫の音はベランダの窓を通して遠くかすかに立ちのぼってくるのが聞こえるばかりです。鈴虫らしき音も混じっているようですが、確かに聞き分けることもかないません。しかしもう「弱りゆく」季節なのですね。

 秋風にこゑよわりゆくすずむしの
     つひにはいかがならんとすらん 大江匡衡

来年の秋、無事に卵が孵ると良いですね。



 RE:後花園院>ためかぬ様    ..水垣    
      2004/09/16(木) 22:07  No.338
 
 
昨日今日とこちらは爽やかな晴天で、さすがに秋めいてきました。朝晩など半袖では涼しすぎる程ではなかったでしょうか。

>けさよりは袂もうすく立ちかへて花の香とほき夏ごろもかな

衣更えの歌は、春との別れを惜しむ感傷的な作が多い中で、若き後花園院の御製は仰るとおり「晴れやかに、きりっとした」ところの見える、珍重すべき佳詠と思います。
いや、歌としてすぐれているかどうかより、飾り気のない初心の清純さに惹かれて、選び入れずにはいられなかった一首です。

>くだけちる千々のこがねの波なれや岩根にかかる磯の月かげ

この歌は対照的に最晩年の御製……と言っても、後花園院は老年に至らず亡くなってしまうのですが。こちらは修練を積んだ詞遣いの鋭さが見事です。

千草の花が咲き乱れる季節となり、女郎花もあちこちの野で秋風に揺れているのでしょう。
仲秋の明月ももう間近ですね。




 今晩は    ..一人静    
      2004/09/15(水) 22:33  No.337
 
 
萩の花が野山で見られる季節になりました。
ご無沙汰しています。
私達の読書会も1ヶ月の夏休みを終え、昨日はじまりました。
大伴旅人が大宰府から京都に帰ることになり、別れの歌を送られたり、送ったりした、568〜575首を楽しみました。
自分の思いを歌に託して友に届ける・・・それもさまざまな立場の人が・・・旅人の人柄のおおらかさが想像されます。
中でも私は

 大和へに 君が立つ日の 近づけば 野に立つ鹿も とよめてそ鳴く

の歌が気に入りました。私の大好きな読書会の仲間達の一人が遠くに行くようなことがあれば、この歌を送りたい・・・と。
そして、旅人が大和から筑紫の友に送った歌

 草香江の 入江にあさる 葦鶴の あなたづたづし 友なしにして

はその姿が想像されてとても悲しくよい歌だとみんなで話したことでした。
草香江の当時の地図が「やまとうた雑記」の中にあり、とても参考になりました。私達のような知識のない者たちの集まりでもこうした資料がてにはいることは会をとても楽しくしてくれます。
あらためてお礼申しあげます。ありがとうございました。



 虫の音    ..八重葎    
      2004/09/15(水) 22:10  No.336
 
 
水垣さま 皆様

先月末 近所の人から鈴虫を頂きました。
あと二日ほどで鳴き始めるでしょうといわれ、
待っていましたら、ちょうどそのころから
盛んに鳴き始めました。
忙しい中にも妙に臨場感のある秋を帰宅後感じる日々でした。

ただ彼岸近くのこのごろでは、鳴く音もだんだん
かすれがちとなり、時間の経過を非常に感じると
ともに古人が虫の音が弱り行くと読んだ何気ない歌も
痛切に身に感じられるような気がします。

