季刊かすてら・2006年冬の号

◆目次◆

奇妙倶楽部
軽挙妄動手帳
編集後記

『奇妙倶楽部』

●人形の家●

「芸術表現というのは進化の一種だと思うんだ」
 と、弟の草(そう)ちゃんは言った。私には何の事やら判らなかった。昔から草ちゃんは聡明で私は暗愚な姉だった。草ちゃんとは六つ歳が離れている。六歳ともなればかなりはっきりした記憶があっても良い歳だが草ちゃんが生まれた時の事はほとんど覚えていない。幼い頃の事を克明に覚えている人も居るが私は駄目だ。頭が悪い上に物忘れが良い。中学生の頃の事も余り思い出せない。ただ両親の愛情が奪われたように感じて激しく嫉妬した朧げな記憶がある。しかし、そんな嫉妬はごく僅かの事であったらしい。これも自分の記憶ではなく両親に聞いた事だが私はすぐに草ちゃんを溺愛したという。記憶がはっきりしてくるのは私が高校に入った辺りからだ。私は草ちゃんを可愛がり続けていた。私は体が大きく体力もあったので運動部からの誘いも多かったのだが、早く家に帰って草ちゃんの顔を見たかったので部活動はしなかった。草ちゃんは醜くも滑稽でもなかったが可愛い顔立ちの子供でもなかった。一言で言えば容姿は凡庸であった。表情や仕種が愛らしいという事もなかった。内気というのではなかったが人間嫌いの所があり干渉される事を嫌い気難しい印象があった。そのため、年齢不相応な聡明さが却って災いして大人たちから見ると小賢しい生意気な感じがするらしかった。決して陰気ではなく冗談や笑い話は大好きなのだが、その事もまた子供らしくない皮肉な性格と取られがちだった。賢い草ちゃんはブラックユーモアも良く解したのである。家で勉強する訳でも塾に行く訳でもなく、勿論私は勉強を教えられる様な姉ではなかったが、草ちゃんの学校の成績は中の上から上の下辺りで安定していた。学校生活で殊更問題を起こす訳でもなかったにも拘らず草ちゃんは教師たちからも嫌われ、通知表に「社交性の欠如」などと書かれて両親を心配させた。両親を含め大人たちの誰からも可愛げがないと評された草ちゃんだが私は可愛くて仕方がなかった。毎日授業が終わると私は急いで家に帰った。本当は授業などさぼって帰りたい様な気持ちだったが、草ちゃんの居ない家に帰っても仕方がないので学校で時間を潰していた。ところが家に帰っても草ちゃんがなかなか帰って来ないという事がしばしばあった。草ちゃんは人間嫌いだったが鳥や魚、虫などの小動物は大好きで、学校の帰りにそれらを追って道草を食っていたのだ。私たちの家は東京の郊外にあったから近くに田畑や雑木林は沢山あり、かなり大きな川も流れていた。お母さんは専業主婦ではなく、お父さんの経営する小さな工場を手伝っており、いつも帰って来るのは夕方だ。草ちゃんの帰りが遅い時、私は家で一人で帰りを待った。雑誌など捲るのだがほとんど頭に入らない。家の外で物音がする度に草ちゃんかしらと思って注意をそちらに向け、違うと判ってがっかりする事を繰り返した。私は草ちゃんを叱る事はほとんどなかったが、そんな日はちょっと厳しい声を出した。
「何処に行っていたのよ。心配するじゃないの」
 本当は心配していたのではない。寂しかったのだ。草ちゃんは子供らしくない洞察力で私の気持ちを見透かしていたのだと思う。そんな時には、ばつが悪そうに微笑んで「ごめんね」と言った。単純な私はその笑顔を見るとすっかり機嫌が良くなって、お八つなど出してやるのだった。そんな事が何度となくあったが草ちゃんの道草癖は治らず私を寂しがらせた。悪気ある訳ではなく賢いと言っても子供で、夢中になると時の経つのを忘れてしまうのだろうと頭では判るのだが、寂しい事に変わりはなかった。草ちゃんが帰って来ると、二人でお絵描き、折り紙、粘土細工などで遊んだ。お母さんが帰って来て夕飯の支度ができるまで二人で遊び続けた。子供向けの本や雑誌を見ながら怪獣やロボットを描いたり作ったりした。別に草ちゃんに調子を合わせている訳ではなく、私もぐにゃぐにゃした少女漫画の様な物より御伽話(ファンタジー)や冒険活劇が好きだった。技術者の子供であるためか、私も草ちゃんも手先が器用だった。私は絵や写真の通りの物を描いたり作ったりしようとし、粘土では本に描かれていない裏側がどうなっているか見当が付かずに制作を断念する事もあった。しかし草ちゃんは独創的な怪獣を作り出した。子供が作る幼稚で未熟な造形ではなく、どうかするとテレビや映画に出て来る既存の怪獣などより魅力的だった。怪獣や妖怪の多くがそうであるように、草ちゃんの作り出す物も、実在するさまざまな生物や道具類、既存の怪獣などを分解し継ぎ合わせて作られていた。妙な所から頭や手足が生えていたりしたが、考えなしに無闇矢鱈とくっつけた物の不均衡さや雑駁さはなく、何とはない全体の統一感や構成感があるのだった。小動物の観察から来る物か、奇怪な姿をしているにも拘らず活き活きとしていて、今にも動き出しそうな現実感(リアリティ)があった。その姿は奇怪であり、牙や角を生やした顔は恐ろしくもあるが、何処か大らかな滑稽味もあった。野蛮な攻撃性は確かにあるのだが、それは破壊的否定的な物ではなく、この世に生まれ出て来た事への喜びが活力となって溢れ出している感じがするのだった。草ちゃんの作った怪獣たちは、今ここにこうしてある事の嬉しさに今にも飛び跳ねて踊り出しそうに見えた。怪獣たちの表情に憂いは微塵も感じられなかったが、それらを見ている私は心の何処かで何やら切ない様な気分も感じた。野蛮だが寛容で大らかな弾け出すような躍動感にわくわくもしているのだが、同時に、永遠に失われてしまった素晴らしい物を思い出した時のような物悲しい気分も涌いて来るのだった。当時小学生だった草ちゃんに懐かしさなどという感情が理解できたとは思えないのだが、それは郷愁に酷似した情緒だった。怪獣たちはその時産み出されたばかりのはずなのに私には懐かしくて涙が出そうになるのだった。私の弟は天才だ。そう思った。片付けの時間になると草ちゃんは惜しげもなく粘土作品を潰してしまうが、私はそれがもったいなくて、お父さんのカメラを借りて写真に撮った。当時は未だ高級品だった高画質のデジタルカメラをお父さんは持っていた。カメラは高級品でも、撮った画像をフロッピーディスクに保存しておけたのでランニングコストは殆どかからなかった。私は完成品ばかりでなく制作課程なども撮影した。折り紙や絵も放っておくと捨ててしまうので全て私が保存した。いつしか私は自分の作品は作らずに草ちゃんの作品を撮影するばかりになっていた。私は草ちゃんのファン第一号だった。高校三年間はそんな風にべったり草ちゃんに付き纏って過ごした。休日は文字どおり朝から晩まで一緒である。傍に居るだけなら煩がらなかったが、草ちゃんは干渉される事を嫌うので私が後を付いて歩いた。夏休みは楽園である。一日中二人で外を駆け回り、虫や蛙や魚を追い掛け回した。私は草ちゃんの助手と化し、求めに応じて小動物の写真を撮るのだった。夏休み明け、級友たちが海外旅行やテーマパークの話をするのを聞いても少しも羨ましくなかった。芸能人にも恋愛にも興味がなかった。草ちゃんと彼の作品以外の物は目に入らなかった。級友たちと共通の話題は少なく親しい友達もできなかったが、それを寂しいとも思わなかった。私たちは変わり者の姉弟と評されたが、姉弟仲の良いのが変わり者ならそれで一向に構わなかった。
