日本列島・全国郷土玩具の旅

----熊本県篇・第6回(1)---

---- KUMAMOTO(6)-1 ----




九州の「きじ馬」「きじ車」
 きじ馬・きじ車は、九州だけにしか見らない素朴な玩具として知られ、球磨(くま)川と筑後川に挟まれた地域で多く作られてきました。これは呼び方がちがうだけで同じものです。
「きじ馬」「きじ車」の名称は、その土地の人達が呼び習わしている呼びかたで、発生地と分布によって、使い分けられるようになりました。
 この玩具が最初に生まれ阿蘇の山々には、木地師、木こり、焼畑農民などが住み、その人々の間で作られたのが「きじ馬」です。山で木を伐り、木馬(キンマ)に乗せて木馬道を下る作業風景は、二輪車の「きじ馬遊び」とよく似ており、おそらく、そのことからついた名称と思われます。
 きじ馬も山の子供達の遊びから、里の子供の遊び道具へと移っていき、やがて市(いち)で売られるようになると、彩色した小型で持ち帰りやすいものが喜ばれるようになります。
 この商品化と同時に、「木地」と「雉子(きじ)」の二つの意味が生じたと思われます。
 市(いち)での会話は文字でなく言葉、声での表現なので、「きじ」をそれぞれのイメージに合わせて理解したからで、いまでも「木地」か「雉子(きじ)」かは、あいまいなままで伝えられています。
 また「きじ馬」「きじ車」の呼び名は、山中の斜面遊びに便利であった二輪車はきじ馬と呼ばれましたが、里の平坦な場所での遊びのため四輪車へと変化して、馬からきじ車へと呼び代えられていきました。きじ車と呼ぶ地域が、有明海沿岸の平野部に多いのは、こういった理由からだろうと考えられています。



湯前のきじ馬
 人吉と湯山の間の山間の集落では、かっては各所できじ馬が作られいましたが、いまはほとんどが廃絶しています。
 そんな中で、湯前町の浅鹿野の集落で、きじ馬作りは2代目の沢田草幸さんが制作しています。
 ナタの跡の残る素朴な作品で、彩色も簡略化され、自然木のくせをそのまま生かして、どれ一つ同じ形のものがなく変化に富んでいます。
 掲載のものは、初代、小三郎さん(故人)と息子の草幸さん、両方の作品です。
 製作者:沢田草幸:球磨郡湯前町浅ケ野5358..TEL: 0966-43-3648

多良木のきじ馬
現在は、作られていない作品です。
左の大型のものは、多良木(たらき)町の久米で、故、源嶋斎(げじまひとし)氏が作っていた作品。
右のものは、斎藤友安氏の作で、瑞鳥といわれる雉子のイメージで彩色され、誕生祝いや新築祝いに贈られたそうです。

荒尾のきじ馬
 県の北部の多くの地方では、「きじ馬」「雉子(きじ)車」が作られてきました。その多くが廃絶しています。
 この地方の、本業ではありませんが趣味的に制作されている、荒尾市の松田さんの作品を掲載しました。
 製作者:松田一昭:荒尾市原万田町300-1


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(1999.10.17掲載)