これも我が家に来てくれた虫のお陰かと思います。
卵が孵る来季まで大切に出来ればと考える今日この頃
です。



 後花園院    ..ためかぬ    
      2004/09/14(火) 00:18  No.335
 
 
そろそろ衣更えをと思いつつも、まあ来週でも充分と先送りしたばかりの週明けに、はっとさせられました。

  けさよりは袂もうすく立ちかへて花の香とほき夏ごろもかな

清清しく、気持ちも晴れやかに、きりっとした心持ちになるような歌と思い、解説を読んだら作者十五歳とあり、ますます清純な若々しいイメージがふくらみ心が弾みました。

季節の便りに、ダイヤモンド展で手に入れた、ダイヤをちりばめた女郎花のかんざしのポストカードに添える歌を探していたのですが、今回は和漢朗詠集から源順を選びました。

東山魁夷の「満ち来る潮」のとどちらにしようか迷って、今回は女郎花にしたのですが、

  波月

  くだけちる千々のこがねの波なれや岩根にかかる磯の月かげ

を読み、歌の美しさに、ポストカードのほうは月影ではなく陽の光の海の色のようであるものの、この歌を添えた便りを次の機会には出したいと思いました。



 ありがとうございました    ..八重葎    
      2004/09/12(日) 21:28  No.334
 
 
すでに新撰万葉集に影と出ていたのですね。
お話をうかがいまして、小生はあらためて
古今調に味わいたいと思いました。
ありがとうございました。



 RE:"数さえ"か”影さえ”か    ..水垣    
      2004/09/11(土) 12:27  No.333
 
 
八重葎様、お久しぶりです。

 白雲に羽うちかはし飛ぶ雁の数さへ見ゆる秋の夜の月

>私は数の方が照り冴えた月に雁の形が明瞭に映った
>様がリアルに再現されるように思えるのですが。

ご意見に概ね同感です。
「白雲に羽うちかはし」は半ば空想的な表現でしょうが、これによって雁が上空のきわめて高いところを飛翔していることが印象づけられます。これに続けるに「数さへ見ゆる」と言った方が、雁影の小ささと明瞭さがより一層強調され、ひいては爽やかな月の光が天空はてなく照り渡っているさまが余情として感じ取れるのではないでしょうか。そのような表現上の効果という点からも「数」の方が良いのではないかと思います。

「影」としますと(「月光に映し出された姿」の意ですが)、むしろこちらの方が大まかで直線的な感じになり、万葉歌のような風格が出る代りに、古今風の複雑な効果は失われるでしょう。

因みに、古今集以前に編纂された『新撰万葉集』では

 白雲丹(シラクモニ) 翼鼓替芝(ハネウチカハシ) 飛雁之(トブカリノ) 
 影佐倍見留(カゲサヘミユル) 秋之月鉋(アキノツキカナ)

とあり、添えられた漢詩には

 秋天飛翔雁影見 (しうてん、とびかけりて、がんえいみゆ)

云々とありますので、オリジナルは「影」だったかもしれません。



 "数さえ"か”影さえ”か    ..八重葎    
      2004/09/10(金) 12:15  No.332
 
 
水垣様

ごぶさしております。

古今集、”白雲に羽打ち交わし。。。”の歌ですが、
数さえみゆる秋の夜の月、影さえみえる秋の夜の月
のいずれが解釈としてよいのでしょうか。
私は数の方が照り冴えた月に雁の形が明瞭に映った
様がリアルに再現されるように思えるのですが。
影のほうが直接的でないので奥行きがでるとの説も
あるようです。

いつまでも古今集から私の勉強は出られません。



 はじめまして>アリー様    ..水垣    
      2004/09/08(水) 20:46  No.331
 
 
ようこそおいで下さいました。書き込みも有り難うございます。

清原元輔の「位山」の歌、あまり印象に残っていなかったのですが、貴サイトの文中に引かれているのを読みますと、なかなか良い歌だなと見直す思いでした。引用の仕方で歌も生きるのでしょうか。

リンクはどうぞご自由に。
貴サイトはブックマークして折々拝見しようと思います。今後ともどうぞ宜しくお願い致します。



 はじめまして    ..アリー [URL]    
      2004/09/07(火) 23:32  No.330
 
 
素晴しいサイトで驚きました。
乗鞍岳のことで、清原元輔の歌を紹介しました。
彼について詳しく述べてあるサイトを探してここへ参りました。
他の方達にもご紹介したく

http://blog.goo.ne.jp/luckycharm_m/

でリンクさせて頂きましたが、ご迷惑なら直ぐはずします。
どうか、これを機に宜しくお願いいたします。



 RE:おめでとうございます    ..水垣    
      2004/09/04(土) 00:08  No.329
 
 
ひよきち様、こんばんは。
ご祝辞有り難うございます。
怠けずにまた更新して行こうと思います。
今後ともどうぞよろしくお願いします。



 婉という女    ..水垣    
      2004/09/04(土) 00:07  No.328
 
 
紀州の姫様、
キーワード「婉という女」でネット検索してみましたら、松岡正剛氏の名高い書評サイト「千夜千冊」が最初にヒットしました。かなり「ネタばれ」がありましたが、感動的な書評でした。昔この小説を読んだ時のことが思い出され、目頭が熱くなりました。
私も近く再読してみようと思います。
しかしあの小説は、男の私が読んでも大変なショックを受けましたが、やはり女の人の方が何倍も重く受け止めるのでしょうね。
本は入手が難しくなっているようですが、機会がありましたら、ぜひ。