 進学する気は最初からなかった。勉強はできなかったし好きでもなかった。残業や休日出勤が少なければ給与や仕事内容は問わないという投げ遣りな求職が功を奏したのか、不況にも拘らず私は三年の秋には早々と内定を得た。その後は暇だったので、受験勉強に追い込みをかける進学組を尻目に教習所に通って運転免許を取ったりした。就職してみると一般事務とは名ばかりの雑用全般で給料も安かったが、希望通り残業は少なかった。私が高校を卒業し就職するのと入れ替わりに草ちゃんは中学に入ったが、その頃から草ちゃんは私とお風呂に入るのを嫌がる様になり、私はそれを悲しんだ。悲しい事はまだあった。草ちゃんと一緒に居たくて残業のない仕事を選んだのに、中学に入ると草ちゃんの帰りが遅くなった。草ちゃんは美術部に入ったのである。草ちゃんは木彫りの彫刻を始め、やがて関節の動く人形を作るようになった。相変わらず怪獣も作っていたが人間の女性の姿をした物が多くなっていた。関節の動く手作りの人形というと球体関節を使った物が多いが、草ちゃんは関節をボルトで留めていた。中性的な美しい顔立ちの人形なのだが、隠しネジにせず関節からボルトやナットが飛び出しているので、フランケンシュタインの怪物の様な奇怪な印象だった。体付きはしなやかで膚は肌理細かく、その顔は端正で繊細に仕上げられていたが、繊細な物にありがちな脆弱さは感じられず、芯の通った凛とした力強さがあった。表情には厳しさや激しさもあったが、その底には懐深い母性の様な物があった。怪獣たちにあった滑稽味は影を潜めてしまったが、野蛮とも言うべき素朴な活力感は暖かい包容力を加えて残っていた。そして懐かしさに良く似た物悲しい印象も。何と言うか、その人形は誰かの姿を写し取った物で、慕わしくて仕方がないのに本物の彼女には決して出会えない事が判っている様な感じ、とでも言えば良いだろうか。陳腐な表現だが、正に胸の奥がきゅんと締め付けられる様なのだ。草ちゃんは完成した物は持ち帰って見せてくれたが、制作は部室である学校の美術室で行っていたので以前の様に制作課程が撮影できなかった。そんな事よりも草ちゃんが家に居ない事の方が寂しかったのだが。草ちゃんは土曜日になると学校から制作中の人形と道具を持ち帰り(当時の学校は土曜日も授業があった)、日曜日は家で作業をした。別に私のためにそうしたのではなく、顧問の先生が余り熱心ではなく、休日は部室を開けてくれないためらしかったが、私は嬉しかった。日曜日は私も休みだったから、一日中草ちゃんの傍で作業を見たり、撮影したりしていた。草ちゃんは私の事は全く気にせずに人形を作った。作業に没頭している時は本当に私の存在を忘れていたかも知れない。
 草ちゃんが消えるのはそんな時だ。
 ほんの一瞬、文字通り瞬きするほどの間、草ちゃんの姿は消える事があった。何時それが始まったのかは例によって思い出せない。はっきり意識したのは草ちゃんが中学に入ってからだ。気付かない事もあっただろうから、どのくらいの頻度でそれが起こるのかは良く判らない。気付いた範囲で言えば、それは起こらない日の方が多い。それは草ちゃんが人形作りに夢中になっている時に限って起きるが、没入していれば必ず起きるという物ではなく、寧ろ何も起きない日の方が多い様だった。繰り返すが、ほんの一瞬の事であり見逃している事もあるだろうから正確な事は判らない。気付いた所では、二三日に一度、つまり一週間か二週間おきの日曜日に起きていた様に思う。家以外の、学校などでの作業中にそれが起きていたかどうか、人形作り以外の、例えば虫を追う事に熱中している時にも起きたかどうかは判らない。最初は見間違いだと思っていた。しかしある時、自分が撮影した写真の中に草ちゃんの姿がない一枚を発見して私は悲鳴を上げたのだった。衣服や手にした人形の部品、刃物などと共に草ちゃんの姿が消え、散らかさない様に新聞を広げた草ちゃんの部屋だけが写っていたのである。前後に撮った写真には写っているのに、その一枚だけ草ちゃんは消えていた。それとなくその時の事を聞いてみたりしたが、本人は全く気付いていない様だった。熱中している時、草ちゃんは雷が鳴っても気付かないから当然かも知れない。思い悩んだ挙句、私は誰にも言わず何もしない事に決めた。どうすれば良いか判らず、相談する人も思い付かなかったからである。噂になって変な目で見られるのも嫌だった。ただでさえおかしな姉弟だと思われているのである。不安は勿論あったが、時折消える以外草ちゃんにおかしな所はなく健康だった。私は段々それを気にしなくなり、希に草ちゃんの消えた写真があるとその画像は消去した。
 高校生の時は全く家事を手伝わなかったが、就職すると私はよく夕飯の支度をする様になり、掃除や洗濯も手伝った。仕事の後、草ちゃんの居ない時間を持て余していたためでもあったが、お母さんの帰りが遅い日が増えていた。両親は何も言わなかったが工場の経営が上手くいっていないらしい事に私は気付いていた。頭は悪いが勘は良いのである。私にできる事は家事を手伝うくらいしかなかったが。
 中学校が夏休みになると、私は高校の頃の様に家に飛んで帰った。家に草ちゃんが居るからだ。八月に入ると有給休暇を全部使って二週間ほど夏休みを取った。どうせ私でなければできない仕事など一つもなかった。その間私は何処にも行かずずっと草ちゃんに纏わり付いて過ごした。人形を作っている時、やはり二三日に一度、草ちゃんは一瞬消えたが、もう気にしない事にした。人形を作る他、池で捕まえて来た目高を繁殖させたり、お玉杓子に手足が生えるのを観察したりした。以前は私が過保護にするので草ちゃんが自立できないのではないかと心配していた母もこの頃には、草ちゃんの方がずっとしっかりしていて弟離れできていないのは私の方だと気付いていた。何処かへ遊びに行ったらどうだとか恋人はできないのかとか時折私に言う様になったが、それほど口煩くはなかった。工場の経営難は深刻でそちらが心配らしかった。草ちゃんの夏休みが終わると私は意気消沈した。しょげ返り、誰も居ない夕方の家で一人溜め息を吐いたりした。草ちゃんが帰ってくると「寂しかったよう」と叫んで玄関先で抱き付いて閉口させたりした。
「酔っぱらってんのか姉ちゃん」
「だって草ちゃんが居ないとつまらないんだもの」
 哀れと思ったのであろう。夏休みが終わって一ヵ月ほど後、学校から帰って来た草ちゃんは身長六十センチほどの大きな女性の人形を私の胸に押し付けた。
「名前はポーだ。姉ちゃんにやる」
 例によって裸の関節からネジの頭が飛び出している。卵形の輪郭に切れ長の美しい目をしていた。長い黒髪の前髪を眉の辺りで切り揃えていたが、きりっと引き締まった表情をしているので童女の様な印象はない。微かに青味がかった透明感のある黒い瞳は、草ちゃんが七宝焼きで作った眼球を顔の裏側から眼窩に嵌め込んだ物だ。何やら自分の内面の奥深くを覗き込んでいる様で底が知れず、私には少し恐ろしかったが、勿論そんな事は草ちゃんには言わなかった。
「ありがとう。すらっとしているけどおっぱいが大きいわ」
「色っぽいだろ」
