日本全国郷土玩具バーチャルミュージアム:民芸館 :熊本県篇・第2回(2):KUMAMOTO(2)-2


天草の諸玩具■(下図上段)
 天草の大矢野島の水野清一さんが、これらの作品を作っています。
 「登立天満宮のうそ」の方は、長男の統一郎さんが後を継いで製作しています。
◇登立(のぼりたて)天満宮のうそ◇
 登立天満宮の「うそ替えの神事」は毎年7月24日の夜に行われます。
 丸木のうそは、以前は素材に、樹皮をはぐと木地が白い白膠木(ぬるで)が使われいましたが、かぶれる人があるというので、今は柳の木が使われています。
 他に類例のない珍しい「板うそ」があり、長さ10センチ、幅4センチ位の板で、鳥(鷽)の形に切り抜かれたものです。
◇獅子頭(木彫)◇
 水野さんの作る「獅子頭」は注文製作で、高さ・幅・長さがほぼ同じ形で、20センチから8センチ位までが作られています。水野清一さんはすでにご高齢で、この作品はあまり作れないようです。
 形は、京都製の獅子頭を真似たといわれ、全体が丸い球体を彫り込んだ感じの頭(かしら)で、楠の一刀彫りです。天満宮にあった古い京都製の獅子頭を手本にして、完成されたということです。
◇牛深の木彫人形◇
 水野さんが昭和62年度県芸術功労者に選ばれた時、昔の記憶をもとに、記念に製作して関係者に配ったのが好評で、注文にも応じたのがこの人形です。
 人形の形は、大きな二枚貝の上に、褌(ふんどし)一つで裸の男が腰をかけている姿です。その「ふんどし」を下の貝にはさまれ、男は力いっぱい褌を引っぱるが、貝は放してくれません。
 昔は天草の南端の牛深は漁港の町で、遊廓もあり、戒めや寓意がこめられた風俗人形とも考えられています。
 製作者:水野清一・水野統一郎:天草郡大矢野町登立14-60..TEL: 0964-56-0736





天草人形(廃絶)■
 天草の下島には、天草の土人形がありました。地元では「ドロ人形」と呼ばれていました。なかでも山姥(やまんば)と金時(子供に乳房をふくませている女性)は、隠れキリシタンに信仰されていたといわれる人形です。
 天草土人形の創始は享保2年(1717)初代・広田和平が、本町の東向寺参道で茶店を開き、そのかたわら仏像などを作り、それからいろいろな土人形を作るようになったのが始まりといわれています。この土人形は、広田家で7代に渡り製作されてきましたが、戦後に転業され、廃絶しました。

一間羽子板(廃絶)■
 かって宇土市の隣町、八代市の「大岡玩具店」ではこんな大きな羽子板を作っていました。
 文字通り一間(6尺=約1.8メートル)の長さ、幅一尺(約30センチ)の大羽子板です。厚さ1センチ余りの木製で、中央には三番叟を舞っている押し絵があります。掲載の左のものは、倉庫に残っていたもので、エナメル塗り、押し絵がないので未完成と思われます。
 この羽子板はかっての八代地方にのみ見られる風習で、女の子が生まれた家の初正月には、この羽子板が親族知己から贈られました。贈られた家では大切に保存しておき、娘が大きくなった頃、この板で針箱や下駄箱を作り、嫁入道具にして持たせたといいます。



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(1999.8.8掲載)