紅葉の頃の青蓮院はどんなに素晴らしいことでしょう。



 おめでとうございます    ..ひよきち    
      2004/09/03(金) 15:34  No.327
 
 

水垣さま、こんにちは。

このたびは30万アクセス
おめでとうございます!

これからも水垣さまのサイトにて
多くのことを学ばせていただきたいと存じます。




 野中兼山・野中婉    ..紀州の姫    
      2004/09/02(木) 10:05  No.326
 
 
水垣さま
このお二人について教えて下さり有り難う御座います。
とても恥ずかしい話ですが、私は知りませんでした。
まだ本は読んでいませんが、大原富枝の『婉という女』のあらすじを読んだだけで、涙がこみ上げてきました。

筆山にはいつもお墓参りのみで、深く興味を持った事はありませんでした。
ただ、父が健在だった時によく「高知の女は強い(しっかりしている)」と言ってたのが耳に残っています。
何気なく聞いていた言葉でしたが、見性院(千代)、婉、そして大原富枝・・・と。

大原富枝や婉を指して
『女が美しく生きてゆくために必要なのは、不屈の精神をもち続けることなのだ』
と云う評論が有ったのですが、なんだかとても納得した言葉でした。
時間出来次第、『婉という女』を読みたいと思います。

>高知県が山内家所蔵の国宝古今和歌集写本を七億円で購入

この記事も拝見しました。
今まであまり関心の無かった高知ですが、もっともっと深く知りたいと思っております。

青蓮院・好文亭のお写真を有り難う御座いました。
お茶会は12月初旬なので、まだ紅葉が残っているかもしれません。
デジカメ持参で参りますね。(^.^)



 山内一豊の妻    ..水垣    
      2004/08/30(月) 17:44  No.325
 
 
「筆山史跡案内図」、さすがに錚々たる人物が名を連ねていますね。
中で野中兼山・野中婉の名に目を引かれました。大原富枝の『婉という女』は私が読んだうち最も心に残る歴史小説の一つでした。

見性院(千代)のお墓は大通院にあるんですね。
そう言えば、高知県が山内家所蔵の国宝古今和歌集写本を七億円で購入とのニュースが過日流れました。紀貫之筆とも伝わる最古の写本ですが、これは見性院が二代藩主忠義に形見として贈ったものとされています。

http://www.kochinews.co.jp/0408/040813evening01.htm

なぜ見性院が古今集の貴重な写本を持っていたかと言いますと、彼女は郡上八幡遠藤氏の出自らしく、この遠藤氏が二条家歌道の正統を引き継いだ古今伝授の創始者東常縁の子孫だったことと関係があるようです。
ちょっと話題が逸れましたが、山内家と和歌のつながりにも見性院は大きな役割を果たしているというわけです。

>お写真の青蓮院ですが、12月のお茶会に伺う予定があります。

青蓮院には好文亭という茶室がありましたね。たまたま撮った写真がありますので、載せておきます。
青蓮院は建物と言い庭と言い、手入れはよく行き届いているのですが、絶妙に寂れた雰囲気があって、私などは非常に魅せられました。

青蓮院にゆかりの深い歌人と言いますと、慈円の『拾玉集』を編纂した尊円親王もいます。その人の作より一首。

 宮城野や夜はの秋風つゆふけば
     萩のうは葉にきゆる月かげ



 「功名が辻・山内一豊の妻」    ..紀州の姫    
      2004/08/29(日) 15:42  No.324
 
 
水垣さま
美しい画像の後に、ちょっと薄汚れた案内板の添付は躊躇しましたが・・・、これは、高知で撮りました「筆山史跡案内図」です。

ゆゆさまの
>再来年の大河ドラマは「功名が辻」で、山内一豊とその妻が主人公だそうですよ!

