日本列島・全国郷土玩具の旅

----熊本県篇・第5回----

---- KUMAMOTO(5) ----



ウンスンかるた■(ルールは県指定重要無形文化財)
 人吉には、ウンスンかるたという珍しい遊び道具があります。「太陽の家」というかるた道場の鶴上寛治さんが、日本でただ一ケ所、この人吉に伝承されてきただけに絶やしてはいけないと、かるたと共にそのルールの保存(県指定重要無形文化財)につとめていられます。
 ウンスンとはかるたの絵札のことですが、ウンは四福神(恵比寿、大黒、福緑壽、布袋)とだるま、スンは唐人が棍棒、剣、聖杯、貨幣、巴紋ヲ持っている図のカードのことです。全種類は75枚が1組で、8人が4人ずつに別れて対戦します。ルールは複雑でむずかしいものです。
【歴史】:ウンスンかるたは、16世紀半ば、ポルトガルの船員により、日本に伝えられた南蛮かるたが源流です。その後、日本人の手で一部修正されて「天正カルタ」となり、さらに元禄の終りか宝永の初め頃に改良されされて、「ウンスンかるた」となりました。
 このかるたは三池貞次という人が作り、たいへん流行しますが、寛政の改革(1789)で一切の遊興、売買が禁止されました。しかし、全国的に弾圧されて姿を消したウンスンかるたですが、密かに人吉だけに伝えられてきました。
伝承者:鶴上寛治「太陽の家」:人吉市西間上町2593..TEL: 0966-24-7597




大畑(おこば)の諸玩具
 大畑(おこば)は人吉市の一部ですが市街からは南の交通の不便な山間の集落です。(肥後線・大畑駅下車、東1.5キロ。人吉市内バスセンターよりバスもでています)
 ここでは旧暦2月10日に、小規模ながら「春の市」が開かれ、なつかしい玩具の復活がみられます。これらの玩具は、いまは人吉では見られなくなった木製の玩具を、老人会の手で復活されたものです。
「弾き猿」:全国各地で、かろうじて見られるものと同じ型のもの。
「担い猿」:一般には、野次ろ野次郎兵衛といわれているものと同型。中心は猿の顔をした木片。
「跳ね猿」:U字形に曲げられた竹の両先端に張られた糸が、猿の手に通されています。その糸をゆるめたり張ったりすると、機械体操のように猿が踊る仕掛けです。
■人吉周辺の集落に「しゅんなめじょ」や「餅担い猿」などがあります。これが、郷土玩具にふさわしいかという議論もありますが、早くから球磨(くま)地方の玩具として紹介されてきたものです。
 このへんの農家で小正月に豊作を祈る習俗として作られてきましたが、いまではほとんどの家でも見られず、球磨郡の中でも1、2軒にすぎないといわれています。
しゅんなめじょ:しゅん=春、なめ=男女、じょ=愛称の接尾語だということです。
 この地方では、1月14日を小年(こどし)といい、この日、昼間に山からコーカの木(ねむの木)を切って来ます。その夜は家族揃って、3センチ位に切った木を頭にして胴串をつけ、紙の着物を着せて「しゅんなめじょ」を作ります。この「しゅんなめじょ」は、翌日の1月15日には土間に積んだ米俵の上に立てて、まつられます。
「餅担い猿(もちににゃーざる)」「あわんぼ(粟穂)」も一緒に作られます。
 今ではほとんど見られることのない習俗なので、やがて記録として残るだけになるかとも思われます。

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(1999.10.10掲載)