日本全国郷土玩具バーチャルミュージアム:民芸館:山形県篇(2)



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相良(さがら)人形
 京都の伏見人形と仙台の堤人形の影響を受けながらも、独特の土人形を作り上げた相良(さがら)人形は、東北の三大人形の一つに数えられています。
現在は、鯉担ぎ・前帯女郎・像乗り童子など、100種余りが制作されています。
 相良人形は、米沢藩主の上杉鷹山(ようざん)が、財政立直しのため、相良清左衛門厚忠を、陶器製造の技法を学ぶため福島の相馬に行かせました。そして安永7年(1778)成島に陶窯を築き日用品の器を焼かせました。清左衛門は諸芸に通じ、特に彫刻をよくしたので、その特技を活かして、京都の伏見人形の型を学び、堤人形にも影響を受けながら、独自の人形型で土人形を創始して、自らの姓をいれ「相良人形」と呼びました。文化・文政(1804〜30)の頃が最盛期で数々の名品を生んだと言われています。
 昭和18年、一時、廃絶の止むなきに至り、戦後の長い空白期がありました。その後、昭和42年に7代目として、相良隆さんがこの人形を再興しました。
製作者記録:相良隆:米沢市下花沢3-3-64  TEL: 0238-23-8382

笹野一刀彫り
 米沢市の郊外、笹野観音の門前町の集落で「笹野彫り」が売られています。
 もとは1月17日の観音様の縁日に、上杉鷹山公を象徴する「お鷹ぽっぽ」をはじめ、種々の縁起物の「笹野彫り」を売る店が参道に立ち並び、参詣者はそれを求めて帰り神棚へ祀ったものです。
 最近は笹野一刀彫りと呼び、観音前の「笹野民芸館」では、協同組合により制作実演も見せています。
 またこの「笹野彫り」も江戸時代に上杉鷹山が領内の産業奨励として、農民の副業に作らせたのが始まりとせれています。
 なお、「笹野彫り」は、削り掛けの技法といわれる丁寧な削りで、一説には、先住民俗のアイヌの信仰に用いたイナウの遺風が伝えられているとも云われています。
笹野彫協同組合:米沢市南原笹野町5244  TEL: 0238-38-3601
笹野民芸館:米沢市笹野本町5208 TEL: 0238-38-4288

下小菅人形成島人形
 米沢市街から北へ5キロ余り、成島と下小菅の集落で、明治末頃から大正にかけて土人形が焼かれていました。
 研究家の足立孔氏によると、古作の相良人形に混じって、型も絵の具も筆使いも違った一群の土人形を発見し、調査の結果、下小菅の集落で小山田亀蔵氏が作っていることが判明しました。粗いタッチで土俗的なひなびた味わいのある優品だったといわれています。
 その頃、成島の集落でも井上弘章氏により成島人形がつくられていました。農業の片手間に焼かれた人形で、下小菅ほどの独創性はみられませんでした。
◆(註)記事中の制作者の記録は、1995年頃の調査資料ですので、ご了承下さい。

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(1996.08.01掲載/2001.05.23/2002.07.03/改訂)