のお話に、改めて案内板を見てみました。
いつもは@の山内一豊しか興味が無かったのですが、Aの慈仙院は一豊の妹、Bの織田信安は、一豊の父盛豊が尾張岩倉城主織田信安の家老であったようです。
一豊死後は、妙心寺大通院に入ったとされる妻・千代についてのドラマは、とても楽しみです。
放映される頃には、この「史跡案内図」も少しは綺麗になってるかも知れませんね!?(^.^)

お写真の青蓮院ですが、12月のお茶会に伺う予定があります。

わが心奥までわれがしるべせよわが行く道はわれのみぞ知る(拾玉集)

慈円のこの歌に支えられた時があります。
その時から、私も青蓮院に出向くのを楽しみにしております。

秋きぬとおどろく風をたづぬれば目にさやかなる萩のうは葉を(慈円)



 RE:残暑お見舞申し上げます>ためかぬ様    ..水垣    
      2004/08/23(月) 00:26  No.323
 
 
優雅なお盆休みを過ごされたのですね。
青蓮院は風情のあるお寺ですね。私がお参りしたのは梅雨時でしたが、雨に濡れた庭がまた味わい深いものでした。
(慈円のページの写真よりもうちょっと大きなのを掲げておきます。)

水無瀬は私もずっと行きたいと思っていて、未だに実現していません。
「かぐや姫の夕べ」が開かれるということは、竹林の名所なのでしょうか。「竹灯籠500本」とは、さぞかし情趣のある夜だったことでしょう。

私はこの夏はとうとうどこへも旅行せず、鎌倉など近場を散歩した程度でした。



 RE:残暑お見舞申し上げます>sion様    ..水垣    
      2004/08/23(月) 00:17  No.322
 
 
お元気でいらっしゃいましたか。
日本選手、本当に素晴らしい活躍ですね。今夜は女子マラソンが楽しみです。

引越し先は、「田舎」などと言うと、住んでいる人たちには叱られてしまうかもしれません。まあ、緑豊かな静かなところであるのは確かです(笑)。今よりもう少し落ち着いた暮らしができたらと思っています。

涼しげなお写真ありがとうございます。sionさんは大磯育ちでしたね。
「鴫立沢」は数年前に行きましたが、西行法師の歌から想像していた風景――山深い寂しげな土地――とは違っていて、ちょっと驚きました。海のすぐそばなんですよね。
しかしお写真を拝見して、鴫がよく似合いそうな風景だと再認識する思いでした。

sionさんも恙無きよう、お祈り申し上げます。



 RE:故郷の月    ..水垣    
      2004/08/23(月) 00:16  No.321
 
 
ひよきち様、こんばんは。
畑で日頃草木や土に触れておられると、季節の移ろいには一段と敏感におなりでしょう。お子さんもお手伝いでしょうか、良い体験をなさっていますね。
こちらでも朝夕風の涼しさに秋の近いことを感じるようになりました。

お気遣い有り難うございます。引越しは少し先延ばしすることとなり、十月か十一月になりそうです。しばらくは通常の生活に戻って、サイトの更新も以前のペースに戻したいと思っております。

九州ではいかがお過ごしでしょうか。日記を拝見しますと、故郷でのんびり…というわけにもゆかないようですね。くれぐれもご自愛下さい。

 したひくる影は袂にやつるとも
     おもがはりすな古郷の月   土御門院



 残暑お見舞申し上げます    ..ためかぬ    
      2004/08/21(土) 23:04  No.320
 
 
水無瀬恋十五首歌合に

 野べの露は色もなくてやこぼれつる袖よりすぐる荻の上風  慈円

sionさまとおなじく・・ですね。

お盆には青蓮院を経てライトアップされた延暦寺へ、
今宵は島本町(大阪府・水無瀬駅下車)のふれあいセンターで催された「かぐや姫の夕べ」に行ってきました。
竹灯籠500本がともるなか雅楽と筑前琵琶の演奏で、雅やかな、そして幽玄の世界を楽しませていただきました。
今回はぜひ画像をと思っていましたが、うまく撮れてなくて残念です。