 張りのある大きな乳房は母性を表したのだろうが、私にはその包み込む感じが、飲み込まれそうな恐ろしさと感じられた。私はポーを自分の部屋の箪笥の上に座らせた。その夜、胸苦しい夢から目覚めるとポーと目が合った。吸い込まれる、と思うよりも先にベッドから飛び出していた。草ちゃんの部屋の扉を叩いた。草ちゃんは眠そうな目で扉を開いた。私の目は恐怖で見開かれ血走っていたと思う。
「今夜、草ちゃんの部屋に泊めてちょうだい」
「何だ。怖い夢でも見たか」
「それがそのう…」
 私は口籠った。草ちゃんは笑った。
「ははあ。ポーが怖いんだな」
 私は体を小さくした。
「ごめんなさい」
 謝らなくて良いさ、と言いながら草ちゃんは部屋に入れてくれた。
「怖がらせようと思って作った訳じゃないけど、神秘を感じてくれたんなら成功だ。人形は元々神秘的存在なんだ。何でもない百貨店のマネキンでも神秘的な感じがする事あるだろう。クラスの女の子にも、雛人形が飾ってある部屋には怖くて夜は入れないという奴が居るよ。そいつは俺の人形には絶対近付かない。俺の人形はそういう神秘性を強調しているからだ」
 私は頷いた。
「草ちゃんのお人形、何だか懐かしい感じがするわよね。見ていると悲しくなってくる」
 草ちゃんは意外そうな顔をした。
「姉ちゃん、判るのか」
「うん。胸が締め付けられてきゅんとする。さっきは怖過ぎて良く判らなかったけど、ポーはそれが強過ぎるんだわ。懐かし過ぎて、悲し過ぎて心が壊れちゃいそうな気になる」
「俺は『いのり』って呼んでる」
「お祈り?」
「宗教的な意味の祈祷じゃない。適当な名前がないんで仮にそう呼んでるだけだ。それはロマンチックとノスタルジックとエキゾチックを合わせた様な感情だ。ノスタルジックは良く見知った物への憧れでエキゾチックは見知らぬ物への憧れだから理屈では両立しないけど、俺は両方合わせた様な感じを表そうとしているんだ。おかしな言い方だけど、存在しない国への焦がれる懐かしさ、というのが今の所一番近い感じ」
「私、馬鹿だから草ちゃんの言ってる事は良く判らないけど、草ちゃんのお人形を見ていると初めて見るのに懐かしくて胸が潰れそうになるあの感じを言ってるんでしょう」
「そう。姉ちゃんは馬鹿じゃないよ。言葉で言おうとするとどうしても曖昧になるんだ。『憧れる対象を持たない、純粋な憧れそれ自体』とか、言い方はいろいろ考えるんだけどぴたっと来ない。心理学で言う欠落感にも似ている感じがする。自分には何かが欠けているような気がして探し回るんだけど見付からない。実際には欠けている物があるんじゃなくて『欠けている感じ』だけがある。そんなもやもやした言い方しかできない。まあ、言葉で明確に表せるんなら人形なんか作る必要はないんだけど。姉ちゃんが言う通り、あの情緒に身を浸す事だけが正しいいのりなんだろう。中国の混沌という神様を知っているか」
 私は首を左右に振った。
「無秩序を表す混沌という言葉の元になった神だ。荘子の寓話では混沌は目も鼻もないのっぺら坊だったが、人間が親切の積りで目鼻を付けてやったら死んでしまった。いのりもそういう物じゃないかな。曖昧である事が重要で、輪郭がはっきりしてしまうとその本質が失われてしまう。…芸術表現というのは進化の一種だと思うんだ」
 その言葉は私には唐突に思われた。それまでの話の流れと進化がどう繋がるのか判らなかった。しかし私は黙って先を促した。
「進むという字を使うから進化には何か行く先があるように勘違いする事も多いけど、新化の素になる突然変異というのは何処かへ向かって行く様な物ではなく、無方向に、闇雲に多様になろうとしているだけだろう。それが結果として自然選択の篩に掛けられる。これまで多様化は遺伝子の突然変異が担って来た。人間はそれを脳でやろうとしている。それが芸術だ。だから芸術は無闇に多様になろうとする。それは、生物のもっとも根底にある本質的な『進化圧』の様な物から来るのじゃないだろうか。未だ見ぬ物を懐かしく焦がれるいのりもそこから来るのじゃないだろうか」
 草ちゃんはそう言うと口を閉じて中学生らしくない遠くに思いを馳せる表情になり、そして消えた。床に座って話を聞いていた私は思わず尻を浮かせて草ちゃんが居た所に手を伸ばした。草ちゃんはすぐに現れ私を見て微笑んだ。
「ごめん、退屈だった?」
「そんな事ない。草ちゃん、私の部屋からポーを連れて来てくれる?」
 ポーが恐ろしかった理由が判り恐怖はかなり薄らいでいたが、それでも一人で自分の部屋には戻れなかった。草ちゃんはすぐにポーを抱いて戻って来た。私は草ちゃんのベッドの上でポーを受け取り、私の方を向けて膝に抱き抱えた。
「怖がってごめんね。お前のいのりが余りにも深く底が知れなくて、魂が吸い取られそうな気がしたの。本当の事を言うと未だちょっと怖いわ。でも、その怖さもお前の魅力の一つだと判ったから、付き合っていけると思うわ。好きになれると思う。って言うか今の時点でかなり好き。草ちゃんが作ったお人形だもの。だから怖がった事は許してくれる?」
「許すも何も、始めから気にしていないわ」
 と、ポーは言った。勿論頭の中で私が喋らせたのだが、草ちゃんはそれが聞こえた様に私の肩を叩いて「良かったな」と言った。私とポーが草ちゃんのベッドを占領してしまったので、草ちゃんは文句を言いながら毛布に包まって床に寝た。次の夜からは、私はポーと二人きりの自分の部屋で寝られる様になった。そして草ちゃんが居ない時、私はポーとお話する様になった。思い付いた事を次々と取り留めなく話す事が多かったが、相談事もよくした。夜遅く帰って来るお父さんの眉間の皺が深くなっていくのが気掛かりだった。
「ねえ草ちゃん、ポーにお洋服を着せてあげて良いかしら。お化粧もしてあげたいの」
 と私が言ったのはポーを貰ってから一週間ほど経った夜だった。
「ポーがしたいって言ったのか」
 草ちゃんはポーが喋るのは当然の様にそう言った。私が頷くと苦笑した。
「色気付きやがって。奴の気に入る様にしてやってくれ」
 とすぐに言った。関節を留めているネジの奇怪な印象が人形の大きな魅力の一つだったから、それを服で隠してしまう事は嫌がるかと思ったが、何の抵抗も感じていない様だった。私は私と草ちゃんの小さかった時の服を直してポーの服を作った。ポーに子供服は似合わないので、寸法を直すのではなく解いて作り直した。ネジの引っ掛かる腕に苦労して袖を通し、私の化粧品で丹念にお化粧をした。服を着せてみると奇怪さが薄れるどころか、服から露出した部分にあるネジが強調され奇怪さは増した様だった。特に首を留めているネジが襟元から出ているのが異様だった。草ちゃんに見せると「別嬪になったじゃないか」と言って微笑んだ。それから腕を組んでまじまじとポーを見て首を傾げた。
「これなら売れるかも知れないな」
 草ちゃんの人形は美しかったが奇怪な印象で趣味が特殊なために売れる物ではないと思っていたらしい。それが服を着せ化粧をする事で僅かながら一般性が出た様に感じたのだという。後に聞いた話では草ちゃんが人形を作る事を生業にしようと最初に思ったのがこの時だったそうである。
 草ちゃんに性的な欲望を感じた事は殆どない(少しはある)。草ちゃんへの愛は恋情ではなかったが恋に似た所もあった。例えば独占欲である。草ちゃんは中学二年になると組替えで新しい級友ができ、その中の一人がガールフレンドになった。私の嫉妬は目も眩むほどで、その少女の家に火を点けようと半ば本気で思った。宥めてくれたのはポーだ。そして自分でも身勝手だと思う事に、その少女が草ちゃんをふると今度は草ちゃんを悲しませた彼女を憎んだ。またしても宥めてくれたのはポーであった。
