日本列島・全国郷土玩具の旅

----福岡県篇・第6回----

---- FUKUOKA(6) ----




赤坂土人形
 筑後市で「赤坂人形」が作られていますが、この人形は3代にわたって飴屋の「赤坂飴本舗」が作ってきました。現在は野口紘一さんが 3代目を継いで製作されています。店内には種々の飴とともに「赤坂人形」が並んでいます。
 この人形の彩色は、かっては白陶土に小麦粉を混ぜたもので白着色して乾燥させ、食用の染料で色つけしていたため、色の種類も赤や緑が多く、わずかに黄や茶色が使われる程度でした。
 現在は胡粉で下地を塗り彩色されていますが、昔の手法を残して色数の少ない淡彩で無造作に描かれ、昔の「赤坂人形」の雰囲気を伝えています。(掲載の作品は新しいもの以外は、色が褪せて変色しています)
 この人形はあまり世に知られず、その存在が郷土玩具の研究者やマニアに知られるようになったのは、昭和8年でした。久留米の小野正男氏がこの家を訪れ、箱の中からいままでみたことのない土人形を見つけます。「八女郡羽犬塚に程近い赤坂というところで、飴やさんが飴作りの片手間に作っている」「こんなすぐれた土人形がうずもれていた」ということで、世の中に知られるようになりました。
 「歴史」:製作の始まりは年代不明ですが、この地方は江戸中期から久留米藩の御用窯があり、茶器や酒器の窯元が多く、幕末の頃に、職人たちが余技に「土人形」を作ったのが始まりといわれています。

製作者:野口紘一:筑後市蔵数町563..TEL: 0942-52-4217




吉井土偶の浄瑠璃人形■
 「吉井土偶」は、吉井人形浄瑠璃の頭(かしら)で、弁慶・義経・五郎・十郎の4種があり、土製の「でこ」です。
 人形の「由来書」には、文政5年に始められた小畑座の人形浄瑠璃に使われた木偶人形を原形にしたものと記されています。
 作者は次の雉子車と同じ金子さんです。
吉井の雉子車
 大分の県境に近い吉井町で作られています。
 金子文夫さんが、この雉子車を作り始めてから30年以上たちますが、最初は郷土玩具研究家の境忠二郎氏らが太宰府の土産店で見つけ、「おもちゃ」43号(昭和36年刊)で発表してから知られようになりました。
 吉井町では大正から昭和初期に、若宮八幡宮の祭礼に雉子車や獅子頭が露店で売られていましたが、その後、廃絶していました。戦後、金子さんがそれを惜しみ、30年ぶりに復活させたのが今日の雉子車です。
 金子さんは、雉子車を作り始めた頃は地元の浮羽高校の先生でした。退職後、同町の観光協会長や文化財保護指導委員なども勤められ、郷土玩具玩具作者としては異色の経歴のの持ち主です。(1993年資料の時点で同氏は80才以上の高齢です)

(雉子車・吉井土偶)製作者:金子文夫:浮羽郡吉井町新治530..TEL: 09437-5-3431
清水寺のきじ車
 九州の中部から北部にかけて「きじ馬(車)」が作られていましたが、その代表ともいえるものが「清水寺のきじ車」です。一般的には「きじ馬」と呼びますが、清水寺の場合は「きじ車」といいます。
 現在の作者は、重富秀男さんと村上一三さんです。
 重富さんは、本吉(もとよし)の門前町から入った参道の千体仏前の茶店で製作しています。
 村上さんは、桜の名所、清水公園の茶店で作っています。昭和50年頃から作りはじめた人で、全長1メートル以上もある大きな作品が店に飾ってあります。
 また、この製作専門者だけではなく、本吉では林業や農業のかたわら、趣味的に製作される人もいるとのことです。
 戦前から作られていたきじ車は、(鞍の付いている)雄の形だけでしたが、昭和30年頃から雌の形が作られ、現在は雌雄一対が箱に納まっています。雌の形は鞍がなくて、その位置が反対に削り込まれています。
 由来:「創始については、天保年間(1830〜44)、清水寺の住職・二十五世隆安法印が、門前に住む井上嘉平次お指導して作らせたのが最初という説を、昭和初期に地元の小学校長であった、間々田清吉氏が発表し、これが郷土玩具誌に引用されていた創始の時期であった。
 ところが、戦後、彌永泰正氏が、雌の雉子車の図を「耽奇漫録(たんきまんろく)西原本」に発見した。柳川伝習館高校に収蔵されているこの書物は、文政7年から8年(1824〜25)に書かれたもので、先の井上嘉平次説から5、6年またはそれ以上さかのぼることになるが、いずれにしろ大へん古くから作られいたことになる。(畑野栄三著「きじうま聞書」より)

製作者:重富秀男:山門郡瀬高町本吉1118..TEL: 0944-62-3723
製作者:村上一三:山門郡瀬高町本吉 竹屋内18..TEL: 0944-62-5028

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(1999.6.20掲載)