水無瀬恋十五首歌合の更新時から水無瀬には一度訪れてみたいと思っていましたのが、ようやく実現しました。
青蓮院は慈円のところに水垣さまの写真がアップされてましたね。
少しずつですが、ゆかりの地に足を運ぶことができ、夏の夜のよき思い出となりました。



 残暑お見舞申し上げます    ..sion    
      2004/08/21(土) 16:41  No.319
 
 
水垣さま、皆さま、こんにちは。まだまだ暑い日が続きますね。
アテネ・オリンピックでの日本選手のがんばりに元気づけられる今日この頃です。

水垣さま、
お引越しされるのですね! 「ちょっと田舎の方へ」とありましたが、きっと自然の豊かな静かな環境なのでしょうね。ご新居に落ち着かれて、WEBでもますますのご活躍を願わずにいられません。
今は慌ただしくお過ごしのことと思いますが、くれぐれもお体にお気をつけください。

何か涼しげな画像でも、と探して、実家の近所の「鴫立沢」の写真が見つかりました。

 心なき身にもあはれはしられけり
              鴫立沢の秋の夕暮

ちょっと季節が早すぎましたね・・・m(_ _)m

では皆さま、秋もすぐそこです。夏ばて・夏風邪などにくれぐれもお気をつけてお過ごし下さい。



 故郷の月    ..ひよきち    
      2004/08/18(水) 18:47  No.318
 
 
水垣さま、こんばんは。

暦の上では秋になりまして
風の音や日の光の色にも
少しずつ秋を感じるようになって参りました。

夕暮れ時 畑の真ん中に立っておりますと
風が びゅぅっと音をたてて過ぎていきます。

確かに蝉もないておりますし、
まだまだ暑い日も多いようではありますが
少しずつ秋も深まっていくのでしょうね。

一緒に畑に行きました娘が
深呼吸をしながら
「これは秋の匂いだ」とつぶやいておりました。




明日19日より九州に帰省してまいります。
小さな秋をたくさん見つけられるといいなと思います。

まだまだ暑い日も続く様子。
お引越しの準備等で
本当にお忙しいことと思います。

どうぞくれぐれもお体にはお気をつけ下さいませ。






むかしよりいく世の人かあかずして

        ながめすてけん故郷の月  正徹






 掲示板も夏休みに入ります    ..水垣    
      2004/08/08(日) 23:40  No.317
 
 
明日から十日ほど、管理人は掲示板をお休みさせて頂きます。
投稿は可能ですので、何かありましたらお気軽にどうぞ。
それでは皆様良い夏休みをお過ごし下さい。



 雨こぼるなり    ..水垣    
      2004/08/08(日) 23:30  No.316
 
 
ゆゆ様、こんばんは。
昨日が立秋だったはずですが、今日も横浜はかんかん照りでした。

>和歌でこういう斬新な表現に出会う度、今の私達は知識が邪魔して表現の幅が狭まっている気もしてしまいます。

情報量が多すぎて、自分の目で物を見るということがますます難しい時代になっていることは、日頃痛感するところです。
京極派和歌の創始者である為兼は「ことばにて心をよまむとする」のでなく、「心のままに詞のにほひゆく」のが歌の理想だと言いましたが、「心のままに」というのが何とも難しいと感じます。「色こき雲に雨こぼるなり」はそうした境地に達したことを感じさせる表現ですね。

長崎のご旅行、楽しんで来て下さい。またお写真も見せて頂けたら幸いです。



 こちらは一雨欲しいです。    ..ゆゆ    
      2004/08/07(土) 15:37  No.315
 
 
水垣様、皆様、こんにちは!