 草ちゃんは試験前でも全く勉強する様子がないのに成績は常に平均以上なのは相変わらずだった。嫌味な奴だ。人形ばかり作って受験勉強をしていたとも思えないのに家から歩いて通える公立高校に易々と合格した。草ちゃんが高校に入学した頃から両親の帰りが早くなった。経営難が去った訳ではない事は顔を見れば判った。万策尽きたらしい。私に判ったくらいだから草ちゃんも気付いていた筈である。工場が潰れたのは夏だった。家には大きな借金が残った。元々技術者のお父さんは経営は苦手なのに工場を潰すまいと無理をして頑張ったのが却って良くなかったらしい。技術者としては優れていたお父さんの再就職先はすぐに見付かったが不況下で収入は少なく、お母さんも働きに出た。最低でも利子だけは払い続けないと、バブル崩壊以来債権に厳しくなった銀行は財産を差し押さえる可能性があった。薄給とは言え経済的に自立していた私には財産がどうなろうと知った事ではなかったが草ちゃんが心配だった。
「それで草ちゃんはどうするの?」
「どうもしない。予定通り美術の学校に進学する」
「お父さん、学費払えないわよ」
「高校を出たら一旦就職して学費を溜める。二三年切り詰めて生活すれば何とかなるよ」
「草ちゃん、立派ねえ」
 私はほとほと感心した。頭が良く芸術的創造性に優れている事は判っていたが、これほどの、何と言うか「生きる力」に満ちているとは思っていなかった。私の膝の上でおしっこを漏らした印象からどうしても抜け出せないせいか、それまでは何処かで草ちゃんを下位の存在だと思っていた。馬鹿でも私は姉であり、草ちゃんの保護者だという意識があったのだ。しかしこの時その上下は逆転し、私は草ちゃんを人間的にも深く尊敬するようになった。ただ弟が可愛いだけの私とは異なり草ちゃんには立派な目的があった。
「させない。草ちゃんに就職なんかさせない。草ちゃんはお人形を作らなくちゃ駄目よ」
「させないって言っても、姉ちゃんの給料じゃ学費は払えないだろう」
「大丈夫。何とかする。草ちゃんは心配しないで」
 私は生まれて初めて目標を見付け意欲に満ち溢れていた。もっともこの時点ではっきりした考えがあった訳ではなかったが、例によってポーに相談すると答えはすぐに見付かった。私は翌日辞表を出し、事情を話して新潟のお爺ちゃんに借金をして自動車教習所に入所した。大型免許を取って私はトラックの運転手になった。二トン車、四トン車とステップアップし、すぐに十トン級を運転する様になった。筋力でこそ男に劣ったが運転技術でもスタミナでも引けは取らなかった。頭は悪かったが勘が良く器用だったし、草ちゃんの事を思えば根性が出た。仕事もきつかったが事務員とは比較にならぬほど給料は良く、お爺ちゃんに借りたお金はすぐに返した。女性運転手は男よりもずっと少なかったが、その頃既に珍しいというほどではなくなっており、覚悟していたセクハラも余りなく、会社の運転手たちは概ね気の良い奴等だった。寧ろ荷主の中に運転手が若い女だと知ると不安がる者があった。労働基準法の存在を知らぬがごとき会社だったから、その気になれば仕事は幾らでもできたが私は無理はしなかった。私は草ちゃんの学費が稼げれば良いのであり、事故を起こしては元も子もない。借金を抱えた家には一銭も入れなかった。それから草ちゃんが美術大学を卒業するまでの六年余りが、私の人生で最も気力に満ち充実した時期だった。今時の若者たちは誰も大学の卒業式で泣いたりしていなかったが、家族の席で私一人が号泣した。家に帰ってから「ごめんなさい。恥ずかしかったでしょう」と言うと草ちゃんは微笑んだ。
「そんな事ない。あれは俺の姉ちゃんだって皆に威張りたかった」
 そう言われて私はまた泣いた。大学を出ると草ちゃんは新潟のお爺ちゃんの家に移り住んだ。以前はそちらが母屋だった茅葺きの離れである。理由は、広くて家賃がただだから。そこを工房にしたのだ。画廊や催事場での展示会の予定もあったが最初から人形が売れる筈もないので、額縁に彫刻をして画材店に降ろす仕事も取って来た。そうした仕事や展示会の開催は大学関係の人脈を通じて得られた。人間嫌いで愛想の悪い草ちゃんが大学へ行った目的としては、技術や知識を得るのに劣らずそういう人脈を得る事が重要だったらしい。益々充実した人生を送っている草ちゃんに引き換え、私は目標を失って気力が萎えていた。草ちゃんが自立してしまったら何をして良いのか判らなくなった。動機を失った仕事は集中力が出ず、こんな調子ではいずれ事故を起こすと思って私は会社を辞めてしまった。しばらく家でぼんやりしていたが、運転手仲間だった男に求婚されて流されるように結婚した。結婚生活は一年も続かなかった。夫が浮気をして女を孕ませたのだ。私に落ち度と言える所はなく両親は怒り狂っていたが、私は少し夫に同情していた。弟のために頑張る活力に満ちた女に求婚した筈が妻は腑抜けだったのだ。可哀想な所はある。慰謝料はふんだくったが。私は家に戻らず、お爺ちゃんの家に住む事にした。また草ちゃんと暮そうと思ったのだ。引っ越し荷物を積んだレンタルトラックの運転席を降りると草ちゃんが玄関に出迎えてくれた。私は草ちゃんに抱き付いてめそめそ泣いたが草ちゃんに感傷はなく「姉ちゃん太ったな」と言った。私は泣きながら草ちゃんの頭を張り飛ばした。助手席からポーが見下ろしていた。
 お爺ちゃんは元々農家だったがお婆ちゃんが死んでからは自給用の僅かな田畑を残して農業は辞めてしまった。その土地を牧草地にして酪農家に貸し、その借地料と年金で暮していた。過疎地だから借地料と言っても知れているが毎日新鮮な牛乳が飲めた。お爺ちゃんは瓦屋根の母屋に住んでいたが草ちゃんは工房にしている茅葺きの離れで寝起きしていた。私も離れに一部屋を貰い、毎日三度の食事を作り洗濯と掃除をした。集落には商店がなく、買物は週に一度か二度、県道沿いにある量販店に軽トラックで行って纏め買いをした。空いた時間は、草ちゃんが人形を作っている囲炉裏のある広い板の間で裁縫をした。草ちゃんとお爺ちゃんの衣服も繕ったが主に人形の服を作った。ポーは和服が似合うと思ったので近所のお婆さんに和裁も習った。関節のネジが邪魔になって人形には上手く着こなせない服も多かったが、そういう時は一旦ネジを外して服を着せ、服に穴を開けてその上からネジを留めるとスマートに着こなせるだけでなく面白い効果も出た。そういった事は全てポーと話し合っている時に思い付いた。正確に言えば私の想像の中でポーを喋らせるのだが、何かを考える時にはポーとの会話の形式を取る癖が付いていた。
 草ちゃんは中学の頃よりもずっと頻繁に消える様になっていた。一日に何度も消えた。以前はほんの一瞬だったのに二秒ほども消えている事があった。点滅する様に二度三度続けて消える事もあった。それは必ず人形作りに没入している時に起こり、草ちゃんは自分が消えた事に気付かなかった。
