■扇ねぶた■
ねぶた祭りの華麗な大きな「扇灯籠」をかたどって作ったのが、この灯玩具の「扇ねぶた」です。
いつ頃から作り始められたのか分からないが、戦前からあったそうです。本物の扇灯籠をミニチュア化したもので、ヒバ材で木組して和紙を貼った扇面に、三国史にちなんだ絵が描かれています。
製作者記録:大瀬勝弘:弘前市城東中央5-1-6 TEL: 0172-28-0368
■津軽凧■
この凧も、弘前で作られています。凧絵はねぶた祭りの扇灯籠のねぶた絵を写したもので、この地方独特のムードを持ったものです。
もう一つの特徴は、凧の骨に竹ではなくヒバ材が使用されていることです。本州の北緯40度くらいから北は竹がほとんど育たないため、昔から凧の骨にはヒバの木を薄く削ったものが使われてきました。
扇ねぶたの大瀬勝弘さんも製作していますが、制作者は次ぎの方々がいます。
製作者記録:成田翔風(弘前凧の会顧問):弘前市豊原2-14-3 Tel:0172-34-6886
製作者記録:中野敬造:弘前市和徳町197 Tel:0172-32-7033
製作者記録:丹代作一:120 Tel:0172-44-4405
製作者記録:安田ひろし:西津軽郡木造町字鶴泊21 Tel:0173-42-2384
■弘前馬コ■(廃絶)
弘前市内の和徳町で古くから作られてきた「和徳の木馬」が、「弘前馬コ」です。
大平洋戦争で途絶えていたのを、昭和24年に宮川勉さん(弘前市野田町)の手により復活、昔と変わらぬ形と色をと、ノミ一丁でコツコツと彫り続けてこられました。残念なことに、宮川勉さんは平成6年、75才で他界され、現在は作られていません。
【由来】 この馬は本来「黒石木馬」といわれ、神社に奉納する神馬(しんめ)玩具でした。江戸末期、黒石市の職人・盛(もり)市右衛門が作ったのが始まりで、明治の中頃に市右衛門の弟子の太田徳太郎が和徳町で復興させました。最初は足に車が付いていて、子供を乗せて引いて遊べるほどの大きなものであったといいます。
■津軽ずぐり独楽■
次ページ掲載の「こけし」の工人達は、こけしの製作のほかにも「津軽ずぐり独楽」も挽いています。
これは、この地方独特の挽き物細工で、擂り鉢型ををした独楽のなかに独楽があるという二重や三重の独楽で、内側のくぼんだ部分に美しい模様が描かれています。
◆(註)記事中の制作者の記録は、1995年頃の調査資料ですので、ご了承下さい。
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