>吹きみだし野分にあるる朝あけの色こき雲に雨こぼるなり

雲に雨こぼる、という表現が素敵です。和歌でこういう斬新な表現に出会う度、今の私達は知識が邪魔して表現の幅が狭まっている気もしてしまいます。屁理屈ですが(笑)。

紀州の姫様、ご心配ありがとうございます。
私の祖母の家も幸い、大きな被害にあった地域からは外れていて大丈夫でした。
高知は行ったことがありませんが、良い所なのでしょうね。以前、従弟が高知に住んでいまして、ほんとに漫画やドラマの竜馬そっくりの方言で喋るので、とても微笑ましく思ったことがあります(「〜しちょるきに」とか!)。
余談ですが、再来年の大河ドラマは「功名が辻」で、山内一豊とその妻が主人公だそうですよ!高知も賑やかになりそうですね。(ちなみに来年は「義経」です)

むらじ様、水垣様、写真を褒めて頂き、ありがとうございます!実は明日から社員旅行で長崎へ行くので、またたくさん撮るつもりです!



 お帰りなさい>紀州の姫様    ..水垣    
      2004/08/04(水) 22:50  No.314
 
 
ご無事で何よりでした。
台風10号は山間部での被害がひどかったとのこと。被災された皆様にお見舞い申し上げます。
母の故郷は幸い深刻な被害はなかったようです。

と思ったら今度は11号が四国に上陸とか。
今年は梅雨明けにしても台風にしても、例年より季節が急いで進行しているかのようです。

>吹きみだし野分にあるる朝あけの色こき雲に雨こぼるなり(風雅650)

花園院一条の歌ですね。
「野分」は古語では「のわき」でしょうか。ただ、和歌でも「のわけ」「野わけ」などと書かれた例はあり、昔から混用があったように思えます。

お土産有り難うございます。
筆山からの見晴らし、素晴らしいですね。山の上はさぞや爽快だったでしょうが、夏の真っ盛りにこんな高いところまで登られたご苦労が思い遣られました。



 RE:称名寺    ..水垣    
      2004/08/04(水) 22:48  No.313
 
 
庭園は実時の孫金沢貞顕が平泉の毛越寺をモデルにして造営したものなのだそうですね。言われてみればよく似ているなと思いました。

空など少し秋めいてきたような気もしますが、まだまだ暑い日が続くようです。ご自愛下さい。



 野分(のわき)    ..紀州の姫    
      2004/08/04(水) 09:06  No.312
 
 

吹きみだし野分にあるる朝あけの色こき雲に雨こぼるなり(風雅650)

和歌において、野分は“のわけ”ではなく“のわき”ですね。
つい、渡辺淳一の「野分け」を思い出し・・・。(^_^;)

もう一つ、
◇野分 二百十日・二百二十日ころ、稲の開花期に吹く暴風。

とあり、正確には今の時期に“野分”の和歌はどうかな?とも思いましたが、帰り道の四国は、すでに台風による大雨、横風があり、この歌がその風景を思い出させてくれました。



 野分け    ..紀州の姫    
      2004/08/03(火) 08:33  No.311
 
 
水垣さま
高知行きに際し、雅澄の歌

橘の花の香通ふ朝風にさやぐ小鈴の音の涼しさ

をお餞別に頂き有り難う御座いました。
皆様仰る「雅澄の澄んだやさしい心が風と共に伝わってくるよう」で、「詠んだ人の気持ちがスッと胸の中に入ってくるような」歌を心に思い、高知入り致しました。全ての見慣れた景色、空気が、全く違ったものに感じた今年の高知でした。

お土産になにか気の利いたものをと思いましたが、今回は台風10号の影響もありお墓参りのみで、四国上陸前にと早く帰阪致しました。
その直後の、高知、徳島の被害は大変だったようですね。
水垣さま、そしてゆゆ様のお里も徳島ではなかったでしょうか?
如何でしたか?お見舞い申し上げます。

吹きみだし野分にあるる朝あけの色こき雲に雨こぼるなり(風雅650)

では、せめて、山内一豊のお墓のある筆山から見ました高知市内(中央は鏡川)の写真でも・・、お土産にどうぞ!(^^)



 称名寺    ..むらじ    
      2004/08/02(月) 20:02  No.310
 
 
称名寺のお写真、楽しく拝見しました。
小生もいちどだけ、昨年の春先に行ったのですが、
やはりこういうかんじのどんよりとしたお天気で、落着いたたたずまいを感じました。
もっとも、その時分お寺は一部工事中でしたけれど・・・^^ゞ
小生も聊か体調不良です。
きょうは写真のお礼まで、ということで・・・