 離れの板の間にはぐるりと棚が儲けられ、人形たちがずらりと並んでいた。人形は余り売れず、草ちゃんの主な収入は額縁から得ていた。貧しかったが草ちゃんもお爺ちゃんも贅沢は好まず質素に暮したから不自由感はなく、私の慰謝料は手付かずで残っていた。売れないのは人形に魅力がないからではなく、私がポーに感じたような奇怪で恐ろしい感じがあるのと、身長が六十センチから一メートル近くと大きいので一般家庭では置き場所にも困る様だった。草ちゃんは小さな人形を作る気はないらしかった。そこで、私は街の喫茶店の店内装飾として置いて貰う仕事を取って来た。毎月人形を交換し賃貸料を貰うのだ。これは評判が良かった。最初は毎月一体の貸与だった物が、やがて同じ人の経営する二軒の店に二体ずつ四体の貸与になった。私は人形たちを撮影してCD−ROMの写真集を作り、その喫茶店や展示会場で売った。こちらは大した利益にはならなかったが赤字にもならなかった。私もそれほど熱心に営業した訳ではない。家事や裁縫の合間の手慰みだった。私は殆どの時間を草ちゃんの傍で人形の服を作って過ごした。
 穏やかに二年余りの時が流れ、ある晴れた日の朝、草ちゃんは私の目の前でいつもの様に姿を消したが、再び現れる事がなかった。お爺ちゃんが捜索願いを出した。私は見た侭の事を警察に話したが、弟が居なくなって錯乱していると思われた。しかし、私は自分でも驚くほど落着いていて取り乱す事がなかった。それは勿論草ちゃんが居なくなって寂しかったし悲しかった。夜中に草ちゃんの名を呼びながら目を覚ましポーを抱いて泣いた事も何度もあった。しかし日常の暮しに乱れはなく淡々と日々を過ごした。
「草ちゃんは何処に行ってしまったのかしら」
 と私が聞くとポーはこう答えた。
「草ちゃんは、いのりになったのよ」
 私には何の事やら判らなかった。ポーも説明してくれなかった。ポーも判らないのであろう。私に判らない事がポーに判る筈はなかった。
 私は再びトラック運転手の仕事を始めた。東京の方が仕事は見付け易かったが、お爺ちゃんの家から通える仕事を捜した。私は草ちゃんの居ない離れで人形たちに囲まれて寝起きした。私は売れて行った草ちゃんの人形を買い戻した。売れた点数はそんなに多くはないので全て買い戻すのは簡単だった。草ちゃんは記録の類を作っていなかったが、どの子がどこに売れたか私は全て覚えていた。人形たちは草ちゃんの面影を宿していた。顔が似ている訳ではない。草ちゃんの顔立ちは凡庸で人形たちのような美しい顔はしていなかった。似ているのは雰囲気、佇まいである。それは、いのりの気配であった。
 私はやがて、いのりに似た情緒を持つ芸術作品は案外沢山ある事に気付いていった。草ちゃんの言う通り、芸術表現が進化の一形態であるならば、進化圧に直結したいのりに普遍性があるのは寧ろ当然であろう、とポーは言った。例えば、円空という江戸時代のお坊さんが作った仏像にそれがある。円空仏と草ちゃんの人形は形としては全く似ていない。草ちゃんの人形は繊細に仕上げられているが、円空仏は大胆な面で構成されている。しかし、その大らかな雰囲気と底に流れる懐かしさに似た物悲しさは、草ちゃんの言ういのりに通じる物があった。私は、いのりを持つ作品を捜し始めた。造形作品よりも音楽にそれは多く見出された。世界各地の民族音楽を基調にした素朴な音楽を作る、ある日本のバンドには微かだがそれがあった。東欧のある女性シンガーソングライターにはかなり色濃くあった。私は彼女のCDを買い集めた。インターネットを通じて日本では発売されていない物も全て揃えた。来日した時には各地で三回行われた公演を全て聞きに行った。私は少しでもいのりに似ている物を集めて重ね合わせ、その印象をより強くしようとしていたのであった。草ちゃんが消えてからも、私は草ちゃんの後を追い続けていたのである。
 その日は仕事が早く終わったので家に帰って一息吐いていた。棚の上に座っているポーを見上げながら飲んでいたお茶を空け、そろそろ夕飯の支度をしようかと立ち上がった時だった。ポーが問い掛ける様にかたりと首を傾けた。私はポーに「どうしたの」と聞いた。私は時折ポーを喋らせているのは自分だという事を忘れ、ポーが本当に人格を持って生きている様に錯覚する事があり、この時もポーの動きに疑問を持たなかった。一瞬置いて棚の上に並んでいる人形たちが一斉にかたかたと音を立てて動き始めた。私は漸く異常を悟った。棚から飛び出したポーが私の胸に飛び込んで来た。私はポーを抱えて尻餅を突いた。人形たちは次々に棚から飛び出して来る。私は立ち上がって人形たちを抑えようとした。しかし立ち上がる事ができなかった。床が大きく揺れている事に気付いたのはその時だった。後に新潟県中越地震と呼ばれる事になる大地震に見舞われたのだった。すぐに電器が消えて暗くなった。最初に考えたのは火を消す事だった。十月半ばともなればこの辺りは朝晩冷え込むので昼間でも囲炉裏の燠火に灰を掛けて燻らせてある。電器の消えた居間で燠火が灰を透かして赤く光っていた。茅葺き屋根は燃え易いから、こんな時のために水と不燃布を用意してあるのだが、揺れが激しくて這う事もできず、私はただ囲炉裏に転がり込みそうになる人形を払い除けるようにして防ぐ事しかできなかった。揺れが納まると囲炉裏に水を掛け不燃布を被せて消火した。人形たちを棚に戻したが、その後何度も大きな余震があってまた落ちた。仕方がないので人形たちを床に並べ、余震が収まるのを待つ事にした。知らぬ間に囲炉裏に突っ込んでいたらしく左腕を火傷していた。電気も水道も止まっていた。集落に発電機はなく、情報元はラジオカセットと自動車のラジオだけで、それも電池を節約するために点けっぱなしにはしなかった。私たちの集落は県内では被害が少なく、倒壊した家屋もなく怪我人も皆軽傷だった。沢の水が止まったが井戸水は涸れなかったので取り敢えず恐慌に陥る事はなかった。ただ、道路が寸断され電話も通じないので集落は孤立した。その夜、お爺ちゃんは集会所に行って集落の皆と過ごしたが、私は離れで一人、人形たちに囲まれていた。寒かったが余震が怖くて火を焚く気にならず暗い中で布団に包まっていた。地震の直後は騒いでいた牛たちも鎮まり、奇妙に静かだった。ふと気が付くと夜気にはいのりが満ちていた。空気ばかりではない。人形たちは勿論、家にも大地にも草にも、草を食む牛たちにさえいのりの気配は宿っていた。森羅万象いのりならざる物はなかった。草ちゃんに包まれて居ると私は思った。草ちゃんは世界になったのだ。余震と孤立に依る不安は消え去り、私は穏やかに満ち足りていた。
「本当は世界が草ちゃんになったのではなく、私が世界にいのりを投影しているのでしょうけどね」
 と、私はポーに言った。冷静に考えればその方が現実的だった。
「同じ事よ」とポーは言った。「言い方の違いに過ぎないの。心の中のいのりを世界に投影しているのだとも言えるし、草ちゃんは偏在しているとも言える。どちらも同じ事なの」
 私は首を傾げた。
「へんざい?」
「遍く在ると書いて偏在。同時にあらゆる場所に存在するという意味よ」
 私ははっとした。ポーは私が想像の中で喋らせている筈だった。私の知らない言葉をポーが知っている筈はなかった。
「あなたは誰。ポー? 私? それとも草ちゃん?」
 ポーは首を左右に振った。頭の中の想像でも見間違いでもない。確かにゆっくりと首を振っていた。
「それも区別しなくて良いのよ」
 とポーが言った。私が言った。草ちゃんが言った。
 私と他者を区切る境界は消失し、全ては一繋がりの宇宙だった。私は偏在し、いのりに、草ちゃんになった。

