埼玉県篇(3)ー2

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■天王山竹寺■:蘇民将来授与の天王山竹寺は、奥武蔵のハイキングコースにありますが、交通不便な場所で、徒歩かマイカーで行くことになります。神仏分離以前のまま、いまも「鳥居のある寺」としてしられています。

■日吉神社の猿■:この猿の霊験は、病気の子供の悪い所と同じ個所に針を刺し、神棚に供えてお祈りをすると、「病気がさる」といわれています。

■将軍標■日高市の高麗(こま)神社で出世開運、厄除魔除の護符として授与されています。
この地方一帯は奈良朝の頃、高麗人が集団で移住、開拓した土地で、高麗の文化が名残をとどめていなます。この玩具も各集落の入り口に悪魔退散を願って建てられた、守護神の長生(チャンスン)標 を模した木彫品です。2本一対になっています。


■丸木彫人形■:戦前からの郷土玩具ですが、美楽堂の大河原さんのみが制作していて、あまり知られていない物です。
阿羅漢像は天覧山南麓の武陽山能仁寺の十六羅漢像を象ったものです。
外道は(ここに掲載できなっかた獅子舞とともに)、市内の諏訪八幡神社の秋祭で、飯能囃子に合わせて舞う人気者の外道踊の姿を刻んだ人形です。


■秩父神社の山車■ :12月2〜3日の有名な 秩父神社の夜祭に曳く山車をミニチュア化したものです。

■おきぬさん、または、おきよさん■:県内の中部から北部にかけて、養蚕の信仰品として作られていた姉様人形ですが、戦前すでに廃絶しました。
戦前のこの地方は養蚕が盛んで、毎年4月から5月にかけて、春蚕(はるご)の掃き立ての時期をむかえます。その頃、隣村から厨子に入った「おきぬさん」が宿(村の世話人の家)に廻って来ます。
各農家はそのおきぬさんの一体を借り受け、菓子箱に納めて台所などの身近なところでおまつりします。そうすれば、豊蚕はもとより、なんでも願い事をきいてくれるという重宝な神様でした。
翌年の春には、もう一体同じ様な人形を作り、それと一緒にして宿に返し、新しい一体を借り受けておまつりします。
特にご利益にめぐまれた家では、昨年借りた「おきぬさん」に新しい着物を着せて、給料と食い扶持(お金とお米)をそえてお返しをしました。
このように、おきぬさんは信仰の対象として家々で作られていた人形でしたが、戦争と養蚕の減少と共に、この素朴な信仰も廃れ、おきぬさんも消えていきました。





埼玉県篇(3)ー2・おわり

(1997.6.9掲載)


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