 RE:御子左為定    ..水垣    
      2004/08/02(月) 01:39  No.309
 
 
『公卿補任』は成立の事情もよく知らないまま利用させてもらっていますが、神武元年から明治元年まで、よくまあ連綿と書き継いで残してくれたものだと思います。
私は史料としてなかなか使いこなせていませんが、丹念に辿れば、色々面白いことが見えてくるのでしょうね。

飛鳥井雅有の母は尊卑分脈には「左少将定忠女」とありますが、公卿補任によれば北条実時女なんですね。
金沢文庫と言えば、昨年の秋、初めて称名寺にお参りして、横浜にもこんな所があったのかと驚きました。眠くて頭が働かないので、写真でお茶を濁します^^ゞ



 「儚い物合わせ」    ..水垣    
      2004/08/02(月) 01:08  No.308
 
 
ゆゆ様、
明日香のそばでお暮らしとは羨ましいことです。
推古天皇陵…と、あやうく信じてしまうところでした。天武・持統天皇陵には何度かお参りしたことがあるので、変だなとは思ったのですが(笑)。
この階段は絵になりますね。ゆゆさんのお写真は殊に構図が良いなと私も思いました。

>空蝉と朝顔の露、儚い物合わせをしているようにも見えて、奥ゆかしいです。

うまい表現ですね。「儚い物合わせ」で思い出しましたが、頓阿と為定の贈答は、もしかすると『公任集』に見える公任と道信の唱和、

   女院にてあさがほを見給ひて
 あすしらぬ露のよにふる人にだに猶はかなしとみゆる朝がほ
   みちのぶの少将
 朝がほを何はかなしと思ふらん人をも花のさこそみるらん

を踏まえているのかなとも思います。



 御子左為定    ..むらじ    
      2004/08/01(日) 22:19  No.307
 
 
たまたま「公卿補任」をひも解きながらデータ作りなどしていたのですが、ちょうど嘉暦年間、御子左為定が権中納言に昇進したあたりを入力していたあたりでひと息ついてこちらにお邪魔したところ…(・・)
なんとタイムリーな。
それにしても、詞の美しさとは裏腹に、じつにひねくった内容の歌なんですねー。
中世の和歌にはありがちというか。
詠んだ本人は衷心から故人のことを偲んで詠んでいるのでしょうけれども・・・

「公卿補任」は貴族の任免を記録しただけの、一見ごく無味乾燥な史料ですが、よくよく見ていくと史料に乏しい当時の人々の半生がおぼろげながらも浮かび上がってくることのある、重宝なものです。
もっとも為定の前半生はほとんど記録が抜け落ちていて、この史料独特な詳密さに欠けるきらいがあるのですが。

為定の外祖父は「千人万首」でも紹介されている飛鳥井雅有。そのまた外祖父は金沢文庫で有名な北条実時なんですね。
そういえばこの為定の死を悼んだ宗良親王のお歌について水垣様とやりとりしたのもこの掲示板でしたっけ。
例によってとりとめのないお話で、すいません。



 みさゝぎ    ..むらじ    
      2004/08/01(日) 22:07  No.306
 
 
↓のゆゆ様のお写真、とても絵心を感じました。
持統天皇陵はずいぶん以前ですが遠望したことがあります。
明日香のあたりはさりげない木立ちすらも歴史を感じさせる、とてもロマンチックな空間ですね。
仕事を持つ身になってしまうと、そんな風景を満喫する機会もまれになってしまいましたが・・・^^ゞ
とりとめもない感想で恐縮です;



 ごめんなさい!間違えました!    ..ゆゆ    
      2004/07/31(土) 11:59  No.305
 
 
すいません、下の写真、推古天皇陵ではありません。
持統天皇陵です!!どちらも女帝様なので混同してしまいました。わ〜私のバカ〜;;推古天皇は大阪やがな!
持統天皇は、明日香で天武天皇と一緒に埋葬されていて、「天武・持統天王陵」と呼ばれています。明日香ののどかな田園風景の中、ご夫婦で静かに眠っているのです。
なんか私、間違いだらけ……。ほんとにすみません〜;;




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