●秘密集会●

以下は「人形の家」執筆の為の会議。発想の元になる言葉を提示し、それについて議論をする形式を取っている。主題は「芸術偏愛」。
出席者 さらさら:女子小学生
    かすてら:男子落伍者
・偏在する芸術偏愛の弟
「何これ」
 美術品蒐集家の弟が居たんだが死んじまうんだ。姉が弟の遺品の美術品を見ているとその中に弟の面影を感じ取るんだな。
「顔が似ているという事じゃあないのね」
 うん。性格と言うか、佇まいと言うか息遣いと言うか、そういう存在の情緒、雰囲気みたいな物が似ている。
「まあ、蒐集品には集めた人の趣味や性格が反映されているでしょうからね」
 そうだ。それで姉は弟の面影を宿す美術品が他にもあるのじゃないかと思って探し始める。そうすると、意外と沢山ある事に気付く。姉はそれらの美術品を買い集め、弟以上のコレクターになる。それらの中にある『弟的要素』を重ね合わせる事で弟を再現する、生返らせる事ができるような気がしたんだ。やがて姉は、美術品以外のありとあらゆる物に弟の面影を見出す様になる。偏在する弟。弟は死んで世界になったのだと姉は思う。実際には弟の面影を宿していたのは姉自身で、それを周囲に投影していたに過ぎないという落ち。
「ちょっと理に落ち過ぎ」
 俺もそう思う。

・侵略するねぶたの芸術偏愛
「ねぶたって、あのでっかい提灯みたいな御神輿の事?」
 そう。
「あれが侵略して来るの? 本州を南に向かって」
 それだと芸術偏愛じゃないな。
「あれを偏愛する気持ちが侵略して来るのかしら」
 感染。
「感染好きね。まあ、流行というのは脳にウィルスソフトが感染する様な物でしょうけど」
 似た様な事は既に起こっているな。日本中で阿波踊りやったりサンバ・カーニバルやったり。
「よさこいソーラン…何で苦笑するのよ」
 いや、別に良いんだけど。
「馬鹿にして。私は若い人がああいう事に夢中になるの判るけど」
 ディスコやクラブと乗りは近いんだろうな。ストリートダンスとか。
「タケノコ族」
 ああ、一世風靡セピアはそっくりだ。まあ、ああいう大勢で調子を揃えて一緒に動く楽しさみたいなのは判らんでもない。近くでやってても見に行かんけど。
「それは…私も行かないけど。ねぶたがそういう風に流行るのね。ねぶたは大きいからゲリラ的にはできないわね」
 公道でやるには役所の許可が要る。
「お役所も脳侵略されてて積極的に協力する。もう日本中でらっせーら、らっせーら。何だってそんなに流行るのか」
 そんな事俺に聞かれても。ヨン様ブームも理解できんのに。

・閉じ込められる夢の芸術偏愛
「閉じ込められる夢ってよく見る?」
 最近は見ないな。以前見たのも誰かに閉じ込められるんじゃなくて、災害で建物が崩れたり。狭い所に挟まって動けなくなっちゃう夢もよく見た。自分でどんどん入り込んじゃうんだよ。
「象徴的ねえ。夢の芸術ってあるかしら」
 夢は共有できねえからなあ。
「SFでは夢を記録再生する装置がよく出て来るけど」
 悪夢の蒐集家がいるのかな。
「閉じ込められる夢専門のコレクター」
 そんな物集めてどうするんだ。
「芸術は鑑賞する事自体が目的だから、それ以上どうこうって言うのはないんじゃないの」
 夢を見ている人が閉じ込められて居るんじゃなくて、誰かあるいは何かが夢の中に閉じ込められて居るんじゃないの。
「ははあ。夢の虜囚。何か罪を犯したのかしらね」
 この世界を創った罪で神が閉じ込められている。
「安易ね」

・肉体のパズル
 理科室にあったな。臓器が取り外せる奴。
「プラスティネーション」
 どうせならレゴブロックみたいに一旦ばらばらにした奴を違う形に組み合わせたりできると良い。
「今日は左腕は使わないので家に置いて来ました」
 コンサートには一人の肩に三つくらい頭をくっつけて行けば一つの席で三人楽しめる。
「上半身を外しちゃって足の上に頭をいっぱい鈴生りにすれば」
 その間胴体の方はどうするんだ。遊ばせておくのか。
「仕事させようにも目も耳もない。まあセックスならできるかも」
 頭がなくちゃ気持ち良くないだろう。
「千手観音でーす」
 口八丁手八丁。
「八面六臂二枚舌」
 喉から手が出る。コラージュで胴体の両端が尻というのは見た事がある。
「ギリシア神話で一つの目玉を三人で共有していて順番に使っているお祖母さんが居たわね」
 ああ、予言者の老婆だろう。『マクベス』の魔女の原型があれじゃねえか。
「キメラもできるかしらね。人魚とかケンタウロスとか」
 スフィンクスとか。芸術っぽくなってきたな。
「生きているオブジェ」
 諸星大二郎の処女作が、人間がいろんな物に融合しちゃう話だった。

・迷い込む申込方法の芸術偏愛
「カフカの『アメリカ』にそんな場面があったわね。何処の窓口に行っても『この窓口に行って』と言われるばかりで何時までたっても手続きできない」
『審判』もそうだ。そもそも自分が何の罪で訴えられているのか判らない。出廷するべき法廷が何処にあるかも判らない。
「カフカにとってああいう閉塞感は幻想じゃなくて『現実的(リアル)』だった訳でしょう」
 良く判らんけどそうだろうな。疎外感と言うか、仲間外れになっている感じ。悪意に依って遠ざけられているのじゃなくて、何か仲間足るべき条件を自分は備えていない為らしいのだけど、その条件がなんなのかも判らず、どうすれば判るのかも判らないままさ迷い続ける。
「それはカフカがユダヤ人である事と関係がある?」
 どうかな。カフカについては父親の影響の事がよく言われるけど。
「題名は忘れちゃったけど、ウディ・アレンの映画でこんなのがあった。アレン演じる主人公は地域の自警団の団員なんだけど、自分の役割が何なのか判らないの。人に聞いても『自分の役割も判らないのか』なんて言われるばかりで誰も教えてくれない。そういう不条理な閉塞感はある種のユダヤ人にはよくある事なのかなと思った」
 うーん。自分が何者なのか判らないと言うのは自己同一性(アイデンティティ)の問題だから解釈しようと思えば幾らでもできるけど、そういう風に説明しちゃうと重要な何かが抜け落ちちゃう感じがするんだよなあ。自分には判らない理由で世の中に受け入れられない理不尽な息苦しさみたいな物を感じ取る事こそが重要なのであって、説明しちゃうとカフカを読んだ事にならない気がする。
「閉塞感の反対語は何かしら」
 開放感、かなあ。
「それは変だわ。カフカの閉塞感は繋がりが持てない事に依る物でしょう。開放感は繋がりを断ち切る事に依って生じる物だわ。図式で言うと両者は同じ状態になってしまう」
 閉塞感という言葉の使い方がちょっと特殊なんだな。一般的に閉塞感という時には八方塞がりの出口のない常態を言うんだがカフカ的閉塞感に於ては入口がない。
「ははあ。図と地が逆転している」
 皆が普通に持っている物を自分は共有していない為に生じる疎外感がカフカ的閉塞感だから、その反対語は欠けている部分が満たされた十全感とでも言う物だろう。
「共有できない事に依る疎外感の逆と言うなら、共有が過剰である為に、何て言うか、雁字搦めになっちゃう常態も考えられるわね」
 逆の閉塞感。関係が過剰である為に身動きが取れない。しがらみ感とでも言うか。
「芸術偏愛と繋がって来ないわね」
 そうだな。

・改造された癌細胞の芸術偏愛生態系
「芸術としての病気、というのはありそうね」
 筒井康隆の『俗物図鑑』に自分を性病の巣にしている女や全身に皮膚病を『飼っている』爺さんが出て来たけど。
「体が変形する病気があるでしょう。出来物とか」
 象皮病とか。人体を素材にした芸術。
「さっきの肉体のパズルが外科的芸術なら、内科的芸術」
 遺伝的、というのもある。
「発生学的な手法もあるわね」
 ああ。発生過程で手を加えればかなり『形の違う』物ができるだろうな。
「管理された『病気』に依って自分の体を変形するお洒落」
 全身を緑色の鱗で覆った女。一度やっちゃうと元に戻すのが大変そうだ。刺青みたいな物か。
「親のデザインで発生過程を操作されちゃったら子供は迷惑ね」
 体の形が違うと既製服着られないし。
「そんな問題じゃない。病気や発生過程の操作は遺伝子を変化させないから子供に伝わらない点では安心ね。がん細胞って人体の外でも生かしておく事ができるのでしょう」
 うん。上手に培養してやると何時までも増殖し続ける。研究用にそうやって生かし続けている細胞も実際にあるよ。
「癌細胞が知性を持ったらどうなるかしら」
 体細胞や寄生体が知性を持つというSFは幾つかある。先ず、癌細胞は宿主、癌は寄生体じゃないから宿主という言い方はおかしいけど、罹患者を殺さずに生かそうとするだろう。
「宿主が死んじゃったら自分も死んじゃうもんね。癌に罹ると健康になる」
 健康とは限らないけどな。癌にとっては『生かす』事が重要なのであって、その状態は必ずしも『健康』とは限らない。しかしまあ少なくとも長生きはする。
「自分たちの『種族』を維持し数を増やそうともするでしょう」
 しなければたちまち滅びる。癌が発生する仕組みは幾つかあるが、知性を持っているという事は、分子素子のような情報処理装置があるという事だろうから、その素子を組み立てる為の遺伝子を増やさなければならない。自然状態で遺伝子を外に持ち出す仕組みは主に二つだ。一つはウイルスに転写する物、もう一つは…。
「セックス!」
 そう。人間を支配する事ができれば医学的な方法でも移植できる。
「支配? どんな方法で」
 乱暴な遣り方としては運動系を乗っ取っちゃう。でも、脳を擦り替えた方が面白い。
「摺り替える?」
 栄養の供給を断てば細胞はどんどん死んで行く。成人したら神経細胞はもう再生しないからそこに癌細胞が入り込んで入れ替わる。少しずつ入れ替わって最終的には全部癌細胞に入れ替わる。
「頭の挿げ替え。きっと自分が乗っ取られつつある事に気が付かないわね。最近頭良くなったなあなんて思ったり」
 アルツハイマーが治ったり。
「その時、脳細胞のニューロンネットワークが創り出す意識と、脳の神経細胞に入れ替わった癌細胞の意識と言うか知性は二重に働いている訳よね」
 どうかなあ。神経細胞を流れる信号はある程度癌細胞の知性が制御しているんだろうから、何処までが人間で何処までが癌細胞という境界は曖昧かも知れない。
「融合して一つの個体を形成する可能性もあるわね」
 元々癌細胞は自分だからな。

・木星の芸術偏愛生態系
 筒井康隆の『ポルノ惑星のサルモネラ人間』では助平な方へ進化する生態系が出て来たけど、美しさを目指す生態系。
「部分的には地球生態系にもあるわね。花や鳥が美しいとか。生存のためには寧ろ不利な大きな角を持った動物とか。ああいうのはどうして出て来るのかしら」
 進化と言うと向かう方向がある様だけど、生物は闇雲に多様化しようとしているだけだからなあ。それが結果として自然選択という篩にかけられる。形や色が美しく進化するのは、他者との関係の為だよ。花が美しいのは虫に気に入られる為だし、鳥の羽や鹿の角は雌に気に入られる為だ。
「じゃあ、どうして虫や雌はそんな物を選ぶの? 目立つ色や邪魔な角は生きて行く上で不利じゃないの」
 う〜ん。話は逆なのかも知れん。
「逆って」
 美しく進化したのじゃあなく、進化した物を美しく思う様になった。最初は美しくなろうとしたのではなく、単に差別化しようとして形を変えたんだ。例えば、ある花が近縁の種との違いを際立たせようとして赤味を帯びたとする。その花の蜜や花粉を好む虫には赤い色は好ましい物となる。進化というのは安定した環境では極端になる傾向があるから、虫に対してより強い刺激を与えようとして花はどんどん赤味を増し濁りをなくして鮮やかになっていく。
「ここで面白いのは機能と形態が結び付いていない所よね。蜜の味や花粉の量と赤い色とが結び付く必然性は何もない訳でしょう。他種と差別化できれば何色でも良かった。色である必要もない。形とか、音を出したって良い」
 言葉に似てるな。言葉の音や形とその指し示す内容とは結び付く必然性がない。だから言語に依って呼び名が異なる。
「でも、どうして花は人間にも美しく見えるのかしらね。花は虫に対して美しくなったんだから、人間から美しく見えても意味がない」
 更に言うと、人間と虫は同じ花を見ていないと思うよ。目の構造が違うから。
「あ、昆虫は複眼だもんね」
 それに可視光波長が違う。昆虫の多くは紫外線も見える。何で花が美しく見えるのかは難しい問題だな。可能性の一つとしては花が咲くような環境は春や秋の温暖な季節だから人間に取って好ましいという事もあるが…案外理由はないんじゃないかな。
「ない?」
 うん。何が美しいかという内容は時代や文化に依って異なるだろう。絵巻物などを見れば判るが平安時代は下膨れの顔が美人だったんだ。つまり、人間から見た美しさというのは先天的な物ではなく後天的に恣意的に決定される部分がある。
「美の基準は文化に依存して普遍的な美という物はないという事?」
 それも難しいんだよなあ。小さな子供で甘味を不快と感じる者は文化に依らずほとんど居ないらしいし、黒板を引っ掻く様な音を不快と感じるのも万国共通らしい。
「先天的要素もあるかも知れないという事ね。全ての生命に普遍的な美というのはないのかしら」
 あるいは全宇宙に普遍的な美。細胞で体が構成されているという点は全ての生物に共通だから、そこいら辺に何か共通の『価値』みたいな物は見出せるかも知らん。宇宙で言うと物理法則かな。
「美へ向けて進化する生態系があったとして、その美の基準をどうするか、誰が決めるのかが難しいわね」

・人喰い機械の芸術偏愛
「人を食った機械」
 何じゃそれは。人を殺す為の機械は武器の他にもあるよな。断頭台とか。
「『ブラック・ジャック』のドクター・キリコは安楽死用の機械を持ってたわね」
 殺す所まで行かないけど人間を疎外する機械なら沢山あるよな。
「チャプリンが『モダンタイムス』で警告を発して以後も一向に減らない」
 実際に人間を食べる機械って考えられるかな。
「災害などで一度に大量の死体が出た時に、効率よく処理する装置」
 放置しておくと衛生上良くないからな。生きている人間を食べた方が面白いな。
「何のために」
 芸術(笑)。人体芸術ねたはもういいか。芸術だとすれば機械自体が作品なんだろうな。
「殺人芸術。ナチスも効率性ばかり考えないで鑑賞する事を考えれば良かったのに。格闘技の機械は考えられるわね。人間同士の格闘では危険だからボクシングではグローブを付けるし空手では寸止めにしたりするでしょう。相手が機械なら素手で思い切り殴れる」
 それじゃあ人間が怪我をしたり死んだりする危険は変わらないよ。試合を面白くする為には機械と人間の力の水準を同じくらいに設定して機械も時々勝つ様にしなければならないだろう。そうすると機械の方も人間と同じ力で殴り返して来るから危険は変わらない。
「でも人間と違って殴り殺しても罪悪感を持たずに済む。機械の方は元々罪悪感の様な感情はないし」
 でも死ぬ率は却って高くなるよ。

・人喰い楽器の芸術偏愛
「魂を抜かれちゃうのかしらね」
 セイレーンだ。
「ハーメルンの笛吹き男」
 ブレーメンの音楽隊。
「それちょっと違う」
 日本の民話には楽器や音楽を扱った物は少ないね。
「ないはずはないけど咄嗟に思い付かないわね」
 人間のゲノムを音楽に変換する企画があったな。
「それなら食べなくても体の一部を採取すれば済む」
 体と引き換えにするのか。音楽を演奏するとその分だけ体の一部が消えていく。
「体と引き換えに何かを得るという話はあるわね」
 アンデルセンの人魚姫は人間の姿と引き換えに声を失う。
「演奏を止められないのでしょうね。体を失うと判っていても」

・人喰い日用雑貨の芸術偏愛
「炬燵が人間を食べるという馬鹿な映画があったわね」
 凄く凶暴で危険なんだけど裏返しにすると起き上がれないんだ。雑貨というと何を連想する?
「炬燵は雑貨というより家具ね。スリッパとか、石鹸とか、タオルとか塵紙…。ハンガー、手鏡。化粧品は雑貨とは言わないけど櫛なんかは含まれるかしら。食器は雑貨と言わない場合が多いけど醤油射しなんかは雑貨かしらね。鍋釜は雑貨じゃないけど、落とし蓋は雑貨かも知れない」
 本体的な物ではなくて付随的な物が雑貨か。大きな書棚や箪笥は雑貨じゃないけど小さな物入れは雑貨。電話やテレビは雑貨じゃないけど懐中電灯は雑貨。
「文具も実用的な物は事務用品という感じだけど装飾的な物は雑貨っぽい」
 雑貨を集める人も居るな。
「骨董とか」
 雑貨蒐集で身を持ち崩す人も居る。
「雑貨が人を食べるってどういう事?」
 文字どおり食べるんじゃねえの。がぶっと。
「タオルの裏に口が付いていて体を拭こうとすると噛み付いてくる」
 筆箱が子供の指を食い千切る。
「孫の手が皮膚を食い破って体の中に食い入ってくる。家畜人ヤプーには雑貨人間も居るでしょうね」
 体を拭く専用のバスタオル人間。皮膚がタオル地になっている。
「あ、何かエロくて良いわ。セックスする事を『食べる』っていう事もあるわね」
 細長い壜や缶を使って自慰する女は居るだろう。
「男の人は蒟蒻使ったりするんでしょ」
 話は聞くけど実際にやったって言う奴には会った事ないなあ。カップ麺を完全に戻さずに、ぬるいお湯で芯が残るくらいの硬さにすると具合が良いらしい。電動マッサージ機が良いって言うよな。
「洗濯機の角に押し当ててると気持ち良さそうね。脱水の時とか」
 洗濯が大好きになる。
「しなくても良いお洗濯を沢山しちゃう」
 雑貨で芸術というと工芸品的な物を思い浮かべるな。
「ファンシーグッズは軽過ぎて芸術という感じゃないわね」
 ポップアートというのもある。
「ああ。ウォーホルのキャンベルスープとか」
 缶詰は今はスーパーで買うけど、昔は何処で買ったのかなあ。八百屋や魚屋じゃないよなあ。雑貨屋かなあ。酒屋かも知れんけど。
「かん物屋」
 違うだろう。

・人喰い夫の芸術偏愛
「旦那さんが食人鬼で芸術愛好家なのね」
 食通なのかも知れない。二十歳以下のアングロサクソンの女しか食べないとか。
「食べ方も重要よね」
 柱に縛りつけて生きたまま肉を薄く削いでいく。
「刃物を使わずにペンチで毟り取った方が良いんじゃない」
 苦痛が大き過ぎると気絶しちゃうからつまらない。いずれにしても太い血管を傷付けないようにしないと出血ですぐ死んじゃう。
「その血がもったいない(笑)」
 食べ終えた後の骨とか髪の毛で何か作るのかも知れんな。
「民族楽器で本物の人間の大腿骨で作った笛はあったけど」
 どうせならもっとこう、不謹慎な物が良い。
「張り型とか」
 おしゃぶりとか、がらがらとか。
「積み木とか。取り敢えずお箸とスプーンは作っておきたい」
 何か賭事に使う物できねえかな。賽子とか。
「麻雀牌」
 あっ。凄く具合良さそう。ドミノも良いな。それでドミノ倒し。
「良い音するでしょうねえ」

・知性を持った警報機の芸術偏愛
「高度な判断力を持った警報機なのね」
 災害対策用のエキスパートシステムみたいなもんだろうな。緊急時の複雑な事態にも対処できるように膨大な情報処理能力があるけど、普段は使わないからその領域で芸術鑑賞したりしている。
「案外趣味が良かったり」
 どうかなあ。人間とは判断基準が違うだろうからなあ。
「危機的状況が描かれているほど良い」
 洪水神話とか。
「パニック映画が大好き」

『軽挙妄動手帳』

●不定形俳句●

◆編集後記◆

 ここに掲載した文章は、パソコン通信ASAHIネットにおいて私が書き散らした文章、主に会議室(電子フォーラム)「滑稽堂本舗」と「創作空間・天樹の森」の2005年10月〜12月までを編集したものです。

◆次号予告◆

2006年4月上旬発行予定。
別に楽しみにせんでもよい。

季刊カステラ・2005年秋の号
季刊カステラ・2006年春の号
『カブレ者』目次